サマーバケーションその1
episode of rampageの世界へようこそ。今回はいよいよ物語のクライマックスにして、大きな転換期となります。料理で言えばメインディッシュ。一番本作が本作らしい部分となります。さて、この物語も次の話である、episode of endを合わせることで、ようやく、真相に至るために必要な、最低限の情報が全て揃います。後は、料理で言えば、成分とか能書きの部分。お出しした料理を咀嚼して、柔らかく食べやすくしたものとなります。どうか、最終章となる7章まで、皆様が飽きない物語を作れるように、精進します。
夏休み、それは学生のみが堪能できる特権。社会人になれば、40日の休日など、定年退職するまでは、絶対に味わえない。まさに至福の刻。しかし、それも計画的に過ごさなければ、ただの学校に行かない日が続くというだけ。故に、夏休み初日から、建設的に予定を組まなければならない。無論、優とて、それは例外では無い。海水浴にプール、夏祭りに、バーベキュー。やらなければならないことが多すぎる。全てこなすのは至難の技だ。そして、その間には、宿題という、夏休みのスパイスも存在している。遊びとて、命懸けなのだ。
「坊っちゃん。お昼できましたぜ」
「ああ、うん、ありがとうテツ。これだけ終わらせてからね」
「流石坊っちゃんだ。夏休み初日の昼間から、宿題に手を付ける何て、他のガキどもとは、格が違う。違すぎる」
「へへ、ただ、嫌なことを早めに終わらせて、遊びたいだけだよ」
「いえいえ、大体、漫画でも何でも、主人公、もとい少年キャラは、宿題を最後の日まで手を付けず、その日の夜に家族を巻き込み、大騒動というのが、オチですぜ。それを未然に防ぐ、坊っちゃんには、感服します」
テツは大真面目である。それ故に、優は寧ろ罪悪感すら抱くのであった。宿題を適当に方付けて、プールに行きたいだなんて、口が裂けても言えない。
「そうだ、お昼から、公平達とプールに行くから」
「はい、海水パンツとかありますか?」
「あ、ヤバイかも。確か、古いのあったよね。多分、カビてるけど」
「なら、ちょっくら買いに行って来ましょうか?」
「いや、海水パンツ買ってだなんて、そんなお使い無いでしょ。良いよ、これ終わったら、買いに行くからさ」
優は苦笑いを浮かべながら、テツを部屋から出すと、風に吹かれて、涼しげな音色を奏でる、風鈴を見ながら、溜め息を吐いた。
「今度こそ、僕は楽しむんだ。もう、あんなことにはならない」
いつも、優にとっての夏休みは灰色だった。心療内科に行ったり、カウンセリングを受けたり、いつも冷房臭のする部屋の中でばかり過ごしていた。だから、今度こそ、上手くやる。
「よし」
決意を新たに、立ち上がろうとする彼を、まるで、押し止めるかのように、聞いたことの無い、少女のドスの利いた声が威圧した。
「くくく、無理だよ。あんたじゃ」
「だ、誰?」
優は思わず構える。今、この家にいる女性は、叔父の妾である霞だけだ。他は全て男性だけで構成されている。だから、こんな黄色い声が聞こえるはず無いのだ。
「あたしはあんただよ。優、現実を見て。あんたは一人ぼっち。ねえ、あたしと遊ぼ。いつもみたいにさ。あんたの理解者はあたしだけだよ?」
「うう、そうだ。君は幽だね。僕の心にいつもいた、君なんだね」
「そう。あたしはあんたの一部だよ。前にも少し話したよね。さあ、一階にお行き。テツのゆがいた素麺を食べて、二階に上がるの。そして、あたしとゲームして遊びましょう。あんな奴らとプールに行くのは中止」
「君が何だって言うんだ。僕はもう、君とは関係無いし、君なんて知らない」
「え、それって・・・・」
幽の口調に悲壮感が漂い始めた。優は思った。このまま押せば、彼女を倒すことができる。今の彼にとって、幽という存在は倒すべき存在。消し去るべき敵として認識されていた。それは、孤独で友人が一人もいなかった彼が変わったということなのかも知れない。昔の優にとっては、自分の生み出した架空のキャラクター幽だけが、心の支えであり、唯一無二の友人だった。しかし、彼女に依存し過ぎた結果、幽という存在は勝手に一人歩きを始め、一つの人格として、彼の一部を支配するまでに至った。
いつの間にか、優の意識は、この狭苦しい畳部屋から解放され、無限に広がる宇宙空間に変貌していた。そして、そんな彼の前には、いつも心の中に住まわせていた幽が、哀しそうに彼を見つめていた。
「もう、結構だ。消えてくれ。僕は普通なんだ。もう異常な眼で見られるのも嫌だ。これからは普通に友人を作って、彼女を作って、進学して、就職して、家庭を持ちたい。でも、君がいたら、僕は成長できない」
「あたしはあんたが生み出した存在だよ。それを勝手に作っておいて、消えろだなんて酷過ぎる」
「ああ、僕は最低かもね。だけど、もう、たくさんなんだ。僕は普通になりたい。最初からこうすれば良かったんだ。今になって、君を消し去る方法を思い付いた」
「嫌、止めて、あたしは、そんな・・・・」
「君なんて知らない。君は誰だ。どこから来た。僕は檜山優。どこにでもいるような、普通の思春期を迎えた男子だ。君のような存在とは、一度たりとも関わり合いになったことは無い」
「うう、うあああ、止めて、それだけは嫌ぁ」
幽は苦しそうに頭を押さえて、その場に蹲った。そして、全身を青く冷たく閉ざして行った。
「僕のすべきことは、君を拒絶することだったんだ。今までは君に頼ってばっかりだったけど、これからは、僕が一人で頑張るよ。だからさよなら、もう一人の幽。そして、僕は大人になる」
「ううう、あたしは幽だ。あんたと同じ。それなのに、あたしを殺すのか」
「殺すわけじゃない。心の奥底に封印するんだ。二度と、出て来れないように、弱い僕を思い出さないためにね」
優は深く目を閉じた。そして、深呼吸をした。そう、幽なんて存在は最初から存在しなかったのだ。
レポート・心の部屋
「ここを開けて、クソ、優の奴、調子に乗りやがって」
幽は小さな箱庭の中で、唯一の出口である、鉄製の扉にタックルを繰り返していた。
「あたしを消すつもりか。そんなことできないのに」
ここは優の心の奥底。いつもは好きなタイミングで出れたというのに、今はそれができなかった。これは優の成長と言うことになるのだろうか。幽は暴れるのも付かれて、床にペタッと尻を付けて座った。
「まあ良いか、どうせ、壊そうと思えばいつでも壊せるし。くくく、優、あんたに友人なんて作らせてあげないよーだ。あんたはあたしだけのモノだからね。さっきはしおらしくして、隙を突こうとしたけど、流石、あたしの分身だけあって、御涙戦法は通用しないか。ま、しばらくは高みの見物と洒落込もうかな」