26 木曜日 駄目出し
「そうなの?」
シャペルは答えない。だが、困ったような表情をしていた。
「嘘をついたの? 千じゃないのに、安いから大丈夫だって言ったの?」
「……これは千のところにあった。だから、千だ」
シャペルはカミーラを非難するような視線で見つめた。
「カミーラは淑女だろう? だったら、余計なことは言うべきじゃない。黙っているべきだ。ベルが気に入ったブローチを買いたいと言った。それでいいじゃないか」
「よくありません」
カミーラは断固たる口調で言った。
「シャペルはベルのために一生懸命選んだのかもしれません。何か気に入ってくれるものを贈りたいと。ですが、ズルをしました。そして、ベルは自分で買うと言いました。互いに何かを贈りたい、贈られるのは困るという気持ちがあり、それをうまく解決するための方法かもしれません。嘘も方便と言います。ですが、そのブローチは軽んじられてしまいます。そのブローチに込めたシャペルの気持ちも。そして、ベルを騙すようなことをすることもまた、見逃すわけにはいきません」
カミーラはベルを見つめた。
「これは一万です。ベルに買えないわけではありませんが、千だと思って買うのとでは差があるはず。一万でも買いますか? 本当のことを言って下さい」
ベルは深いため息をついた。
「……考えてしまうわね。素敵だと思ったし、シャペルが似合うって言ってくれたのもあって、余計に欲しくなってしまったわ。でも、私が買う気になったのは、コートにつけたままでもいいブローチという理由もあったからなのよ。そうでしょう?」
「そうだね」
「本当のことを教えて。これは一万なの?」
「……ごめん。実はそうなんだ」
「優しいのね」
ベルは微笑んだ。
「でも、優しいのがかえって困ることもあるの。お願いだから、そういうことはしないで」
「わかった。もうしない」
「このブローチは一万でも自分で買うわ。気に入ったの」
シャペルは驚き、確認した。
「買うの?」
「ええ、本当に素敵だから。コートと一緒に預けても心配しなくてもいいような時につけるわ」
シャペルは自分が嘘をついたせいで、ベルに高額な買い物をさせてしまったと感じた。
ベルはこの場を収めるために無理をして買う気だと思ったのだ。
こんなつもりじゃなかったのに。
その時である。
「待て」
ジェイルが言った。
「ベル、お前は忘れているのではないか?」
「えっ?」
「先ほど、シャペルは凄く得な品を見つけたら買って贈ると言った。そうだな?」
「うん。言った。間違いなく言ったよ!」
シャペルはその手があったと思った。
「その言葉を聞き、ベルとカミーラは得な品を探しに行ったはずだ。そして、ベルは得な品を見つけた。この品は一万にもかかわらず、事情があって千の所に置かれていた。普通に考えれば、十分の一の価格で手に入れることができる。非常に得だ。ベルはこのブローチを買うと決めた。だが、自ら買うことはできない。なぜなら、非常に得な品を選んでしまったからだ。非常に得な品はシャペルが買わなくてはいけない。そう宣言してしまった以上、名誉にかかわる。ベル、お前は淑女だ。シャペルの名誉を守ってくれるな?」
「お願いだ。名誉を守らせて」
ベルは迷った。ジェイルの説明はわかるものの、シャペルが買うのを認めることになる。
恋人や夫、あるいは両親など特別な男性から宝飾品を貰うのはおかしくない。だが、シャペルは違う。贈られたくないのが本音だった。
「これはゲームだ。ベルはゲームに勝った。賞品が偶然宝飾品だっただけだ。それとも、賞品が気に入らないといって、勝利を放棄するのか? 淑女らしくない振る舞いだが、どうしてもということであれば仕方がない。シャペルは反対しないだろう。だが、また別の非常に得な品を見つければ、それはシャペルが買う。ルール通りに。わかったな?」
ベルはため息をついた。
わかるが、面倒だと思ったのだ。ルールも、ジェイルの説明も。
「わかったわ。名誉を守らせてあげる」
「ありがとう!」
「でも、どうしても必要な嘘でないならつかないで。シャペルのこと、信頼していたいの。信頼できない人のダンスパートナーを務めたくもないわ。だから、お願いね?」
「わかった。約束する」
「よかった。私、眼力はないと思っていたけれど、もしかしたらあるのかもね? シャペルのおかげで凄く得な品を見つけることができたわ。ありがとう」
ベルの優しさを感じたシャペルの心の中に、強い想いが一気に溢れる。
「ベルには本当に……かなわないよ」
好きにならずにはいられない。これほど魅力的で愛しいと思える女性は他にいない。
だが、その想いを告げる時ではないことをシャペルは理解していた。
シャペルがブローチを購入する旨を告げると、担当者が言った。
「実を申しますと、こちらのブローチを選ばれた際、さすがお目が高いと思いました。といいますのも、こちらはイミテーションなのです」
イミテーション?! 本物の宝石じゃないのに一万もするの?!
