死の蠱惑その3
櫻と棗は一緒に下校していた。この二人の組み合わせは非常に珍しい。普段ならば、真ん中に椿がちょこんと、マスコットのように、二人の間にいるのだが、今回は委員会で遅くなるので、二人で帰れと言われたのだ。
「ねえ、櫻、歩きながら本読むのは危ないよ」
「あんたに、そんな常識的なこと言われるとはね」
「まだドグラドグラ読んでるの?」
「うるさいわね。タイトル間違えてるし、難解な本なのよ」
棗と櫻は、年相応にふざけていると、夢中になり過ぎて、正面から歩いて来た男性に軽くぶつかってしまった。
「うわっちょ、ごめんなさい」
棗は男性の胸元に鼻をぶつけてしまった。
「こんにちは」
「え、あ・・・・」
「こんにちは」
男性はニコッと微笑むと、機械のようにそう繰り返していた。男性はベージュの作業服に帽子を被っており、20代前半に見えた。端正な顔立ちをしており、見るからに女性から好かれそうな雰囲気を醸し出している。
「あの、ぶつかっちゃってごめんなさい」
「いえいえ、気になさらず、僕もよそ見していましたから。それよりも、あなた方は魔法を信じますか?」
「へ?」
「魔法ですよ。例えば、空を飛べる魔法があったら、信じますか?」
「ごめんなさい、仰っている意味が・・・・」
櫻が眉を落としながら、ボソッと言った。どうやら、危機感のある彼女は、呑気な棗とは違って、すでに、男の異様な雰囲気を察して、棗を連れて離れようとしていた。
「そんな、避けないで下さい。ならば、私があなた方に魔法を見せて差し上げますから」
男はそう言うと、突然、胸ポケットからハサミを取り出した。
「私の世界へようこそ」
突然、男の両足から灰色の空間が、ドーム状に広がり、街一帯を包み込んだ。そして、ドームの中にいる人間達は、棗と櫻を除いて、まるで時が止まったかのように、瞬き一つせず、その場に固まっていた。
「な、何よこれ・・・・」
「ふふふ、私の精神世界ですよ。ここでなら、何をしても平気です。さあ、魔法を見せてあげます。そのハサミで、私の喉を掻っ切りなさい」
「な、そんなの無理よ」
櫻は口では否定しつつも、何故かハサミを受け取っており、刃先を男の方に向けていた。
「ちょっと、櫻、何してんの?」
「分からないわ。手が勝手に、うう・・・・」
櫻は男の喉元に狙いを定めると、男の願いどおりに、ハサミを一閃、彼の首元を横一文字に切り裂いた。
「ぐ・・・・」
一瞬だけ、男の顔が苦痛に歪むが、不思議なことに、パックリと裂けたはずの喉からは、血が一滴も出ていなかった。
「な、どうして・・・・」
「信じますよね魔法。私は、魔法を信じていたので、あなたにハサミで喉を切られても平気だと分かっていました。それがもし、私がもしかしたら、殺されるかもって、不安に思っていたら、今頃、私は喉から血を流しながら、三途の川を渡り始めているでしょう。それが魔法なのです。信じなければ効力を為さない。仮に、あなたがこれからビルの屋上から、飛び降りようとして、実際に実行したらどうなりますかね。ええ、死にますとも、それが世界の理です。でも私は違う。魔法を会得した私は、「人間は空を飛べる」と信じているから、実際に飛んでも、地面に落ちることなく、鳥のように空を翔ることができます。同じように、あなたも「私は空を飛べる」と思うことです。そうすれば飛べます。ただし、心の何処かで、もしかしたら飛べないかも知れないだなんて思ってはいけませんよ。そうしたら、魔法は発動しません」
男はまるでカルト教団の勧誘のように言うと、二人の顔の前に手を翳した。すると、二人の身体が、フワッと宙に浮いて、突如、頭上に出現した黒い穴に吸い込まれて行った。
「くくく、第二のゲームスタートです。舞台はすでにご用意しました」
二人は、無数のロッカーが立ち並ぶ、更衣室を思わせる部屋で目を覚ました。
「うう、ここは?」
「さぁ、私達、あの男に誘拐されたみたい」
「ああ、もう。何なのよこの部屋は」
「分からないけど、この噎せ返るかのような空気、どこかの地下かしら?」
「ねぇ、櫻、見て、扉があるわ」
「ふん、妙ね。開いてるわよ。私達を監禁したいのに、扉は開いたままだなんて、まるでこちらに来いと誘導されているみたい」
「ぬへへ、じゃあ引っ掛かってあげようじゃないの」
「ちょっと、棗、勝手に行かないでよ」
櫻は、扉の中に入った棗を、慌てて追い掛けて行った。
レポート・魔法の定義
一 魔法は信じる者のみが行使する。
二 魔法とは、自己の世界に他者を招き入れることである。
三 魔法は科学的根拠に基づく否定に弱い。
四 魔法に不可能は無い。