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奴隷となった女騎士はそれでも世界を恨まない

作者: 仁羽 孝彦

2020年5/2に改行などの調整をしました!

 道行く人々が私の顔を興味深げに(のぞ)き込む。それは当然だろう。今、私が身に着けている甲冑(かっちゅう)は数年前に戦争で滅んだとある王国の騎士団の正装なのだから。亡国の騎士装束を身に(まと)う者など、それだけでも市井(しせい)からすればお笑い(ぐさ)なのだ。その上、私の右の頬には青い刺青(いれずみ)が施され、首には魔法の施された首輪が、両腕には重い腕輪があからさまに見えるようにかけられている。これは、奴隷の(あかし)。私は奴隷ですと自己主張している証。すでに主人を持っている奴隷だと。そうでいながら、今、私のすぐ(そば)には主人らしき者が居ない。


 亡国の元騎士であり、(亡国の騎士装束をコスプレとして主人に着せられていると考える人もいるかもしれないけれども、) 主人を持つはずの奴隷が、たった独りで街を歩いている。これで注目を浴びないわけがない。それでも逃亡奴隷だとは思われない。逃亡奴隷だったらあからさまに街のど真ん中を歩くわけがないのだから。首輪も腕輪も顔の刺青も他の人からは見られないようにマントで隠し、路地裏に(のが)れて過ごすはずだから。


 きっと変わり者の主人が奴隷に一人でお(つか)いに行かせているのだろう。粗方そう考えられているに違いない。現に、今のところ逃亡奴隷ではないかと通報されていないようで、警邏(けいら)が私のところに寄ってくる様子は見られない。まあ寄ってこられた場合は、私の主人から渡された自作書類『一人でお遣いに行ってきま(しょう)』を見せればいいのだけれども。


 街中を歩き、闇市場に辿(たど)り着き、目当てのお店を探す。バラックとバラックの間の細い道を闇市場の購買人(こうばいにん)たちとすれ違いながら(くぐ)り抜けていく。勿論(もちろん)、私の顔と首輪を見て、(ついでに私の腕輪も見て、) 怪訝(けげん)な表情を浮かべる者たちがたくさんいるのだけれども、奴隷に一人で “闇市場に” お遣いに行かせるような主人など単なる変わり者とは考えられていない。下手にそんな奴隷を引っ掛けたとき、現れた主人が相当手癖の悪い者だった場合、無事では済まされないことがある。実際に、(ちまた)では「奴隷詐欺」とでも呼ばれるような事件が度々起こっているようで、裏社会の住民が、(おとり)の奴隷を放し飼いにし、ちょっかいを掛けられたところでその連中から金を巻き上げていく、なんてことが行われているそうだ。だから、特に “闇市場” の住民たちは、そういう危険な香りを察知するのに()けているので、(というのも闇市場自体が裏社会の産物でもあるので、) 下手(へた)に私にちょっかいを掛けようなどと考える不届き者はいなかった。


 闇市場に辿り着いてからしばらくしてやっと目的のお店を見つける。そのお店では、鶏、カラス、蛇、トカゲ、蛙、ネズミなどなど、一部を除けばおよそ食用からは程遠い生き物を取り扱っていた。


「主人。トカゲと蛙とネズミをもらえないだろうか?活きのいいのを一つずつだ」


 私の声掛けに顔を上げた店主が銀貨一枚と呟く。


「ふむ。一般的な商店では、精々銅貨三枚だと記憶しているが?」


 吹っ掛けられた値段に私は毅然(きぜん)とした態度で市井(しせい)の価値基準とのズレを指摘する。


「だろうな。だがあっちは養殖ものだ。捕まえてきたものじゃねえ。俺のは路地裏や平原に居る野生のをハンターどもに依頼して持ってこさせている正真正銘の天然ものだ。養殖物でもいいってなら、中流街の市場にでも行きな。良い店を知ってる。だが、お前さんの主人が野生のものをご所望だと言うのなら、ここら辺のにしな。少なくとも俺のはここら辺の中でも安い方だぜ?」


 髭を生やし、頬に二重にも三重にも傷の入った大男は堂々と私に言い返す。価格が違うことにしっかりとした理由があるようだし、どうやら中流街の店についても知っているらしい。それをわざわざ言うのだ。この男は信頼に置けるかもしれない。


