全てのはじまり。
色々書きたい
暗い、汚い、寒い、臭い…地下牢で。私の命は消えかかっていた。
もう指1本動かせない…目を閉じることも出来ない。
下着姿でカビの生えてそうな薄汚いシーツを纏い、冷たい石床の上でその刻を待つ。
最期を看取ってくれる人はいない。
どうしてこうなってしまったのかな…?
私の名前はイグリット。ファロン公爵家に生まれ育ち、何不自由ない生活をしていた。
素敵な婚約者もいて、友達も沢山いて、使用人との関係も良好で。両親は不仲だったけれど、世界はキラキラ輝いていた。
それが壊れ始めたのは…お父様に「お前の妹、アウロラだよ」と1人の女の子を紹介された10歳の時。
妹と言っても同い年で、愛人の子供だった。その愛人が事故で他界してしまった為、唯一の親族であるお父様が引き取ったのだ。
お母様はアウロラを拒絶した。しかしお父様はアウロラを正式に公爵令嬢として迎え入れた。
昔に比べれば、貴族間で私生児に対する差別や偏見は薄れている。それでも家門の恥、という風潮はある。
妹は平民として暮らしていて、とても愛らしかった。
私やお父様はもちろん、身分の低い人に対しても優しく笑顔で接していた。
コロコロと表情が変わり、周囲は笑い声が絶えない。まるで天使のような妹。彼女と関わった者はみんな、心を奪われ虜になってしまう。
私も同じ。妹が可愛くて仕方なくて、どんな我儘も聞いてあげちゃう。
ずっと弟妹が欲しいと思ってたから…余計に甘やかしてしまった。
ただアウロラの魅力もお母様には効かず、両親は離婚した。
お母様が何度も私を振り返りながら、公爵家を後にする姿が目に焼き付いて離れない。
お母様がいなくなり、新しい生活が始まった。そこから少しずつ、私の世界は壊れていった。
最初は、私の従者の少年。
彼は没落した男爵家の子で、6歳の時うちに来た。
当初はビクビクおどおどしていたので、早く公爵家に馴染めるよう積極的に交流した。
努力の甲斐あって、私達は仲良くなれた。2人きりになると「イグリット」と呼び捨てにしてくれるくらいに。
そんな彼は…可愛いアウロラに一目惚れをした。
側から見て分かりやすい反応だった。それ自体は別にいい。
問題は…彼が私の世話を放棄し始めたこと。
いつの間にか、私よりもアウロラの声に応えるようになった。
私じゃなくて、アウロラの後ろに立って控えるようになった。
私のことは「お嬢様」と呼び、妹を「アウロラ」と呼ぶようになった。
彼だけでなく、お父様や他の使用人も同じ。
穏やかに緩やかに、確実に。妹は私の全てを奪っていった。
だけど本人に悪気はないし…ただただあの子が魅力的すぎただけ。
寂しかったけれど大丈夫。私には、愛する男性がいるもの。
婚約者である王太子殿下。
彼は3つ年上で、私が生まれた瞬間に婚約が決まった。政略結婚であろうが、私達は愛し合っていた。
そう信じていたのは、私だけだったみたいね。
もちろん私は可愛い妹を彼に紹介した。
だけど…アウロラは彼が屋敷に来る度、必ず顔を出した。会話に入ってきて、親しげに談笑して。
その内容が「お姉さまは優しい。素敵な女性」と私を誉める言葉だから、嫌だとも言えなかった。
3人でお茶をするのが当たり前になった頃。
「え…殿下、来てたの?」
「はい。ですがお嬢様はお忙しそうでしたので、アウロラお嬢様が対応なさってました」
メイドの言葉が信じられなかった。
忙しいって…ただ部屋で刺繍をしていただけよ?
