#2 彼女の傷口、赤い色、不恰好なリンゴ
シャリシャリと、リンゴの皮を剥く音が響く。
天はちーちゃんに二物も三物も与えたけど、残念ながら手先の器用さは与えなかったゆえに、不恰好で果肉を多めに残した皮がぶつ切りの状態で削ぎ落とされていく。
寝っぱなしで体力が落ちているとはいえ、それくらいなら私がやった方が早いし綺麗だし安全なんだけど……まあ、ここは病人らしく甘えておこう。
さて。わたしの体は果たして大丈夫なものか。ちーちゃんを眺めながら、手首を軽く捻ったり伸びをしてみたり。……うーん、当たり前だけど、快調とは程遠いな。
飛んだり跳ねたり走ったり、それこそ戦ったりとか無理そう。
「……ハル?」
「うん、どうかした?」
ふと、ちーちゃんが手を止めてこっちに心配そうな目を向けて来ていた。
何かしたっけ? ……いや、したな。めっちゃした。それに絶賛病人だし。
でも、それとはまたちょっと違うような……これは、そう、怪訝そうな目、かな?
「寝ぼけてる?」
「いや、そんなことないと思うけど……」
「じゃ、質問を変える。ハル、今が夢が現実か、区別付いてる?」
「いやいや、普通にわかってるよ……?」
一体何を言い出すんだちーちゃんは。
胡蝶の夢でもあるまいし、こっちが現実であっちが夢なのは言うまでもない確定した事実だ。
それこそちーちゃんの言う通り、寝ぼけてでもなけりゃ間違えることなんて無いだろうに。
「ならいいんだけど……」
若干歯切れが悪そうにしながらも、ちーちゃんはリンゴの皮剥きに戻った。なんだったんだ、一体。
「……それで」
なんとも言えない空気になるのはわかってたから、先んじて潰しておこう。
「結局、私はこれからどうなるわけ?」
ナイフの音が止まる。そして、赤い飛沫が宙を舞った。
あーあー、勿体ない。いや、血が流れたことじゃなくてちーちゃんの肌に傷が付いたことの方ね? 私そんな病んシスコンじゃないからね? ……じゃなくて!
「ちょっ、大丈夫、ちーちゃん?」
「…………」
何も言わずに、ちーちゃんは傷口から垂れる血をペロリと舐め取る。
「……はぁ」
リンゴの皮剥きは諦めたのか、残った皮とちーちゃんの血で赤く彩られたリンゴをゴトッと置いて、ちーちゃんは私の方へと向き直る。
「ひとまずは検査。それから、処遇の決定」
「にゃるほど」
ここ数日はなんだかんだ理由付けて逃げてたけど、まあそうなるわな。
多分、昨日か一昨日か……その辺のタイミングで搬送されて、意識が戻り次第、って感じかな。
むしろ意識の無い状態で拘束されてないだけ、人道的な部類だ。……未成年に未認可薬物与えて戦わせるような組織なのに、どうしちゃったんだ。
「大丈夫、ハルの安全はわたしが何としても守るから」
「ああ、うん。ありがとうね」
そうだよなぁ……問題はそこだ。果たして私は無事で済むのか。
というか、無事なだけじゃ意味ないんだ。最低限、ちーちゃんと一緒に戦えるだけの行動の自由が得られないと、この体になった意味が無い。
……ま、今は考えてても仕方ないか。なるようになれ、だ。
「それで、その検査はいつから?」
「目覚め次第」
「……ほーん。で、私はもう起きてるわけだけど」
「そうだね」
いや、そうだねじゃなくって。
「ハルはまだ寝てた。オーケー?」
「お、おーけー?」
「次巡回が来るのが三十分後だから、そのタイミングでようやく準備ができたことにしよう」
「大丈夫なの、それ?」
「それくらいなら、大丈夫なはず。それに……」
傷口を押さえて、消え入りそうな声でちーちゃんは呟く。
「……こうしてハルと一緒にいられるのも、あと何回あるかわかんないから」
うぐっ。それに関しては私からはなんも言えねえ……。
「ほら、夢の中なら変わらず会えるわけだし?」
「本気でそれ言ってる?」
「……ノーコメントでお願いします」
ここで喧嘩してもロクなことにならないし。そも勝てる要素も無いし。全面的に私が悪いです、はい。
「ま、そういうわけだから。しばらくは、そこでゆっくりしてて」
そう言って、ちーちゃんは絆創膏を引っ張り出すと傷口に貼って、再びリンゴとナイフを手に取った。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
そのまま、シャリシャリと……リンゴの皮を剥くというより、微妙に残った皮を削ぎ落とす音が鳴り始める。
「あ、そうだ。せっかくだからあーんしてよ。こんな機会滅多に無いんだし」
「………………」
無言でチョップをされた。痛い。