19 火曜日 箱の中身
箱の中にはバッグが入っていた。
「布製です」
「結構普通ね」
ルジェ・アヴェニューの品であれば、かなり豪華なバッグではないのかと推測したものの、中身はサテン生地でできた女性用のパーティーバッグだった。
「まあ、ちょっと大きめ?」
「そうですね」
「黄色って珍しいわね」
パーティーバッグはドレスに合わせやすい色が人気だ。合わせにくい色の品揃えはどこも少ない。
「個人的嗜好かもしれません」
金具の部分はゴールド。ガマ口タイプだ。正面には大きなリボンがあり、女性らしい雰囲気になっている。
だが、さほど変わったデザインでもない。
付属のチェーンは長いものと短いものが一本ずつ。
クラッチ、長めと短めの持ち手、三種類の使用方法を選ぶことができる。
「金具やチェーンは十八金のようです」
説明書を見てカミーラが言った。
「ルジェ・アヴェニューの品なら驚かないわね。それが普通な気もするわ。でも、メッキじゃないだけにチェーンが細いわね」
チェーンの間にはバッグと同色の細い布が通してあるため、チェーンが切れてしまっても持てなくなるということはない。
布部分が切れても、チェーン部分があるために同じく大丈夫ともいえる。
「高価なものに間違いありません。ですが、見た目はよくあるようなデザインですので、さほど高価には見えないでしょう」
「そうね」
「マチがしっかりとあります。その分、収納力もありそうです」
「つい化粧品を入れてしまいそうだわ! でも、名刺用にスペースの空きは確保すべきだろうけど」
「また貰う気があればそうですね」
ベルは貰ってきた大量の名刺をカミーラにあげていた。
友人といったが、実はカミーラに土産としてあげるつもりで、何かあった際に活用すればいいのではないかと思っただけだった。
ベルが持ち帰った思わぬ土産に、カミーラは驚くほど喜んだ。
「大きいのは何ですか?」
ベルは蓋を開けた。
「コートだわ!」
大きな箱に入っていたのはハイネックで金ボタンがついた黄色のコートだった。
「色がお揃いです。どのようなドレスを着ても、このコートを着れば合うようにしたのでしょう」
「そうね」
「見た目はシンプルですが、手触りがとても良さそうです。ボタンも恐らくは十八金でしょう」
カミーラの予想は当たっていた。
大きめのコートのボタンはバッグと同じ十八金だった。
「金貨がついているコートみたい……」
「コートはいらないというべきなのでしょうが、黄色のバッグはドレスに合わせにくいでしょう。となれば、同色のコートはかなり有用です。貰っておいた方がいいに決まっています。それを考えて、わざとこの色にしたのかもしれません」
「シャペルって意外と賢いわね」
「本人にセンスがなくても、ルジェ・アヴェニューの担当がしっかりと考えて勧めるはずです。セットでどうかと提案されたのでは?」
「きっとそれだわ! 勧められたのをそのまま買ったのよ!」
恐らくはかなり高価な品を貰ってしまったことになるが、シャペルは金持ちだ。普通のものを買った感覚かもしれないと思えた。
それはシャペルの母親から譲るという不用品のバッグを見れば一目瞭然だ。
大きな段ボールに入っていたため、いかにも不用品のように見えたが、実際はその中に小さな箱が複数入っており、すべてルジェ・アヴェニューや最高級デパートで扱われているもの、有名なブランドのものばかりだった。
「これ、全部いらないのね……凄いわ。私だったら絶対にあげるなんてできないわ!」
「ディーバレン伯爵夫人は一回使用した品は二度と使わない主義なのかもしれません」
「もしそうだとしたら恐ろしいわ!」
「銀行家はお金があるということをアピールするはずです。着回しや再利用は絶対にできないというルールがあってもおかしくありません」
「シャペルと結婚したら、無理にでも贅沢しなくちゃいけなくて辛そうね。リーナ様の気持ちがわかるわ……」
