7話 社畜は斯くしてDQNと朝を迎える 後編
ショッピングを終えた相沢と日向の二人は共に帰宅した。
ベランダから二人で見上げた花火に相沢が感動する中、日向は涙を零す。
日向の心の隙間を埋めるべく、相沢は添い寝をすることに決めたのだった。
1
暖かな陽だまりにいる……。
時折、サラリと風が吹く。
爽やかで穏やか。
心地よい。
うららかな春の陽気。
「ん……」
微睡みから目を覚ました僕は目をこすりこすりしながら、身を起こしあたりを見渡した。
木製のテーブルに椅子。
古いピアノ。
名前も知らない画家の絵が飾られた壁。
どれも見覚えのあるものばかり。
「なんだ……僕の家じゃないか」
僕は一人そう呟き、安堵する。
しかし、すぐに首を傾げた。
ーーなんで僕はホッとしてるんだ?
正体のわからない不安。
いや、どこかはっきりとしないモヤモヤが頭の中をぐるぐると回っている感覚。
そんな妙な気分がどうしても抜けなかった。
「おかあさーん!」
突然の声。
妹だ。
どうやら、母さんはいつもの場所で読書中。
僕も妹に倣ってお庭へ飛び出す。
「母さん!……あっ」
自分が思っていたよりも大きな声が出てしまった。
慌てて口をつぐんだ。
ふふふ。
そんな優しい笑い声が僕の耳に入る。
そちらを見ると、母さんが口に手を当て、笑っている。
僕は少し恥ずかしくなって俯いた。
「司。ほら、こっち来なさい?」
そんな声が聞こえ、僕はパッと顔を上げる。
そこには両腕を広げ、僕に微笑む母さんがいる。
すると、たったそれだけのことで先ほどまでの羞恥心は何処かへ消えてしまった。
ジワリと暖かな気持ちが胸いっぱいに広がる。
「かあさん!」
僕はかあさんに向かって駆け出す。
柔らかく微笑む母さん。
芝生を踏みしめるたびにサクサクと芝生が音を立てる。
その心地よい音に僕の気持ちはさらに高揚する。
ーー数メートル。
その距離が酷くもどかしい。
飛びつきたい!
母さんに抱きしめて欲しい!
そんな強い衝動が僕を突き動かす。
ーーあと、数歩。
もうすぐそこだ!
僕はそれが嬉しくて。
更に強く、早く、駆けようと脚を動かした。
ーーその時だった。
脚がもつれた。
自分の身体が傾いていくのがわかる。
だが、自分にはどうすることもできない。
気がつけば、僕は芝生に顔から突っ込んでいた。
「いてて…………あれ?母さん……?」
擦りむいた膝や肘を庇いつつ、僕は顔を上げたが、さっきまですぐそこにいた母さんが見当たらない。
僕は慌てて、周りをぐるりと見渡した。
いた!
遠く向こう。
泣きじゃくる妹に優しい微笑みを向けている母さんが。
「かあさん……」
声をかけようとした僕。
しかし、母さんの後ろ姿は僕からどんどんと離れて行く。
「母さん!!」
僕はあらん限りの力で叫ぶ。
だがしかし、その声は虚しく響くのみ。
ならば、追いかけようと思って立ち上がろうとする。
だが、動かそうとした足が動かない。
何度も何度も力を込め、動かそうとするがビクともしない。
それどころか、動かそうとすればするほどに母さんは離れていってしまう。
「なんで……だ?」
苛立った僕は歯ぎしりとともに足元を見た。
「え……?」
言葉を失った。
なんと、僕の脚を地面がどろりと沼のように絡め取っていたのだ。
抜けようとすればするほどに沼は僕を引き摺り込んでいく。
恐ろしくなった。
このままではこの底なし沼に飲まれる……!!
