新たな出会い
私は1ヶ月に渡る旅を経て、お父様の国へやって来た。
ここは島国だけど、国土は王国の2倍。そして首都以外はかなりの田舎。未開拓地域も多くあるらしい。
お父様は12ある地方領主の1人…国王の直下、上級貴族だと聞く。
屋敷は公爵邸よりは小さいけれど、素朴ですっごく落ち着く。
私の部屋はまたも1階。信用ないな…
「お嬢様!遠くに海が見えますよ〜」
「本当ね。泳ぎたいな…」
ここから海まで歩いては1時間かかると聞いたが、遮蔽物が少なくて遠くまでよく見える。
風が気持ちいい…私達は窓を開けたまま荷を解き始めた。
この国に姓はないので、私はただのイグリットになった。
上級貴族の娘として、これからどうすればいいのだろう。
まあ一応公爵令嬢だったし。お母様に鍛えられたから、大抵のことには対応できるわ。
「イグリット。君の仕事はまず遊ぶことだよ」
「え…?」
夕食の席でそう言われ、呆けた声を出してしまった。
私はお父様に何も期待されていないのだろうか?
「この国は女性でも当主になれるけど、俺の跡継ぎは決まっているんだ。
イグリットはそうだな…分家になってもいいし、どこかにお嫁に行ってもいいし。それこそ、跡継ぎと結婚してずっとここにいてもいい。
だけどまず遊ぶこと。ね?」
「ね?って…」
遊ぶって…何をするの?
困っていたらお母様が申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんね、今まで私が厳しかったから…」
「ううん。それは私の為だったって、今は分かってるから」
お母様はその言葉に微笑んでくれた。
「そう言ってくれてありがとう。貴女は本当に、私の自慢の娘よ。だけどこれからは、もっと自由になっていいの」
「自由に…」
今までずっと、殿下に相応しい女性であろうと頑張った。マナーも勉強も社交も美容も…遊ぶ時間なんてありはしなかった。
やることが無いっていうのは…私にはちょっと難しいみたい。
それから数日。まず私は、ずっとベッドの上でゴロゴロしてた。寝過ぎて疲れた。
窓を開けていると、気持ちのいい風が吹いてくる。
一際強い風に乗って、1匹の大きな蜂が入ってきた。
「きゃーっ!!きゃあ、きゃあ!お嬢様はエマがお守りします!」
「ぐえぇ…」
エマは真っ青になって私の首を絞める。下手に動くと狙われるので、じっとしてやり過ごすつもりだろうか。
「ぎゃーーー!増えたー!!?」
追加で3匹来た。エマは涙目だ。
蜂に刺されたら死ぬのかしら。痛くて苦しいのはイヤだけど…そう思いながら手を伸ばした。
「だ、だめですお嬢様っ!!」
「……………」
うーん、エマが刺されるのは困るわね。
どうすれば…と考えていたら。1匹私の指先に止まった。
エマが息を呑み、手を振り上げるのが見えた。蜂を掴んで自分が刺されようと言うのだろう、それは駄目。
「じっとしてましょう。……刺さないわね」
「へ…?」
ブンブンと、私の周囲を蜂が飛び回るが。誰1匹として攻撃してこない。
近くに巣は無いから…こっちが手出しをしなければ刺さないだろう。
それでもエマは羽音が怖いのか、少々震えて私を抱き締める。
これが普通の女の子の反応なのかな。
平然としている私は可愛げのない女だろう、男性に愛想を尽かされても当然か。
回帰前だって…立派な淑女として、恐怖や嫌悪といった感情は仮面の下に隠していたから。
感情を全部表に出すアウロラのほうが、女性として魅力的だったのでしょうね。
いやでもよく見ると蜂可愛いな。
蜂は数分で全員出て行った。
エマは「旦那様に相談しなくては!」とプンスコしながら窓を閉める。
いや、蜂って意外と可愛いな。
「お嬢様〜!蜂に襲われたんですって?ご無事ですかっ!?」
「見ての通りよ、パール」
私付きのメイドは、エマともう1人いる。
私と同じ10歳のパールという兎獣人。お父様と違って、顔は完全に兎さん。
ここで豆知識を。
お父様のような人間に近い獣人を『ヒュール』。
パールのように動物に近い獣人を『アニス』と言うらしい。
「どうしましょう、虫除けの香でも焚きましょうか」
「要らないわ。虫ってのは…こっちが何もしなければ基本的に無害よ」
人間と違ってね…
エマとパールはしゅんとしてしまった。パールの耳が垂れ下がっている姿は超可愛い。
すると部屋をノックする音が。お父様?
