魔法の射手その17
静かに運命に身を任せる優の心の中で、もう一人の優が話し掛ける。それは初めてのことだった。
「あたしが変わろうか?」
「うう、誰だ君は?」
「知ってるクセに、あたしはあんたよ。そうね、あんたの妄想上のヒーロー、幽とでも名乗っておこうかな」
「そんな、僕の幽が実在するなんて」
「ふん、そんなことはどうでも良いよ。あたしはあんたを護れれば良い。だって、あんたに死なれたら、あたしも死んじゃうからね。だから、あの小娘が襲われているうちに、警察に行くよ」
「な、バカなこと言うな」
優は心の中で叫んだ。目の前の残酷なる傍観者に響くように。
「僕は、彼女を助ける」
「でもさ、彼女を助けても、あんたは死ぬよ」
「それで棗が助かるなら本望」
「ふん、武士みたいなこと言って、それであんたが死んだら、棗は罪の意識に一生苦しむ羽目になるよ。あたしは知っているからね、この先の未来を。お前らの単純な友情ごっこに付き合うのはゴメンだ」
突然、優の身体が変貌を遂げた。それは、黒沢と棗の視線を釘付けにしていた。
男独特の骨ばった身体が、丸みを帯びていく、尻が大きく突き出て、胸も同時に膨らむ。短かった髪の毛が肩まで伸びると、毛先がくるんと丸くなった。柔らかそうな髪質に変わっていた。魔法少女の変身シーンとは、明らかに異なる生々しい変貌に、二人はそれを、呆然と見守っていた。
「うう、この制服ブカブカ」
棗の知っている優は、いつもの彼よりも高い声で言うと、袖の通っていない服を忌々しそうに見ていた。
「ふふははは、また会ったな、美しき少女よ。今度こそ殺してやるぞ」
黒沢は言いながら、懐に指を入れた。
「ちっ、こっちはまだ出血が止まらなくてヤバイってのに。ねえ、そこの、棗だっけ。さっさと逃げなよ。ここはあたしが引き受けた」
幽は素早く足でナイフを自分の真上に跳ばすと、それを右手でキャッチした。
「やっぱし、獲物はナイフに限る」
「ふへへへ、覚悟しろよ。俺の魔法を喰らえ」
「魔法だと。お前、歳いくつだ?」
「死ねぇ」
黒沢の指から、赤い閃光が放たれた。幽はそれを素早くナイフで切り裂き打ち落とす。すると、それは地面に突き刺さった。
「こ、これは」
どこかで見たことのある形。それは、ダーツの矢だった。
「何だよこれは」
幽は足元にある矢を気味悪そうに見下ろしていた。すると、棗が何かを思い出したのか、幽の方を見て叫んだ。
「そうだ、黒沢先生は、ダーツの世界記録保持者なのよ」
「ほほう、それがあんたの魔法か」
「バカめ、魔法はあるのだ」
「ああ、信じるよ。魔法はある。いくら、ダーツの達人でも、弾いた矢がコンクリートに突き刺さるなんて、理科が1の奴だって、あり得ないって一蹴するよ」
幽はナイフを右手に握り締めたまま、黒沢に向かって走って行った。彼は懐から、何本ものダーツの矢を放つが、幽はそれを全て避けた。そして、黒沢に抱き付くようにぶつかり、彼を仰向けに倒すと、両手でナイフを握り締め、彼の顔の前に振り上げた。
「甘いな」
「うぐぁ」
黒沢の野太い足が、幽の脇腹を蹴り上げた。そして、形勢逆転、黒沢が幽に馬乗りになると、そのまま両手で首を絞めた。
「オラオラ、どうしたぁ?」
「ぐぐぐ、クソぉ」
どんなトリックを使ったらこうなるのか。黒沢の筋力は異常だ。ダーツの達人だからという理由は通じない。
「泣けよ。可愛くごめんなさいってな、そうすれば、苦しまずに殺してやるぞ」
「へへ、うう、だ、誰がそんなこと言うか、バカ」
幽は爽やかな笑みを浮かべていた。それは、自分の運命をあるがまま受け入れた者のみが見せる、達観とか、諦めを超越した、悟りの境地だった。やるだけやったのだから、もうどうにでもなれ。彼女の心を体現するならば、まさにこんな感じだ。
「うりゃあああああ」
突然、黒沢の身体が、幽の目の前から消えた。見ると、黒沢が顔を押さえながら、踞っている。
「はあ・・・・はあ・・・・優から離れろ」
どこから拾って来たのか、鉄パイプを引きずるように持った、棗が肩で呼吸しながら、黒沢を睨み付けていた。
レポート・魔法
魔法、別名、自己実現能力とも言い表すことができる。簡単に言えば、自己催眠のようなものである。例をあげると、末期の癌に侵された患者が、病院の治療も受けずに、毎日、布団の上で、自分の癌は治っていると、自身に暗示を掛け続けた結果、治療を受けていないのに、身体の癌が消えていたという事例がある。このように、人の精神は時に、肉体を遥かに凌駕する。魔法とは自己の世界を外界へ表現すること、妄想でしか無い、精神世界を現実に投影させることである。俗に言う、集団ヒステリーも、誰かの精神世界が、外界へと露出し、周りの人間を自身の世界に取り込んだために起きるのだと言われている。
ちなみに魔法は精神力に左右されるので、使用者が精神的に不安定であれば、それは魔法の性能にも強く影響を与えてしまう。自分ならできると強い意思を持たねばならない。そして、反対に魔法に打ち勝とうと思うならば、相手を否定すれば良い。相手の精神世界に入らなければ良いのである。