見れば、母さんはもうあんなに小さい……。
「母さん!母さん……母さん。かあさーん!!」
僕は叫んだ。
だけど、その声が届かない。
もはや、沼は僕の顔をも飲み込もうとしている。
「かあ、さん……………」
意識が途絶えるその瞬間。
思い出していたのはもちろん、大好きだった母さんの笑顔。
しかし、不思議なことにその時の僕は母さんではない誰かの笑顔と重ね合わせていた。
一体、あの笑顔は誰だったのだろう?
母さんは消え、辺りは真っ暗。
しかし、不思議と安心できる温もりがそばにある。
それに柔らかくて、いい匂い。
今までの不安や恐怖が和らぐ。
だから、俺はそれを手繰り寄せようとした。
むにゅむにゅ
何故だろう?
柔らかな感触が顔全体に。
「かあさん……かあ……」
「……さん……ざわさん。相沢さん……」
遠く向こうで俺を呼ぶ声が聞こえる……。
そのことに安心した俺はもう一度眠りへと落ちて……。
あれ?
ちょっと、待て。
今、俺のこと『相沢さん』って呼んだか?
母さんは俺のことを『司』と呼んでくれていたはず……。
そこまで考えた俺の意識は急速に覚醒していく。
そして、それとほぼ同時に鋭い声が降った。
「相沢さん!!」
「……っ!!なんだ?」
大きな声に驚き、パチリと目を覚ました。
見上げると、すぐそこに日向の顔があった。
「え!?なんでお前がここに……?」
そんな言葉が思わず口を突く。
だって、俺は独身のはず。
妻はおろか彼女さえいない寂しい独身貴族。
それが、JKである日向といっしょのベッドで眠っているなんて緊急事態も良いところである。
寝起きの鈍い頭でパニックに陥っていると、日向はため息を吐いた。
「あの、相沢さん?」
「な、なに……?」
俺が動揺とともに聞くと、彼女は心底呆れたような様子で口にした。
「昨日、相沢さんがいっしょに寝るか?って聞いてくれたんじゃん?忘れたの?」
「え……」
そこまで聞いた俺は、懸命に昨夜のことを思い出す。
昨日は、日向とショッピング行って、コンビニで悩み聞いてそんで……。
そこまで考えた俺はようやくすべてを思い出すことに成功した。
「ああ……思い出したわ。よかった、過ちを犯したかと思ったぞ……」
「そんなことよりも、相沢さん……」
「ん?」
じとっとした目つきでこちらを睨む日向に俺は首をかしげた。
なんだ?
なんか怒ってる?
不思議に思った俺は日向の顔を見ると、彼女の顔がほんのり赤く染まっているように思えた。
それに、困ったように眉根も潜められている。
俺はもう一度首をひねり、自分の置かれた状況を把握するべく視線を下に下げた……。
そこには…………おっぱいがあった。
しかも、その谷間に俺のあごはムニュッと埋もれている。
「な…………!」
俺は慌てて、彼女から距離をとろうとするが、何かが引っかかり右腕が抜けない。
「あ、あれ?これどうなって……」
ふにゅふにゅとした感触が腕に伝わる。
「ちょ、ちょちょっと待って!動かさないで!!」
「あ、すすまん!」
日向が顔を真っ赤に叫んだので俺はピタリと動きを止めた。
「もうっ、手が掛かるんだから……」
そう呟くと、日向は自分のパジャマに手を入れ、ゴソゴソと探る。
ちらりとおへそが見えている。
俺はできるだけそちらを見ないよう、天井を仰ぐ。
「ほい。できた」
そう言うと、彼女は自分から少し離れた。
すると、俺の腕はするりと抜くことができた。
まだ、腕に柔らかな感触が残っているように思えた。
「なんかすまんな」
「ほんとだよ……まさか、ブラ紐に腕が絡まるなんて思わなかったよ……」
困ったような日向の声。
恥ずかしさのあまり彼女の顔を見ることができなかった。
微妙な空気が流れていた。
しかし、それも少しの間だけで……。
「でも、まさか相沢さんがあんなに甘えん坊だったなんて意外だなあ~?私に抱きついて「母さん母さん」って顔をこすりつけてきたから私困っちゃったよお~?」
