31 金曜日 取引
先に耐え切れなくなったのはシャペルだった。
「……ごめん。気になって」
「余計なお世話よ」
「そうだね。本当にごめん。でも……協力しようか?」
シャペルの言葉にベルは眉をひそめた。
「協力ですって?」
「第三王子の友人の者とか、軍関係者の知り合いがいないわけじゃない」
「そんなコネがあったのね」
「黒蝶会にもいる」
「まあ、そうね」
「催しのチケットを買わないかってよく言われるよ。そういう話は来ない?」
「来ないわ」
白蝶会には第三王子狙いの女性が大勢いる。チケットの奪い合いになり、そのせいで雰囲気が悪くなる恐れもあるため、話が来ないのではないかとベルは推測した。
「催しのチケット、欲しい? でも、いつもベルが参加しているようなものとは雰囲気がかなり違うかもしれない。軍関係は男性の人数が女性に比べると圧倒的に多いし、軍服で出席するせいでかなりの威圧感がある。平民出自が多いせいか、マナー違反をする者や強引な者も多い。だから自己防衛をしっかりしないと困ったことになる。知り合いがいるならその者にエスコート兼護衛役を頼まないと問題が必ず起きる、危険だという者もいるよ」
ベルは首を横に振った。
「騎士団や軍関係は男性が圧倒的に多い催しばかりだから、行かないように言われているのよ。元々騎士や軍人は危険な職業だもの。貴族としての集まりで知り合って、偶然騎士や軍人だったという場合だけが対象よ。でないと、上級貴族の令嬢というだけで面倒なことになると聞いたわ」
「否定はしない。でも、第三王子はそういう催しに行かないと会えないと思う」
「会ったわよ。この間」
「果物狩り?」
「そう。でも、二人きりになれる時間なんて全くなかったわ」
「カミーラは違ったみたいだけど」
シャペルは果物狩りの情報を得ているようだった。
ロジャーやセブンが参加していただけに、情報が伝わっていてもおかしくはなかった。
「カミーラは情報収集よ」
「そうなのか」
「でも、知りたい情報を全部得ることはできなかったみたいだわ」
「……知りたいことがあったのか」
ベルはシャペルをじっと見つめた。
「シャペルは第二王子の側近よね」
シャペルは即答しない。だが、明らかに様子が変わった。
なぜなら、ベルはシャペルが第二王子の側近であることを知っている。わざわざ確認する必要はない。
それを確認したということは、第二王子の側近でなければ知りえないようなことを知りたがっている。そう考えたからだった。
「知っているの?」
「何が?」
「縁談よ」
シャペルは下を向いた。
「誰の?」
「王家の」
「知らない」
即答である。
「じゃあ、私が関わる縁談なら知っているんじゃない?」
「ベルの?」
シャペルは警戒心を高めた。
「私のこと狙っているなら、調べたんじゃないの? 王族との縁談がないかどうかとか」
シャペルはただの側近ではない。第二王子の友人だ。ベルを狙うのであれば、第二王子に王家の縁談話を確認できる。
問題がないからこそ、シャペルはベルとの結婚を考え、アピールすることができるのだとベルは思った。
「昔、うちと王家との縁談が持ち上がったことがあるのは知っているのよ。シャペルはそのことを知っているの?」
シャペルは何も言わない。
「縁談の詳しい内容を教えてくれないの。現状を考えればまとまらなかったというのはわかるわ。そして、もう二度と王家との縁談話は持ち上がらないってことも。私もカミーラも王太子以外の催しに呼ばれたことはないわ。それだけでも第二王子や第三王子との縁談はないってことがあきらかよね? もしあったら、シャペルが私に縁談を申し込めるわけないもの。遠慮しないとでしょう? 王族の側近だからこそ、その手の情報は確認できるはずだわ」
ベルはシャペルをじっと見つめ、その様子を一切逃さないようにしながら言葉を発した。
