悪夢のエチュードその2
幽が去ってから、棗と櫻はしばらく唖然としていたが、すぐにゾンビの群れを見て、我に返った。
「何よあの娘、ちょっと可愛いからって偉そうに。おっぱいはあたしの方が大きかったわ」
「ええ、おっぱいも懐の深さも、断然、私達の方が上よ。それよりも、出口も塞がれているんじゃ、どうやって脱出すれば良いのかしらね」
「窓から飛び降りるのが良いんじゃない?」
「それは私も考えたけど、開かないのよ窓が、割ろうとしてもゴムみたいに、跳ね返るだけよ」
ここは完全なる密室。棗と櫻は互いに背中を付き合わせて、360度全てを見渡せるようにした。
「ウオオオオオム」
「くっ、数が多すぎる」
棗は大鎌を再び出現させて、ゾンビの首を切断して行く。一方、櫻は何も持っていない。彼女には、この異様な世界を生き抜く術は無いのだ。
「ひっ」
もうダメだ。諦め掛けたその刹那、櫻の目の前のゾンビどもが、一斉に破裂して行った。見ると、そこには、サングラスを掛けた黒服の男が、マシンガンの銃口から煙を出しながら立っていた。
「大丈夫ですかい?」
黒服は無愛想な声で言った。櫻はそれに静かに頷いて答える。
「は、はい」
櫻はこの状況下で不謹慎だと思いつつも、胸のトキメキを抑えることができなかった。今の彼女の気持ちを代弁するならば、「ヤバイ、超好みのタイプ」で説明が付く。こういう一見完璧な女性ほど、危険な男性に魅力を感じるのだ。
「どうなってんのか、本当にこの病院は、さっさと脱出しましょう」
「あ、あの、でも、窓も出口も開かないんですぅ」
櫻は媚びるような口調で、普段のリアリストな部分は成りを潜めてしまった。
「何それ、普段と全然、ぐはぁ」
棗の鼻に、櫻の肘鉄が炸裂する。
「すいませんねぇ、こっちは探している人がいまして。栗色のやや長い髪の毛をした、大きなパッチリした瞳に、人生は辛いことしか無いって感じの達観したような少女を見掛けませんでしたか?」
「ちょっと、後半の情報がディープ過ぎるけど、栗色の女の子なら、さっき、あちらの方に駆けて行きました」
「あ、そうですかい。良かった」
黒服は安堵したように、溜め息を吐くと、そのまま二人に背を向けて、櫻の示した方向に走ろうとした。
「ちょっと、私達を置いて行くんですか?」
櫻は切なげな声で言った。すると、黒服の身体が僅かに揺れて、ゆっくり彼女の方を振り返った。
「すいません。私はお二方を護る騎士にはなれねぇ。今はたまたま眼に入ったから、お手伝いさせて頂きましたが、もし、お嬢、いや、栗色の娘が襲われていたら、私はお二人を無視して、その娘を助けたでしょう」
その言葉にははっきりとした拒絶が含まれていた。しかし、どこか紳士的で、冷たく突き放されているはずなのに、どうも、彼を酷い人間とは思えなかった。
「分かりました。ありがとうございます」
櫻は恭しく頭を下げる。しかし、棗は違う。櫻を押し退けて、黒服の前に立つと、胸ぐらを掴むような勢いで吠えた。
「ちょっと、女の子が助けてと言ってるのに、置いて行くなんて、あんた、それでも男なの?」
「申し訳無い」
「謝って済む話でも無いし。このままだと、あたしら死ぬわよ」
「ええ、しかし、それは私の探している娘も同じこと。その娘は私の命よりも大切な存在。故に、私はあなた方を見捨てます」
黒服がそのまま行こうとするので、棗はさらにその後を追う。
「なら、あたしらも行くわ。丁度ムカついてたのよ。あの娘にはね」
「へへ、愛想のあるタイプじゃありませんからね。昔から、彼女の周りは敵だらけだったもんで、自分に好意を持って接してくれる人なんて、私とその仲間以外にいないと、思っているんです」
黒服と棗、そして櫻の奇妙な三人パーティーは暗闇の中を駆けて行く。この三人ならば、ロ◯ダルキアでも、◯リスタルタワーでも攻略できる気が、棗にはしていた。
レポート・魔法の制約
魔法は大変便利であるが、それを行使するためには、いつかの条件を満たさなければならない。それを破れば、魔法は発動せず、罰として、苦痛や死を受けることもある。
一 魔法は、科学的根拠に基づく否定をされた時は、それに反論し、相手を納得させなければならない。
ニ 使用者自身が魔法を疑ってはならない。
三 魔法使いは、科学の力に頼ってはいけない。
レポート・魔法の効力
魔法は、使用者の信心。つまり、魔法を信じる気持ちが魔力となる。そのため、信じれば信じるほど威力は高くなる。逆に、魔法を掛けられる側は、信心が強ければ強いほど、魔法によるダメージは大きくなり、魔法を信じなければ、全く魔法を受け付けないのだ。それ故、魔法使いは、いかに、魔法を信じない者達に、小さな魔法による奇跡を見せて、魔法の存在を信じさせなければならない。大掛かりな魔法ほど、相手は深く魔法を信じる必要がある。