51 土曜日 思わぬ展開
化粧室を利用した後、リーナは同行者の女性達に話しかけ、会話が始まった。
ラブとヴィクトリアの話が一旦落ち着くと、リーナが言った。
「今夜は特別な秋の大夜会です。皆様は私と違ってすでに沢山の勉強をされているのですし、せっかくの機会ですので、楽しむことも大事にされてください」
リーナの言葉に即座に反応したのはラブだった。
「あっ! リーナ様にお礼を言わなくちゃ! リーナ様のおかげでお兄様とダンスを楽しめたわ! ありがとう!」
リーナは微笑んだものの、首を横に振った。
「それはクオン様のおかげです。私は何もしていないのと同じです」
「絶対に違うわよ! リーナ様が何も思わなければ、私はずっと一人だった。いつもそうだけど退屈だし、ちょっとだけ寂しくなっていたかも」
「対応に動いたのはヘンデル様ですし、ラブと踊ったのはセブン様です。ラブの楽しめるようなことを考え、実行した方々が優秀だっただけです」
「それは否定しないけれど……どうせなら次はヴィルスラウン伯爵よりレーベルオード子爵と踊りたいわ。その方が自慢できるし!」
「お兄様と踊る約束をしたのですか?」
カミーラが確認した。
「約束はしてないけれど、王太子の側にいる役目を交代したら、誘ってくれるかもしれないってお兄様が言っていたわ。ロジャーも飲み物程度なら付き合ってくれるとか。私がつまらなさそうに壁に張り付いているのはよくないってね」
王太子は各会場で一時間ほど過ごす。延長するか王宮の自室に戻るかはわからないが、仕事はしない。リーナと一緒に過ごすことは確定しているため、必ずしもヘンデルが側についている必要はなかった。
そこで、空いている時間にラブを誘い、さりげなくリーナの近くにいる際の注意と配慮を盛り込むつもりなのだろうとカミーラ達は推測した。
「もしかして……ラブはお兄様との交際や婚姻を考えているのでしょうか?」
「悪くはないと思うわよ。結婚できたら、リーナ様の身内になれるじゃない? でも、そのせいで逆に面会は控えろとか禁止とか言われたら嫌なのよね。大体、王族の側近はみんな優秀だし、なんだかんだいってこき使われそう。だったら、田舎貴族でも私の好きなようにさせてくれる相手の方がいいわ。私はウェストランドや婚姻相手のために自分の人生を犠牲にするなんてまっぴらごめんよ!」
「ラブらしいですね」
リーナはラブを優しく受け止めるかのように微笑んだ。
「自分の人生を大切にしたいと思うのは当然のことです。なので、私はラブのことを応援しています」
「やっぱりリーナ様は私の味方ね! 普通は我儘だとか自分勝手だとか、ウェストランドの令嬢なら身分や財産がそれなりにある相手でないと不味いとか、体裁もあるとかグチグチ言われるのよね」
「自分の希望が叶うかどうかはわかりませんが、明示する権利は誰にでもあるはずです。それと、身分や財産で相手を決める必要はありません。自分の気持ちを大事にして選んでもいいんです。そうでなければ、私も王太子殿下に選ばれなかったと思います」
「そうよね!」
ラブは何度も力強く頷いた。
「お兄様と踊りたいのであれば、私の方から聞いてみましょうか?」
思わぬリーナの提案に、ラブは目を見張った。
「えっ?! 本当?!」
「聞くだけなので、断られるかもしれません。なので、結果はお約束できないのですが……」
「じゃあ、一応聞いてみてよ。側近は忙しいのが当たり前だし、断られる可能性が高いのはわかっているけど駄目元で」
「わかりました」
リーナは頷いた後、他の者達に視線を向けた。
「もしかして、他にもいらっしゃいますか? 私にできることは少ないですけれど、お兄様と踊れるかどうか聞くぐらいはできると思います」
パスカルと踊るということは、たった一回であっても十分な価値があり、ステータスになる。
パスカルからダンスを申し込まれたことがない女性にとって、リーナの言葉はまさにそれを得る絶好のチャンスだった。
「では、お願い致します」
冷静な口調でありつつも、一番先に答えたのはクローディアだった。
「珍しいわね。クローディアがそんなことを言うなんて」
ヴィクトリアはやや驚いた表情になった。
「もしかして、レーベルオード子爵を狙っているの?」
「情報収集の一環です。リーナ様のお力添えがないと、エゼルバード様にお仕えしている私がレーベルオード子爵と踊る機会は一生ないでしょう。貴重な提案を断るのは愚行です」
誰もがクローディアの答えに納得した。
「じゃあ、私もせっかくだから。駄目だと思うけれど」
ヴィクトリアがそう言うと、カミーラも希望を申し出た。
「私は第三王子殿下と踊りたいのですが、リーナ様の方でお取次ぎをしていただけないでしょうか?」
ちょっと、カミーラ?!
