22 水曜日 香水会社のパーティー
水曜日の午後、カミーラの元に箱が届いた。
送り主はジェイル。
箱の中身はルジェ・アヴェニューのコートで、色は赤だった。
「赤です!」
カミーラは珍しいことに感情をはっきりとあらわし、喜びの声を上げた。
「あのジェイル様が見立てた、しかもルジェ・アヴェニューの品が私のものになるなんて! 信じられません!」
「間違いなく赤だわ! ジェイル様がカミーラに似合うって言って下さった赤のコートよ!」
二人は喜びを溢れさせながら手を組み、ダンスをするほど浮かれた。
様付きで呼ばれるジェイルと、呼び捨てされるシャペルとの差がしっかりとあらわれていた。
夜になると、シャペルが迎えに来た。
黄色のコートとバッグを着用したベルは、早速シャペルにお礼をいった。
「素敵なバッグとコートをありがとう。似合うかしら?」
「当たり前じゃないか!」
シャペルは自分が選んだコートをベルが着ていることにすっかり興奮し、舞い上がっていた。
「凄く似合っているよ! キラキラ輝いている!」
「確かにボタンが金貨みたいね」
「そうじゃなくて、ベルのことだよ!」
「あっ、そうなのね。嬉しいわ」
ベルは素直にお礼を言った。
「これ、ハイネックでしょう? だから今夜はアップにしたのよ。いつもと違う髪型もいいかなって。ドレスもダンスパーティーじゃないから、マーメイドラインに挑戦したの」
マーメイドラインは女性の体形がわかりやすいドレスである。
コートに隠されたベルの美しいボディラインを想像し、シャペルは思わず唾を飲み込んだ。
早くコートを脱がせて見たい衝動を必死に抑え、会場に着くまでの我慢だと自らに言い聞かせる。
「なんかいつもと違って大人っぽいというか、色気があるというか……困ったな。あまりにも嬉し過ぎておかしくなりそうだよ」
「しっかりしてよ! これからパーティーじゃない! お仕事なのよ!」
「そうだけど……」
「こっちは先払いして貰ってるのよ! 返金したくないし、絶対に行くから!」
「ベルの方がやる気があるなあ。負けないようにしないと」
「シャペル」
カミーラに名前を呼ばれたシャペルはドキッとした。
嬉しいという意味ではなく、瞬時に緊張するという意味で。
「な、何かな、カミーラ?」
「赤いコートのことです。ご存知ですか?」
「知っているよ。支払いはこっちだし」
昼休みを使ったジェイルの買い物に同行し、コート代を支払ったのはシャペルである。知らないわけがなかった。
「ジェイル様にお礼を伝えて下さい。大変気に入りましたと。機会がある際は、ご期待に添えるようにしたいと思っていることも合わせてお願いします」
「わかった。伝えておくよ」
「それから、今後はディーバレン子爵ではなくシャペルと呼びます。ジェイル様にその件でお話があり、そのように呼んだ方がいいと言われたので」
「それも聞いているよ。だから大丈夫。戻っただけだし、むしろ嬉しいよ」
「戻ったわけではありません。呼び捨てです。様はつけません」
「ランクが下がったわけか。まあでも、親しみ度が上がったと捉えれば……」
「それは勝手ですが、ランクが下がっただけというのが正しいとは言っておきます。では、そういうことで」
「あのさ……ちょっと、いいかな?」
カミーラは怪訝な顔をした。
「なんですか?」
「ここだけの話、嫌じゃなかった? ジェイルとのこと。余計な提案してしまったかなと気になってて……だから、もし本当は嫌だってことなら、こっちからうまく言っておくけど」
「それはありません」
カミーラはきっぱりと言った。
「ジェイル様のおかげで安心して情報活動ができました。とても感謝しています。シャペルではなくジェイル様に」
シャペルではないという部分をカミーラは強調した。
「ですので、心配無用です」
「そう? ジェイルってちょっと厳しいというか冷たいというか、有無を言わさない雰囲気がするから無理していない?」
「全くしていません。ただ、他の女性に妬まれないかは心配です。ベルにも余計なことを友人達に広めないように注意していたところです」
「それは大事だね。まあ、カドリーユでペアになった縁というのはみんなが理解しやすいからおかしくはないと思うけど、婚活ブームだから余計に注意しないといけない」
「ですので、赤いコートをジェイル様からいただいたことは秘密にします」
「勿論! だってその支払いがこっちだってなると色々面倒だし、ジェイルの不名誉にもなりかねない。色々と不味いよ」
「では、そういうことで」
「わかった」
今回のパーティーは新作香水のお披露目会だった。
そのため、客は圧倒的に女性が多い。
当然、独身貴族で銀行家のシャペルは狙われる。またしてもベルは女性避けとしての出動だった。
「基本的には関係者専用コーナーにいればいいだけ」
シャペルは香水会社の顧客ではない。香水会社にディーバレン銀行が出資している関係で顔を出しているだけだった。
他にもこの香水会社を担当している銀行の者が出席しているため、シャペルは単純に顔を出すだけでよかった。
「将来、銀行家になるための勉強だよ。取引先からの招待が多くあるから、どういう招待や催しなのかってことを少しずつ勉強する。場慣れしておくのと、出席するかどうかを判断するための参考にするというか」
「なるほどね」
