憑いて喰われる話
大学二年の初夏のこと。
ある日、友人のIが肝試しに行こうと言いだした。
なんでも、雑誌に掲載されていた心霊スポット特集の中のひとつが、僕らの地元から車で小一時間ほど走った場所にあるらしい。
僕は怖い話は好きだけど臆病なので、あまり気乗りしなかった。
だが、今までそういった場所に行ったことがなかったので少しだけ興味はあった。
「でも、そういうところって遊び半分でいくと危ないんじゃない?」
「大丈夫だって。その辺は抜かりねぇから」
Iはニカリと笑ってブイサインを突き付けてきた。
僕の頭に疑問符が浮かぶ。
話によると、うちの大学にIの高校時代の後輩がいるらしく、その人が強い霊感の持ち主なのだそうだ。
だから何だと思ったが、すぐにIが口を開いた。
「そいつとは高校んときによく心霊スポット行ったりしたんだけど、マジでやばいところは絶対行かねんだよ」
「おかげで、まだ一度も心霊体験したことない」と、なぜか誇らしげに言う。
オカルト好きがそれでいいのか?
だがそれを聞いて納得した。
その後輩は、おばけ探知機代わりにされているのだ。
僕はなんだかその後輩が少し気の毒になってしまった。
同時に、若干興味が湧いた。
半信半疑だったが、”視える人”の反応も気になったので、この時の僕は深く考えずに心霊スポット行きを承諾した。
まさか、あんな怖い目に遭うとも知らずに。
***
後輩の名前はMといい、所属していた文芸部で知り合ったらしい。
僕の知る限りIは文芸部なんて柄じゃないのだが、なんでもIの高校には帰宅部がなく、必ず部活動に入るのが決まりだった。
それで適当に入った部活が、たまたま文芸部だったそうだ。
Iらしいといえばそうなのだが、なんとなく後輩――Mは、Iと真逆のタイプの人間なのだろうなと思っていた。
それから数日後。
事前の打ち合わせもろくにしないまま、当日の夜となった。
待ち合わせは駅前のロータリー。
もちろん、Mとは今日が初対面だ。
僕はあまり社交的ではないので、少し緊張していたのだが、待ち合わせ場所に現れたMを見た瞬間に別の意味で緊張が走った。
彼は、シルバーのピアスやネックレスや指輪をジャラジャラと身に付け、市販の黒いマスクに全身黒ずくめ。
いわゆるパンク・ファッションというやつか。
偏見かもしれないが、なんだか厨二っぽい。
ちなみに眼帯はしていなかった。
とにかく、僕の想像していたイメージとはかなりかけ離れていた。
もしかしたら、彼もIと同じ理由で入部した幽霊部員だったのかもしれない。
それならIと気が合うのも頷ける。
そんなことを瞬時に考えてから、僕はぎこちない動きでIを見た。
だが彼は僕の心情などお構い無しに、Mの首根っこを掴んでずるずると引っ張ってくると、
「こいつが後輩のM。んで、こっちが俺の友達のTな。はい、握手~」
僕は「えっ」と思わず声を上げた。
Mも、ものすごく嫌そうとゆうか、面倒くさそうに僕からあからさまに目をそらしている。
咄嗟に出しかけた手を宙に浮かせたまま、どうしようと固まっていると、先に口を開いたのはMだった。
「んなことより、マジで行くの?」
マスク越しに発せられた声は、思っていたよりもしっかりと通る良い声だった。
Iは「あったり前だろ!」と言って僕の肩に腕を回す。
急に引き寄せられて首が絞まった。
「それに、Tも絶対行きたいって言ってるし」
「な?」と振られて、僕は口ごもる。
「んん……、確かに行ってみたいとは言ったけど、絶対とは言ってない」
「同じじゃんか。それよか、ほら。早くしないと遅くなるし、とっとと行こうぜ」
そう言うと、Iは僕を解放してさっさと車の後部座席に乗り込んだ。
