10話 社畜は斯くして後悔す。
家を飛び出した日向を気にする相沢。
だけど、佐伯先輩からの突然の着信によって相沢は会社へと向かうのであった。
「遅〜い!」
手を腰に当て、ムスッとした顔でそう叫ぶ我が上司に俺は後ろ頭をぽりぽりと掻きながら「すみません」と頭を軽く下げた。
これでも自分なりに誠意を見せたつもりだが、彼女の怒りは全く冷める気配すらなく、叱責が飛ぶ。
「もう!なんでいつもみたいに呼んだらすぐにこないのよ!いつもなら、3秒で飛んでくるはずじゃない!?」
「いや、そんな無茶な……それに一応今日俺休日ですよ?佐伯先輩」
「そんなこと知らないわよ。だいたい我が社の社員に休日なんてあると思ってる事が大間違い。休めば私たちの会社に明日は無いと思いなさい!」
「…………」
無茶苦茶すぎて声も出ない。
もうおわかりいただけただろう。
そう。
この横暴極まりない物言いの女性こそ、先ほどの電話の主にして、俺の上司「佐伯先輩」である。
彼女は俺よりも二個上の先輩で、今年で三十になるはずである。
見た目は、二十歳といっても通じそうなぐらい若々しく、美しいのだが、その口は想像を絶するほど悪く、とんでもない罵声暴論悪態をはき出す。
そして、彼女、一体誰が言い出したのか、付いたあだ名が「毒リンゴ」。
明るい赤みがかった髪とその美しい容貌に引かれ、近づいたら最後、その毒にズタズタにされることに由来するようだ。
事実、多くの新人は彼女によって毎年ボッコボコのメッタメタにされ、泣きながら退職していく。
しかし、だからこそ、この会社は少数精鋭で、他社とは比べものにならないほどの生産効率を誇っていることも事実であるのではあるが……。
と、そこまで考えたとき。
「ねえ!聞いてるの!?」と、佐伯先輩がズイッとその整った顔を近づけてきた。
フワリと良い香りが鼻孔をくすぐる。
それに、若干前屈みになったその姿勢では、彼女の大きな胸が更に強調され刺激が強すぎた。
なので、俺は首を後ろに引きつつ応える。
「聞いてますよ。で、なんですか?」
「はあ……全然聞いてないじゃない。まったく……君ぐらいよ?この会社で私に向かってそんな態度取るの」
額に手を当て、ヤレヤレと言った態度の佐伯先輩。
「まあそうでしょうね。でも、こっちも休日出勤なのでしょうが無いですよ。お互い様です」
「ま、そういうことにしとくわ。相沢君、仕事はできるしね?」
パチンと綺麗なウィンクを決める佐伯先輩に、俺はドキリとしながらも「そっすね。多少は」とそっけなく応える。
俺の不遜なその言葉を聞いた佐伯先輩は「ふふっ」と鼻に掛かったような笑い声を上げ。
「なら、存分に発揮してもらうわよ?その力」とほほえみを浮かべるのであった……。
「ああ……疲れた……」
なんとか仕事が一段落した俺は、凝り固まった首をぐりぐりと回す。
デスクワークにも慣れ、仕事も早くなった俺だが、ずっとこの肩こりには悩まされている。
入社したてのころは肩こりなんて我慢できると思っていたが、二年目ぐらいに酷い頭痛になり医者に掛かると「肩こりの酷さが原因」と言われ、それ以来ずっと、この教わったストレッチを行っている。
一通り、肩周りをほぐした俺はデスク上にあるスマホに視線を落とした。
通知はなし……。
日向にあのあと、LINEを入れているのだが、返信は返ってこない。
――日向には悪いことをしたな……。
今日の朝の一件は明らかに俺の失言だった。
家庭のことで悩んでいることを知っていながら、自分の一時の感情に流されてあんな発言をしてしまうなんてうかつにもほどがある。
俺が突き放してどうするんだ!と時間を巻き戻して自分に言ってやりたい……。
後悔と自責の念に唇をかんでいると、突然肩をポンポンと叩かれた。
「相沢君どうしたの?」
「わっ……ああ、佐伯先輩ですか」
「なにそんなに驚いて?」
俺の驚きように目を丸くした佐伯先輩。
やばい、考え事していたせいで変なリアクションになっちまった……。
とにかく、自然にいつもの自分になろうとする。
「いや、別に驚いてはいないですよ」
「いやいやいや!今の驚いてないとか。ビクン!ってなってたよ相沢君!」
手を横に振り、クスクスと楽しげに笑い声を上げる佐伯先輩。
先輩がこんなに笑っている姿があまりに珍しい光景で、俺は何も言えず見惚れていると、彼女は目元に浮かんだ涙をぬぐう仕草を見せながら言った。
「はあ……面白すぎる。相沢君芸人になったら?」
「先輩、笑いすぎです」
「あはは、ごめんごめん。でも、おもしろくってさ」
笑う彼女にあきれまじりのため息をつくと、佐伯先輩はニコリとして、サムズアップする。
「よし!今日はお姉さんが遅めの昼食を君に奢って差し上げよう!さっ、立ってたって!」
「おわ……ちょちょっと待ってください」
スーツの袖を引っ張り、無理矢理連れて行こうとする佐伯先輩に、俺は声をかけるが彼女は勿論、聞く耳なんて持っていない。
「よし、今日は私がおすすめのラーメン屋に連れて行くことにするよ!」
「はあ……もう好きにしてください」
今日何度目とも知れない哀れな社畜のため息が生ぬるい初夏の風に運ばれていった。
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