トアの選択
イグリットが眠ったのを確認して、僕は部屋を出た。
「坊っちゃん、こんな時間にどちらへ?」
「神殿。ついて来なくていいよ」
「まさか。お供します」
「…わかった」
途中ヴォルフに見つかり、仕方ないので連れてった。
僕はあの日、ユリシーズに真実を聞いてから。足繁く神殿に通っていた。別に祈っている訳ではない。ただ…僕らと神々が最も近いこの場所で、ずっと考えていた事があったからだ。
夜中ではあるが、神殿は開放されている。特に今から僕が訪ねる神は、夜が最も力を発揮出来る時間だから。
「ヴォルフ。君はここで待ってて」
「……(まあ…礼拝室に危険は無いか…)かしこまりました、では俺はここに」
うん。礼拝堂を素通りして僕は1人、静まり返った部屋に足を踏み入れる。
「………ふぅ…」
窓も無い、ただ祈りを捧げるだけの場所で。僕は膝を突き胸の前で手を組んで、深呼吸。
ユリシーズに聞いた、異能の真実。それは一般に伝えられるものではなく、本当にその力が必要になった時のみ、神直々に言葉が下る。
僕は偶然知ってしまった。それを…利用させてもらう。
「……僕の異能…夢渡り。それは眠り…夜を象徴する月の女神マールより授かったもの」
僕に何が出来るんだろう。獣人は人間と違って単純で、綿密な計画なんかも立てられない。復讐だって、相手を殺すくらいしか出来ない。いや、今はそれは置いといて。
ユリシーズの寿命を延ばせる訳でもない。誰を犠牲にしても…
彼のように時間を遡る事も出来ない。
……時間を…?
と、僕は足りない頭で考え抜いた。今、僕の選択が上手く行くか…証明しよう。
「月の女神マールよ。当代神官、トアの名に於いて。ここに授かった異能…夢渡りを返上します」
僕には、夢を渡る事しか出来ない。それを使ってここ数週間は、イグリットの敵に悪夢を見せる嫌がらせをしてきたが…もういい。精々寝不足にさせるくらいしか効果無かったし。
僕の言葉に…閉め切った部屋の中に、ふわりと風が流れた。
…感じる、重苦しい気配…圧倒的な存在が、僕の頭上にある。
〈如何にした 我が子よ〉
たった、その一言で。僕は全身から汗が噴き出し…震えが止まらない。生身で神と対峙するって…とんでもないな…
すごいなあ、古代の僕。
…じゃなくて!喉が引き攣って、とてもじゃないが声など出ない。ならば…心の中で語り掛ける。
「(女神マール。僕の異能を使い…別次元の僕と、夢を繋げてください)」
そしてその僕が、囚われる前のイグリットと出会い。イグリットとユリシーズ…2人を救い出す!!
ユリシーズの失った寿命は戻らない、生き返らない。イグリットの心の傷も、癒える事は未来永劫ない。どう足掻いても変えられない…それなら、せめて。
悲劇が起こる前に…もう1人の彼らだけでも、幸せになって欲しい。
これは完全なる僕の自己満足だ。誰も望んでいないし、この世界は何も変わらないんだから。
でも、嫌なんだ。ユリシーズが…僕の愛しい人の為に、命を懸けた大好きな友人が。本人は報われたと言っても…こんな最期を迎えるのを、認めたくない!!!
〈ふむ 可能ではあるが 繋がるのは今のお前だ
この時間の 並行世界では 全て終わった後となる それでよいのか?〉
「(よくありません。ですから…ユリシーズ同様、代償を払います。
今より数ヶ月前。僕が王国に到着するより以前に、夢を繋げてください!)」
つまり。次元を超えるのは、僕の奥の手を使って。
時間だけ遡るのを…神々に叶えてもらうのだ。
〈それは 時の神の仕事だな では 代償を〉
これが1番悩んだ。
ユリシーズはあの時、魂だけの存在だったから。回帰後の自分の寿命と、イグリットの感情しか…差し出せるものが無かった。
でも僕は違う。寿命は駄目だ、イグリットが悲しむ。僕は1分1秒でも、長くイグリットの側にいたい。そして一瞬でも早く、先に死にたい。
感情は?それも駄目だ。イグリットを愛しているが…他の人はどうでもいい訳でもない。ギリアム、ジャンヌ、家族…領地のみんな。僕の大切な人達。失いたく、ない。
ならば別のもの…そう。僕はユリシーズと違って、五体満足でここにいる!
