ファロン公爵家の現状
「イグリット!帰って来てくれたんだね…!」
テオフィルは身分は低いが、見目麗しい男性だ。一言で表すなら、常に背中に花を咲かせているタイプ。故に令嬢から多々声を掛けられていた。
それら全てを蹴って、アウロラを献身的に支え…私を追い詰めた男。それが本来の彼。
昔の私は彼を従者として、本当に大切に思っていたし…友人だとも思っていた。一方的だったみたいだけどね。
「イグリット…会いたかった…!お願い、僕を置いて行かないで…」
はらはらと綺麗な涙を流し、私に腕を伸ばすテオフィル。
私は情けない事に…恐怖で硬直し、逃げられずにいた。
や、やだ…。迫る手が、あの地下牢で。私を好き勝手嬲った男達と重なり…足が竦む…
ジャンヌの腕にしがみ付き、ぎゅっと目を閉じると。
「無礼者!!イグリットは我が国における上級貴族の娘にして、次期領主の妻!貴方如きが手を触れていい相手ではないわ!!!」
バシッ! と大きな音を立てて、ジャンヌが彼の手を叩いた。
ジャンヌは私よりも小柄で、可愛らしい少女なのに…私を背に隠してくれた。勇ましくて、心強い…!惚れちゃいそう!
「そこの者、名乗りなさい!!」
「…っ!失礼致しました、レディ。僕は…テオフィル・ホワイト。アウロラ・ファロン公爵令嬢の従者でございます。
そちらの…イグリット様とは、旧知の仲にございます」
テオフィルは涙を拭いて膝を突き、私をチラッと見上げた。ああ…
『違うのよテオフィル!貴方なら分かるでしょ、私はアウロラを虐めてなんかいない!』
『離してください!僕はアウロラの従者、僕に触れていいのは彼女だけです!!』
いつだったかな。貴方は…泣いて縋る私を突き飛ばし、床に転がる姿を冷めた目で見下ろしていたわよね。
あの時の貴方も、こんな感覚だったのかしら?私に救いを求めるその姿が、醜くて悍ましい。
「…そうね、知り合いと言えるでしょう。だけど、私に触れる許可を与えた覚えはないわ」
「え…?」
何、その「僕絶望してます」な表情。ジャンヌのお陰で恐怖心が小さくなると…途端に彼がどうでもよくなってきた。
その時…テオフィルの後ろから、バタバタと複数の足音が近付いてくる。
「イグリット!!」
「ジャンヌ、こっちに!」
トアと、ギリアムだ…。トアは私を正面から抱き締め、ギリアムはジャンヌの肩を抱いて一歩下がらせた。
温かい…トア、トア…
「お前、オレの友人と婚約者に何をした?」
ギリアムが珍しく、額に青筋を浮かべてテオフィルを睨む。テオフィルは怯み、頭を下げた。
「誤解でございます。僕は…以前お仕えしていたイグリットお嬢様にご挨拶を致したく、お声を掛けさせていただきました。
ですが…再会できた嬉しさのあまり、手を伸ばしてしまいました。申し訳ございません…」
ギリアムが、私をチラッと見た。ええ…テオフィルの言葉に偽りはない。ここであらぬ疑いをかけて、彼を追い詰める気はないわ。
だって…私まで同じ外道に落ちたくないもの。
小さく頷いてみせると、ギリアムは鼻を鳴らす。
「ふん。次は無い、もう下がれ」
「…はい、ありがとうございます。失礼致します…」
彼は最後に私を見た後、男子寮へと消えた…
「もうギリアム、来るのが遅いわよ!…ありがと」
「どういたしまして。イグリットを守れて、偉かったな」
「子供扱いしないでっ!」
「ははっ」
ジャンヌは可愛らしく頬を膨らませている。本当に…ありがとう。
「ごめんねイグリット、やっぱり女子寮の直前まで送るべきだった…!」
「ううん、大丈夫。ジャンヌが守ってくれたし…トアはこうして来てくれた。それでいいの…」
「イグリット…」
どうして彼の手は、こんなにも温かくて心地いいのかしら?ずっと…こうしていたい…
「みんな、ありがとう。さっきのテオフィルは…私の元従者。それだけよ」
今の私にとっては、それ以上でも以下でもない。ただトアは、私を抱く腕に力を込めた。
「あいつが…そうか…どう始末してやろうか…」
何かブツブツ言っているけど…聞こえないフリをしよう。
「さて、と…」
ギリアムが女子寮に続く廊下を見て、微妙に顔を顰めた。
「くっせえな…」
「ここまで漂ってるね…」
「でしょ。私は今からこの先に進むのよ…」
そこまで…?私人間でよかった、とこっそり安堵した。
「うう…マスクをしたいけど、それじゃ意味無い…ええい女は度胸っ!!じゃあねトア、ギリアム!私は行くわ!!」
「「頑張れ!!イグリットも、気を付けて!」」
何この会話、私達は戦場へと赴くのかしら?