と、日向がからかうような調子で言う。
俺は何も言えない。
すると、彼女はズイッと顔を寄せてきた。
「相沢さん。私がナデナデしてあげよっか?」
「はあっ!?」
俺はそう叫んだが、日向はすでに「よ~しよし。良い子だね~」とからかい満点な声で俺の頭を撫で出す。
「屈辱だ……」
「へへへ……相沢さん可愛い……」
よだれでも垂らしそうなほど口元を緩めて俺の頭をなで続ける日向。
JKに慰められる二十八才。
酷く惨めで屈辱的だ。
だけど、こいつのこの顔を見ていると少し。
ほんの少しだけ「これでもいいか」と思えてくる。
俺はしばらくの間だけ、ジッと彼女の優しい手つきに身を任せ、心の中に広がるほのかな暖かみを感じているのだった……。
2
とまあ、こんな感じで俺は日向に弱みを握られ、今に至るということだった。
だから「母さん」というキーワードを出されると、恥ずかしくて死にたくなる。
しかし、彼女は人をからかう事に関しては容赦を知らないらしい。
テーブルの向かい側に座る日向は、悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言い放つ。
「もしかして……相沢さんって結構マザコン?」
そう聞いてくるので俺は即座に否定する。
「違う!断じて違う!俺はマザコンじゃない!!」
「いや、そんな本気で否定しなくても……。冗談じゃん……」
日向に白い目で見られた。
死にたい……。
「でもさ、どんな夢見てたの?スゴイうなされてたよ?」
少し心配そうな瞳でそう聞いてくる日向。
「え?どんなって……いや、別に良いだろ。こんな話」
さすがに、恥ずかしいので俺はぶっきらぼうにもそう突き放してしまう。
しかし、彼女はなぜか引かなかった。
「良くないよ。だって、あんなにうなされてる相沢さん初めて見たもん。そりゃ心配にもなるよ」
真剣みを帯びたその瞳に俺は一瞬気圧された。
だが、それを自覚したと同時に「JKに心配されるなんて俺はどこまでなさけないんだ」という思いがメラッと燃え上がってしまいつい。
「お前には関係ないだろ?」
と、冷たい言い方になってしまった。
あまりに冷たいその言葉に俺はハッとして、日向を見た。
しかし、時すでに遅し。
日向はくしゃりと顔を歪め、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見つめる。
「ははは……関係ないか……相沢さんにとっての私はまだ『赤の他人』なんだね……」
何かを諦めてしまったかのようなその声を聞くと、ずきりと胸の奥が痛んだ。
このままではいけない。
そう思った俺は言葉を紡ごうとしたが。
「いや、違う。今のはそう言う意味でいったんじゃ……」
「ううん。いいよ。ありがとう。じゃあ、私もう帰るね?」
そう言って立ち上がると、荷物を持った日向。
「お、おい!日向!」
「ばいばい。相沢さん……」
短くそう告げると、日向は玄関から飛び出して行ってしまった。
部屋に一人、呆然と立ち尽くす。
「今のは完全に失言だった」と今になって後悔する。
最悪だった……。
そんな「後悔」と「自責の念」渦巻く中、会社用携帯のメール着信音が鳴り響く。
おぼつかない足取りで携帯を取り、開く。
そこにあったのは「佐伯先輩」の名前。
メールを開くとそこには。
「休日中ごめん。ちょっと今暇?会社の方でトラブル。見たら、折り返し連絡ちょうだい。」
という簡素な文面。
それを読んだ俺はまだ気持ちの整理が色々と付いていなかったが、がしがしと頭を掻き、スーツへと袖を通したのだった……。
更新遅くなりました。
大学の方が少し忙しかったので、すみません。
これからも週に一回ぐらいで更新していくつもりなので応援よろしくお願いします!