「価格が違う理由は分かった。主人からは天然ものだの養殖ものだのについて一切聞かされていない」


「それは不親切なこったな。もしかするとあんたが天然ものを買ってきたら養殖もので充分だったって言い、養殖ものを買ってきたら天然ものでなくては駄目なんだって言ってあんたを振り回すのを楽しみにしてるかもしんねえな」


「その心配はない。私の主人はそんな人ではない」


 主人に対する評価に遠回しに忠言を加えると


「そうか。悪く言って悪かったな」


と素直に謝られた。


「なら、用途次第だな。用途によっては養殖ものでも充分な時もあれば、天然ものの方が都合がいいときもある。まぁ、トカゲと蛙とネズミをご所望なんだ。何に使おうとしてるかはだいたい察しが付くがな」


 大男はチラリと私の顔を覗き込む。


「ああ。その想像であっている」


「だとすれば、あとは具体的な用途だな。規模を求めるなら養殖ものを沢山。質を求めるなら数は少なくとも天然ものを。その辺については主人はなんか言ってなかったか?」


「そうだな」


と顎をさすりながら主人の言っていた言葉を思い出す。


「何をするのかについては聞かされてはいなかったが……。ただ、元々質にはこだわるタイプの主人ではあるな」


「だったら、トカゲと蛙は俺のにしとけ。ネズミについては別の店を紹介する」


「なんだ?ネズミは売ってくれないのか?」


と私が尋ねると


「天然ものだがサイズが小さいんだ」


と答えてくれた。


「銅貨八枚……。いや、六枚でいい」


「なんだ?まけてくれるのか?」


 私がそう尋ねると、大男はチラリと私を見て、それから声のトーンを下げて言う。


「俺もあんたの居た国に住んでいた。これもなんかの縁だ」


「…………そうか。感謝する」


 私はそう謝辞を述べて、銅貨を店主に渡す。


「裏路地に金物屋がある。だが、実際に売ってるのはヤバい薬の類だ。そこでなら値段は吹っ掛けられるが、質のいい、大きなドブネズミが手に入るだろうよ。おおよそ銀貨一枚で足りるだろうが」


「分かった」


 トカゲと蛙のみ受け取り、その金物屋へと向かうことにした。


「元騎士さんよ」


 去り際に声を掛けられ振り返る。


「いい主人に巡り合えたようだな?」


 その言葉に


「ああ。最高の友人だ」


と返した。


        ※          ※          ※


 路地裏の金物屋とやらを探すと、すぐに見つかった。店主はまるで浮浪者のような老人だが、しかしそれは恰好(かっこう)だけで、目つきは裏世界の番人のようなものだった。私の存在を見つけて、すぐさま声をかける。


「なんだい嬢ちゃん?身体で稼ぐ店探してんならすぐにも斡旋(あっせん)するぜ?」


 下品な視線を受けながらも


「すでに主人がいるよ」


と返すと


「その主人に売られてここに来たんじゃないのか?」


と重ねて言われる。この店主は本気で言っているわけではなく、冗談で言っているのだけれども、()えてその冗談に合わせた方が得策だと考えた。相手は裏世界の住民であり、私は奴隷なのだ。むしろすぐさま手を出されないだけましだと思った方がいい。


「お(つか)いを頼まれただけだ。ネズミを買いに来たんだが、表のバラックからこっちの方が活きのいいのがあるって言われてね、それで寄らせてもらった」


 すると店主は「それなら」と金物を飾っている棚をゆっくりと右にどかす。すると、その裏側に穴のあいた壁が現れた。


「さっさと入りな」


 言われるがままついていく。中は甘い匂いで充満していた。思わず鼻を布で覆ってしまう。


「ああ。それが正解だ。女には刺激が強い香りだからな」


 男は下卑(げび)た笑いを浮かべる。確かにこの手の香りを私は()がない方がよさそうだ。これは恐らく娼館(しょうかん)などで好んで使われるようなタイプのものだから。


 男が(そば)(かね)をチリンと鳴らすと、奥から綺麗な格好をした男が現れた。金物屋の店主の正体はどうやらここの番人のようだ。


「この女、活きのいいネズミをご所望とのことです」


「そうか。持ち場に戻れ」


 金物屋の店主はペコリと頭を下げるとそのまま外へと出ていき、再び棚を動かして穴を塞いだ。


「ようこそ。ご主人のお遣いかな?」


 おそらくここは応対用の場所なのだろう。周囲に商品の(たぐい)が一切見えない。何のお店なのか外からは分からないようにしているのだろう。私自身も見当がつかない中、小奇麗な男の問いかけに応えた。