でも…今度は、私がジャンヌを守るわ!!
「うぅ…段々臭くなってきた…」
進むにつれて、ジャンヌの顔色が悪くなる。何もできない自分がもどかしい…せめてと思い彼女と腕を組んだ。
「……、…!〜〜!」
「「?」」
遠くから、誰かが叫ぶ声がした。あっちは…食堂?行ってみると…
「こんなんじゃ足りないわ!もっとお肉を持ってきなさい!!」
「で、ですが…!すでに沢山召し上がられています…」
「うるさいわね、口答えしないで!パパに言い付けるわよ!?」
「ひ…っ!申し訳ございません!!」
「「……………」」
食堂で…1人の女生徒が、4人掛けのテーブルを占拠して喚いている。
テーブルいっぱいにお皿が並び、まだ足りないと他の女子に持って来させている…使用人か付き人か、知らないけど。
ただ…その人物が。大変失礼なのは承知で言うけど…とても…ふくよかです。
顔はパンパンに丸く、首が見当たらず。制服ははち切れんばかりで、椅子が悲鳴を上げている…
ただ私は…彼女の輝く金髪に見覚えがあった。いや、気の所為かもしれないけど、ね?
「何アレ!?トドの獣人か何かなのっ!!?
海洋系獣人は存在しないのに、新種!?」
ブーーーッ!!!
ジャンヌの遠慮無い感想に、私含め食堂にいた全員が噴き出した。
金髪の女子は、それが自分に向けられたものと気付き…元から赤い顔を、限界まで染めて憤った。
「誰よアンタ!?わたしがアウロラ・ファロンと知っての暴言よね!?」
「はんっ!それが何、私はキハンナのジャンヌ!……ん?アウロラ?」
ジャンヌは目をまん丸にして…私とアウロラを見比べた。
あー…やっぱりアウロラだったかぁ〜…
どうしてあんな、悲惨な成長を遂げてしまったのかしら…?可憐で儚げで、庇護欲をそそる美少女はどこへ…?
「アレがアウロラ!?嘘でしょ、イグリットと本当に血が繋がってるの…!?」
「ええ…半分は…ね」
「うっそーーー!!?人間ってすごい…!生命の神秘だわ、突然変異だわ…!
って…くっっっさ!!!あの子よ、咎人!間違いないわ!!」
ジャンヌはアウロラを指差して宣言した。やっぱりか…妙に納得してしまう。
確認もできたので、いそいそとマスクをするジャンヌ。さて…これからどうする?
「は?今イグリットって言った?あらまあ…元お姉様じゃない。うふふ、今頃公爵令嬢の地位が惜しくなって、帰って来ちゃった?
