残された者達
〜sideセヴラン〜
「殿下。イグリット嬢が王国を出たと報告が…」
「そうか…」
イグリットと婚約を解消して、もう2ヶ月が経った。
どうやら彼女は元公爵夫人の再婚を機に、他国に移住するらしい。
私は勉強に身が入らず、ペンを置き窓の外を眺める。
「…私はどこで間違えてしまったのだろうか…」
「殿下に非はありません!失礼ながら、全てイグリット嬢のわがままとしか…っ!」
私が睨むと、報告に来た文官は青褪めた。
「失礼致しましたっ!!」
そのままバタバタと部屋を出る…ふう。
彼女との婚約は、王室と公爵家を結ぶ為のものだ。
母の実家は家格が低い為、後ろ盾が弱い。だから私が、歳の近い公女と…という話。
政略的なものでも、私はイグリットとなら愛し合えると思っていた。
私を真っ直ぐに慕ってくれる、可愛いイグリット。なのに…
ある日を境に、彼女は変わった。前触れもなく突然に。
私が訪ねても面倒くさそうに顔を出して、張り付けたような笑顔しか見せてくれない。
贈り物も「ああ…どうも…」とすぐにメイドに渡す。
以前なら「ありがとうございます!」と頬を染めてくれたのに。
私が嫌われるような何かを…!?と焦ったが。
どうやら誰に対してもそうらしい。ただ1人、夫人を除いて。
公爵夫妻が離婚すると聞き、イグリットが出て行くなど想像もしなかった。
だというのに。伯爵家の人間になるので、婚約を解消しましょう…と、手紙が…
目の前が真っ暗になった。
話し合いの場では当然説得をした。
その結果…彼女は命を落とすところだった。
あまりにも自然で誰も動けなかった。換気でもするかのように窓を開け、次の瞬間跳んでいたのだ。
ユリシーズのお陰で助けることはできたが…
『このままファロン公爵令嬢として生きるくらいなら。
殿下と結婚するくらいなら、死んだほうがマシ。そう思っただけです』
その言葉と…何も映していない虚ろな目が頭から離れない。
何も分からない。何かをした覚えはまるでない。
あの時の…騎士を例にした、意図不明な問いかけはなんだったんだろう。
騎士は「何もしていません!」と半泣きで訴えていた。私達も彼を疑っている訳ではないが。
私の答えが、飛び降りのトリガーになったのは間違いない。
何故だ?どこが可笑しかった?愛する人を信じる!当たり前じゃないか?
イグリットだって、そのほうが嬉しいだろう?なんで…
こうして意味のない自問自答を繰り返すも、時間が戻る訳もない。
父からは「妹のアウロラと婚約を…」と言われたが拒否した。
私は…公爵令嬢ではなく、イグリットと婚約をしたのだ。彼女でなければ意味がない。
後ろ盾なんて要らないから。自力で周囲を認めさせてみせるから。
だから…
いつか再会できた暁には。成長した私をイグリットに見てほしい。
その時彼女に恋人がいなければ、もう1度求婚しよう。
「……イグリット」
いくら名前を呼んでも、応えてくれることはない。
どうして…私を裏切ったのだ…?
******
〜sideテオフィル〜
「あ…これ…?」
イグリットがいなくなった後…彼女の部屋を掃除していたら。
ベッドの下からブレスレットが出てきた。これは…殿下にいただいたものでは…?
イグリットは国を出た。旦那様は憔悴しきった顔で「もう2度と戻りはしないだろう…部屋はアウロラに充てなさい」と僕に命じた。
イグリット。僕…テオフィル・ホワイトの主人で友達だった人。
艶のある銀髪、青い瞳。幼いながらに整った顔立ちで、王太子殿下と並ぶと1枚の絵画のようだった。
僕はそんな美しいイグリットに初恋をした。それは一過性の感情だったけど。
従者として、殿下と結婚して王妃になられてもお支えしようと決めていた。なのに…
どうして…僕も連れて行ってくれなかったの。
君が望めば僕は、どこまでもついて行ったのに。
なんで…急に冷たくなったの?
もう信じられないって何?
「わ、素敵!ねえテオフィル、それアウロラにちょうだいっ!」
「お嬢様…」
「このお部屋、アウロラのなんでしょ!?すっごーい、お姫さまみたい!」
まだ掃除中だというのに、勝手に部屋に入り僕の手からブレスレットを奪い。
きゃあきゃあと、頬を染めて部屋中を走り回るお嬢様。
僕は今後、アウロラお嬢様付きとなったが…
この人と引き換えに、奥様とイグリットは出て行った。
この人に…それだけの価値があるのか?
初めて会った時、外の世界に怯える小動物のような姿が印象的だった。
普段の僕であれば「守ってあげたい」とか思っただろう。
だがそんなことよりも、イグリットのことが気がかりだった。
どうしたら前のように笑ってくれるのか…それだけが頭の中を支配していた。
「うふふ、これからよろしくねテオフィル!
