25 木曜日 得な買い物
「ここは特設コーナーだ」
ジェイルが行きたい場所というのは、特設コーナーだった。
「初めてルジェ・アヴェニューに来る者は品揃えや価格設定がわからない。最高品質のものがあるというのはわかるが、価格を推測しにくく、かといって担当者に何度も聞きにくいと感じるかもしれない。そこで特設コーナーを活用する。一度価格を聞けば、同じ棚や周辺にあるものは全て同じ価格だ。オプションや特別なサービスなどは別料金だが、基本価格がわかるために買い物がしやすい」
ベルとカミーラはジェイルの目的が買い物ではなく、二人にここでの買い物の仕方を教えることだと理解した。
二人は会員ではないが、また何かの機会に誰かと共にルジェ・アヴェニューに来るかもしれない。その際、買い物の仕方を知っていれば安心できる。
二人はジェイルの細やかな気遣いを感じずにはいられなかった。またもや株が上がる。
「特設コーナーの設定金額は常に同じではない。だが、暗黙の了解で右の方が高く、左の方が低くなっている。また、棚の上にある模様が違う。つまり、棚の上にある模様が変われば、価格が変わるということだ。右に行けばより高く、左に行けばより低くなることと合わせて考えれば目安にできる」
ベルとカミーラは真剣に耳を傾けた。まさに勉強中である。
「まずは中央の棚を見ればいい。勿論、価格を聞いてもいい。そして、左右どちらにいくかを決める。これはいくらだ?」
ジェイルが聞くと、担当者が答えた。
「一万です」
高い。
ベルとカミーラは思った。
「なぜ、このような特設コーナーがあるのかといえば、予算を決めた買い物がしやすいからだ。誰かに贈り物をすることになった。いくらでもいいということであれば、店内を探せばいい。だが、一万以内のものがいいということであれば、特設コーナーに来た方がいい。早く見つかる」
ベルとカミーラはなるほどと思った。
「ここは営業時間以外の買い物もできるが、特別利用料がかかる。しかし、五万以上の買い物をすれば取られない。そういった時にも、特設コーナーを活用できる。五万のものであれば何でもいいということであれば、ここへ来て担当者に五万のものはあるかと聞けばいい。店内で聞くと、近くにあるもののいくつかを教えられるが、必ずしも五万とは限らず、価格が上下するだろう。しかし、ここであれば均一だ」
ジェイルの説明は何もかも計算され、活用され、無駄がないと感じた。
ベルとカミーラはさすがだと思うしかない。
「そっか。ジェイルって賢いなあ」
シャペルの言葉が余計にジェイルの優秀さを感じさせた。
「全然考えていなかった。適当に買っていたよ」
「お前の財布は緩すぎる」
確かに財布が緩そう……というか、お金の使い方が?
頭が緩いと言わないところに、ジェイル様の気遣いが感じられます。
ベルとカミーラは心の中で思った。
「だが、店にとっては優秀な顧客だ。ルジェ・アヴェニューはお前を心から歓迎するだろう。他の客が来た時に対する笑顔とは質が違う。勿論、対応の差にもあらわれるのは言うまでもない」
「いいこともあるね」
「ルジェ・アヴェニューでは千以下の商品はないと言われている。実際にはないこともないが、食料品やカフェなどのものがほとんどだ。そういったこともあり、左端の棚は千だと思えばいい。そうだな?」
「はい。その通りでございます」
担当者が答えた。
「もう一つ。特設コーナーは得な品が多い。あくまでも例えではあるが、本来は百万の品が、五十万になっているようなこともある。得な品を探す楽しみもあるということだ」
「さすがでございます」
「得な品は単に売れ残った品、セールス品ということではない。ゲームだ。人は得な品を探すことに興味を持ち、喜ぶ。ゆえに、店は特設コーナーに遊び心を取り入れているのだ。また、客の眼力を確かめるためでもある。得な品を常に買う客は、眼力があるということだ。当然、その担当者は接客力のみならず、眼力のある者でなければならない」
「見抜かれているとは思いませんでした。感服するしかございません」
担当者達は深々と頭を下げた。
「全然知らなかった!」
シャペルも驚きを隠せない。
「面白いな! 見に行こう! どれが得な品か当てっこしようか」
「そのように客の興味を高める趣向もある。購買意欲も高めるだろう」
「あはは。じゃあ、それに乗ろうか。凄く得な品を見つけたら買ってあげるよ」
シャペルは軽い足取りで早速特設コーナーに向かった。
「お前達も行け。勉強したことを思い出しながら、得そうな品を探してみるといい。眼力が試される。だが、外してもいい。ただのゲームだ。当てればシャペルが喜ぶ。なぜなら、シャペルほどの顧客になると、買い物に来て手袋しか買わないのは不名誉になりかねない。また、時間の無駄でもある。ここに長く滞在するのであれば、相応の買い物をしなければ、来る意味がないということだ」
ジェイルにうながされ、ベルとカミーラは気合を入れて特設コーナーに向かった。