「そうだ。表のバラックで紹介を受けて来たんだが、ここでなら活きのいいドブネズミがもらえるだろうと言われた。銀貨一枚もあれば足りるだろうともな」


「ほぉ……。確かに、銀貨一枚分に相当するような活きのいいドブネズミはありますねぇ」


 小奇麗な男は奥の方へと姿を消す。十分(じっぷん)ほど待ったところでドブネズミの入った(かご)を持って現れた。


「除菌済みだよ。清浄魔法で感染症の(たぐい)は除去済み。まぁ、それでも噛まれないに越したことはないがね。ところで……」


 小奇麗な男もまた下卑た笑みを浮かべて私の身体を()めるように眺める。これから口に出されることについて想像がついてしまった。


「もしあんたがご主人のお財布を気にしておいでなら、条件次第では半分にまけても構わない。どうだ?」


 条件とは一体何なのか?言われないと分からないほど私も馬鹿ではない。騎士の身分から奴隷の身分にまで転落した私だ。その手の(たぐい)の洗礼と常に隣りあわせだったのだ。


 だからこそ、対処法もすでに用意してあった。


生憎(あいにく)だが、うちの主人は私を活きのいい状態に(たも)ってほしいそうだ」


 それを言うと男は目を細め


「こちらにお逃げになるつもりは?」


と尋ねてきた。


「今のところはない。私の主人はいい友人でもあるのでな。主人の為ならそれでもかまわないと思っている」


 そう言って私は男に銀貨一枚を渡す。男は


「そうですか。それは残念です」


と言いながらドブネズミを私に渡した。


「なんだ?引き下がるのか?」


 軽く挑発してやると


()()()()()魔術師を敵に回すほど私も馬鹿じゃないんでね」


と言い返される。さすが裏世界の住民。私の主人の正体を看破しているようだ。


 男は入り口付近にある鐘をチリンと鳴らす。すると穴を塞いでいた棚が少しずつ動き、出口が現れた。


「もし入用のものがあるならぜひ我が店をご贔屓(ひいき)に、と貴女の主人にお伝えを」


「分かった」


 買い物を済ませ、私はそのまま闇市場を去った。


        ※          ※          ※


 闇市場から離れ、今主人と共に過ごしている宿へと向かう。宿屋の前に辿り着き、扉にノックをしようとする。本来なら宿屋の扉などノックする必要はないが、私は奴隷だ。おいそれ簡単に建物の中に入ることなど赦されない。大きな店や宿屋であれば、奴隷用の出入り口も兼ね備えていたりするのだが、生憎この宿屋にはそんな融通の利いたものはないので、私の入店の許可を建物の外で取り付ける必要があるのだ。


 けれどもノックをしようとした矢先に、扉が開き、中からフードを被りマントを身に着けた小柄な少女が現れた。


「おかえり。フレミエル」


「ただいま、ニア。私が帰ってきたこと、よく分かったな」


 少女、ニアは(そで)から指を出し、その指を上に向ける。宿屋の建物の上にカラスが止まっているがよくよく見てみると目が赤かった。


「なるほど……。カラスの目を借りて私を見張っていたのか」


「見張るなんて失礼ね。私はフレミエルにもしもの事がないことを願ってあのカラスの身体を借りてるの。もしもの時には、必ず助けに行くから安心しなさい?」


 その言葉に思わずクスリと笑みを漏らす。元騎士である私を、私よりも小柄なこの少女が助けに行く、というのだ。これが笑わずにいられようか?そんな私の思いを察してかニアはぷくりと頬を膨らませて私を睨みつける。


「どうせ私のことちっちゃいって思ってるでしょ」


「何を言うか?ちっちゃくてかわいいと思っているぞ?」


 そうからかうと彼女は私の甲冑(かっちゅう)をポコポコと殴り始めた。


「そう意地悪言うとその蛙を口に突っ込むよ!」


「む!それは勘弁願いたいな……」


 一歩後ずさったところでニアから手を(つか)まれた。本気で蛙を自分の口に突っ込むつもりかと警戒したけれども、彼女はさも楽しそうに笑みをフードの下から浮かべて口を開いた。