ねえ、王子さまってどんな人?お姉さまの代わりにアウロラが王妃さまになるのよね!楽しみだわ〜!」
「………王妃殿下となられるには、沢山お勉強をしないといけませんよ」
「ええ〜、嫌よ!王妃さまって、王さまの隣でニコニコしてお茶を飲んでるだけでしょ?」
「いいえ。公務も多くございますし、王国の母として…」
「わあ、素敵なドレッサー!これもぜーんぶアウロラの物よね!?」
無意識に…拳を強く握ってしまった。
こんな人の為に、こんな…!!
可愛らしい笑顔だろうが、醜くて仕方がない。
よく言えば天真爛漫、悪く言えば無責任で非常識。
お嬢様がベタベタと触っている宝石も。
適当に引っ張っているドレスも。
このお部屋も…僕も。
全てイグリットの物なのに。
イグリット、イグリット。
高貴でありながら、慈悲深く美しい僕の主人。
僕は君に何かしてしまった?
いつかまた出会えたら…その時は教えてくれる?
このままでは僕は…君を憎んでしまうよ…
******
~side公爵~
私は政略結婚をした妻と愛し合っていない。
ただ…信頼できるビジネスパートナー、といったところか。
私には、酔った勢いで手を出した平民の女がいた。美しい金の髪の女だった。
その女は1回で身籠ってしまった。生まれた子供は私と同じ青い瞳で…よく似ていた。
それ以来抱いてはいないが放置もできず、妻には言わずに資金援助をしていた。
相手は慎ましい女で、少額受け取るだけでそれ以上は要求しなかった。
その女が馬車の事故で死に、まだ10歳の娘のみ残された。
公爵家の血を引く子を捨て置けず、仕方なく屋敷に連れて帰る。
愛娘、イグリットも弟妹が欲しいと以前言っていた。
妻とは違い、イグリットのことは深く愛している。
疲れている時や心がささくれている時、あの子の笑顔で全て吹っ飛ぶ程に。
「おとうさま、おとうさま」
ぬいぐるみを腕に抱き、私の後ろをついて回って。
あの子の為ならなんでも出来る…そう思っていた。
アウロラは私生児だが、優しいイグリットなら家族として受け入れてくれる、そう信じていた。
イリアがあそこまで拒絶するのは驚いたが…離婚は想定内だ。
イグリットは厳しいイリアを恐れている。それに王太子殿下と結ばれる為、公爵家に残ると決めつけていた。
なのに…
「…………」
妻と娘のいない屋敷は…とても寂しい。
イグリット。どうして…自ら命を絶とうとした?私達は…確かな絆で結ばれた家族だろう?
家に戻るくらいなら死ぬ。そう、言われては…何も言えなかった。
イグリットへ手紙を出すも、返事は一切無い。
イリアが言うには…全て読まずに燃やしている、と。私のだけでなく、殿下の手紙も全て。
「お父さま~!ねえねえ、アウロラ王宮に行きたいわ!」
「……駄目だよ。教育が終わってからね」
「え~~~!?」
私の服を引っ張り、地団駄を踏むこの子供。
聡明で落ち着きのあるイグリットとは大違いだ…何故。
こんな子供の為に、イグリットを失った?
ああ、でも…
私の娘はもう、この子しかいない。
イグリットは国を離れ、遠くに行ってしまった。再婚をする気も起きない。跡継ぎにする男児は一族の中から優秀な者を選ぶつもりだが、私の子ではない。
私はアウロラを、大事に育てよう…
イリアのように厳しくせず、望む物を全て与えよう。
もう2度と悲劇を繰り返さないように。
******
~sideルーシャ~
ひどい…ひどいわイグリット。
彼女がいなくなってから、私はずっと泣き暮らしている。
今なら間に合う、お兄様と仲直りして!と手紙を送っても返事をくれない。
私達親友よね?なんで、私にも何も言ってくれないの。
女の子同士なんだから少しは話してくれてもいいじゃない。
ユリシーズが貴女を好きなんて、初めて知ったわ。彼は私の婚約者候補だったから…
もしかして、ユリシーズと愛し合っていたの?
だから2人で芝居を打って婚約破棄して、こっそりと結ばれるつもりだった?だったら私もお手伝いしたのに。
そう思ったけど…ユリシーズの落ち込みようは演技には見えないわ。そして貴女は遠くへ行ってしまった。
こうして薄暗い部屋に閉じ籠り、少しずつ…
イグリットへの友愛が憎悪に変わる。
何も言わずに…お兄様や私、大勢を傷付けて逃げたイグリット。
許せない、親友だと思っていたのに。
心優しいお兄様は「イグリットをそっとしておくように」と言う。
嫌よ、絶対に許してあげない…!
もうあんなの大嫌い、友達なんかじゃない!!
ベッドから起き上がると、サイドテーブルの上を小さな虫が歩いてた。
「何よ!!私の目の前を横切っていいのは美しい蝶々だけなんだから!!」
力任せにバンッ!!と叩く。
ああ、こんな虫ごときに…!
