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歩く狂気

罪業

作者: 一齣 其日

「人殺しは罪ですか」

血に濡れた手をさげて、男は呟く。

彼の足元には血だまり。

そして赤く沈むは人の残骸。


「人殺しは……罪です、か」


血だまりに膝をつき、自らがこの手で作り上げた死骸をこの手に取りながら、男はもう一度問う。

ねっとりとした血の感触と、肉の臭みが男の手に絡みつく。一生取れやしない枷として、絡みつく。


「人殺しは、罪です……か」


問いかけは、未だ尽きない。

しかし、「人殺しは罪ですか」などと言うが、これが罪だということは重々承知している男である。

かつてニュースで見た殺人事件のニュースには怒りを覚えたし、その犯人は死刑になって当然という価値観を幼き純真な子供だったかつては確かに持っていた。確かな本物だった。

しかしながら、今となってはその価値観は何処へやら。ふとしたきっかけで人を殺し、あろうことがそこに快楽を見出し、そして人を殺し続ける殺人者となってしまった。もはや殺人をしない自分の記憶など思い出す事も叶わない。

いくら殺しがダメだといっても、その殺しをやめられぬ自分。かつての自分の価値観ならば、自分は死刑になって当然という殺人犯になっているではないか。殺した人間の体をバラし、その血と肉を眺め見て愉悦を感じる外道の一人になっているではないか。

もはや理性で自分を抑えることさえできず、殺しを次から次へと続けている。十字架は重くなるばかりなのは理解すれど、快楽がその理性を忘れさせる。


自分はとうに、生きていていい存在ではない。さっさとこの手で決着をつけるべきである。


いつしか持った結論も、結局実行無し得ぬままに今の今まで生きていた。


「……聞くまでもなかった、もうすでに……私は、罪深い人間です、から」


「いいや、そんなことはないさ」


その言葉と共に現れたのは、一人の男だった。死体と血溜まり、そしてそれを作り上げた張本人を前にして、驚くわけでもなく引くわけでもない。ただ、ニコニコとした笑みを浮かべて、現れた。

そんな人間を前にしても、血溜まりの中の男は逃げるわけでもなく、口封じに殺すわけでもなく。むしろ、この場で通報されて捕まった方が、この罪から解放されるのでは、などと淡い期待すら浮かべる始末。

しかしながら、彼の期待とは裏腹に男は通報するそぶりはサラサラ見せなかった。むしろ、その状況をいたく観察している様子。


「……通報、しないんですか」


痺れを切らした男は、自ら通報を勧める始末である。しかしながら、彼はその言葉に一瞥すらしない。ただ、呆れたように一言吐く。


「いや、はじめに言わなかったかな? 君は決して罪深い人間などではない、ってね」


その言葉を、男が理解できるはずもなかった。

どうやら納得がつかないようだね、と彼は再び笑って見せた。しかし、その顔は終始一貫して無機質なものだった。

「僕は、十分罪深いですよ。こんな、殺しを起こし続けているんだから」

男は、自嘲するように言った。

だが、今度はその言葉に眼前の男は納得し得ない顔を見せる。まるで、先程の彼のような顔だった。

「貴方、どうしてそんな顔をするんですか。こんなこと、火を見るよりも明らかじゃないですか」

「いやね、まあそうだとも。常識的に見ればそうだとも。けれどね、僕は昔からこう思うのさ。……何がどうして殺しが悪いという風潮がまかり通っているんだろう、ってね」

無機質な表情に、一層の冷たさを覚えた瞬間であった。それが、顔に出てしまっていたのか眼前の男は、そんなに僕は怖がられるものなのかな、と冗談めかす。

「でもそうだね、この場は安心して欲しいところなんだけどね。僕は君の邪魔をするわけでも無く、通報するわけでもないし。何より、今この場では君が警察に捕まらない手筈を整えることは可能さ」