ベルは心の中で叫んでいた。
「先ほどお話にありましたように、ブローチはコートなどの上着につけることがあり、失くしてしまいやすい宝飾品ということで懸念されるお客様がおります。そこで、こちらのブローチには本来の品だけでなく、イミテーションもつくのでございます」
担当者はにこやかに説明した。
「通常、イミテーションを飾ることはしないのですが、これも遊び心です。なぜ一万もするのかとご興味を持っていただけるかもしれません。その際は、本物に付属するイミテーションであり、一万ギールの棚に置かれていてもわかりにくいほど精巧に作られているとご説明するつもりでおりました。恐らく、このイミテーション本来の価格は千ほどではないかと。ですので、イミテーションだけを売るということであれば、千の棚に置くことこそ的確でしょう。ですので、移動されても何も申し上げませんでした。本来、手に取って品を見ることはお控えいただきたいのですが、こちらの手違いだと思われたのかもしれません」
「いや、手違いだとは思わなかった。価格的にそっくりの本物があるって思った」
シャペルはブローチの価値に気付いていた。
「パールは傷つきやすいから、イミテーションを見本として置いているのかと思ったよ。だから、触っても怒られないかなって」
「その通りでございます。パールは傷つきやすいため、見本として置くのはイミテーションでいいのではないかという事情もございました」
「なんでもいいよ。買うから。触ったから買って欲しいと言われても買うつもりだった」
「かしこまりました。ですが、こちらは申し上げましたように、本物とイミテーションがセットになったものになります。宝石に詳しくない方であってもわかりやすいように、本物の裏側には十八金とルジェ・アヴェニューの刻印がございます。イミテーションには何もありませんので、ご留意いただきたく思います」
「イミテーション付きはちょっと得だね。普通はオプション料金がかかるよね?」
「はい。ですので、本当に得な品でございます」
「良かったね。やっぱり得だって」
シャペルはにっこりと笑った。
ベルも笑い返す。
「シャペルって財力だけじゃなくて、眼力もあるのね」
「少しだけかな。ジェイルには負けるけど」
「その通りです」
カミーラが当然だというような口調で言った。
「先ほど、ジェイル様はご自分で買うものを選ばれました。ですが、やはりそれも得な品だったのです。五万のものが一万だったとわかりました」
「うわっ、さすが! でも、買わないよ。ジェイルは対象外」
「わかっている。自分で買うため、安心するといい」
「安心した。ジェイルじゃなかったら絶対に買えって言われていたな。やっぱりジェイルに同行を頼んで良かった。他の者の財布はあてにならない。持ってこないのと同じだ」
「お前の財布が緩すぎるのは皆知っている」
「それそれ、払拭しないと! 財布係はもうやめるんだ!」
シャペルはそう言いつつ、ブローチの支払いをするために財布を取り出した。
その行動を見れば、財布係をやめるという言葉の説得力はないも同然だとベル達は思った。
シャペルのお財布活躍中。小物のクセに出番多いです。




