24 木曜日 ルジェ・アヴェニュー
木曜日。
ベルは昼食後、ルジェ・アヴェニューで買い物をするため、外出することになった。
時間の変更については午前中に伝令が届き、了承している。
シャペルはベルに嫌な思いをさせてしまったことに対する埋め合わせであることから、二人きりでないことを残念に思いつつも、カミーラの同行をすぐに了承した。
しかし、ルジェ・アヴェニューは基本的に会員が買い物を楽しむ場所であり、会員の同行者が買い物を楽しむための場所ではない。
会員が多くの同行者を伴って来るのは困るため、基本的には会員一人につき同行者は一名という原則があり、それ以外の場合は事前に店側の了承を得るか、店を貸し切りにするということになっていた。
そういった事情から、シャペルは友人であるジェイルにも買い物に付き合ってくれるように頼み、またしてもジェイルが欲しい物を一つ買うという条件で同行を了承させた。
「というわけで、ジェイル付きなんだけどいいよね?」
「まったく問題ないわ!」
「非常に心強いかと」
ベルとカミーラが反対するわけがない。
四人はルジェ・アヴェニューに行き、担当者二名の案内によって買い物をすることになった。
適当に店内を案内するという話だったものの、女性達の足はドレス売り場で止まった。
「豪華ね……」
思わずため息が漏れてしまいそうなドレスが売っている。
「こちらは夜会用のドレスになります」
担当者が説明した。
「夜会用のドレスは全て一点物です。他の方と被るということはございません」
「高そうね」
「ドレスの試着はできるのですか?」
カミーラが尋ねた。
「申し訳ございません。当店では一切試着はできません。ですので、サイズ表を確認していただくか、購入した後で着用し、細かい調整やリクエスト、サイズ直しを追加注文する形になります」
「基本的にはグラン・ルジェと同じようなルールですか?」
「はい。また、先に申し上げますと、当店では基本的に価格表示がございません。気になるものがございましたら、ぜひとも気軽にお尋ねください。勿論、購入する気がなくても構いません。表示をしないというのは当店のスタイルですので、何卒ご理解下さいませ」
「むしろ、価格表示があるものってあるの?」
ベルが質問した。
「特設コーナーに行きますと、同じ棚のものは全て均一価格になっております。ですので、担当にいちいち聞かなくても商品の価格がわかります」
「例えばだけど、百万ギール均一、とか?」
「左様でございます。後は、食料品、飲食物に関しては価格表示がございます。カフェのメニューなどもその中に含まれます」
カフェのメニューと聞き、ベルとカミーラは納得した。
「ですが、ワインコーナーなどになりますと、やはり価格表示がないものがございますので、そちらはお尋ね頂きたく思います」
ベルとカミーラはどのようなドレスがあるのかを軽く確認すると、特に価格を尋ねることなく移動しようとした。
「待って。気になるものはない? ダンス用のドレスもあるよ?」
「素敵だけど、買う気はないわ」
「好みじゃない?」
「そういうわけじゃないけど……」
「何でも買ってあげるよ? そういう約束だったよね?」
「別にいらないわ」
「遠慮しなくていいんだよ?」
「遠慮していないわ」
「でも、宝飾品の売り場も軽く見ただけだったよね?」
そこでカミーラが口を挟んだ。
「気にしないで下さい」
「でも、買い物に来たら女性は宝飾品やドレスを見るよね? それに、何でも買って貰えるなら、できるだけ高価なものを買って貰おうと考えるのが普通だよね?」
シャペルの言葉はおかしくない。確かにそれが一般的だろうと思えるようなことだった。
そして、これまでシャペルが一緒に買い物をした女性は、そういう者達だったのではないかと推測することもできた。
「事情があるのです」
カミーラの言葉に、シャペルはなおも尋ねた。
「どんな事情? 高価なものをねだって貸し借りにしたくないとか?」
「ここでは言えません。ですが、心配は無用です。ベルはしっかりと何かを買って貰うつもりでいます。これが気になる、欲しいというまで待てばいいでしょう」
「わかった」
店内散策は続くが、ベルもカミーラも軽く見るだけで、金額を確かめようともしない。
但し、自分達が贈られたコートやバッグの色違いを見た時はさすがに気になったのか、こそこそと二人だけで話していた。
とはいえ、価格を確認することもない。それはマナー違反だ。
シャペルは違和感を覚えながらも、カミーラの言う通り、ベルが言い出すまで待つことにした。
そして、ようやくベルが目を留めた品があった。
「カミーラ、これどう?」
相談したのはシャペルではなく、カミーラだった。
シャペルはがっかりしたが、女性用品に関するアドバイスを男性ではなく女性に求めるのは当然でもある。
「やめた方がいいでしょう」
「じゃあ、あれは?」
ベルが目を留めたのは手袋だった。
「微妙です」
「じゃあ、向こうのは?」
「駄目です」
「難しいわね」
「そうかもしれません」
シャペルはなぜカミーラが駄目出しするのか全く分からなかった。
どれも、お洒落な女性用の手袋である。特別奇抜なデザインというわけでもなく、むしろ上品で好ましいと思えるような品だ。
ベルが自分で選べないため、カミーラに聞くのはわかる。だが、カミーラの嗜好で選んでいるような気がしてしまった。
「ベルの好きなものでいいんだよ。全部買ってもいいし」
「いいのよ。カミーラの意見に間違いはないから」
「でも」
「カミーラ、ベル」
突然、ジェイルが二人の名前を呼んだ。
「来い」
素早く二人はジェイルの元に移動した。
「これはどうだろうか?」
