魔法の射手その15
優は食事を終えて、風呂場へ向かった。食後、すぐに風呂に入るのは体に悪いと、前にテツに注意されたが、極道者が健康に気を使うなんて、滑稽な話だろう。かつては武闘派で有名だったテツも、今やすっかり穏健派だ。優の子守り役になってからは、前の鬼気迫る表情を仲間内に見せることは無くなった。
「ん・・・・」
脱衣所で服を脱ごうとした瞬間、優の身体は幽によって乗っ取られた。彼女は基本的に、いつもは優の中で過ごしているが、大の風呂好きであり、風呂の時間になると、勝手に彼の人格と入れ替わってしまうのだ。
「あ~あ、疲れたな」
発達途中の小振りな胸がプルルっと可愛らしく揺れた。衣服を全て脱ぎ去って、生まれたままの姿になった幽は、今日一日のことを思いだして、思わず溜息を吐いた。新人教師に警察に、この短い時間に、イベントが多すぎると苦笑した。
「坊っちゃん、お着替え忘れて・・・・うお・・・・」
男の優が入っていると思っていた吉村が、ガラガラと扉を開けて、脱衣所に入って来た。本来ならばノックしてから入るのが当然なのだが、そそっかしい彼は、それを忘れてしまった。
「ああ・・・・。そこに置いといて。でも、もっと可愛いパジャマ無いの?」
胸も下も隠さずに、幽は吉村の方を振り返った。思春期真っ盛りの吉村にとって、それはあまりにも刺激的すぎた。後頭部からやかんのように湯気を発し、頬を真っ赤に染めていた。
「うほおお、すいませんでした」
「おい、大丈夫か。鼻血出てるぞ」
「いい、結構ですううう」
吉村は着替えだけ乱暴に床に放り投げて、さっさと脱衣所から出て行った。しかし、一度見た幽の裸体は中々頭から離れない。彼はそれを忘れたいという気持ちと、忘れたくない気持ちの両方に苛まれ、今夜は一睡もできないだろう。
「お嬢、なんて綺麗な肌だったんだ。それに、お袋以外のお、おっぱいを見たのは生まれて初めてだ」
恥ずかしいことを口にしながら、吉村はフラフラと酔っぱらいのように廊下を歩いていた。もし、テツや他の連中に見つかったら、一言注意を受けそうな様子だ。
「ふうう・・・・」
吉村が去った後、幽は着替えをカゴに入れて、シャワーを浴びていた。石鹸の泡が、彼女の珠の肌に弾かれている。決して過度に大きくは無いが、形の良い胸に、引き締まった身体。未熟な少女と、大人の女性との中間に位置する肉体は、艶があり、白く光って見えた。
身体に付いた泡を全て洗い流し、そっと湯船に入る。優と違って、幽は長風呂だ。平気で30分以上は浸かっている。最も、彼女が潔癖症であるというわけでは無い。お湯に浸かっていると、静かに考え事ができるのだ。ここでなら、虚勢を張る必要も無い。ただの少女でいられるひと時だった。
「あたしはだぁれ?」
鏡に映る自分に向かって声を掛けた。目の前にいる少女は困惑の表情を浮かべている。そして、頬を僅かに上気させている。
「くそ、あたしらしくない。何を感傷的になってるんだ」
幽は拳を強く握り締めると、自分の映る鏡を殴った。自分に喝を入れるという意味があるのだろう。
「ん?」
しばらくゆったりと寛いでいると、風呂場の窓の方から奇妙な視線を感じた。
「覗きか?」
有り得ない。ここは檜山組の占有地だ。こんな危険な場所で覗きをする馬鹿なんて、古今東西探しても見つからないだろう。しかし、彼女の勘は良く当たる。そして、彼女自身、自分の勘をとても信用していた。
「ちっ、逃がすかよ」
幽が声を荒げると同時に、ザザッと草が大きく揺れる音が聞こえて来た。そして、何者かの足音が騒がしく聞こえた。
幽は素早くバスタオルを体に羽織ると、服も着ずに、風呂場の窓から外に飛び出した。そして、裸足で路面を走り、目の前を走る、怪しげな人影に向かって叫んだ。
「待て、お前は誰なんだ」
「フハハハハハ」
「な、何だよ。嘘だろ。お前はそんな・・・・」
幽の目の前には真っ赤な口を大きく開いた。形容できないナニカがあった。そして、口の中から大きな舌を出すと、それで、彼女の身体をグルグル巻きにして捕らえた。
「う、止めろ、止めろぉぉぉぉぉ」
耳元で騒がしい声が聞こえて来る。慌てて眼を開けると、自分は畳部屋の上で、全裸の状態で、仰向けに寝かされていた。身体には毛布代わりにバスタオルが掛けてあり、畳を濡らさないためか、もう一枚、別のバスタオルが、彼女の下に敷かれていた。
首を動かさず、眼だけを移動させる。そこには、叔父の妾である霞と嘉穂が心配そうに、幽を見下ろしていた。二人とも艶やかな着物に身を包んでおり、普段と変わらぬ薄化粧を顔に施していた。
「あたし・・・・痛てて・・・・」
起き上がろうとするが、頭の奥が痛み、声も出せなくなる。
「ほら、無理はしないで」
霞が幽の肩をそっと支えながら、バスタオルの上に寝かせる。最早、説明されるまでも無く、幽は自分の置かれている状況を理解した。まさか、風呂場で逆上せて倒れるなんて、一体どれほど油断したらできるのだろうか。数分前の自分に問い正したいと彼女は思った。
レポート・児童相談所の報告書
**年**月*日、A様のご家族より相談を受ける。内容は娘の行動についてである。ここで記す娘とは、夫婦の姪を指す。娘の両親は事故で他界しており、彼女は小学校に上がる以前から、A様夫婦に引き取られ、生活して来たらしい。
具体的な相談内容は、最近、娘が過度に叔父、つまりA様を恐れるようになったという。思春期を迎え、男性への特別意識が、恐怖という形で芽生えたのだろうか。叔父に乱暴された。などと喚き、交番に駆け込んだ事例も報告されている。ちなみに、その時、A様は出張で北海道にいた。祖母は丁度買い物に出ており、家には彼女一人しかいなかったのである。
追記 娘さんも交えて、来週にAさん一家とお話することになりました。私はその日は別の件で、来られないので、松村さんに引き継いでおきます。