『…ダメよー、ルーシャ。虫さんも生きてるのよ』
「………?」
ふいに、イグリットとの会話が頭に浮かんだ。
それは確か…6歳くらい。2人で王宮の庭で遊んでいた時。
蟻の行列を見つけて、追いかけて…
私は蟻の巣を木の棒で突ついたり、水を流したり、踏み潰したり…そうやって遊んだ。
だけどイグリットは、私にやめるよう言った。
『何よう』
『考えてもみなさいよ。
もしも私たちよりずっとずっと大きい巨人さんがー。突然王宮を踏み潰したり、私たちを食べちゃったりしたらイヤでしょ?』
『それはイヤよ』
『でしょ?まあ虫さんも…家の中に入ってきちゃったらこうだけど』(ビシッと親指を下に向ける)
その時の私は…「何よー、いい子ちゃんしちゃって」とむくれた。
だけど今は、なんだか違和感が。
イグリットは…相手の立場に立って考えられる人。そんな彼女が、理由もなしに私達を嫌悪するとは思えない。
たった今潰した虫の残骸を見て、猛烈な後悔と恐怖に襲われる。
私は、恐らく元公爵夫人以外は。無意識にイグリットを傷付けた…?自ら死を選ばせるほどの、何か?
分からない、けど。
ふとドレッサーに目を遣ると、そこにはイグリットとお揃いの髪飾りが無造作に置かれている。手に取ると、懐かしさが込み上げてくる。
『親友のあかし!私はね、どんなことがあってもルーシャの友達よ』
『ふふ、私も!』
イグリットがくれた、大切なもの。
先日床に叩き付けてしまい…飾りである宝石にヒビが入り欠けている。
ダイヤモンドなのに、たかが子供が投げたくらいで?
「そういえば…ダイヤには『永遠の絆』という宝石言葉があったような…」
これは、何かの暗示なのかしら。
私は床に座り込み、手を見つめる。
自分が酷く穢れている気がして、身震いをして両腕をさする。
このままイグリットを恨み続けていたら…取り返しのつかないことになるのでは。そう思えてならない。
イグリット…私は何か、間違えてしまったのね…
******
〜sideユリシーズ〜
俺にはずっと好きな人がいた。
親同士が友人で、赤ん坊の頃から知ってるイグリット。
気付けば恋心を寄せていて、きっかけなんて覚えていない。
だけど彼女は生まれた時から婚約者がいた。俺が何を言っても覆ることはないと分かっていた。
彼女は婚約者を想っていた。だから俺は…彼女の幸せを願い涙を呑み込んだのに。
イグリットがセヴラン殿下と婚約解消をするかもしれない。
そう父上に聞いて、俺は内心喜んだ。理由は分からないが、チャンスが舞い込んできた…!と。話し合いの場には、父上に頼み込んで同席させてもらった。
その考えは、数週間ぶりにイグリットの姿を見た時に吹っ飛んだ。
彼女の銀髪は、輝きを失い白髪になっていた。
いいや、それでも彼女が魅力的なのは変わらない、が。
その白を目にした途端、激しい頭痛がして何かが腹の底から込み上げてくる。
目が回って真っ直ぐ立っていられない。壁に凭れかかってなんとか踏ん張る。
イグリットの目は虚ろで、まるで生気を感じない。その横顔が…初めて見るはずなのに、どうしてか胸が締め付けられる。
助けられなかった…
そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
何を?いや、誰を?
俺は具合が悪いのを堪えるのに必死で、陛下達の会話を聞く余裕はなかった。
ふいにイグリットが立ち上がり。
俺の前を横切り…窓を開ける。
ドレスが風でふわりと浮かび、王妃殿下、王女殿下、公爵夫人、メイド以外が目を逸らす。
だが俺は…絶対に彼女を見失ってはいけない、と強く感じ。瞬きもせずにいたら…
イグリットが、宙を舞った。
幼い頃…手を繋いで、水溜まりを飛び越える遊びをしていたように…
頭で考えるより先に動き、その手を掴む。
「はあ、はあ、はあ…!」
なんとか、助けられた。
心臓はバクバクと激しく鼓動し、全身から汗が噴き出し止まらない。身体は熱いのに頭は冷えて、だというのにイグリットは平然としている。
ちらり、と目が合った。
俺はその目を知っている。
あの時も…俺を見上げていたな…
この存在しないはずの記憶は、なんなんだ…?
イグリットを追いかけて、精一杯の告白をしても。
彼女は一瞬振り返るだけで、俺から離れてしまった。
イグリット。ごめんなさい…俺は間違いを犯した。
俺はお前の手を取って逃げるべきだったんだ。
自分の中にもう1つの人格でもあるように、俺は記憶が混濁している。
イグリットは国を出た。
俺も追いかけたい…だが子供1人では不可能。
何より…彼女が望まないだろう。
そうだ、この苦しみは俺への罰なんだ。
だからどうか…お前だけは、新しい場所で幸せになって。
俺の愛するイグリット。