終劇
黒沢は額から血を流しながら、幽と棗を交互に睨み付けた。彼の眼は血走っており、まるで、赤い布を見た闘牛のようだ。
「ぐあ、痛てぇぜ畜生」
そこに、タイミング良く、パトカーが路地裏の前に停まった。きっと誰かが通報したのだろう。普段は静かな商店街で、朝から叫び声が聞こえれば、誰かしら行動を起こしても、それは不思議じゃない。見ると、優の天敵である鬼塚刑事と若い新米の刑事が、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、三人の前に現れた。
「黒沢健一さんですね。あなた、ふふ、中々にタフなお方だ。よりによって、檜山組の次期当主様を襲撃なんざ。実に勇気がある」
鬼塚刑事は口角を上げていたが、決して笑ってはいない。そして、すぐに応援へと駆け付けた、自分の部下に黒沢を捕まえるように命じた。
「クソが、放しやがれぇぇぇ」
「ふん、テメーは鉄格子の中で、臭せぇ飯でも突いてろ、腐れ外道が」
鬼塚は言いながら、黒沢の顔面を殴り付けた。それが効いたらしい。黒沢はすっかり大人しくなると、項垂れたまま、左右から腕を掴まれて、パトカーまで連行された。
「災難でしたね。お二人とも、て、檜山さん大丈夫ですか。おい、救急車はまだか、意識が飛んだぞ」
「ああ、優、ゆうぅぅぅぅぅぅ」
幽はその場に膝を突いて倒れると、いつの間にか、優に戻っていた。そして、血を流しながら、コンクリートの上に俯せになった。
その後、病院へと搬送された優は、2週間の入院を余儀なくされた。部活の仲間達は、放課後はほとんど毎日、見舞いに来ていた。しかし、棗だけは、何か思うところがあるらしく、いつもの剽軽さを、彼の前で出すことは無かった。理由は明白、あの日、突然、姿を変えた優に、ただならぬ疑惑を持ったのだ。彼は何者なのか、あの女の子は、彼の何に当たるのだろうか。謎は深まる一方だった。
「ほら、ウサギさんのリンゴだよ。檜山君食べて」
「あ、ありがと、椿ちゃん」
優は椿にフォークで刺したリンゴを食べさせてもらい、満更でも無いようだ。それを見て、棗は少し嫉妬した。優はきっと、自分のことを異性として意識してくれてはいないだろう。
椿は羨ましい。自分よりも背が低くて、胸は無いけれど、女の子らしい、同性から見ても、守ってあげたくなるタイプに見えた。そした、反対側を見ると、今度は楓に嫉妬する。彼女は自分よりも胸が大きくて、母性本能溢れる、女性らしい女性だ。自分のようなじゃじゃ馬とは違う。
棗が静かに病室を去ろうとしたその時、背後から楓に呼び止められた。彼女は棗の異変にすでに気付いていたらしい。だからこそ、棗も彼女には話す気になれた。
「実はさ・・・・」
レポート・臨時ニュース
本日9時頃、殺人未遂の容疑で現行犯逮捕された黒沢健一容疑者を乗せた、パトカーが護送の途中で突如、失踪したとの情報あり。黒沢容疑者は、連続女子高生引き裂き事件の容疑も掛けられており、極めて慎重な対応をされていた。関係者によれば、いつも使用している裏道の辺りで、突然、車ごと消失したと言う。現在、その足取りを追って、調査中である。
レポート・黒い車
仕事を終えた鬼塚は、ほろ酔いのまま、フラフラと帰路に付いていた。正直、この仕事は割りに合わない。せっかく捕まえた犯人はパトカーごと消えるし、キャリア組には、現場至上主義の自分を疎ましく思う輩もいるらしく、インテリならではの嫌がらせを決行してくる。
「はあ、向かないんですかね、あっしは」
自宅まで後、10メートルという所に差し掛かった時、突然、前方から車のヘッドライトで、顔を照らされて、鬼塚は目を細めた。
「ちっ、おいおい、少し強すぎないか。そんなにピカピカさせたら、対向車に悪いだろ」
警察の権限を利用して、皮肉の一つでも言ってやろうと思ったその時だった。目の前の車が、自分の元にまっすぐ直進して来ることに気付いた。
本来、歩行者とすれ違う時は、なるべく歩行者のいる場所とは反対側に車体を近付けて、スピードをやや落とすものだが、その車は違った。全てが逆だった。鬼塚の前に方向転換し、アクセルを目一杯踏んでいる。まさか、引き倒すつもりなのか。
「うおおおお」
鬼塚がそれに気付いたのは早かった。故に、彼は左側に素早く身を隠して、不法侵入にはなるが、他所の家の敷地内に一瞬だけ、お邪魔することで、引き殺されずに済んだのだ。
「野郎・・・・」
追い掛けようにも、すでに車は角を曲がっており、姿を消している。車のナンバーすら見ることができなかったのだ。
「黒い車だったな、檜山組か、クソ、とことん、私の邪魔をするつもりか」
鬼塚は舌打ちをすると、すっかり酔いが醒めている自分に気が付いた。
レポート・鬼塚のカルテ
鬼塚寛人(38歳)
症状 過度なストレスによる慢性疲労。不眠症
処方 ピルソーダを、本来の摂取量の半分である、1錠半処方。経過は順調。
如何でしたでしょうか。本作は学園ものやハーレムものとして読んでも良し、SFやファンタジーとして読んでも良しの、多角的な視野を想定した作品となっていますが、是非、皆様には、推理ものとして、ミステリーとして楽しんで頂きたいですね。さて、次回からはいよいよ、本格的に物語が始動します。精神世界という新たな概念の登場により、いよいよ、現実か幻想か、この世界が分からなくなることと思います。こんな、幻想に満ちた不思議な空間で、いかに人間としての推理ができるのか、第一話が可愛く見えるぐらいの、凶悪な難易度を体感して頂きます。