「(僕の手足でも、身体の一部を、命に関わらない程度に…捧げます)」
〈それで よいのか〉
「(はい。失った時の苦痛…今後の暮らしへの影響を考えれば。充分代償になるのではありませんか?)」
怖いけど…僕に出せるのはこれだけ。更にイグリットの時間を数年遡ったユリシーズより、数ヶ月分の僕のほうが、代償は少なくて済むのではないか…と思う。
どうか、どうか…!!両手をぎゅっと握り、女神の回答を待つ。
〈よかろう 我が子よ その願いを聞き届けよう〉
「(…!ありがとう、ござ……ぁ)」
歓喜した、瞬間。頭部に激痛が走った……あ、ああぁ…!
「あ゛あ゛あ゛あああぁっ!!!?」
同時に右の頬を流れる、生温かい液体。
僕の手を真っ赤に染める…血、だ。
〈代償に お前の右目を貰う 安心しなさい 命は保証する〉
「あ゛…りが、と う……ご……」
「坊っちゃん!?今の声はなんですか、坊っちゃん!!」
激しい痛みと、抗えない睡魔に襲われ…僕は。床に倒れた。
焦った声を出すヴォルフが、扉を破壊する勢いで、開けて……
〈さあ 時の神 我が子の願いを 聞き届け給え〉
待ってて…ユリシーズ、イグリット。今…君達を、助け出す…!
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いつもの…夢を渡る感覚だ。暗闇の中に、いくつもの光が浮かび。その人の匂いがする光に触れると…夢に入れる。
でも今は、導かれるように…たった1つの光に、吸い込まれる…!!
「……う…」
ここは…草原に僕は立っている?風が気持ちいい…痛くないと思ったら、右目もまだある。
夢の主…並行世界の僕はどこだろう?周囲を見渡すと…
「ふんっふ〜ん♪ 僕たちゃ獣っ人 野生のオトコ〜♪
今日も今日とて〜 ワイルドに生きるのだ〜♪」
ズザザザザッ!! 思わずスライディングしてしまった。僕が…変な歌を歌いながら、麦わら帽子を被り釣り竿を手にスキップしている。
なんて夢を見てるんだ僕!!
「ウォウウォウ イエ〜♪ そろそろ彼女が 欲しいんだぜぇ〜♪
運命の女性はどこかしら〜♪ 僕にも早く はーるよ来いっ♪」
「やめんかーーーいっ!!!」
「おぐっ!!?」
誰も見ていないけど、恥ずかしくて堪らない!!!僕に思いっきり飛び蹴りを喰らわすと、面白いくらいに吹っ飛んだ。
「何っ!?…あれ、僕?なんで?」
「ああもう、説明が難しい…!
とにかく僕!ここは夢の中だって、分かってるよね?」
「え?もちろん。今日は変な夢だなー」
なんだこの、のほほんとした僕は。夢の知識もあまり無さそう…
恐らく…異能を磨いていないから、自由に夢を渡れない僕なんだろう。
「今現実ではどの辺?もう王国に旅立った?」
「いや?来週の予定だけど」
来週…まだテルトラントにいるかもしれない。僕らが王国に着く日の朝に、イグリットは囚われる。なら1日早く出発すれば…?
「ええい受け取れ僕!!」
「ほ?」
夢の中で僕に不可能は無い!!!僕…ややこしい!トアの頭を鷲掴みにして、僕の記憶を共有させる!
