サマーバケーションその6
結局、吉村も強引に加わり、その日は夕暮れまで大騒ぎしていた。そして、帰り道、もう、最初に幽に抱いていた、不快感や不信感は全て消え、優とほとんど同じように、棗も彼女と接していた。そして、吉村は、お嬢の普段は見せない表情を見て、彼女の中でも、何かが、今日一日で変わったことに気付いたのだった。
「お嬢、楽しそうでしたね」
「ふん、ああやって、手駒を増やしておくと、後々使えるからな」
「くははは、お嬢は、自分で思っているほど、冷酷じゃないし、大人じゃありませんよ」
「んだよ。あたしに逆らうのか?」
「逆らうわけじゃないですがね。何か、今日のお嬢は、普通の女の子みたいでしたよ」
「う、うるさいな・・・・」
幽は頬を膨らませると、プイッと、吉村から顔を背けて、一人で歩き始めた。彼はその仕草さえ愛しく感じ、しばしの間、ほくそ笑んでいるのであった。
幽達と途中で分かれた、椿と公平は二人並んで、夕日に大きな影を作りながら、歩いていた。
「今日は楽しかったね~」
「ああ、最高だったぜ。へへ、皆の水着姿がな」
「へん、どうせ、あたしは貧乳よ」
「けっ、甘いぜ。俺はお前の水着もしっかり目に焼き付けておいた。いいか、女の魅力は胸じゃねえ。いくら貧乳でも、小学生の太った男子の胸よりも、まな板だろうと、女の胸が良いさ」
「誉められている気がしないわ」
しばらく歩くと、二人の行く手を遮るように、一台のパトカーが横付けに停まった。そして中から、二人の刑事が現れる。
「あ、アイツらは」
公平にも椿にも覚えがあった。それは、突然、学校にやって来て、優を詰問した、あの失礼な刑事と同じ顔をしている。
二人の顔を見ていると、せっかくの今日の思い出が、全て消えてしまうような気がした。事実、彼らの言動は、今日という一日を否定する内容であった。
「どうも、ええと、宮代椿さんですね。あの、突然で申し訳無いのですが、檜山優さんのことで、お話しを伺ってもよろしいですか?」
公平は自分が蔑ろにされたのと、その刑事がまだ、優を狙っていることを知って、不快感に顔を歪めた。
「おい、あんた、確か、鬼塚って刑事だよな。優から聞いたぜ。前に優が起こしたっていう障害事件の時に、優に取り調べしたんだってな。それで、まだ、アイツにつきまとうのかよ」
「ん、あんたは、確か、高杉公平さんでしたね。こりゃどうも。しかしね、今は我々は、宮代さんに用があるんですよ。引っ込んでてくれません?」
口調こそ丁寧だが、鬼塚の言葉には、明らかに軽蔑にも似た、冷ややかな感情が混じっていた。そして、それが、氷の刃となって、公平の心を抉った。
「テメーら、警察だろ。正々堂々来いよ。か弱い女を脅して、何を聞き出したいんだ?」
「別に、深い意味は無いですよぉ。ただねぇ、檜山優さんの家がどんなものであるか、あなたはご存じですか?」
「そ、それは」
覚えはあった。優が入院している間、彼に配布されたプリント類は、全て公平が、彼の家に届けていた。だから、彼の家に入ったこともあるし、茶の間に上げてもらったことすらある。そして、薄々は勘づいていた。この家は、きっと極道だ。彼がそれに気付いたのは、家の周りをやたらとうろついている、黒服の男や茶の間に飾られた、あまりにも立派な日本刀や骨董品の数々を見て、そういったものを連想したに過ぎない。
「宮代さん。いかがですか。我らは令状も持たぬ、礼儀知らずですが、少しだけでも、お話を聞かせて頂けませんか?」
「分かりました」
椿は承諾した。それがあまりにも、あっさりしていたので、公平の方が面を喰らってしまった。
「おい、椿」
「ゴメンね。公平ちゃんには悪いけど、もう終わらせたいの。私が話せば、優ちゃんのことを不必要に疑わないのなら、話に応じます」
「ええ、もちろん、優さんには、もう迷惑は掛けませんよ」
椿は時に頑固な一面を見せることがある。公平は彼女をよく知っているので、大人しく引き下がると、そのまま三人に背を向けて歩いて行った。途中、一度だけ、椿の方を振り返るが、すでに彼女はパトカーの中にいた。
「さてと、では、簡単なことで構いません。今日、檜山優さんと過ごして、何か違和感などありましたか?」
「いえ、まず、優ちゃんは今日は来ませんでした。その代わりに、同じ読みなんですけど、幽ちゃんって、別の女の子が来ました」
「幽ちゃん。ああ、ええ、分かりました。それで?」
「彼女、優ちゃんの従妹みたいで、あ、後、吉村さんって人が途中から来ました」
「吉村?」
鬼塚の顔から笑顔が消えた。そして、運転席に座っている藤田に目配せすると、藤田は胸ポケットから、黒いメモ帳を出して、素早く何かを書き込んだ。まるで、医者が患者に分からないように、ドイツ語でカルテを記すように。
「そして、その後はどうです?」
「皆で、滑り台で遊んだり、泳いだり、あ、帰りに自販機のアイスを食べました」
「ああ、ありますよね。あれ、美味しいですよね。私は、グレープのやつが好きですよ」
「それで、その後は、皆で帰りました」
「ありがとうございます。いやぁ、十分な収穫でしたよ。最後にもう一つだけ。今後、彼、あるいは彼女と接して、何か気付いたことがありましたら、ここにご連絡下さい」
鬼塚は言いながら、名刺を渡そうとした。しかし、椿はそれを受け取らない。
「私に仲間を疑えと?」
「いえいえ、そんなわけではありませんよ。そうですね。なら、話しちゃいましょうか」
「え?」
鬼塚は真剣な眼差しで椿を見つめると、達観したように、静かにほくそ笑んだ。
「ここ、数日でこの町、つまり、欅町には三つの事件が立て続けに起きています。一つは、黒沢健一による連続女子高生殺害事件と、彼の失踪。そして、男女六人の集団自殺。欅病院の従業員の不審死。全てとは言いませんが、これらの事件に檜山家が関わっていると、私達は睨んでいます」
「な、なんでですか?」
「それは、檜山家が、関東一円を支配する指定暴力団だからでしょうかね」
「え・・・・」
鬼塚は少し言い過ぎたかと思ったが、放ってしまった言葉は戻ってはくれない。だから、開き直りの意味も込めて、話を続けた。そして、その話題はいつしか、優が一年前に起こしたという、暴行事件にまで発展し、鬼塚自身、どうしてこうも、自分は軽口なのか、反省ぜざるを得ないところまで、話は進んでいた。