蠢く者
悠は目を覚ました。どうやら、ここは町外れにある港の倉庫の中らしい。何故、こんなにも彼女が、この場所に詳しいのかと言うと、それは、来たのが初めてではないからだ。それはさておき、今、目の前には、操が仰向けに眠っている。寝息を立てて、実に呑気なものだ。
「ふう、操、操ったら」
操の身体を揺すり起こすと、彼女はまるで猫のように飛び退いて、悠から距離を離した。そして、ガクガクと震えながら、解読不能な言葉を発しながら、怯えていた。
「ちょ、ちょっと、操?」
「きひゃあああああ、あが、ごごごごごごご」
白眼を剥きながら、口から泡を溢れさせながら、操は痙攣していた。
この異常な状況に、悠は意外にも冷静だった。そして、場の状況を静かに考察する。
「ピルソーダね」
ピルソーダとは、向精神薬の一種である。そう、車の中で、二人はピルソーダと同じ成分の液体を、腕に注射されている。この薬はまだ、認可が下りたばかりであるが、色々と問題点が多かった。一つは依存性である。そしてもう一つは、薬を止める際の、離薬症状の異様な強さである。また、一度に多量接種すると、幻覚を見たり、心臓発作の原因にもなるという。
「なるほど、私はこの薬を毎日飲んでいるから、多量に注射されても、大した副作用は無い。でも、操は初めてだった。それ故に、こんなにも激しい症状が出たのね」
ピルソーダ、こんな過激な薬が、平然と日本で流通していることが信じられない。しかし、用量、用法さえ間違えなければ、ちゃんとした治療薬なのだ。そして、ピルソーダを主に取り扱っているのは、市内にある欅病院である。何年か前に、勤めていたナースが、麻薬取引をして、摘発された、あの忌まわしき場所が、またも、事件の引き金を引くことになるのか、悠には分からない。
陰謀の予感
欅病院には、地下室が存在している。そこは、言うならば巨大な倉庫か核シェルターのような、無機質な場所だった。地下室には、まるで、蟻の巣のように、廊下が迷路のように連なり、それぞれ、小部屋がいくつか存在していた。若者達からは、この地下室の存在は、都市伝説として知られており、中で、死体洗いのアルバイトをしているとか、そんな噂が常に飛び交っていた。さて、死体洗いについては、不明瞭であるが、確実に言えることとして、地下室はあるのである。
「あの、これで良いんですよね?」
見るからに気弱そうに見える、若いナースが、黒服の男達を前に怯えている。
「おうよ、これで万事解決だ」
黒服達は、山積みになっている、ダンボールの箱を眺めながら、機嫌良さそうに振る舞っていた。
「麻薬の取引とは違うからな。くくく、表向きは向精神薬だ。しかも麻薬よりも安価で、大量に生産できる。全くクライアントも大層なビジネスを考えたものだ」
黒服のリーダー格らしき男が、腕を組んだまま頷いている。そう、ここに積まれているダンボール箱の中には、多量の、向精神薬であるピルソーダ-が収納されている。ピルソーダ-は少量ならば、神経系に作用する向精神作用を持つ治療薬であるが、規定量を越えて摂取すると、幻覚や陶酔感など、麻薬に似た効力をもたらすのである。その上、この薬品は日本でも認可されている。それゆえに、法の網目を掻い潜って、取引が可能なのだ。
「さてと、これで、あんたの役目は終わりだな」
黒服の男達はニヤニヤと、互いに顔を付き合わせて笑っていると、突然、懐から拳銃を取り出して、そのナースの額に銃口を付けた。
「ひっ、嫌、そんな、助けて・・・・」
「勘弁しろよ。恨むなら、あんたを取引に利用した、院長を恨みな。ここでのことを、表沙汰にされると、流石のまずいのでな。口を塞がせてもらうぜ」
瞬間、パンッと火薬の弾ける音が、地下室に響き渡った。