「いいのあった?」
ベルはシャペルに話しかけられて頷いた後、小さな声で言った。
「いくつか。でも、全然わからないの。微妙な差はあると思うのよ。でも、千と千百の違いって百しかないわよね? そう思うと、どれも同じように見えてくるというか」
「そうだね。じゃあ、一緒に来てくれる?」
「いいわよ」
ベルはシャペルについて行く。
シャペルは一万均一の棚の中にある品の一つを指差した。
「これ、どう?」
白い靴だった。女性用である。
「これ、一万?」
「みたいだね」
「高くない? はっきりいって、得じゃなくて損よね?」
「でも、飾りがついてる。女性が好きそうなものだ」
確かに靴にはクリップのような飾りが一個ついている。これをつけ換えることで、二足分のバリエーションを楽しむことができるようになっている品だった。
「でも、本物の宝石ではないわ。大きすぎるもの」
クリップのような飾りには一見すると宝石のようなものがあしらわれているが、かなりの大きさがる。
これがもしダイヤモンドなどであれば、到底一万であるはずがない。百万であっても無理だろうと思える品だった。
いくらなんでも、百万以上の品を一万均一の棚で売るはずがないとベルは思った。
「これはダンスシューズなんだ。飾ってあるのは見本で、購入すればぴったりのサイズの靴を作ってくれるらしい。ベルはダンスが好きだから、かかとが悪くなりやすくない? もし良かったらこれを買わせてくれないかな? きっと使えるよ。アルバイトの時も」
フルオーダーの靴は高い。そのせいで一万なのかもしれないとベルは思った。
しかし、それでも高いと感じたため、ベルは断った。
「いらないわ」
「じゃあこっち」
次にシャペルが見せたのは指輪だった。
「女性はこういうのが好きだよね? ファッションリングにどうかな? サイズは選べる。だから、手袋の上からするサイズにもできる。牽制用とかにも活用できるよ」
ハート形の宝石がついたリングはいかにも女性が好きそうなデザインだった。
しかし、ベルは却下した。
「いらないわ」
「じゃあ、次」
今度はブローチだった。
「贈ったコートはシンプルだから……どうかな? それに、これは結構お買い得じゃないかなと思う」
ゴールドのブローチはパールを花に見立て、茎や葉の部分に小さなダイヤモンドが散りばめられているようなデザインだった。
素敵。
ベルはそう思ったが、首を横に振った。
「駄目よ」
「気に入らない?」
「宝飾品は貰えないわ。シャペルは……違うから」
ベルの言葉の意味をシャペルは理解した。
「わかっているよ。でも、贈りたい。シンプル過ぎるコートじゃ、困る時もあると思うし」
「いいのよ。正直に言うと、コートはクロークに預けるでしょう? 宝飾品をつけるのは不安なの。預けたり受け取る際につけたり外したりするなんてできないし」
「でも、これは安いよ? 千だし」
見た目は素晴らしいが、価格は安かった。
「千のブローチなら、つけたままでも平気じゃないかな? それに、この程度の贈り物じゃ、むしろ誰から貰ったのかは秘密にして欲しいかも。名誉にかかわる」
シャペルは金持ちだ。だからこそ、安い品を贈ったことが他の者にわかってしまうと、名誉が傷つくというわけだ。
ベルはそれでも首を横に振った。
「宝飾品は駄目。いらなくなっても、処分しにくいから」
「……そうだね」
シャペルは引き下がった。
「贈り物は難しい。なかなか気に入って貰えない」
「女性への贈り物は難しいのよ。同じ女性でも悩むわ。シャペルは男性だもの、より難しくて当然でしょう?」
「でも、ジェイルならすぐにベルの気に入るものを見つけそうだ」
ベルはそうかもしれないと思ったが、そうは言わなかった。
「……シャペルはこのブローチがいいと思ったの?」
ベルは尋ねた。
「きっと似合うよ。だから、買わせてくれる? コートのおまけとして」
ベルは首を横に振った。
「駄目よ、そもそもコートがおまけでしょう?」
「まあ、そうだけど」
「だから、これは私が自分で買うわ。千だもの」
シャペルは目を見張った。
「シャペルが選んでくれたのなら、あのコートにも合うわ。本当は素敵だと思ったの。シャペルからは貰えないけれど、千だもの。お小遣いで簡単に買えるわ。アルバイト代で買うわよ。ある意味、シャペルに買って貰ったのと同じになってしまうのかもしれないけれど」
「そんなことはない。間違いなくベルのお金で買ったものだ。でも、ここは会員が買う店だから立て替える。後で清算するということでいい?」
「いいわ」
シャペルは安堵するような表情になった。
しかし、そこへ思わぬ駄目出しが入った。
「よくありません」
カミーラは厳しい表情をしていた。
「いいじゃない。買ったって」
「駄目です。シャペルはズルをしました。これは千ではありません。一万のところから移動して、わざと千に見せかけたものです」
ベルは目を見張って驚き、シャペルを見つめた。




