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夢か現か幻か



「テオフィル…?」


 テオフィルは床に座り込む私の肩を抱き、髪に触れ……


 バシッ!


「え…」

「…………」


 テオフィルは呆けた声を出した。

 何…私が手を叩いたのがそんなに可笑しい?


「イ、イグリット?」

「……出てって」

「な…」

「出てって」


 特に声を荒げたつもりはないが、テオフィルは目を見開き私を恐れた。

 叩かれた手をさすりながら「メイドを呼ぶね…」と部屋を出ようとする。


「呼ばなくていい。支度くらい自分でする」

「何を言ってるの…?」

「何度も言わせないで。誰も部屋に近付かないで」

「…………」


 テオフィルは静かに頭を下げて退室した。



 ふう…ベッドに仰向けに倒れ、天井を見つめる。

 頬をつねると、久しぶりに「痛い」と感じる。


 夢じゃない…?私は、過去に戻ってきた?

 いや、むしろ今までが長い夢だった?

 でもそれではこの髪の説明がつかない。


 答えのない問い掛けを繰り返す。ただ確実なのは。



「これはチャンスなのかしら…?もう1度、人生をやり直す…」



 小さい腕を天に伸ばし、ぐっと拳を握る。


 恐らくアウロラはまだいない。窓の外は桜が咲いている、彼女がこの家に来るのは散る頃だ。

 今私の腕で輝いているブレスレット。寝る時も外さないお気に入り…アウロラが来る数週間前、殿下から貰ったもの。

 私はそれを、そっと外して床に放り投げる。

 更にすでに1年以上が経っているとしたら、テオフィルが私の部屋に呼んでもいないのに来るはずがない。



 ならば、今からなら。

 私を陥れたアウロラを。

 私を信じてくれなかった全員を。


 地獄に叩き落として…復讐することも出来る…?


「ふふ…あははは…はははっ!!!」


 ああ、それはなんて…!!



「くっだらないわね…」



 なんて、時間の無駄だろう。



 イグリット・ファロンは1度死んだ。その際、身近な人間に対する情も全て消え去った。

 どうして、どうでもいい人間の為に、行動しないといけないの。


 恋愛ごっこがしたければすればいい。

 殿下の寵愛も、従者の献身も、その他の愛も。全部アウロラが受ければいいじゃない。


 だって私には、それを邪魔する理由もないもの。



「ああ、お腹空いた。こんな感覚何ヶ月ぶりかしら?」


 腹が減ってはなんとやら。

 もう何年も1人で身支度をしていたから、着替えもさっさと済ませる。



 部屋を出て廊下を歩くと、使用人達が私を遠目で見ている。

 どうせこの髪が気になるんでしょう、テオフィルが広めたのね。

 なら…両親にも話は行っている、か。



「イグリット!?おお、なんという…!」

「………」


 ダイニングに行けば、すでに両親は揃っていた。

 父親、だった公爵が。私の髪を一房掬う。


「……起きたらこうなってました。さあ、早く食事にしましょう」

「イグリット…?」


 目の前に、かつての私と同じ灰色がかった銀髪の男がいる。

 彼との類似点が1つ消えただけで、白髪も悪くないと思える。


 立ち尽くす公爵を放置して席に座る。向かいには…懐かしい、お母様の姿が。


「……イグリット」


 お母様はとても厳しい人だった。

 マナー、勉強、淑女の嗜み…徹底的に教育してくれた。

 そこに親娘としての交流はほぼ無かった。幼い私はそれが悲しくて恐ろしかった、けれど。


 今なら分かる気がする。お母様は…いつか王妃となる私を慮って、そうしていたのだろうと。


「…おはよう、お母様。大丈夫、私結構この髪気に入ってるわ」

「そう…ええ、とっても素敵よ」


 お母様は、私が銀髪を誇りに思い愛していたことを知っている。

 だからこそ、こうして悲痛な顔をしているのでしょう。


 いや、やめて。お母様だけは…悲しまないで。



 数年ぶりにお母様の声を聞き、確信した。

 あの時…私の最期に、何度も名前を呼びながら駆けつけてくれた声。


 あれは、お母様の声だった。

 冷たくなった私を抱き上げ、温かい涙を流してくれた…


「……お母様。後で一緒にお茶でもいかが?」

「ええ、喜んで」


 10歳…この頃はお母様が本当に怖くて、顔もまともに見てなかったな。

 こんなにも穏やかに微笑んで、私を慈愛の目で見つめてくれているのに。


 私はなんて、愚かだったのだろう。




 それから数日、私はお母様以外の他者を拒絶した。

 誰もが笑わなくなった私を案じた。はっ…



「は?殿下が来たの?」

「は、はい。お嬢様にお会いしたいと…」


 テオフィルは昔のように、おどおどと私に接する。

 突然態度を変えたせいだろう、知ったことではない。

 それより殿下…セヴラン・オートレット様。


 私を愛してくれている/と錯覚していた

 美しく慈悲深い/自分の味方に対してのみ

 完全無欠の王子様/色恋沙汰にはとんと弱い


 ああ…面倒、相手したくない。


「私はこれからお母様とお花見なの。追い返して」

「で、できません…お相手は王太子殿下です…」


 イラッ


「じゃあ体調不良と言いなさい」

「お見舞いしたいと仰るのでは…?」


 イライラ


「はあ…」


 私が大きくため息をつけば、テオフィルはビクッと肩を跳ねさせた。

 もういい、使えない男ね。


 忌々しげに立ち上がり、扉に向かう。


「…待って、イグリット!