どうして誰も、私を呼びに来なかったの?流石に放っておけなくて、アウロラの元へ確認に行った。
「ご、ごめんなさいお姉さま!アウロラがいけないの、お姉さまの刺繍は殿下にお贈りするものだって言ってたから。
邪魔しちゃいけないって…ひっく、思っただけ、なの…っ!あああああっ!!」
「え…ちょっと、やめて!?」
私は「殿下が来たなら私を呼んでね?」と言っただけなのに。
まるで不幸があったかのように泣き崩れる妹。従者もメイドも、みんな私を敵のような目で睨む。
それ以上何も言えず、私のほうこそごめんねと謝って逃げるように部屋を出た。
それ以来殿下は、私に会わないで帰ることが多くなった。
2人がどんな会話をしているかなんて知りもしない。
私達が12歳を過ぎる頃、公爵家…いえ社交界にこんな噂が飛び交っていた。
「ファロン公爵家のイグリットは、妹のアウロラを虐げている。物を与えず、口汚い言葉で罵り、手を上げている」
と。
そんなはずはないわ、私達を知る人ならわかるはず。
私がどれだけあの子を可愛がって、色んな物を与えているのかを。
ドレスもアクセサリーも、欲しいと言われたら全部あげた。
殿下からのプレゼントも…嫌だったけれど。
断ろうとすると従者が冷たい目で私を見るから、あげなくちゃいけない気がして。
可愛い妹だと思ってた、なのに…
みんなみんな、アウロラを可哀想な女の子だと言った。
お父様も、従者も殿下も。
使用人も、ファロン騎士団のみんなも。
親友だと思っていた王女殿下も。
幼馴染みの宰相の息子も。
殿下の親友の、王立騎士団長の子息も。
誰も私の声は聞いてくれなかった。
王国には貴族の子供が15歳から通い始める寄宿学校がある。
入学式を目前に控えていた、ある日。
近衛騎士団が公爵家に押し入ってきて、私を拘束した。
「何、なんですか!?」
「イグリット…貴女には失望したよ」
床に押さえつけられる私を、殿下が絶対零度の瞳で見下ろしていた。
そんな彼の腕を取り、はらはらと涙を流すアウロラ。
「お姉さま…ひどい、ひどいわ。アウロラにあんなことするなんて…!」
は?
詳しい話を聞き、呆然とするしかなかった。
私が…アウロラを階段の上から突き落とした?奇跡的に怪我はしなかった、証人はアウロラのみ?
私が、アウロラを襲うよう傭兵に依頼した?傭兵達はすでに逃走、証人はアウロラのみ?
私が。アウロラの母親を死に追いやった黒幕?理由は妹を家に連れてきて虐めるため、証人はアウロラのみ?
更に噂話の数々も真実として取り上げられ、私は王太子の婚約者を害したとして、投獄される?
それらは薄汚い地下牢に投げ込まれてから聞かされた。
色々言いたいことはあるけど。殿下の婚約者って…
「私の婚約は『ファロン公爵家の娘』と結ばれるもの。愛らしいアウロラがいるのだ、お前のような悪女は国母に相応しくない!!」
殿下はそう吐き捨てて、美しい涙を流すアウロラの腰を抱き地下牢を後にする。
ちらっと振り返ったアウロラは、笑いを堪えるのに必死に見えた。
ああ…そういうこと…
全部全部、演技だったのね…
私の反論など、誰も取り合ってくれなかった。
誰も捜査をしなかった。全てアウロラの言葉で判断された。王太子殿下がそう命じたから。
「こちらにはアウロラの証言という確実なものがある。
だが「イグリットが無実だと証明するもの」は何もない」
だそうだ。
私が愛した…聡明で公正な殿下はどこへ行ってしまったのだろうか。
「早く罪を認めなさい。そうすれば殿下とアウロラは、身分剥奪と国外追放のみで赦すと仰っている」
「……………」
投獄されて何日が過ぎたのだろう。外の光が届かないから分からない。
食事はたまに運ばれる硬いパン1つと水のみ、凶悪犯以下の扱い。