「教えて欲しいの。どんな縁談だったのか。そして、どうして駄目だったのか。お兄様も教えてくれないのよ。両親もきっと無理だわ。でも、気になって仕方がないの。無理だってわかっていても、ちゃんと教えてくれないと駄目なのよ、諦めきれない。前に進みたくても進めないのよ!」
ベルは懇願した。
「もし、教えてくれたら……付き合ってあげる。だから、教えて」
シャペルは笑った。声もなく。
ベルはシャペルが望むことを知っている。だからこそ、それをエサにした。自分の知りたい情報の対価に。
ベルの気持ちは理解できた。シャペルも同じだ。苦しんだ。望みのない恋に。
駄目だとわかっているのに諦めきれない。だからこそ、理由を知りたい。王家との縁談がまとまらなかった理由を。
ベルの言葉は間違っていない。もし、王族と縁談の話が出ている女性であれば、その者への縁談は遠慮しなければならない。
その情報を知る者であればという前提だが、シャペルは第二王子の側近だ。その辺りの事情はわかる。つまり、シャペルがベルを狙うということは、ベルと王家との縁組の話はないということでもあるのだ。
「お願い……どうしても知りたいの。でも、知らないというのであれば、仕方がないわ。教えようがないものね」
「そうだね。知らなければ教えようがない」
シャペルはようやく言葉を発した。
「そもそも、側近である以上守秘義務がある。王家に関わることを話すわけにはいかない。例え知っていてもね。だから、知っているはずの身内とかに聞くしかない。ヘンデル、イレビオール伯爵夫妻やシャルゴット侯爵夫妻とかに。それで教えて貰えないなら諦めるしかないよ。知りようがない」
その通りだとベルは思った。しかし、切り札があった。
「そうね。でも、私には三つの切り札があるのよ」
「切り札?」
「そう。教えてくれそうな者ってこと」
「じゃあ、その者に聞けばいいじゃないか。三つもあるなら、一人位は教えてくれるかもしれない」
「そうね。でも、迷惑をかけたくないのもあるし、変な噂になったら困るわ」
「男性なのか」
「ノースランド子爵。婚約者候補もどきを片づけるのを手伝うわ」
なるほどとシャペルは思った。
「どうせ、理由を知ったところで現状は変わらないもの。自分の役に立つことが対価なら、考えてくれると思うのよ。でも、そのままの流れで噂とか縁談話になったら困るじゃない?」
「ロジャーとは婚約したくないってこと?」
「そうよ。だって、絶対にうまくいかないと思うもの」
「そう?」
「そうよ。私には無理だわ。第二王子の世話が忙し過ぎて、私とは一生ダンスを踊ってくれなさそうな人だもの」
シャペルは非常に納得のいく理由だと思った。
「残りの二人は?」
「ディヴァレー伯爵」
シャペルは眉を上げた。
「セブンと? 何を対価にするの? まさか、女性のためのホテルについて協力すること?」
「そうよ。でも、駄目なら他のことでもいいわ。正直に言うと、付き合うって条件でもいいと思うの。だって、隠れ家ホテルのような趣向を考えるほど面白い人だもの。本当はどんな人なのか、ちょっと興味が出たわ。それを知るには交際した方が手っ取り早いでしょう?」
シャペルはムカついた。
ベルは自分以外の男性と付き合ってもいいと考えている。つまり、男性と付き合うという対価はベルにとって大きな価値があるものではない。
これまでと同じく友人よりも少し上になるだけ、お試し交際、勉強の一環程度ということだ。そのようなものと引き換えに、王家に関わる情報を話すわけがない。
しかし、表面上は何事もないかのように振る舞った。
「もう一人は?」
ベルはため息をついた。
