乾いた日常
楓は自室に籠り、ベッドにうつ伏して寝ていた。
一時間前、椿の母親から電話が来た。どうやら、娘が帰って来ないらしい。プールから椿の家まで、2キロほど、途中に裏道の類いは無い。人通りは少なく、閑静な住宅街という表現がぴったりの場所だ。あれから、椿の直前まで一緒にいた公平に連絡したしたところ、刑事に絡まれて、そのままパトカーに乗ったとのこと。
「ホント、非常識」
警察のクセに、皆の模範であるべき存在のクセに、一人の少女を2時間も拘束し、家族に連絡すら取らないなんて異常だ。
「楓ちゃーん、帰ったよぉ」
ガチャガチャとドアノブを捻る音が喧しく聞こえて来た。楓は溜め息を吐くと、そのまま、ゴロリと寝返りを打った。
「あなた、楓の前で止めて下さい」
「うるせぇ、俺は楓に話してんだ」
酔っ払った父と母が言い争っている。楓はいつものことだと思いながらも、これに慣れることは無かった。思えば、父親がリストラという憂き目に遭ってから、全ては狂い始めたのだ。
母はパートで毎朝、始発の電車に乗って、仕事場へと向かう。そして、父は昼頃に降りて来て、朝と昼を兼ねた食事を取る。そして、無精髭を生やしたまま、フラフラと冷蔵庫から、日本酒を取り出して、らっぱ飲み。もし、そこに日本酒が無ければ、途端に不機嫌になり、仕事から帰って、疲労した母を怒鳴り付け、時には手を出す。そんなに飲みたければ、自分でコンビニにでも行って、買えば良いのにと、楓はいつも思うのだが、父はそれをしなかった。
しばらく物思いに更けていると、突然、机の引き出しがガタガタと小刻みに揺れ始めた。
「嫌、ダメ。出て来ないで」
楓は引き出しの中に眠るソレが、外に出て来ないように、必死に両手で引き出しを閉めたまま、力を込めた。
「うう、抑えなきゃ・・・・」
心頭滅却すれば火もまた涼しというが、今の楓はまさに、それを見習った。眼を閉じて、深呼吸する。すると、心の中にあるモヤモヤとした感情が消えて行き、頭の中がクリアになるのが分かった。同時に、引き出しの揺れが収まり、ようやく、手を放すことができるようになった。
「大丈夫、辛いのは家の中だけ」
楓は携帯を取り出すと、素早く優にメールを打った。内容はシンプルに「明日、暇?」である。何故、このようなメールを彼に送ったのか、楓自身、良く分からない。しかし、これがただの暇潰しでは無く、優という異性に会うことへの期待であることだけは分かった。自分が優に恋していると気付くには、まだ楓は精神的に未熟だった。
不吉な知らせ
鬼塚と藤田は仕事を終えて、帰路に着こうとしていた。そんな時に、タイミング悪く、電話が掛かって来る。
「はい、欅警察署ですが?」
電話を取った藤田の表情は最初こそ浮わついていたが、次第に緊張を帯びて行く。それに、気付いた鬼塚も、ただ事では無いと、思ったのか、仕事用のバックをソファーに置いた。
「はい、申し訳ありません。ただいま」
藤田は神妙な面持ちで受話器を置くと、鬼塚と眼が合った。
「どうした?」
「申し上げ難いんですが、宮代椿がまだ、家に帰っていないようです」
「なっ、バカな。彼女と話したのは15分ほどだぞ。今何時だ。寄り道じゃないだろう」
「我々が呼び止めたのは、彼女の自宅から数メートルの位置です。あそこから帰るのに、5分は必要無いでしょうね」
「うう、何故だ」
思い当たる節はあったが、その可能性は限りなく低い。だから、鬼塚は敢えて話題にしなかったが、逆に藤田の方からその話を振って来た。
「まさか、檜山家に拉致された・・・・」
「有り得ない。だって、車内で少し話しただけだぞ。もし、本当に盗聴器か何かが仕掛けられていたとしても、彼女を拉致するのに、それなりの時間は掛かるはずだ。そうしている間にも、椿は自宅に着いてしまう」
「ええ、ですが、母親から連絡があったって、今、電話で谷村さんが・・・・」
「クソクソ、俺が話したからとでも言うのか。俺が彼女に檜山家について話したから消された。そんな、漫画みたいなことがあるものか。それに、その程度の内容のことで、人を一人消そうとするか」
藤田と鬼塚はしばらく怒鳴り合いにも似たやり取りを繰り返していたが、すぐにまた、電話が鳴り、二人は現場に急行することとなった。