「さ、楽しい召喚の儀を行いましょう!」


        ※          ※          ※


 ハンターギルド。冒険者ギルド。傭兵ギルド。そう言った言葉は度々聞いたことがあるかもしれない。冒険好きや(いくさ)好きの者にとっては、これらのギルドへの加入を、そして活躍を夢見ていたりする。しかし、ギルドといったら冒険だの(いくさ)だのに関わる組織だと連想するのは素人だと言わざるを得ない。ギルドとは職業組合なのだ。だから職業ごとにギルドがある。商人ギルド、機織(はたお)りギルド、鍛冶(かじ)ギルド、給仕(きゅうじ)ギルドなどなど。市井(しせい)では常識なのだが、貴族など上流階級の人間は案外そのことに(うと)かったりする。かく言う私も、騎士時代には傭兵ギルドしかその存在を知らない世間知らずだったのだけれども。


 さて、数多(あまた)ある職業組合の中に “魔術師ギルド” というのがある。そう、魔術師もまた職業の一つなのだ。それも高度な専門職。かつては魔術師というだけで、魔女狩りの対象にあったが、今はそこまで厳しくはない。時折対立関係にあるとある宗教団体と一悶着あるくらいだ。そんな比較的平和になった魔術師の集団、“魔術師ギルド” が構えられている建物の中にニアと共に入っていく。


 建物に入り扉がコロンとなったところで、建物の中に居る人たちから一斉に視線を向けられる。亡国の騎士の甲冑を着る、(そして手にはトカゲと蛙とネズミの入った籠を(たずさ)えている、) 奇妙な姿をした私を一瞥(いちべつ)し、そんな私が奴隷であるのを確認して、その主人がマントを羽織りフードを被った隣の人物であることを認める。ある意味で珍しい組み合わせに興味深げに私たちを眺めるが、ニアはさも気にしていないかのようにギルドの受付へと向かった。


「召喚の儀を行いたいの。空いている儀式場があったら、使わせてほしいのだけれど」


「恐れ入りますが、どちら様でしょうか?」


 見かけない小さい少女から儀式場を貸せと言われたのだ。不審に思うのも致し方ない。するとニアは被っていたマントを外す。周囲から息を呑む音が聞こえた。


 端正な顔つきで一見幼さがうかがえるもののそれでいて大人びた雰囲気を(かも)し出すニア。けれども周囲の人たちが注視するのは彼女の顔ではなく、その頭。彼女の頭から右にだけ生えているサキュバスの角だった。片方だけに生える角は人族と魔族のハーフの証。かなり珍しい人物の出現に、受付は戸惑い、ロビーで待つ魔術師たちは興奮を覚えていた。


 それでもニアは気にすることなく、魔術師ギルドが発行する身分証を提示した。それを受けとった受付嬢は慌て、そして何とか平静を取り戻そうとし、口を開く。


「大変失礼いたしました。ニア様。ギルマスに確認をとってまいります。こちらの用紙に儀式場の用途並びに具体的な召喚の内容などをご記入になってお待ちください」


 受付嬢の言葉に周囲の喧騒(けんそう)が一瞬で止まる。全ての者がニアの姿を黙って見ていた。明らかに注目の質が変わった。にもかかわらず、やはり気にも留めない彼女。慣れだろうか?正直、同じ背丈(せたけ)の頃の私に比べて明らかに(きも)()わっており、思わずクスリと笑みを浮かべてしまう。すると、魔術師たちの視線には反応しなかったニアが私の笑みに反応して振り返った。


「む?どこかの誰かさんからちっちゃかわいいと言う心の声が聞こえたわ?」


「いや、違うな。ちっちゃかわいいのに図太いなと」


「何よ!全然違わないじゃない!」


 突然興奮しだす魔術師の主人と、そんな主人にからかいの言葉をかける奴隷。それを見て目が点にならない者たちなど居るわけがなく、何分か前まであった喧騒などどこかへと消えてしまった。


 暫くすると先ほどの受付嬢が現れ、ニアが記入した用紙を受け取る。


「いくつか空きがあるようです。ギルマスが用途を確認したうえで場所を提示するとおっしゃっております。今しばらくお待ちください」


 そして再び姿を消した。


 ロビーの長い沈黙の中、再度受付嬢が男を二人連れて現れ、「町の外にある六番儀式場をご利用ください。この者たちが案内します」といった。ニアは迷うことなく男たちの後をついて行き、私はそのあとをトカゲと蛙とネズミの入った籠を携えながらついて行く。私たちが停車場の方へと出ていくのを確認した瞬間に、ロビーの喧騒が復活したが、具体的にどんな話しているかについては、すでに私自身が扉の向こうに立ってしまったがゆえに聞き取れなかった。(もっと)も、どうせニアのことで盛り上がっているだけだろう。取るに足らない。