「リーナ様よ。理由を話せば、協力してくれそうだわ。王太子殿下はリーナ様に甘いし、王家だって対象外の女性が王族の妻の座を狙うのは困るでしょう? しかも、私はお兄様の妹だもの。そういうことも考えれば、教えてしまった方がいいと思うかもしれないわ」
「リーナ様に聞けばいい。余計な対価は必要なさそうだ」
「でも、迷惑をかけたくないの。政治的な事情が絡む気がするのよ。そういう話って、綺麗じゃないことも沢山あるでしょう? 私はリーナ様に醜い世界を見せたくもないし、教えたくもないのよ。少なくとも、私のせいで関わらせるべきではないと思うの。だって、リーナ様が好きなんだもの。守りたいのよ。真逆のことをするのは嫌だわ。シャペルだって、リーナ様のことを好意的に見ているのでしょう? 大事にしたいって思わない?」
シャペルはまっすぐにベルを見つめた。
「……知っているよ。王家とイレビオール伯爵家との縁談のことなら」
ベルは一瞬にして表情をこわばらせた。
「教えて欲しい?」
「ええ」
「でも、付き合うという対価では情報は手に入らない。情報を教えた後、やっぱり付き合えないと言われたら困る。恋人になることではなくて、買い物や夜会に一回付き合うだけとかね。恋人になっても、理由をつけてデートを断られてばかりいたら全く意味がない。もっと確実に益が手に入る対価でないと、取引は無理だよ」
ベルはシャペルを睨んだ。
「じゃあ、何が対価ならいいの?」
「結婚してくれるならいいよ」
シャペルは微笑んだ。
「そうすれば、王家に関わる情報を話してしまったことを、一生隠してくれるよね? 夫が破滅すれば妻も破滅だ。自分を守るためには仕方がない。そう思わない?」
ベルの予想通りの対価が提示された。
たっぷりと時間を取った後、ベルは大きな息をついた。
「……いいわ。じゃあ、それで」
シャペルは眉を上げた。
「本当に?」
「提案したのはシャペルじゃない。それとも、別のものにする?」
「まさか。結婚してくれるのがいいに決まっている」
シャペルは言った。
「じゃあ、取りあえずは場所を移動しよう。少し話が長くなる。王宮に着くまでに話し終えるのは難しい。二人だけで静かに話せるところに行こう」
「私の部屋で話す?」
「いや、隠れ家に行くよ。構わないよね? 結婚するんだし。それとも、本気で結婚する気はない? それだったら取引は不成立だ。このまま王宮へ帰る。三つの切り札を使ってみればいい。どうせ現状は変わらない。知ったところで意味のないことだと言われるだけだ。ベルという切り札が一番利くのが誰か、わかっているよね?」
ベルは悔しくなった。
シャペルの言う通りだった。
ベルは切り札と言ったが、ロジャーやセブンが欲しいのはベルではない。カミーラだ。
カミーラという存在こそが、婚約者候補を片づけることができる。ホテルに関する事業の手伝いをできる。ベルにはその能力がない。価値も。取引は不成立。
リーナは優しい。だが、厳しい部分もある。現実を知っている。王太子が教えないといえば、それまでだ。リーナはそれに従う。何もわからない。
シャペルはそれを見越して、より対価を引き上げた。
利口だと思うしかない。しかし、シャペルは元々馬鹿ではない。そのことを、ベルは少しずつ感じていた。ただの財布係ではないことも。
でなければ、ロジャー、セブン、ジェイルといった誰が見ても優秀な者達がシャペルを自分と同等のように扱うわけがない。
つまり、シャペルには財力以外の何かがある。ただの友人というだけでもない。ベルの知らない力や能力を持っており、認められているのではないかと感じていた。
「……隠れ家に行きましょう。その代わり嘘はつかないで。私が知りたいのは真実なの。適当な作り話じゃなくてね。わかった? 嘘をついたら取引は不成立よ」
「わかった」
シャペルは御者につながる内線を使い、行先の変更を告げた。
賽は投げられた……。




