23 水曜日 お返し
「ああ、そういえば化粧品のことだけど」
ベルは自分のために用意された化粧品のサイズが非常に小さなことを不満に思っていた。
イレビオール伯爵令嬢であれば、あのようなサイズはありえない。勿論、イレビオール伯爵令嬢であることを知らないからこそであるのは仕方がないと思っている。
だが、自分は貴族の女性としての礼儀作法と教養を身に着けている淑女だと思っているからこそ、軽視されたくないというプライドもあった。
「届いた物を見てびっくりしたわ。アレルギー反応を試すものだったから」
化粧品は直接肌に塗る。しかし、合うかどうかはわからない。アレルギー反応など何らかの症状が出てしまう可能性もある。
そこで初めて使用する際にはほんの少量だけを腕などに塗り、問題が起きないかどうかを調べる。
ベルはあまりにも小さなサイズだったことから、アレルギー反応を試すためのものだと思ったという考えを披露した。
勿論、ちょっとした嫌味である。
「あれだとアレルギー反応がでるかどうか試すだけよね? 私の友人があのようなものを貰ったら、かなり怒ってしまうわ。馬鹿にされていると感じてしまうわね。あのようなものを貴族の女性に送るべきではないと思うわ。常識的に考えるとだけど」
コレアード夫人はすぐにベルから非難されていることを理解した。
「申し訳ございません! 恐らくは担当の者が間違えてしまったのではないかと……すぐに本来のものをお送り致します!」
「いらないわ」
「で、ですがこのままではあまりにもご無礼なことをしてしまったままになってしまいます。主人にも息子にも、ディーバレン子爵にも申し訳が立ちません!」
その通りだとシャペルは思った。
「私が誰かということを知らないのはわかっているわ。でも、シャペルの知り合いということはわかっているわけでしょう? あれじゃ、シャペルを軽視したのと同じじゃない?」
シャペルはすぐにベルの手を取った。
「嫌な思いをさせてしまったね。せっかく来てくれたのに」
「大丈夫よ。シャペルのせいじゃないわ。それに、コレアードのお菓子は目にすることがあるし。ああ、でもそのせいで思い出してしまうかもしれないけれど」
コレアード夫人は心の中で絶叫した。自分の失態が夫の事業に影響を及ぼす恐怖を感じたからだった。
「埋め合わせするから許してくれるかな? テリーは友人だし、コレアードは父の取引先だ。放っては置けない」
ベルはチャンスだと感じた。
「一緒にお買い物に行きたいわ。ルジェ・アヴェニューに」
シャペルはデートに誘われたと感じ、一気に舞い上がった。
「いいよ! 何でも買ってあげる!」
婚約指輪でも結婚指輪でも!
そう言いたい気持ちをシャペルは必死で抑えた。
「じゃあ、許してあげる。でも、何かを買って欲しいわけじゃないわ。仕事で忙しいシャペルが私のために時間を取ってくれるのが嬉しいの」
「ベルのためならいつでも時間を取るよ!」
「嬉しいわ」
ベルはにっこりと微笑んだ。
「コレアード夫人、私の気分が悪くならないうちに下がってくれるわね?」
「はい! 本当に申し訳ございませんでした! お言葉に従い、下がらせていただきます!」
青ざめたコレアード夫人はドリーを連れて逃げ去った。
ベルとシャペルも十分だと感じ、パーティーを切り上げて帰ることにした。
馬車が走り出すと、ベルは早速シャペルに話しかけた。
「化粧品のことは気にしないでね。あまりにも小さいサイズだったから、つい言ってしまったの。シャペルは箱の中身を知らなかったわけだし、何の責任もないわ」
「もっとしっかりとしたリクエストをすべきだったよ。そうすればこんなことにはならなかった。ベルのことを知らないのはわかっていたわけだし」
「許してあげるといったでしょう? でも、ルジェ・アヴェニューには連れて行ってね! 私、行ったことがないのよ」
「明日でいい?」
「えっ?」
ベルは驚いた。
「明日?」
「駄目?」
「むしろ、シャペルは大丈夫なの?」
「パーティーに行くのをやめて買い物にするよ。重要度が高い方を優先する」
ベルは考えた。
「……仕事帰りに行くってこと?」
「そうなるかな。夕食も一緒に取ればいい」
シャペルは内容を追加した。
「あそこ、何時までやっているの?」
「基本的には十時から十九時。でも、事実上二十四時間」
「二十四時間?!」
ベルはまたもや驚いた。
「早朝とか深夜でも買い物ができる。出勤前とかパーティーの後でも買い物ができる。もしかして、朝がいい?」
「午前中じゃなくて朝ってことは、出勤前に買い物をしたいってことよね?」
「そう。例えばだけど、六時頃に待ち合わせして、到着したら軽く朝食をとって買い物。担当者にいっておけば、ベルだけ残って買い物することもできると思う。請求はこっちにまわして貰えばいいしね」
「お店のもの全部買うとか言ったらどうするの? シャペル、破産しちゃうわよ?」
シャペルは笑った。
「ベルはそんなことはしない。信用している。でも、会員自身が了承した買い物じゃないと、本当に買うことはできない。取り置きになって、必ず本人に確認される。その時点で問題があればキャンセルできる。場合によっては同行者自身かその実家に請求が来る。会員が最終的に負担するとしても、最初の支払いは同行者かその実家になるということだ」
ベルが買い物をし過ぎた場合、イレビオール伯爵家に請求が来るという牽制のように聞こえたのは言うまでもない。
「但し、通常時間以外の利用はあまりしたくはない。特別利用料を取られる」
「お金がかかるのね。いくら?」
「十万」
ベルは心の中で叫んだ。
な、なんですって?! 十万も?!