ざーんねん♡全部アウロラの物だから、お姉様にあげる物は庭の小石も無いわよ!」
「あ、結構です。というかお姉様と呼ばないでください。私の妹は、天使なミュリエル1人ですので…」
これは強がりでなく、紛れもない本心です。
ジャンヌと目配せして、私達の部屋に逃げた。
後ろから「何よー!」と叫ぶ声がするが…完全無視して走った。
*
夜。私達は、ユリシーズを談話室に招いた。
「俺が入っていいのか?」
「ええ、私の幼馴染だもの」
彼は戸惑っていたが、ギリアムとジャンヌともすぐ打ち解けた。
で…聞きたいんだけど。
「はは…ファロン家についてだろう?ん〜…どこから話したもんか」
「あ、無理はしないで。喉とか辛くなったらやめてね」
「大丈夫だ、心配してくれてありがとう」
彼は目を閉じた後…知っている事を全て教えてくれた。
私とお母様が島へと旅立った後。
まず…王家と公爵家の婚約は白紙。アウロラは婚約したがっていたけど、王太子殿下は拒絶した。
王女殿下は最初、社交界の右も左も分からないアウロラを支えようとした。けど…
アウロラは我が儘放題で、マナーも何もありゃしない。お友達にと集められた令嬢も王女殿下も皆、彼女に関して匙を投げた。今残っているのは、家格が低く逆らえない令嬢のみ。
公爵令嬢じゃなきゃ、とっくに社交界から追い出されてる程に。
それでも公爵は、アウロラを甘やかした。
勉強が嫌だと言えば、教師を解雇して。
欲しいと望む物は、宝石もドレスも全て買い与え。
気に入らない使用人はすぐに解雇して。
テオフィルは我が儘お嬢様に手を焼いて、辞めたいのに…顔を気に入られてるから、逃げられない。
彼女が一目惚れした男性には、婚約の打診を…流石にこれは、お相手に断られたら引くようだけど。
で…当然食べ物も、好きなだけ与えた。その結果があれ…ね。
「それがどうにも…公爵閣下はイグリットが家を出たのは、厳しく育てた所為だと思い込んでいるようで。
ならばアウロラには、望むもの全てを与えよう…これ以上、家族を失わないように…と考えているらしい」
「はあ…」
ここまで聞いた私の感想は…「ばっかじゃないの?」だった。
厳しいのが嫌だったら、お母様について行く訳無いじゃない。そこまで考えが及ばなかったのかしら…?
「俺にも婚約の打診があったんだがな、断った」
「そうなのね…ありがとう、話してくれて」
そっか。時間が戻る前は…私もアウロラを甘やかしていたけれど。最低限の教育は受けさせていたし…食事だって私と同じ物を食べていた。
何より、問題行動を起こしても…妹可愛さに、私が密かに尻拭いをしていたのよね。私がいないだけで、ああなるのか…
咎人の性質で人間に好かれやすくても。問題児すぎて普通に嫌われているのね。
よし。ミュリエルは甘やかしながらも、立派なレディに育て上げよう!
もう夜も遅い、私達はともかくユリシーズを休ませないと。
私とジャンヌは途中までトアが送ってくれる。ギリアムには念の為、ユリシーズと一緒に帰ってもらう。途中で倒れないように、ね。
「おやすみユリシーズ、ギリアム」
「…なあイグリット」
「ん?」
談話室の前で別れたけれど。ユリシーズの呼ぶ声に、後ろを向く。
「夏になったらさ。また…蛍を見に来ないか?」
「ホタル…?」
「ああ。もちろんトアも一緒に、よければギリアムとジャンヌも遊びに来てくれ」
ホタル…
何故だろう。この時私は…酷く胸が痛んだ。
「……ええ、行くわ。
ねえ…ユリシーズ」
「?」
「…私達は沢山生きて…お爺ちゃんお婆ちゃんになるのよね?」
これから何度でも、ホタルの輝きを一緒に見れるわよね?
私の問いかけに、ユリシーズは。
「……おやすみ」
にっこりと笑って、私に背中を向けて…歩いて行ってしまった。