「いつもはこういうのもあんまり顔を出さない。忙しいし面倒だし、重要度が高いわけじゃない。でも、婚活ブームのせいでどこもかしこもパーティーばかりで招待状が多く来る。行きたくない誘いを断るために、面倒そうじゃない予定を入れることもある」
シャペルは独身だ。身分も家柄もいい。財産もある。様々なパーティーの招待状が来るに決まっている。
しかし、全てを興味がないといって断るのは悪く思われかねない。そこで、仕事関係のパーティーに顔を出す必要があるなどといって断る。
仕事関係のパーティーは融通が利きやすく、あまり負担にならないものにする。
平民のパーティーや催しであれば、貴族であり銀行家の息子ということもあって、ほんの少し顔を出しただけで帰っても無礼にはならない。
むしろ、ほんの少しであってもわざわざ足を運んで貰えたのは期待されている証、非常に嬉しい、光栄だと思われる。
「無料で夕食を取れるよ。美味しいものは出ないけれど」
シャペルは金持ちだ。無料の食事に釣られることはない。有料でも美味しい食事を選ぶに決まっていた。
つまり、無料で食事を取るためにパーティーに来ることはない。
「パーティーばっかりだと、軽食ばかりになりそうね」
「晩餐会の誘いもあるけど、席が固定される。話さないといけないし、拘束時間も長くて早く帰りにくい。こういった催しの方が楽だ。明日も仕事だし、早めに帰りやすい」
「そうね。平日だもの。遅くまで参加するのは辛いわね」
「だから早めに帰ろう。食事を取りに行こうか」
「わかったわ」
ベルはシャペルにエスコートされ、軽食コーナーに向かった。
そこは関係者も顧客も同じく使用する場所になるため、女性達の視線がシャペルに向けられる。だが、その横にはしっかりと着飾ったベルがいた。
ベルのドレスはマーメイドラインであるため、適度に引き締まった腰とふくよかな臀部という女性的な曲線が描かれていた。胸部のボリュームを合わせた全身像からいっても、間違いなくスタイルがいいことがわかる。
その美しさは同性の女性も認めざるを得ないものであったため、素直に負けを認めたのか声をかけてくるような者はいなかった。
しかし、デザートを食べていると、見知った人物がシャペルに声をかけた。
「まあ! このようなところでお会いするなんて! 幸運ですわ!」
偶然会ったのはコレアード商会の会長夫人とその娘であるドリーだった。
ベルとシャペルにとっては幸運ではない。むしろ、真逆である。
「奇遇ですね、コレアード夫人」
「いつもお世話になっております。ディーバレン子爵。ドリーも挨拶を」
「こんばんわ。ディーバレン子爵。お会いできて光栄です」
お決まりの挨拶が終わると、早速コレアード夫人はベルに視線を向けた。
「この間の方でしょうか? 随分印象が違うので……」
「そうです。今夜も一緒に来て貰いました」
シャペルはにこやかに答え、ベルを同行させたのは自分の意思であることを伝えた。
「ディーバレン子爵にご同行できるなんて、なんて幸運なのでしょう!」
「幸運なのはこっちでね。彼女の方が上なので」
何が、とは言わない。だが、普通に考えれば身分、出自、あるいは家柄ということになる。
コレアード夫人はベルの身分がシャペルよりも高いと考え、驚愕した。
てっきり、この間の地味な装いから、あまり身分の高くない下級貴族の出自ではないかと思っていたのだ。
「そうでございましたか……それは、大変失礼を……」
「彼女は平民のことを知らないので、勉強も兼ねて一緒にどうかと誘ったのです。この間のもそれで……ただ、どのような装いをしていけばいいのかわからなかったようで。友人の家なのでできるだけ控えめにと話したのですが、加減が難しかったかもしれない」
シャペルはコレアード家のパーティーに行った際、ベルが地味な装いだったことを気にしているようだったため、さりげなくそのことをカバーするような話をした。
「彼女の友人は上位の貴族ばかりで、平民の友人どころか知り合いさえいないかもしれない」
「あら、いるといえばいるわ」
ベルは言った。
「今は貴族だけど」
「ああ、そうか」
シャペルは微笑んだ。
「そうだね。彼女は元平民だ。エルグラードで最も幸運な女性だからね」
「アルディーシアよ」
「そっちか」
シャペルはてっきりリーナのことだと思った。
「勘違いした」
「二人と親しいのはみんな知っているけれど、今は婚姻前のとても大事な時だからちょっとね。知らない人に言いふらして欲しくないわ」
「それもそうか。不味いな。失言した」
「まあ、私が言わなければわからないでしょうけれど。ここは平民のパーティーだし」
「秘密にしてくれる?」
「仕方がないわね。シャペルのためだもの」
「ベルは魅力的なだけでなく、本当に優しい女性だ」
コレアード夫人とドリーはあまりの驚きに声が出ない。
元平民。エルグラードで最も幸運な女性と聞けば、思い当たるのは一人の女性しかいない。
リーナ=レーベルオード伯爵令嬢だ。
王太子に見初められた女性のことを知らない者などいない。
アルディーシア=レイジングス公爵令嬢も有名人だ。
母親の美貌と才能を受け継ぎ、貴族の女性では屈指の舞踏家として名を馳せている。
ベルがそのような女性達と親しいだけでなく、ディーバレン子爵のことを本当は名前で呼ぶこともわかり、コレアード夫人は青ざめた。