「でも、五万以上の買い物をすれば、払う必要がない。つまり、何か買った方が得ってことだね。まあ、あそこを利用する者にとって、五万の買い物なんて大した額じゃない」
「なんだか行ってはいけないお店のような気がするわ。私、あそこに行ってみたいだけなの。どんなお店なのか気になっただけなのよ」
シャペルは笑った。
「そういう者は多いよ。でも、営業時間内に行っても何かとお金がかかる。だから、冷やかしで見に行くだけの者はあまりいない。会員も無駄なお金は使いたくないしね」
「もしかして、入場料が取られるの?」
ベルの質問にシャペルはまたもや笑った。
「そうじゃない。でも、馬車を置くのにお金がかかる。駐車料だ。ある意味入場料かもしれないね」
「確かにルジェ・アヴェニューの客なら馬車で行くのは必須でしょうね。そのためのお金がかかるのは納得だわ」
「カフェだって使うよね?」
「まあ、そうかも」
「となると、飲食費もかかる。だから、何も買わなくてもお金はある程度かかる」
「高価なものばかり売ってそうよね。私のお小遣いじゃ買えないかもしれないわ」
「手頃なのもあるよ」
シャペルの金銭感覚はあてにならない。ベルは確信している。
「でも、絶対高価よ! リーナ様の時計だって凄いものだし!」
「ああ、パスカルが贈ったみたいだね。ルジェ・アヴェニューで買い物したのは知っているよ」
「びっくりしちゃったわ!」
「そう?」
ベルは怪訝な表情になった。
「何を貰ったのかわかってないでしょう?」
「そんなに凄いの? 同じデザインの時計を買い占めたという話は聞いたけど」
「レッドダイヤモンドがついている時計よ!」
「へえ。珍しいね」
ベルは驚いた。シャペルがあまり驚かないということに。
「そこはもっと驚くところじゃないの?」
「両親や伯父が銀行家だと、珍しい宝石はそれこそ普通に見るから」
ベルは予想以上にシャペルの感覚が普通ではないことを実感した。
「正直、買い占める方が感心したなあ。カッコいいよね。ロマンがあるというか。パスカルが女性に人気があるっていうのも納得だよ。全部買い占めれば、どんな品も世界に一つだけになる」
シャペルはレッドダイヤモンドがついている時計を購入したことではなく、同じデザインで宝石違いの時計を買い占めたことを評価した。
金持ちは何でも特注品だ。ある意味世界で一つしかないものばかりを持っている。だからこそ、世界でたった一つということ以外の何かに価値を見出す。
「まあ、好みとか考え方の問題だ。人によってどこを重視するかは違う」
シャペルは話を続けた。
「最初から世界に一つしかないものを買うのは、結構簡単なんだ。でも、世界に複数あるものを全部買い占めてしまうというのは簡単じゃない。世界中に散らばっていたらそれこそ大変だ。でも、一カ所に全部揃っていれば簡単になる。ルジェ・アヴェニューは他国の王族とかも利用する。そういうことを考えると、世界中に散らばる前に買い占めたわけだし、そういう点でも評価できる」
ベルはよくわからないと思った。ちょっと難しいとも。
しかし、時計を買い占めたこと、パスカルを評価していることはわかった。
「まあ、ジェイルが昔そう言っていたんだけどね。買い占めるなら、最初が肝心て。なんで、そうかって。やっぱりジェイルの考えることは凄いよ。勿論、パスカルもだけど」
ジェイルの凄さはシャペルにも通用していた。当然、ベルにもすぐに伝わる。
「さすがジェイル様ね! 優秀ね! ダンス以外のことでも尊敬できるわ! なんていうか、ワールドワイドよね!」
シャペルはまたしても失言してしまい、ジェイルの株を上げてしまったことに気が付いたものの、後の祭りだった。
「ああ、そうだわ。カミーラも一緒に行くからよろしくね」
シャペルの気分は一気に下降した。