牢には石のベッドと薄いシーツ、床に排泄の為の穴があるのみ。
面会に来たのは幼馴染。
蹲っていた私が顔を上げると、薄暗い地下でも顔を引き攣らせたのが見えた。私はそんなに酷い顔をしていたのかな。
「……ぉ……お父様は、何か言っていた…?」
来客は久しぶりだったから声が出なかった。
「閣下もお前を勘当すると言っている。2度と帰って来るな、と」
「そう…」
もうとっくに、お父様の心が離れているのは気付いていた。
なのにどこかでは、助けてくれるんじゃ…と期待していたのかもしれない。
「貴方も…私が罪人だと思う?」
「…そうだな。だからとっとと認めろ」
彼は鉄格子を握り締め、ギリリ…と歯を食いしばった。
「…………そう…」
他にも何か言っていた気がするが、そのうち静かになっていた。
これ以降、誰も会いに来なかった。
この世界のどこにも味方がいない。
だけど、それを嘆く気力も感情も残っていなかった。
嘘でもいいから罪を認めれば自由になれただろう。そんな考えも浮かばなかった。
ある日。酔っ払った見張りの兵士が鍵を開けて牢に入って来て、私を犯した。
それ以来見張り役に殴られ、嬲られ、痛めつけられるようになった。
熱した鉄を肌に当てられ…骨を折られても何も感じなかった。痛覚は死んでしまったようだ。
拷問とも呼べる行為をされた。誰も止めなかった。
私の自慢の銀髪は、光を失い老婆のような白髪になっていた。
健康的な肉体は、骨と皮だけになっていた。
そんな日々はようやく終わりを告げる。
石床の上を、蟻が歩いていた。
少しだけ私の前で立ち止まったかと思えば…トコトコと牢を潜り抜け出て行った。
私の命は虫以下か…こんな扱いを受ける、何かをしてしまったのだろうか。
もう涙も出ない。身体中の水分は蒸発してしまったのかな。
今頃殿下とアウロラは、楽しい学園生活を送っているのかな。
きっと私のことなんて、存在も忘れてるんだろうな。
視界が黒く染まっていく…やっと、終わる。
「……、……!…」
……なに。うるさいなあ…
「………ト、…リット…!」
さいごくらい…しずかに…
「イグリット…イグリット!!!」
………どこかで、きいたことのある、こえが…ちかづい……
ああ…あたたかい……
******
「…………ぁ?」
死んだはずの私は、不幸にも目を覚ましてしまった。
いや…ここはどこ?地下牢とはまるで違う…公爵邸の自室みたい。
私はふかふかの布団にくるまっている。まさか…
「今更…釈放された…?」
そんな筈は。だって、私の無実を信じる人なんて……あ?
傷だらけで枝のようで、親指と中指が切り落とされていた右手が…なんともない。
というか手足が小さい、胸もない…まるで子供みたい。
ベッドから飛び降り、姿見を確認する。
「は……はは…
そうか、夢か。はは…」
窓の外から小鳥の囀りが聞こえる。
カーテンの隙間から差し込む陽光が、私の全身を映し出している。
この、顔は。どう見ても…15歳ではない。
まるで…アウロラと初めて会った、10歳の頃…
ただ。私の髪の色が…灰色がかった銀ではなく、真っ白になっている。やはり夢か…
死ぬ前に、幸せだった時代の夢を見てるんだ。神様が私を憐れにでも思ったのだろうか、趣味悪いね。
コンコン
「っ!?」
鏡の前に座り込んでいたら、誰かが部屋に入って来た。
「あ…もう起きてたんだね、イグリット」
それは…
「え…!?どうしたのその髪!?」
さも心配してますよ、と言わんばかりに駆け寄って来る黒髪の少年は。
アウロラに一目惚れして、私がいかに屋敷で横暴に振る舞っているか…熱弁していた裏切り者。
「テオフィル…?」
一見すると少女と身間違うような中性的な容姿を持つ。私の従者…だった男。
他のもちゃんと書いてますので許して…