お父様も蜂を気にして、虫が嫌がる匂いのするキャンドルをいくつかくれた。
訪問の本題は別らしく、こほんと咳払いする。
「実は明日、ここの跡継ぎになる子が来るんだ」
「あぁ…甥っ子さんだったっけ?」
「そう。君と同い年でね、俺の弟の子供。君を紹介したいんだ」
ふむ…なんかこう、敵愾心とか持たれないか心配。
突然お父様に娘ができちゃって、跡継ぎの座を狙ってるんじゃ…!とか思われたら…
「それは無いよ。もしそうなっても構わないって言ってくれてるし、それより俺の結婚を祝ってくれてるんだ」
そっか…私、なんかネガティブな発想しかできないや。
「甥っ子は栗鼠の獣人なんだよ」
何それ超モフモフしそう。あ、でも…尻尾は触らせてもらえないか…
家族じゃないし、栗鼠の尻尾は切れやすいって聞いたことある。残念…
「ん?お父様は狐なのに?」
「あ、説明してなかったか」
お父様とベッドに並んで座り、獣人の親子について教えてもらった。尻尾をモフるのも忘れずに。
「まず…獣人は男の子は母親の、女の子は父親の特徴を継ぐんだ。
俺の弟は狐だけど、奥さんが栗鼠なの。だから甥っ子も栗鼠なんだ」
「へえ…ってもしかして獣人と人間のハーフも?」
「ご名答。俺とイリアに子供が生まれたら、女の子は狐獣人で男の子は人間なんだ。人間でも、獣人の血を継いでるからちょっと身体能力は高めになる」
なるほど、分かりやすい。
ちなみに獣人は五感が鋭く身体能力が高い反面、不器用で脳筋で純粋で単純らしい。
きっといい友達になれるよ、とお父様は笑った。
友達…か。もう裏切られるのは嫌だよ…
******
お客様を出迎えるため、ちょっとおめかしをする。
王国ではコルセットが主流だったが、島では自然体が多い。
コルセット姿を見せたら、内臓入ってますか!?とメイドに絶叫されて医者を呼ばれた。ちゃんと入ってた。
なので紐で軽く締めるドレスを着る。楽だわ…
談話室で叔父一家を待っていたら、到着したと執事(犬獣人)が教えてくれた。
立ち上がり背筋を伸ばす。入ってきたのは…
アニスの狐獣人男性、ヒュールの栗鼠獣人女性。
ラフな格好で赤茶色の髪の、同じくヒュールの栗鼠少年だった。
頭の上の小さな耳が可愛いし、床に引き摺る長い尻尾もふわふわ。
彼は私と目が合うと、ピシ…と固まった?
「久しぶりー、兄さん。結婚おめでとう!」
「ありがとう。改めて紹介するが、妻のイリアと娘のイグリットだ」
お父様達はハグをして再会を喜び、私とお母様もご挨拶。
叔父様も家族紹介をして、息子さんの背中を押した。
「こっちが息子だよ。ほら、挨拶しなさい」
「…はじめまして。僕はトア、よろひく」
「…………」
随分と…訛りがあるのかしら?私もよろひくと返すべきかしら。
「えっと…私は」
「すみません、少々お待ちください」
え?
トア様はスッと頭を下げて、ダッシュで部屋の外へ?
ダダダダッ! バタン! ドタタタ…
私とお母様はキョトンとしているが、お父様達は笑いを堪えている?
「私、何か失礼を…?」
「あっはっはっ!!違う違う!すぐ戻って来るだろうから、お茶にして待ってようか」
堪えきれなかった叔父様がそう言うので、みんなでソファーに座った。
数分後。
…たったったっ はぁ、はぁ、ふー… ガチャ
戻って来たトア様は美しい花束を持っている…しかも上等な服に着替えてきた。
乱れた呼吸をなんとか整え、汗を隠して私の前に立つ。
「はじめまして、僕はトア。これからよろしく」
やり直した…突っ込まないほうがよさそうね。
「はじめまして。私はイグリット、これからお世話になります」
スカートの裾をちょんとつまみ挨拶、差し出された花束を受け取る。なんだろう…落ち着く香り。
いつも殿下に貰っていた花束は、華やかだけど匂いがキツいのよね。
…ん?トア様の尻尾…ゆらゆら揺れてる?どういう感情なのかしら…
「あの…トア様」
「ひゃい?」
「「…………」」
今のは…噛んだ?
トア様は表情は変わらないが、首まで真っ赤になっている。そして尻尾をバシバシ振っている。
ぷ… くく… んふ…っ
大人達の堪えきれない声が耳に届く。…気付かないフリをしよう。
「えっと…尻尾、大丈夫ですか?切れませんか…?」
「切れ…?…ああ!大丈夫です、ありがとうごじゃいましゅ」
「………………」
「……じゅ、獣人は…外見以外、動物要素はそこまで無いので…」
「そう…ですか…」
もしかしたら、彼は滑舌が悪いのかしら。
指摘するのも野暮なので黙っていよう…
「ふ……あははははっ!!!
すまんイグリット、こいつは緊張すると噛む癖があるんだ!」
「父上!?変なこと言うなっ!!」
緊張…?そっか、彼は人見知りなのね。
だというのに叔父様は、トア様を私の隣に座らせる。それは酷なのでは…?
「……………」
ほら、いい姿勢で固まっちゃった。仕方ない。
「お父様。私ちょっと、このお花を部屋に生けてくるわね」
「ん?分かった」
私がいてはトア様もリラックスできまい。
そう気を利かせたつもりだったんだけど、私が立ち上がった瞬間トア様が眉を下げた?
「変な人ね…」
だけど…とってもモフモフだった…
それしか印象に残っていなかったが。
これが、私とトアの出会い。