 案内人たちは箱型の二人乗りの馬車、クーペを一台引っ張り出す。


「どうぞニア様。お乗りになってください」


 馬を走らせる御者は一人だけだ。もう一人の男は私たち、厳密にはニアの護衛だろう。儀式場行きの馬車に護衛をつけてもらえるような魔術師など中々いない。ニアはこんな小柄に見えてもそれほどの人物なのだ。尤も、私から見れば、ニアに護衛など必要ないような気がするのだけれども。


        ※          ※          ※


 馬車で一時間ほどかけて、町の外れの儀式場へと辿り着く。


「一時間もかからないから」


 ニアはそう言って儀式場の奥へと進む。私は儀式で使う動物を携えて後を追いかけた。儀式場は大きすぎず、かといって小さすぎない。剣技を行うには十分な広さだ。勿論これから行うのは召喚なのだけれども。


「そういえばまだ聞いていなかったが、何を召喚するんだ?」


「ふふ。それは召喚してからのお楽しみ!」


 ニアは(そで)からチョークを取り出し、地面に魔法陣を描いていく。半径三メートルほどの大きさ、かなり大きい魔法陣だけれども、ニアの手つきは極めて慣れていて、十分(じっぷん)ちょいで書き上げてしまった。あまりの速さに私の目は思わず点になってしまう。そんな私を見て


「慣れてるでしょ」


とはにかんで笑って見せてくれた。


 それから私が手に持っていた籠を受け取り、中の動物たちに束縛魔法をかけて身動きを絶たせてから籠から取り出して、魔法陣の上に並べる。そして魔法陣の中心で片膝をつき、祈るように手を組む。儀式が始まる。私は邪魔にならないように儀式場の隅の方へと移動した。(しばら)くすると、ニアの身体が光り、魔力があふれ出し、魔法陣を白く或いは銀色に輝かせる。魔法陣の上に並べられたトカゲは、蛙は、ドブネズミは、少しずつ溶け出していき、魔法陣の外縁をなぞる様に溶け出したものが円を描き、ニアの周りで踊りだす。それからそれらは黒々となり、ニアの頭上へと集まり球体を作った。そしてその球体は、今度は白く輝きだし、周囲を明るく染める。私は思わず手を掲げて眩しさを避けようとしたが、すぐにその明るさは収まってしまった。


「終わったわ」


 ニアの言葉に反応し、彼女を見ると、彼女の腕には一羽の大きな鳥が止まっていた。


「見るからに(たか)に見えるのだが……」


「そうよ?鷹だもの」


「トカゲと蛙とドブネズミからどうして鷹が生まれるんだ?」


 等価交換の法則を考えると明らかに(いびつ)に見える組み合わせに思わず疑問を漏らしてしまうが、


「そういう儀式なんだもの。仕方ないじゃない」


と彼女は笑って応えた。


「それで……、なぜわざわざ鷹を召喚したんだ?」


 続く疑問は召喚したのがなぜ鷹であるのか、だ。単に鷹を手に入れたいのなら、野生の鷹を捕まえてくるか、鷹を売っている店を探した方が時間も費用も手間もかからない気がする。けれども彼女は


「それじゃ意味がないのよ」


と答える。


「これの子はね、見た目は鷹だけれど、実は鷹じゃないのよ」


「さっきと言ってることが違うぞ?」


 私の突込みに、けれども


「だったらさっきの言葉は聞かなかったことにして」


とはにかんで見せる。


「この子はね、使い魔なのよ」


「使い魔?つまり魔物か?」


「そ。鷹の姿をした魔物」


 そう言って彼女が使い魔の乗った右手をフィっと上に挙げると、使い魔は飛び出し、ニアの周りをくるくると踊るように飛ぶ。それから螺旋(らせん)を描くように上昇していき、かなりの高さまで昇ったら、今度は垂直に落下してきた。それも私の方に、思わず尻餅をついて倒れこんだところで、使い魔は私の頭の上に乗っかり、止まった。