カミーラは眉を上げた。
「結婚する気があるのですか?」
「えっ?! 違うわよ! 例えばって話じゃない!」
ベルは慌てて否定した。
「縁談だって断ったのよ! しかもすぐに! ありえないわよ!」
「そうですか。ですが、考え直したいというのであれば、本人に言えば問題ないでしょう」
ベルは眉をひそめてカミーラを見つめた。
「それ、薦めているの?」
「私はベルに幸せになって欲しいと思っています。ベルが嫌だと思う相手は薦めません。ベルが結婚したらという例え話をしたため、私も例え話に合わせたまでのこと。それ以上でもそれ以下でもありません」
「ごめんなさい。不注意だったわ」
「そうです。ベルの不注意がこれらのバッグにつながったのです。普通に考えれば賄賂です。しかし、事情を考えれば仕方がないことにしましょう」
ベルは深いため息をついた。
「お母様に言った方がいい?」
「いいえ。押し付けられただけの品、しかも不用品。口止め料です。話すということは、口止め料を受け取ったにもかかわらず、話してしまったということになります。どうしても必要という状況になるまで、黙っておくべきでしょう」
「そうね」
「ところでこのバッグですが、全て気に入ったのですか? それとも、あまり気に入らないものがありますか?」
ベルはピンときた。
「欲しいのがあるの?」
「やや興味が惹かれる品があります。時々、貸して貰えますか?」
ベルとカミーラは年齢が近いこともあり、様々なものを貸し借りしていた。
「別にいいわよ。というか、全部は無理だけど、何個かはあげるわ」
「いいえ。これはベルにあげたものということになっていますので、一年経たなければ手放すことはできません。誰かに譲るのも同じです。それと、一番気に入ったものは絶対にベルだけのものにして下さい。それは絶対に貸し出してはいけません。ディーバレン伯爵夫人に失礼です」
「そうね」
そこでドアがノックされた。ジェイルが迎えに来たのだ。
「時間切れです。選んでおいて下さい」
「わかったわ」
ドアを開けると、どこから見ても完璧かつお洒落な装いをしたジェイルの姿があらわれた。
一気に二人の緊張感が高まる。
「迎えに来た」
ジェイルは台車や付近に溢れた箱、バッグを見て目を細めた。
「贈り物が届いたのか?」
「あれはベルのです。見せて貰っていました」
「私も検分したい」
ジェイルはお洒落なことで有名だった。女性用ではあるものの、バッグに興味を持ったようだった。
「部屋に入るのは構いませんが、検分するにはベルの許可が必要です」
「大丈夫です。どうぞ」
ベルは緊張しながら答えた。
ジェイル様がこんなに近くに!
ベルはジェイルの恋人や妻になりたいと思っているわけではない。
しかし、ジェイルの美しい所作、溢れる気品、お洒落であること、何よりもそのダンスの素晴らしさを心から尊敬していた。
周囲の友人達の多くはジェイルに憧れ、本命の男性だと思っている。その影響を受けているのもあって、かなりの緊張ぶりだった。
検分するといったものの、ジェイルは品々を手に取るようなことはなく、軽く見ただけだった。
「ベル」
「はい!」
突然、名前を呼ばれたベルは震えるように返事をした。
普通であれば、イレビオール伯爵令嬢と呼ぶべきである。ジェイルとベルは全く親しくない。
しかし、デーウェンの友好を深める舞踏会でカドリーユを踊るチームが同じになったことがきっかけで、ジェイルはベルを名前で呼ぶようになった。カミーラのことも同じく。
二人共にイレビオール伯爵令嬢であるため、区別が付きにくいというのが理由だった。
「確認する。この贈り物は誰からだ?」
ベルは正直に答えた。
「シャペルです。あまり深くは詮索して頂きたくないのですが……」
本来であればシャペル様、あるいはディーバレン子爵と答えるべきだった。
