魔法の射手その8
「はあ、凄く良かったよ。どうでも良い話するけどさ、今、あたし、乳首立ってるよ」
「ありがとうございます。因数分解と同レベルで、どうでも良いお話でした」
テツはそのまま部屋を出て行くと、今度は玄関の扉が乱暴に開かれて、来客と呼ぶにはあまりに強引な客人が現れた。
「帰ったぞ。優はいるかぁ?」
その場にいる人間全てを威圧するかのような、野太い声とともに、階段を上がって来る音が聞こえる。優の保護者代わりである、叔父が一ヶ月ぶりに、家に戻ったのだ。
「うう、やば」
ゆう、そして優にとっても厄介な相手の帰還に、彼女は、すっかり意気消沈してしまった。しかし、彼女にはいざという時の秘策がある。それは、人格を強引に入れ替えてしまうことだ。つまり、今こそ、男の優を表に出して、自分は引っ込む時なのだ。
「うう・・・・」
全身の力を抜いて、ゆうはその場に俯せに倒れた。そして、数秒後、優が目を覚ました。
「え、あ、嘘でしょ」
優は自分の格好を見て驚いた。女物の白のブラウスに、スカート、これでは完全に変態だ。
「な、何なんだよ」
昔から、こういうことが度々起こっていた。しかし、テツも叔父も、何も言ってはくれなかった。ただ、カウンセリングを受けても、薬を飲んでも、何も変わらず、突発的に意識を失う病気は、決して珍しいものでは無かったが、彼の場合は、知らない間に別の場所にいたとか、今のように着替えていたなど、夢遊病のように、自分が寝ている間に、自分が勝手に動くという現象をよく味わっていた。特に最近は頻度が増えており、これには、馴れない環境という、心に負担を掛ける要素が多いからだと、彼なりに納得していた。
「ヤバイ、ヤバイ」
優はあたふたしながら、とりあえず、服を脱いで、元の制服に着替えようと試みた。しかし、時すでに遅く、襖が乱暴に開け放たれ、彼の一番見られたくない姿を、叔父に晒すこととなってしまった。
「優、久しぶりに帰ったぞ」
「あ、うん、おかえり」
叔父は何も言わない。しかし、何かを理解しているように、深く頷くと、一階の広間、つまり、最近はほとんど使うことの無い、叔父の書斎に来いと告げて、さっさと階段を降りてしまった。
「待って、話って何さ」
「お前にでは無い。ゆう、お前だろ。優に隠れて無いで、出て来い」
「な、何言って・・・・う・・・・」
優は壁に背中を預けたまま、床に寝そべると、髪が背中まで瞬時に伸び、全身が丸みを帯びた。胸と尻に出っ張りが生まれ、この歳にして、完成されたプロポーションが姿を現した。
「クソじじい、久しぶりだね」
「クソ娘、お前こそな」
二人は互いの顔を見合わせて、不気味にほくそ笑んでいた。
「そろそろ、お前にも当主になるための、修行をしてもらうぞ」
「修行って、少年漫画の見すぎだぜ。それに、当主はあたしじゃない。主人格様の方だろ。あたしは無関係だ」
「ああ、無論、貴様は優のもう一つの人格に過ぎん。しかし、悲しいかな、男子の優には、当主としての素質が無い。奴は、この世界で生きるには優しすぎる。そこでだ、お前に当主になってもらいたい」
「バカな、あたしには戸籍も無いんだぞ。性転換しましたって、誤魔化すのか?」
叔父は興奮気味のゆうを宥めながら、話を続ける。ここからが本題のようで、いつも以上に真剣な眼差しで、彼女を見下ろしている。
「お前の戸籍なら用意できる。お前はどういうわけだか、主人格である優に日常生活は任せ、時々、ひょっこりと姿を見せているな。それを止めろと言ったのだ。今から、お前は人格を入れ変えることなく、生活してもらう。明日からは女子生徒として、お前が主人格になるのだ」
「無理だ。あたしはコイツの一部でしか無い。コイツが作り出した仮の存在。あたしは人じゃないんだ」
「否、お前は人だ。檜山家当主足りえるカリスマと強さを備えたな」
「黙れ、少し前まで、あたしを消そうとしてたクセに、ずっと見てたんだ。コイツの中で、お前らがコイツにカウンセリングしたり、精神薬を飲ませたり、あたしという存在を病気扱いして消そうとした」
ゆうは叔父を押し退けて、階段を降りようとした。しかし、すぐに右腕を掴まれて、強引に床に転ばされる。こうなると、ゆうは何もできなくなる。ただ、大人の強さを思い知らされ、大人しくしているしか無い。
「痛い、痛いよ、放して」
「放してやるから、話を聞け」
叔父は乱暴に手を放すと、倒れたままのゆうに唾を吐き捨てるように、話を続けた。
「優は、きっとこの家にいたら不幸になる。アイツは普通の家庭に生まれて、普通にカタギとして生きるべき人間だ。だから、奴を苦しめないためにも、檜山優という男を、お前の心の奥底に、永遠に沈めておけ」
「勝手な話だ。あたしは無関係だ」
「何が無関係だ。優が転校を繰り返しているのは、他ならぬ貴様のせいではないか」
叔父の言葉は核心を突いていた。その証拠に、ゆうは口元を固く結んだまま、何も言えないでいる。
「何か言え。言い訳を聞かせろ」
「あたしは、アイツを護るためにしたんだ。アイツは学校で苛められていた。元々、苛められていた奴がいたのに、そいつを庇うから、皆で無視することになっていたはずなのに、声を掛けるから、次の苛めのターゲットに選ばれちまった。苛められている奴なんて、放って置けば良かったんだ。案の定、そいつは転校して、残された優は、もっと酷い苛めにあった」
ゆうは自分を庇うように、両手で自分を抱き締めていた。それだけ、彼の中で見て来た光景は辛かった。まして、実際にされている本人がいかに苦しかったのか、想像に難くない。
「アイツはバカだよ。優しすぎるんだ。人の良いところばっかり見て、悪いところに目を向けられない。だから、いつも損をする。あたしがいてやらないと、アイツは不幸になる。騙されて、正しいことをしているのに、一番苦しむんだ」
「分かっているではないか、その肩の荷を降ろせと言っているのだ」
「アイツが消えたら、あたしの存在価値は無くなるよ」
ゆうは言いながら、瞳を涙で潤ませていた。