「……………………」
トアは虚ろな目で微動だにしない。体感的に…30分後。ようやく動いた。
「……分かったよ、僕。出発を早めるよう伯父さんに言ってみる!」
「よっし!それで、これを使って」
僕が念じると、手の中に書類サイズの封筒が現れた。これはあの時。
ユリシーズの記憶の中で。彼が必死に集めた証拠の複製だ。ユリシーズとイグリットには干渉出来なかったが、これだけは彼が落とした隙に回収しといた。
「夢の外には持ち出せない。だから僕は王国に着くまでの間に、毎回夢の中でこれを読んで」
「それで目を覚ましたら、忘れる前に書き写す、だね」
「そう。細かい事は…僕が言いたい事は分かるね?」
「当然、僕だからね。
…ユリシーズとイグリット、さんは。僕が絶対助けてみせる…!」
トアは封筒を握り締めて、顔を歪めて約束してくれた。頼んだよ…最悪2人を連れて、島に逃げればいいんだから!
「…でも」
「?」
何?トアが…地面に両肘と膝を突いた。
「ずるいずるい!!僕だって絶対、出会ったらイグリットさんを好きになっちゃうじゃん!!!」
「あー…」
僕の記憶を読めばまあ、そうなるよね…
トアは「わああああんっ!」と叫ぶ。
「でもこんなん、ユリシーズの邪魔できないじゃん!!2人には結ばれて欲しいって思うじゃん!!でも僕もイグリットさんと結婚したいいいいっ!!!」
「あの…ほら。番になってなければ、まだ引き返せるし…」
「そりゃ結婚した僕はなんとでも言えるよねえっ!!いいなあああーーー!!でもユリシーズだけは死んでも応援するううううっ!!!」
ああぁ…トアはついに突っ伏して大泣きする。
仕方ない、ここで切り札を投入しよう。
「ふ…僕とユリシーズ、どちらもイグリットの夫になる手はあるだろう?」
「なん…だと…?」
掛かった!トアはゆらりと顔を上げた。
そう、島の法律では。直径の王族と地方領主のみ…複数の伴侶を迎える事が認められている!!
ただ獣人の番という性質上、あまり意味は無いのだ。
獣人同士の夫婦なら、互いしか見えないし。
片方が人間でも、伴侶の獣人が嫉妬して絶対に受け入れない。最悪殺し合いに発展する。
故に、人間同士の夫婦でしか有り得ないんだけど…
「ユリシーズだけは…僕もイグリットと結婚してもらいたい。他の男だったら殺す、伯父さんだろうとギリアムもヴォルフもハルも全員。
つまり、イグリットがテルトラント領主になって!」
「ユリシーズと、僕が求婚する…!完璧だ!!」
僕達はぐっと握手を交わす!
まあ…イグリットがトアを受け入れるか、知らんけど。
これ以上長居する理由は無い。僕はもう、帰らなきゃ。愛するイグリットの元へ。
「…僕は異能を失うし、こっちの世界の結果を知る術は無い」
「………………」
「だから…信じてるよ、僕。必ず」
「必ずやり遂げる。僕…ありがとう」
「…うん」
僕はもう、祈るだけ。
集中すると…意識が溶ける。最後にトアと肩を叩き合い。僕は…──
******
「……!トア、トア…!?」
「…………?」
この、声は。
うっ!頭が…右目、があった場所が。熱を持ち、ズキズキと痛む…
左目をゆっくり開けると…憔悴しきったイグリットが、涙を流して僕を見下ろしていた。ここは、王都の邸宅…?
「トア…!!よか、よかった…!貴方まで…失ってしまう、かと…!」
イグリットは布団に顔を埋めて、声を上げて泣いた。心配掛けて…ごめんね…
どうやら神殿で倒れて、5日も眠っていたようだ。
イグリットを始めとして、みんなに何があったのか訊ねられた。もちろん、答えないけど。
それよりヴォルフが…自主的に謹慎していると。彼は全く悪くないので、出て来てもらった。
「坊っちゃん!!お守りできず…申し訳、ございません…っ!」
「ううん、いいの。分かってたからさ。こっちこそ…ごめん」
泣きながら額を床に擦り付ける姿に胸が痛む。
神殿も大パニックだったようなので、回復した、そちらに責任は一切無いと伝えてもらった。
半月程で…片目の生活にも慣れた。ヴォルフとイグリットの過保護がすごいけどね。
どうか…もう1人の僕達が、穏やかに過ごしていますように。澄み渡る青空を見上げて、僕はそう願った。




