悪夢のエチュードその1
幽はゾンビどもも突き飛ばすと、満員電車に強引に押し入るように、バーゲンで一番の目玉商品を手にしようとする主婦のように、ゾンビ軍団の中に飛び込み、反対側に抜けて行った。
「退屈しない人生ね」
幽は自分を追い掛けて来るゾンビたちを尻目に、どんどん彼らと距離を空けて行った。すると、前方から見覚えのある黒服の男が現れた。いつ見ても恐ろしい強面に、サングラスと髭のセット。そこにいたのはテツだった。
「お嬢、こっちですぜ」
「テツ、うう、お前は順応性が強いな。よく冷静でいられるな」
「へへ、築いてきた死体の山は、両手じゃ数え切れませんからね。ささ、早くこっちへ」
テツにエスコートされながら、幽は突き当たりの角を曲がって、素早く階段を降って行った。何故、あんな全身グリーンピースみたいな色をした、化け物が病院にいるのか、何故、他の患者や医師の姿が見当たらないのか、疑問は尽きないが、それはテツも同じであり、気付いたら、ここにいて、気付いたら、優のことが心配になり、部屋に行こうとしていたらしい。
「うおおおお、邪魔くせえええ」
テツの手にはいつの間にか、マシンガンが握られていた。彼はそれで、追って来るゾンビどもを次々と蜂の巣にして行くと、パラパラと金属製の弾を床にばらまいていた。
「お前、そんな銃どこで・・・・」
「分かりやせん。ただ、こんな銃があれば良いなって、思ってたところです」
「クソ、マジでここは夢の世界だな。思った通りの物が瞬時に手に入るなんて、出来すぎている」
「ですがね、ええ、悪い気分はしないですよ。オラオラ、殺されたい奴から前に出ろやあああ」
テツのマシンガンが火を噴いた。まるでサバイバルホラーゲームのように、ゾンビ達がゴミのように蹂躙されていく光景には、小さなカタルシスがあった。
「お嬢、先に出口へ向かって下さい。すぐに追い着きますんで」
「はいはい、お勤めご苦労様」
幽はテツの肩を叩くと、そのまま、彼の方を振り返ること無く、さらに階段を降って行った。すると、またも、別の人と鉢合わせになってしまう。それは、厳密に言えば、初対面の相手では無いのだが、幽として会うのは初めてだった。
「え、女の子?」
「あ、あんたらは確か・・・・」
二人には見覚えがあった。確か優が仲良くしていたクラスメイトで、新聞部とかいうのに所属していたはずだ。そんなことを考えながら、幽は呆気にとられていると、櫻から先に話し掛けてきた。
「あなたは、この病院の患者さん?」
「え、まあ、そうよ」
幽はたどたどしく答えると、櫻と棗は僅かに緊張を解いて、幽に近付いて来た。
「あたしは棗、どうやらこの病院、呪われているみたいね。さっきから、気味悪いのがウジャウジャと湧くし」
「そうね、本当にここは不気味だわ。ちなみに、私は櫻よ。よろしくね」
二人の自己紹介に、幽は少し戸惑っていた。何せ、これで二回目の自己紹介なのだ。二人にとっては初めての相手かも知れないが、幽にとっては、もう、優というフィルターから何度も見ているのだ。
「ああ、あたしは幽だ。幽霊の幽って書くんだ。それよりも、出口に行かなくて良いの?」
「それがね、あたし達も出口まで行ったんだけど、何故か開かないのよ。鍵でも掛かっているのかのようにね」
「常識的に考えれば、誰もが気軽に入れるはずの病院が、よりによって、外側から鍵を掛けるなんて妙よね。何か、怪しいわ」
「ふん、悪いけど、あたしはあんたらと行動するつもりは無いからね。あたしはあたしで何とかするから」
幽は不愛想にそれだけ言うと、踵を返して、廊下の暗がりへと溶け込んで行った。
レポート・檜山邸にて
公平は檜山と書かれた表札の前に立っていた。まさか、ここがクラスメイトの檜山優の家だとは言わないだろう。学校で配布されたプリント類を、実家に届けてやろうとしていた公平は、彼の家の前で、完全に動きを止めてしまった。それはまず、家の大きさである。まるで屋敷のように庭が広く、とても入り難そうだ。そして、何より、彼を躊躇させたのは、庭にいる、柄の悪そうな男達だった。妙にカラフルな柄の服を着た、歌舞伎町とかにたくさんいそうな、強面のヤバそうな奴らが、何人もいる。しかも、その全員が、ただのヤンキーだとかチンピラのレベルでは無くて、明らかに本業という雰囲気があった。
「あの・・・・」
か細い声で何かをぶつぶつ言いながら、公平は門扉を潜って、檜山家の敷地に侵入した。その瞬間、彼らの双眼が公平を捉えたが、彼の学生服を見て、優の友人であると悟ったのか、すぐに視線を別の方向に向けてしまった。
「ふう、何だよ畜生」
公平は何とか玄関の前までたどり着くと、インターホン越しに、優の父親代わりである叔父に取り次いで、何とか家の中に入ることができた。
「すげえ・・・・」
玄関で靴を脱いで早々、公平を驚かせたのは、居間にまで広がる、真っ直ぐ伸びた長い廊下である。歩くと僅かにキュッキュッと音がするも、それが逆に風情があってプラス要因となる。とにかく、和の屋敷だった。
「ぬ、何だこの美少女は」
玄関の所に、彼の人生では、まず、目撃した試しの無いタイプの美少女の写真が立て掛けられていた。少女は腕を組んで、椅子に座ったまま、鋭い眼差しでカメラマンを睨み付けている。不機嫌そうに、むすっとした顔をしているのに、どうしてこうも可愛い。見た目は優に似ており、彼の面影を強く感じる。きっと妹か姉なのだろう。そう思うと、今まで、自分に紹介しなかった優が憎たらしく感じてくる。
「畜生、優の野郎。こんな可愛い娘と知り合いならば、俺に紹介しろよ。妹か、俺よりも年上には見えないよな」
公平はしばらくその写真に釘付けになっていた。この娘が水着を着て表紙を飾っていた日には、どんなつまらない雑誌でも買うと、彼は思った。