Iは免許を持っていない。ちなみに車はレンタカーで、ここまで運転してきたのは僕だ。
その場でIが車に乗るのを見届けると、一緒に立ち尽くしていたMに話しかけた。
「それじゃあ、僕たちも乗ろうか」
Mは、愛想笑いを引きつらせている僕を一瞥すると、無言のまま車に向かう。
彼とはこの日初めて会って、まだ一度もまともに会話していないのだが、なんだか嫌われている気がする。
でも、ただの人見知りかもしれないし、ひとまず様子を見ることにした。
少なくとも二人で後部座席に座ってくれれば、僕は心置きなく運転ができる。
そう見越していると、なぜかMは後部座席ではなく助手席に乗り込んだ。
僕は慌ててMに声をかけた。
「あの、M君。Iは後ろだけど、いいの?」
運転席に座り、それとなく促す。
だがMは横目でちらりと僕を見て、またすぐに目線を前に移すと、「ナビ」とだけ言った。
相変わらず通る声だ。
「あ。でも、ナビならついてるよ。ほら……」
そう言って慌てて起動しようとするが、つかない。
「あれ? おかしいな……」
借りた際に起動チェックをしていたのだが、故障だろうか。
「だから言ったでしょ?」
抑揚のない声でぽつりとMが呟く。
少し薄気味悪さを感じたが、使えないなら仕方ない。
僕はしぶしぶMにナビをお願いすることにした。
それから、どれくらい経っただろうか。
出発してしばらくは、今までMと行った心霊スポットの話や、これから行く場所の噂などをIがひとりで捲し立てていたのだが、気がついたらいつの間にか静かになっていた。
BGMもない車内に、Iのイビキだけがわずかに聞こえてくる。
「……寝てるし」
ミラー越しにIを見てぽつりとつぶやく。
これは独り言だ。
僕はそろりとMを見た。
彼はIが持ってきた例の雑誌の特集ページを開き、眠そうな目でスマホの画面を見つめている。
気まずいが、幸いナビはきちんとしてくれているし、むしろこのまま何も話さないでいた方が楽な気がしてきた。
そんな時だった。
「……Tさんは、何で行こうと思ったの?」
急に話しかけられてドキリとした。
思わずMの方を振り向くと、彼はまっすぐ僕を見ていた。
初めて目が合って、そのまま固まる。
が、すかさず「前見て」と言われ、慌てて前方に向き直る。
「心霊スポットのことだよね? ええっと、今までそういった場所に行ったことがなくて、単純に興味があったからかな。あとは……」
そこまで言って、少しためらってから、
「霊感がある人って、どんな感じなのかなーって……」
Mは感情の読めない声で「ふーん」と相槌を打つ。
「あ、あのさ。Mくんは霊感があるのに心霊スポットとか平気なの?」
Mが話しかけてきたことで少しだけ気を緩めた僕は、ただ純粋に疑問に思っていたことを投げかけてみた。すると、
「平気なわけないでしょ。すげー迷惑」
「ですよねー」と、僕の喉から乾いた笑いが出た。
まあ、予想はしていたけど。
「じゃあなんで来た、ん……」
そこまで言って噤んだ。
Iは決して悪いやつではないのだけど、少し強引なところがある。
詰め寄られると人によっては萎縮してしまい、嫌でも断れなかったりするかもしれない。
Mもその一人なのかなと思った。
野暮なことを聞いてしまって気を悪くしたかなと、おそるおそるMを見る。
薄暗さとマスクのせいで表情こそ分からなかったが、彼はしばらく宙を見つめ、少ししてから口を開いた。
「……気になったから」
「え?」
「だから、前見て」
「はいっ」
僕は慌てて前を見る。
結局それ以降、Mは黙ってしまった。
気になったとは、これから行く心霊スポットに興味があったということだろうか。
それとも、先輩のIが心配で気になったのだろうか。
そんなことを考えているうちに、目的地までたどり着いた。