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不幸の日記

次の日、楓は珍しく早起きをして、母の三面鏡の前で、笑顔の練習をしていた。最早、誰も使用することの無い三面鏡も、彼女が使えば、そこには何の悲壮感も無い。


「ご機嫌ね。楓」

「あ、マリアおはよう。だって、ようやく幸せを手にしたんだもの。私は今日から、学生生活を謳歌するわ」

「まあ、落ち着いて。まだ夏休みよ。これから学校にでも行くつもり?」

「行かない。ただ、ちょっとお散歩でもしようかと思って」

楓はそう言うと、まだ死臭の消えない廊下をものともせず、元気良く外に出た。


「あら、楓ちゃんおはよう」

「あ、おはようございまーす」

元気良く挨拶してみる。相手はいつも、回覧板を届けてくれるおばさんだ。母がよく外で立ち話しているので知っている。

「あ・・・・」

楓は足を止めた。そして、ゆっくりと振り返る。ハハガシッテイル。アノオンナ、コレカラドコヘムカウツモリダ。

「あの、おばさま」

楓は慌てて、少し小太りの中年女性の前を遮る。

「あら、どうしたの。おばさん、これから楓ちゃんのお母さんに用があるの」

「あははは、回覧板なら、私が届けます。だから、その、大丈夫です」

よもや、帰れとは言えない。しかし、伏兵は以外なところに潜んでいたものだ。母は普段は仕事で忙しいから、近所付き合いもロクにしていない。しかし、その中でも、この中年女性だけは、別だった。母と波長が会うようで、この閑静な住宅街で、まるで田舎のような付き合いをしている。下手すれば、家に上がり込んでくることも珍しく無い。


「さあ、おばさんは行くからね」

「はい・・・・」

これ以上引き留めるのは難しい。だから、この場を乗り切るためだけの言葉を楓は放った。

「母は仕事です」

「え、いつも水曜日は休みだって・・・・」

「そ、それが、同僚の方が風邪で、代わりに出ることになったと・・・・」

「あら、そうなの?」

おばさんの訝るような視線が、楓を追い詰める。しかし、嘘だと思うならば、実際に家へとくれば良いのだ。そうすれば、誰もいない、もぬけの殻と分かるはずだ。


「そうなの。実はさ、昨日、おばさんね。その聞いちゃったのよ。楓ちゃんのご両親の怒鳴り合う声が・・・・。それで、その、心配になっちゃったの」

「そうですか。あはは、ごめんなさいね」

「いいえ~、あなたの謝ることじゃないわ」

「はぁ」

楓は目の前にいる、肥えた醜い女に憎悪を感じた。この女は、人の家の夫婦喧嘩をオカズにしてやがる。コイツは人の不幸を喜んでいる。そして、母が昨日の一件でどれだけ傷付いたのか、推し量るために来たのだ。何て非道なことか。楓はそれだけで、この女を殺したくなった。


「あははは、父も母も短気だから」

「無理も無いわ。お父様、ずっと定職に就いてらっしゃらないんでしょう?」

「っ・・・・」

中年の女性は、それだけ告げると、楓に回覧板を渡して、踵を返して、元来た道を歩いて行った。

「くっ」

黒鬼がまた大きくなるのが分かった。あの女を永遠に黙らせてしまおうか、楓は下唇を噛み締めて、しばし、立ったまま、身体を小刻みに揺らし、衝動とも呼べる感情を必死に押し殺していた。


「そ、そうだ。今はそれどころじゃない」

楓は我に返ると、優の家へと向かった。

「優、いるかな?」

ただの散歩のつもりが、いつの間にか、優の家へと足を運ぶ、楓がいた。そして、彼の家に到着し、インターホンを押す。

相変わらず大きな家だと、楓は思わず嘆息した。きっと、彼は良家のお金持ちなのだろう。そうでなければ、こんなに広い庭はありえないし、不思議なことに、この家には、使用人が何人もいるのである。


「はい、おたくどちら様?」

無愛想ないがらっぽい男の声に、少しだけ威圧される。

「あの、私、優君のクラスメイトの松嶋ですけど、その、優君は家にいますか?」

何とか用件を伝えることができた。すると、声の主は低く唸ると、申し訳無さそうに言った。

「すいやせん。坊っちゃんは、その、別のクラスメイトの方と、遊びに行かれました。確か、棗さんと仰いましたか」

「え?」


瞬間、楓は立ち眩みを覚えて、その場に膝を付きそうになった。頭の血管がピクピクと脈打ち立ち、呼吸が乱れて行く。

「あ、わ、分かりました。どうも、すいません」

楓はその場から立ち去ると、まだ、インターホンからは声が聞こえていたが、とてもその場にはいられず、無視をした。

「ああ、ありえない。椿ちゃんが消えて、不謹慎だって、棗ちゃん言ってたもの」

楓は震える声で何度も繰り返した。もしかしたら、全く別の用件かも知れない。椿ちゃんの捜索を二人でしてるのかも知れない。そう希望的な観測が脳内を過ったその時、それを傍らでずっと見ていたマリアが、彼女の耳元で囁いた。


「嘘よ。未来から来た私は知っている。あの娘はあなたを出し抜こうとして・・・・」

「うっさいなぁぁぁぁぁ。分かってるよぉぉぉぉぉ」

楓は叫んだ。そして、自分の中にある甘えを殺すように念じた。

そうだ、甘えるな。このまま黙っていれば、何のトラブルも無く過ごせるだなんて、逃避は止めろ。奴は私を裏切った。それ以外に何の理由がある。シンプルに、彼女は優が好きだった。だから、私が邪魔だった。それゆえに、私を、椿ちゃんを利用して、優君から遠ざけようとしたんだ。楓の思考が恐ろしいほどにクリアになっていく。


「棗ちゃんは、お母様が離婚して、再婚した義父と上手く行ってないんだっけ。だから、私は彼女に同情した。しかし、それでも、して良いことと、してはならないことがある。彼女は許せない。そして、優君も、彼女を横暴を許して来た、櫻ちゃん、公平君も同罪だ。ねぇ、マリア?」

「何?」

「私を今こそ、魔法界に連れて行って。もう、こんな世界は嫌なの」

「うふふ、良く言ったわ。でもね、一つ条件があるの。魔法界に行くには、この世の未練を全て立ち斬らねばならない。だから、あなたには仕事がある」

「それって・・・・」

「今、あなたが考えていることよ。そうよ、流石私。分かってるじゃない。今こそ、儀式を執り行うの。あなたの未練である、四人の生け贄の命を、私の前で散らしてみせなさぃぃぃぃぃぃ」

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