魔法の射手その3
放課後、その日の学校はあっという間だった。優からすれば、初登校であるわけだから、その緊張具合は凄まじく、帰りの予令が鳴った時は、全身の筋肉が一挙に緩んだ気がした。そして、鞄を肩に掛けて、帰ろうとしたその時、彼の前を塞ぐように、城田棗が得意顔で立っていた。
「ちょいと。あなた、これから新聞部の活動よ。よもや、忘れたとは言わせないわ。朝聞いたもん。入るってね」
「あ、はい、分かりました」
元より、優は新聞部の活動を嫌がってはいない。ただ、あの時の勧誘は、どうせ社交辞令であるとタカを括っていたのだ。
「じゃあ、行こっか」
嫌とは言わせない雰囲気である。優は棗に腕を引かれながら、新聞部の部室と思わしき、小教室に入って行った。
「さてと、皆、揃ってるねぇ」
部室には、棗と優の他に、高杉公平と松嶋楓、そして、見知らぬ女子生徒が二人いた。どちらも、棗と楓に匹敵する美少女である。
「ささ、新入部員の檜山優君の登場よ。二人とも自己紹介して」
「あ、あの、私は宮代椿です、ええと、その、好きなものはメロンと梅干しかな」
「何それ、メロンと梅干しって」
棗に茶化されながらも、椿は挨拶を終えた。椿は、おかっぱ頭に、黄色のカチューシャを付けていた。何だか、年齢以上に幼く見えるというか、妹って感じの雰囲気だ。そして、その隣で、パイプ椅子に座り、読書をしている、もう一人の女子生徒は、茶色掛かった髪の毛を、腰の辺りまで伸ばした、ロングヘアーの、椿とは対照的に、大人の色気を感じさせる、美人だった。
「私は、天王寺櫻よ。ええ、あなたと同学年よ」
思っていたことを先に答えられ、優は言葉をつぐんでしまった。櫻はいわゆるモデル体型で、棗や楓のような、肉感的な魅力は無いが、代わりに、スラリとした、線の細さが、彼女の魅力であった。
「さあてと、早速だけど、今日の活動は分かっているわね。そう、女子高生の顔面引き裂き事件よ」
何とも物騒なネーミングであるが、実際にニュースで報じられた事件である。発生場所は、この学校から、1キロ先の河川敷だ。棗の性格から言って、今から、犯人を探しにそこまで行こうだなんて、言い兼ねない。
「ねえ、優はどう思う。この事件の犯人に心当たりとか」
「そ、そんなの無いよ」
馴れ馴れしく呼び捨てにする棗を、公平は呆れ気味に見ていた。案の定、急に話を振られた優は戸惑っている。コメントに困るとはまさにこの事である。
「そう言えばさ、女子高生と女子校生ってどう違うのかしらね」
唐突に、棗はとんでもないことを言い始めた。
一瞬にして、部屋の空気が凍る。誰もが知っているが答えられない。しかし、公平はニヤリと不敵に微笑むと、急に咳払いをして、語り始めた。
「良いか、女子高生は純粋ブランドのことだ。嘘も偽りも無い。本物の和牛、本マグロだ。断じてオーストラリア牛でも、養殖マグロでも無い。しかし、悲しいかな、これは男の性なのだが、俺達は、明らかに偽物の鮮度の劣る、エセ女子高生である、女子校生で、現実では決して食すことは不可能な、和牛と本マグロを食べた気になろうとしている。いや、この例えは違うな。オーストラリア産だろうと、養殖だろうと、それらは皆、牛であるし、マグロでもある。女子高生と女子校生の違いは言うなれば、カニ缶とカニかまだ。まさに、見た目だけは上手に繕ったつもりだろうが、甘い、甘すぎる。和三盆よりも甘い考えだ」
いつの間にか、公平の単独ライブになっていた。無論、その話を聞くものなど、誰もいない。いや、一人だけいた。それは、今日転校したばかりの、檜山優である。彼は、そこから、何かを学び取ろうとしているのか、メモでも録りそうな勢いだった。
帰り道、優は一人で夕暮れの町を歩いていた。まだ、引っ越して間も無いから、この景色も新鮮だ。これが、今に見飽きたと思える日が来るのだろうか、それとも、前の学校同様に、クラスメイトの顔と名前が一致するよりも早く、またも転校しなければならないのか。
「はあ」
女子高生の引き裂き事件。あの時、棗から意見を求められた時、彼の心臓は大きく跳ね上がり、呼吸さえまともにできないほど、緊張していた。それは、心当たりがあるからだ。より正しくは、犯人かも知れない人物を知っているのだ。しかし、そのことは、口が裂けても人には言えない。その犯人を突き止めることは、それ即ち、自分のライフラインを、自ら断ち切るに等しいからだ。