しかし、二蝶会の会員同士は名前で呼び合うのがルールになる。アルバイトを通じて一緒に行動しているということもあって、ベルはつい名前だけを言ってしまった。
身内やグループ内では問題ないものの、公式の場や親しくない者の前では勘違いされないようにマナーに乗っ取った呼称や敬称を使用するのが正しい。
カミーラはそのことを注意したくなったものの、ジェイルの前だけに何も言わなかった。
「アルバイトの話は聞いている。それがきっかけで、カミーラをエスコートすることになった」
それもそうかとベルは思った。
エスコートの件はシャペルが言い出したことだ。ベルとの事情を話していてもおかしくはなかった。
「黄色のバッグは気に入ったか?」
ベルは素早くバッグを見た。様々な色のバッグがあるが、黄色のバッグは一つしかない。包装紙に包まれていたルジェ・アヴェニューのものだ。
「はい! 気に入りました!」
「よくありそうなデザインだが、それでもか?」
「はい! 素敵だと思います!」
「コートもか?」
ベルは即答した。
「はい!」
ジェイルはカミーラを見た。
「カミーラはどう思う? 率直な意見を聞きたい」
カミーラはテストされているのではないかと感じつつも答えた。
「どちらも見た目は標準的で、似たようなデザインのものが多くあるでしょう。ですが、見る目のある者には、最高級品であることがわかるはず。ある意味、真の眼力があるかどうかを問われる品だと思います。それと、私はコートの襟の部分がとてもいいと思いました。女性のコートには襟もとに毛皮をあしらったようなものが多くあります。確かに温かいのですが、毛が抜けます。ドレスやコート、髪についたら困ります」
カミーラは毛皮そのものが嫌いというわけではないものの、毛皮の毛が抜けてコートや手袋、バッグなどについてしまうのが嫌だった。美しくない。ゴミがついていることになる。
それを自ら手に取って捨てるのは、自らゴミに触れることになる。また、ゴミ箱ではない所に捨てるのもマナー違反だ。かといって、ゴミをつけたままにしておきたくもない。
できるだけ美しく完璧であるように努めることが淑女だと思うからこそ、カミーラは毛皮の抜け毛に対して苛立ちを感じていた。
「こちらのコートはハイネックです。毛皮やマフラーなどがなくても首筋を隠すことができ、しっかりと防寒できます。コート自体がシンプルですので、ブローチをあしらうお洒落にも適しています」
「では、カミーラも悪くないと思ったのだな?」
「私もこのようなコートが欲しいと思うほど、非常に良い品だと思いました。率直に申し上げますと、ディーバレン子爵が自ら見立てたとは思えませんでした」
「わかった。では出かけよう」
「はい。ベル、鍵を渡しておきますので預かって下さい」
「行ってらっしゃい」
カミーラがジェイルと共に行ってしまうと、ベルは大きな深呼吸をした。
「ジェイル様は確かに素敵だけど、物凄く緊張するのよね……」
第二王子も美形だが、その周囲にも美形が多い。しかも、身分・地位・能力・財産など様々なものが揃い踏みの者達ばかりだ。
その中でもベルの周囲で圧倒的な人気を誇るのがジェイルだった。
社交とダンス能力が極めて高く、冷たい雰囲気のする美形で、その言葉は強く揺るぎなく反論する余地がない。まさに完璧な貴公子といった感じの人物だ。
とはいえ、ベルの好みではない。
ベルの好みは第三王子のような爽やかでスマートなカッコいいイケメンだ。
財力しかないような男性、すぐにお金を誇示したり、お金を駆使して物事を進めたりするような男性は嫌いだった。
つまり、シャペルは好みではない。まったく。
「でも、凄いわ……ジェイル様とカミーラがデートだなんて!」
仕事だということを、またもやベルは忘れていた。
「取りあえず、これを片づけないと……私は踊るように片づける侍女モードよ!」
ベルは届いた荷物を自分の部屋に運ぶことにした。