ジェイルの示した手袋を見て、二人は驚き、さすがだと思った。
「やっぱりジェイル様は凄いです! 何でもわかってしまうのですね!」
「感服いたしました」
後から来たシャペルはジェイルの見立てた手袋を見た。
「……ジェイルの選んだものが欲しいの? つまり、そういうこと?」
「そうではない」
ジェイルが言った。
「二人は手袋を真剣な表情で見ていた。手袋が欲しかったのだろう。わかるな?」
「わかる」
シャペルは素直に答えた。
「ここにあるのはどれも特別な品だ。よく見なくても品質は保証されている。しかし、二人は何度も思い出すか考えているような素振りをしていた。つまり、何かに合わせて買いたいと思っている。手持ちの衣装や小物だと推測できる。それもわかるか?」
「わかる」
「ベルはようやくカミーラに尋ねた。防寒用の素材のものだ。となれば、コートに合わせるつもりだ。ベルはこの店のコートを貰ったばかりだ。それに合わせる小物を欲しがってもおかしくない」
シャペルはハッとした表情になった。
「お前が何か買ってくれるというのであれば、お前が選んで贈ったコートに合わせる手袋がいいと思ったのだろう。そうすれば、一緒に身に着ける際、送り主も合わせることができる。だが、黄色だ。まったく同じ色を探すのは難しい。素材感の違いもある。そこで、カミーラに聞いた。あのコートに合うかどうかを。違うか?」
「さすがです! その通りです!」
やっぱり神のようだとベルは思った。完全に見抜かれている。
「外出前にどういった品を検討するか考え、いくつかの候補を話し合っていました。実際に行くと、欲しいものが変わるかもしれません。ですので、私もずっとベルが言い出すのを待っていました」
そうだったのかとシャペルは思った。
「これならあのコートにぴったりね!」
「同じ黄色です。素材感も問題ありません。まさに揃えてあるような品です」
「気が付きませんでした。ジェイル様、教えてくださってありがとうございます!」
「商品を陳列する際には、人気色や店側の売りたい色を目立たせる。黄色は元々目立つ色で嗜好も選ぶことから、後ろの方だった。わかりにくかったのだろう」
「シャペル、この手袋が欲しいわ。あの素敵なコートとバッグに合わせたいの。いいかしら?」
「勿論だよ! 嬉しいな!」
シャペルは喜んだ。
ベルがコートに合わせて手袋を買うということは、自分の贈ったコートやバッグを気に入ってくれた証だと感じた。
「赤の手袋も買え。お前の買い物に付き合う権利を行使する。カミーラもコートに合わせた手袋が欲しいだろう。丁度同じ色合いだ」
ジェイルはぬかりなかった。
買い物に付き合う代わりに何か一つジェイルの欲しいものを買う権利を行使し、カミーラにも赤いコートと合わせた手袋を贈ることにした。
その粋な配慮が嬉しくないわけがない。最高に喜ぶに決まっていた。
「よろしいのですか? ジェイル様の欲しい物を選ばれては?」
「気にする必要はない。私は欲しい物を選んだ。ただ、自分で使う物ではなく、カミーラが使う物だったというだけだ」
カッコいい! 素敵すぎるわ!
ベルはジェイルの凄さをますます感じた。
「カミーラが赤いコートと手袋を着用する姿を見る時が楽しみだ」
「私もジェイル様に披露できる時を楽しみにしております」
「仕事で同行者が必要そうな時は声をかける。カミーラの都合も考慮する」
ジェイルは自分がカミーラを誘うのはデートのためではなく、仕事だということを明示した。また、一方的に自らの都合で呼びつけるつもりはないという配慮も示した。
何もかも完璧な対応としか言いようがない。自分とはレベルが違うとシャペルは感じた。
カミーラとベルの様子を見ても、それは明らかだった。
女性がジェイルに夢中になるのがわかるなあ。財布係の自分とは違い過ぎる。っていうか、結局全部支払いはこっちで、いいところは全部ジェイルに持っていかれた気がするんだけど……。
シャペルはため息をついた後、黄色と赤の手袋を購入する旨を担当者に伝えた。
手袋を買った後は休憩をしにカフェに行くことになった。
シャペルとジェイルは昼食に行くといって外出してきたため、まだ昼食を食べていない。カフェで軽食を取るつもりだったことを明かした。
「そうだったのね! 申し訳ありませんでした!」
「そういうことは遠慮されずに教えて下さい」
紳士たるもの淑女を優先すべきである、というルールに乗っ取った配慮であることは言うまでもない。勿論、ジェイルの配慮だ。
しかも、シャペルにばかり支払わせるつもりはないといい、カフェの支払いはジェイルが出すことを申し出た。
ジェイルの株は益々上がった。
ベルとカミーラはジェイルを尊敬の眼差しで見つめ、それを羨望の眼差しでシャペルが見つめた。
ベルとカミーラはもう帰るだけだと思っていた。今から戻れば、夜のパーティーにも行ける。
しかし、今日はパーティーには行かずにゆっくりと過ごす、休養することも大切だというジェイルの説明により、このまま買い物を続けることになった。
「他にも何か見たいものがあるかな?」
店内を散策するのは問題ないが、二人共に欲しいものを手に入れたこともあって、買い物をすることに対する欲求はなかった。
正直に言えば、ルジェ・アヴェニューの商品の価格が気になってしまい、自分で負担してまで買う気がしないというのもあった。
「行きたい場所がある。いいか?」
ジェイルがそう言いだしたため、ベルとカミーラは興味津々と言った表情になった。
「勿論です!」
「同行致します」
すでに二票。シャペルが反対しても多数決で決定だ。
四人はジェイルの行きたいという場所へ移動した。