「……そんなこと、信じられませんよ。むしろ、はっきり通報して警察に逮捕させる、って言った方が信じますし……」

「自分にとっても、それが望みである、と?」

……男は、こくりと頷いてみせた。

「……私は、もう限界なんですよ。これ以上殺しを快楽として続ける自分が、許せなくてしょうがない……。だから、もういっそ誰かに裁いて貰いたい……」

「そんな、罪の意識に苛まれる必要なんてどこにもないのに、君はきっちり人間のルールに則っとろうとするんだねえ」

「ルールとかじゃないんですよ。……そもそも、人を殺した時点でいけないでしょう……大切な命を、奪ったわけですから」


彼はなおも愚直に己を責め続ける。それが、償いなのだとでも言わんばかりに。

だが、どうだ。その償いは償いとなっているのか。償いは、ただの自己満足でしかないのではないのか。

彼は、口を開きながらも、いまだに迷い、そして惑う。


「何をそんなに自分を責めるんだらうね、君は。僕にはどこがいけないかわかんないけれどね。そもそも、君の言う道徳や、倫理観ですら、結局は人が決めたルールでしかない。人がこれはいけないと心がけてきた無意識のルールでしかないのさ。そのルールだって、元はなかったものなのさ。元々をなかったものを守り続ける、あまりにも滑稽じゃないか」


その男の言葉は、今の今までの彼の迷いも惑いも、無に帰すものだった。

それはまさしく、男の今までの葛藤も、良心も、何もかもを無駄だという事に等しかった。

しかし、男はそれに反論できなかった。反論の言葉を見つけることは、できなかった。

そして、言葉は続く。


「人殺しなど、して当たり前だったのさ。見てみなよ、人は戦争で何人も殺すんだ。罪とか何も関係なしにね。ならば、君が誰を殺そうとも、同じことではないかな?」

「いいや、違う……それは、ただの……ただの……」

男の口からは何一つの言葉も出なかった。


何かを言ってやりたい。何かを……!


そうは思えど喉の奥から言葉は一つも浮かんで来ることは、とうとうなかった。

そんな男に呆れたのか、彼は溜息を一つ吐く。

「まあいいさ。君がそこまでして警察に捕まりたいなら、勝手にするといい。でもね、僕はこう思うよ、君は警察に捕まったところで、人殺しなんかやめることはできないとね」

「そんなことは……」


無い。


その二文字を彼が口にすることは、とうとうなかった。


「……何も言えないみたいだね。それが何を意味するのかは、まあ知らないけどさ。じゃあ、僕はここでお暇させてもらおうかな。またいつか会えたらいいね。君が覚えていてくれたらの話、だけどさ」


そんな台詞を残して、男は目の前から去って行った。最後に、まるで彼のその先を見通したような笑みを見せながら。

男は、そんな彼をただ見送ることしかできず、そして彼同様にその場から立ち去ろうとは、しなかった。血溜まりに沈み続け、自らが作り上げた屍を眺め見ることしかできずにいた。


その後、男は警察に捕まった。かの男が彼の前から消えた数時間後に警官に踏み込まれたらしい。

しかし、立証できた殺人はその時行なっていたものただ一つだった。自白してしまえば、そのまま立件されたはずの殺しも、結局彼は口にすることはなかった。

その後、裁判にかけられ、男は何年かを刑務所の中で過ごし、そして娑婆に再び顔を表した。今度こそ、真人間としてこの生を謳歌する時がきた。

そんなことは、なかったのだ。


「ひところしは……つみです……か」


彼はいまだに血溜まりの中に、その身を堕としていたのだから。


結局、一度舐めた快楽に抗いようがなかったのだ。甘い果実は次から次へと食べたくなるように、彼もまた次から次へと、人殺しをしなくてはやっていけなかったのだ。

それを数年、止められたせいで、彼はむしろ殺人欲を止められなくなってしまった。罪の意識が、過剰なまでの欲を彼の中に生み出した。

こうなってしまえば、もはや遅い。出所してからの殺しは、以前よりも激しくなった。もはや、死体を隠すこともなく、ぐちゃぐちゃに壊してそのままという始末。捕まるのもそう遠くはないと思うが、もはやこの男にとってはどうでもいいのかもしれない。

なにせ彼は、獣となってしまったのだから。罪の意識と快楽が見事に存在し、もはや人間らしい姿はどこにもない。

ただの一匹の獣がそこにいた。


「全く、だから自分に素直になればよかったのに、ねえ」


無残な獣を眺め見て、男はくつくつと笑う。


惨劇は今夜もまた起こる。

獣による、惨劇が。

奴を止めるものは、どこにもいない。


嗤う者なら、そこにいる。

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