ベルは驚愕した。
リーナが尋ねたのは、兄であるレーベルオード子爵とのダンスの取次ぎだ。他の者とのダンスの取次ぎではない。
どう考えても、リーナの申し出を利用していた。
「レイフィール様とですか? さすがに王族相手ですので、私が取次ぐのは無理な気がするのですけれど……」
「聞くだけ聞いて欲しいのです。恐らくベルも第三王子殿下と踊りたいと思うので、お願いできないでしょうか?」
「ベルもレイフィール様と踊りたいのですか?」
ベルは迷いつつも答えた。
「……このままだと一生踊る機会はなさそうだから、一回だけでも踊って貰えたらという気持ちはあるけど」
未練がましいとベルは思いつつも、嘘をつきたくもなかった。
「わかりました。聞くだけ聞いてみます。でも、断られてしまったらすみません」
やっぱり、リーナ様はそう言うわよね。
ベルの予想通り、リーナは取次ぎをしてくれることになった。
ベルはリーナの配慮を嬉しく思いつつも、その配慮に甘えてしまった自分の弱さを痛感した。
王族席の間に戻ると、リーナは早速ダンスの話をした。
しかも、ただの取次ぎではうまくいかないと思ったのか、単に女性達に楽しんで欲しいと思っただけでなく、ダンス鑑賞が勉強になると思ったことも付け加えていた。
それを聞いた王太子は表情を変えなかったものの、注意する言葉を発した。
「お前は勉強家で優しい。だが、取次ぐようなことはするな」
更に、
「他の者達もリーナの配慮に甘え過ぎだ。リーナの優しさにつけ込んでいると判断されるかもしれないと考え、遠慮するべきだ」
王太子はリーナだけでなく、女性達にも注意と反省を促した。
「王族の側には常に数多くの誘惑が存在し、次々と押し寄せる。自らにとって都合のいい申し出であっても断り、王族としてすべきことではないと諫めることができなければ、側近の務めは果たせない」
反論の余地はない。その通りだとベルは思った。
そして、自分にはリーナの側近になる能力がない。補佐の地位でさえ兄のおかげ、その監督があってこそのものでしかないと感じた。
「皆、下がれ。私はリーナと二人だけで楽しむ。お前達は別の場所で楽しんで来い。交際相手や婚姻相手を探すにも丁度いい機会だろう。無駄にするな」
王太子の言葉は絶対だ。
すぐに第二王子エゼルバードが立ち上がった。
「兄上の邪魔はしません。行きますよ」
第二王子がドアに向かい、側近であるロジャーとセブンが続く。
「兄上は厳しくも寛大だ。自分やリーナの側近になるため、交際や婚姻を諦めろとは言わない」
第三王子レイフィールもまた苦笑しながらゆっくりと立ち上がった。
「私も楽しみに行くとするか。カミーラとベルはついて来い。ダンスの相手を務めろ」
レイフィールの命令のような言葉にベルは驚愕した。
「ですが……よろしいのでしょうか?」
王太子に戒められたばかりであるため、カミーラは躊躇する言葉を返した。
しかし、レイフィールは判断を変えなかった。
「私に逆らうのか?」
やっぱり、命令なんだわ。
ベルは思った。
そして、命令形にしたのはわざとであり、レイフィールがリーナやベル達の要望に応えるのではなく、レイフィールの要望にベル達が従う形にするためであることも理解した。
「いいえ。大変光栄でございます。ぜひとも、お供させていただきたく思います」
カミーラはすぐにそう言ったが、ベルは言葉が出なかった。
本当にいいのだろうかという気持ちと嬉しさが混じり合い、戸惑うしかない。
「さっさと来なければ置いていく。私はスパルタ主義だ」
レイフィールがドアに向かう。
ベルは王太子に一礼すると、カミーラと共にレイフィールの後を追った。