 その姿がおかしかったのだろうか?ニアはくすくすと笑みを浮かべて私を眺めるのだった。


「笑ってくれても構わないが、なぜわざわざ使い魔を召喚したんだ?今、使い魔が必要な場面には思えないのだが……」


「それはね……」


 ぴゅーと彼女が指笛を吹くと、使い魔は再び彼女の肩に乗る。そして彼女は私の下へと近づいて行きしゃがみ込む。


「この子をあなたにプレゼントしようと思ったからよ?」


 ニアはマントの下から指輪を取り出し、私に手渡した。


「これをはめて、まずこの指輪にキスをして。それからこの子のくちばしにその指輪をキスさせてあげて。そうすればこの子はフレミエルの使い魔になるわ」


 突然の言葉に目を白黒させる。


「意味が分からないぞ?なぜ私に使い魔を?」


「友人の証として」


 彼女はまっすぐ私を見つめて応えた。


「貴女と出会ってから今日でちょうど一年だわ。たった二人であちこち旅したでしょ?そして色んなことに巡り合ったでしょ?この一年の思い出は貴女抜きには語れない。それだけ貴女は私にとってかけがえのない友人なの。だから、そんな思い出をくれた貴女に、私はプレゼントを(さず)けるわ」


 そう言って彼女は私の中指に指輪を通した。


「はは。私はいつも君からもらってばかりだ。自由も身の安全も、ニアが居なければ手に入らなかった。不思議な呪文だよ。『うちの主人は私を活きのいい状態に保ってほしいそうだ。』そう唱えるだけで誰も私に手を出さないのだからな」


「うふふ。言葉の割には素敵な呪文でしょ?」


 ニアの明るい笑みに「ああ」と優しく答える。


「その呪文を唱えているとき、不思議と一人でいる気がしないんだ」


「それはよかった。でもね、確かに貴女の身体的な健康は私が保証しているけれども、同時に私の心の健康は貴女が居てこそなの。貴女が居てくれるおかげで私は強くいられるの。だからこれは施しじゃなくてお礼。お礼だと思って受取って欲しいの」


 彼女は目を(つむ)りながら私の右手をとり、その右手を私自身の唇へと近づける。


「伝わるかな?」


「ああ、伝わったよ」


 私は中指にはめた指輪にキスをし、それからその指輪をニアが召喚した使い魔へと近づける。すると指輪を近づけただけなのに、使い魔はまるで私の、いや、私たちの想いを拾ったかのようにくちばしを指輪に近づけてくれた。使い魔はほんの一瞬だけ白く輝き、それから彼女の肩から私の右腕へと乗り移っていった。


「ふふ。契約完了!これでその子は貴女の使い魔よ。貴女が呼びたいときに召喚し、貴女が使役させたいことをこなしてくれる。大事にしてね?」


 ニアが立ち上がり、合わせて私も立ち上がる。ニアは雑巾を探し、それから見つけた雑巾で魔法陣を消し始めた。


「待ってくれ、ニア。それは奴隷の私がやるべきことだろう」


 慌てて後片付けを変わろうとしたところで


「私はプレゼントを渡した身で、貴女はプレゼントを受け取った身よ?プレゼントの準備の後始末をプレゼントされた人にさせるほどおちびれてなんかいないわ!」


と返されてしまった。ほんの一瞬プレゼントの準備は私にさせてたよな、と頭に過ったのだが、それを言うのは野暮(やぼ)というもので、口には出せず、結局私は手伝うことなくニアに任せきりにしてしまった。


 ニアが後片付けを終えたところでふと疑問に思ったことを改めて尋ねる。


「で、結局なんで鷹、いや、鷹の姿をした使い魔なんだ?それは聞けてない気がする」


 ニアは私を見て、それから優しい、(いつく)しみに満ちた笑みを浮かべて(こた)えた。


「誇り高い騎士様には大空を(かけ)る鷹が似合うと思ったの」


 その言葉もまた私にとって魔法の言葉だった。今は騎士どころか奴隷にまで落ちた子の私をまだ「誇り高い騎士」と呼んでくれることに心が浄化される思いだった。祖国を失い、名誉を失い、身分を失い、そして屈辱だけが残されてしまった私の過去。初めの頃は世界を憎んでいたかもしれない。それでもニアがそういうことを言ってくれるから、私は自分の中に湧いていたはずの憎悪がいつしか消え失せてしまった。


 彼女の言葉はいつだって、私に世界を恨ませない魔法の言葉だ。


 なぜなら私にとって世界とはニアのことだから。

最後まで読んでくださりありがとうございます!


いつか書いてみたいと思っていた内容だったので、読んでくださっただけでもうれしいです!

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