 最近どうしちゃったの!?メイドにも執事にも、僕や旦那様にも冷たくなっちゃって!

 僕達、何か君の気に障ることした…!?」

「………………」


 背中に突き刺さる言葉。

 そうね…貴方達は何もしていない。けど…


「私もう、貴方を信じられないの」


 彼らはアウロラの為に、私を簡単に切り捨てる人間だと知ってしまったから。

 記憶が残ってなかろうと関係ない。


 目を丸くするテオフィルを残し、静かに扉を閉めた。



 応接間に向かうと、殿下がソファーに座って待っていた。

 新緑を思わせる穏やかな浅葱色の髪、大好きだった彼。


「イグリット!話には聞いていたが…こんな…」


 彼は悲しげな表情を作り、私の頬を撫でた。

 触れられた箇所が腐り落ちてしまう気がした。


「……なんともありません、私は気に入ってます。

 それで、本日はなんのご用ですか、殿下」

「殿下…?やだなあ、いつものようにセヴランと呼んでくれ」

「……………」



『気安く呼ぶな、私の名が穢される』



 社交界に噂が浸透して、殿下が堂々と浮気をし始めた頃。私を拒絶する声、顔が忘れられない。

 今の笑顔が仮面にしか見えない。気色悪い。



「そうですか…で、何かご用ですか」

「…?婚約者を訪ねるのに理由が必要かい?」


 ああ…イライラする。早く、早く婚約破棄したい。

 だけどまだ駄目、チャンスはもう少し待って。

 それまでは…従順な女を演じよう。焦りは禁物…大丈夫。


「ふふ…そうでしたね。ごめんなさい、殿下」


 お母様から最高の教育を受けた私は。完璧な淑女の仮面を張り付ける。




 *




「今日はお前達に会わせたい人がいる」


 朝食の席で公爵が言う。

 この切り出し方…やっと来た…!


 食後執事に連れられダイニングに入って来たのは…


 眩しい金髪に大きな瞳、桃色の頬の美少女。

 不安そうに眉を下げ、指をいじっているアウロラだった。


 訝しげな顔のお母様を無視して、公爵はアウロラを伴い私の横に立った。


「さあイグリット。お前の妹、アウロラだよ」

「妹…?」

「アウロラ・ファロンですっ!はじめましてお母さま、お姉さま」


 私は何も知らない、という風に首を傾げてみせる。

 さて、この次がお母様が眉を顰めて「旦那様…どういうことかご説明願います」と…



 バンッ!!!


「っ!?」

「きゃっ!」


 突然の衝撃音に、思わず驚いてしまった。アウロラも短い悲鳴を上げる。

 犯人はお母様。マナーに厳しいお母様が…テーブルを力一杯叩くなんて…?


「……!!」


 お母様は椅子を蹴飛ばして立ち上がり、大股で歩き私を腕に抱いて公爵を睨む。


「旦那様!!!その娘をイグリットに近付けないでくださいませ!!」


 え…?なんで、私こんな展開知らない。

 この後は愛人の子だと説明を受けたお母様が、1人ダイニングから出て行く流れじゃ…


「イリア!何をする、アウロラが怯えてしまったではないか!!」


 公爵も震えるアウロラを腕に抱き、キッとお母様を睨む。

 今のアウロラは…まだ演技でもない、ただの平民の娘のようだ。

 そっか。この後公爵や私に甘やかされて、ああなってしまうのね。


 何か喚いている公爵の横を通り過ぎて、お母様と私はダイニングを出る。

 私は困惑を隠せない。まさか、お母様も記憶が…!?




「ふう…」


 私の部屋に逃げ、並んでベッドに腰掛けるとお母様は力なく笑った。


「…ごめんなさいね、イグリット。みっともない姿を見せてしまったわ」

「そんなことないわ。でも…どうして?」


 私は喉を鳴らして続きを待つ。


「……分からないわ。あの娘の顔を見た途端…「敵だ」と思ってしまったの。

 特に、私の愛するイグリットを害する…と」

「お母様…」


 お母様は右手で頭を抱えた。

 記憶があるわけじゃ、ないのか…よかった。


 あんな悍ましい姿、見せられないものね。



 落ち着いたお母様は、改めて公爵と話をしに行った。

 そして口論になり…過去と変わらず、離婚するという結論になった。


「イグリット、お母様と一緒に実家に帰りましょう。絶対に貴女を置いていかないわ!」


 ただ違うのは、お母様がそう言ってくれたこと。

 前回は「一緒に来る?」と提案されただけ。私はそれを断った。


 お母様が怖かったのと…折角できた妹が可愛いかったこと。何より…

 公女でなくなったら、殿下との婚約も解消されてしまうから。だから…


「ええ、お母様。私も連れて行って」



 この家で唯一温もりを感じるお母様から差し出された手を取った。

 私は今度こそ、間違えない。



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