魔法の射手その14
その後、棗は叔父と戦うと宣言し帰宅して行った。優はその姿を見て、自分も協力しようと思った。そして、自分にできることを考えた。一つだけだが、自分にしかできないことがある。
「・・・・というわけなんだ」
優は巨大な畳部屋の中心で正座し、普段は顔も見たくない叔父と対面していた。最近、どういう風の吹き回しか、叔父は毎日、この家に泊まっている。
「それで、ワシに何をしろと?」
「だから、分かるでしょ。ほら」
「下らん。その男を殺せと言うのか?」
「檜山組の力ならできるでしょ。あの男さえ消えれば、棗は元気になる」
「ふはははは、うちはまるで殺し屋だな。それで、お前はどうするのだ。まさか、組の者に頼んで、自分は何もしないとは言わないよな。自分で、人を殺すこともできない三下が、人に殺せと命じることはできないよな?」
人の心を見透かしたような叔父の言葉に、優は返す言葉を失った。悔しいが全て正しい。自分の手を汚す覚悟も無いクセに、誰からに押し付けるなんてできない。人として最低の行為だ。しかし、それでも彼は引き下がれなかった。棗は大事な仲間である。彼の特徴として、滅多に人を信用しないが、その分、一度信頼した時のエネルギーは凄まじい。その人のために、あらゆる犠牲も厭わないと考えるようになる。それだけ、彼が仲間と言うものに飢えていたのかも知れない。
「普段のお前らしからぬしつこさだな。少し頭を冷やせ。何故、ワシらが、お前のことでは無く、見ず知らずの人間のために、手を汚さねばならぬ。そこを考えなさい」
「僕は、棗を助けたいんです。でも、僕だけじゃ無理だ。お願いします。僕が殺すから、だから、せめて人手を貸して下さい」
「お前がそこまで愚かとは思わなかった。そういう短絡的な解決方法が正しいとは一度も教えた覚えは無いぞ。さっさと薬を飲んで休め。無理が明日に祟るぞ?」
「うう、分かりました・・・・」
叔父の冷ややかな言葉を浴びているうちに、途中まで燃え上がっていた、優のヒロイックな感情は消え失せてしまった。後に残ったのは、疲労感と、どうにもならない諦めの気持ちだった。
優は自分の部屋に戻ると、叔父の言われた通り、常備薬を出して、白湯と一緒に飲み干した。それは紫と白のカプセルで、全部で三錠飲むことになっている。一年前の、学校での暴力事件以来、心療内科で処方された薬である。カウンセリングとか、行動療法とか、色々なものを試して来た結果、この薬だけが残った。
「ぷはぁ・・・・」
薬の効能なんて知らない。はっきり言って、飲んでも飲まなくても、何も変わらないからだ。しかも、今は薬に身体が慣れてしまっているから良いが、最初の頃は、副作用が酷く、何度も吐き気に襲われた。正直、寧ろ病気を悪化させるのではないかと、不安になったほどだ。
「坊っちゃん、お食事の時間です」
襖の外から若い男の声が聞こえて来た。どちらかと言うと、少年とも呼べる変声期前の声だった。優は当然、声の主を知っている。だからこのように返す。
「吉村、すぐに行くから、下にいて」
「は、はい。しかし、お早くしないと、また4代目に叱られますよ?」
吉村は組の中で一番若い。年齢は優と同じか、それよりも少し下ぐらいだ。だから、テツを始めとした、他の強面連中よりも、優は話しやすかった。
「そうだ・・・・」
優は突然、起き上がると、小灯台の上にある電話を取って、棗の家にダイヤルした。
「あ、あのもしもし・・・・」
電話に出たのは、野太い男の声だった。愛想の欠片も無いような不機嫌そうな声に、優は少しだけ威圧された。しかし、こんなことでどうすると、自分を心の中で叱咤し、棗を呼び出してもらおうとする。だが、相手に先手を打たれた。
「悪いですがねぇ、棗は出かけてますよ。へへ、すいませんね」
「あ、はい、なら、もう良いです」
「後でかけ直しましょうか?」
「いえ、本当に結構ですので。ええ、ありがとうございます」
何が結構なのか。優は受話器を叩き付けるように戻すと、悔しさに眼に涙を浮かべていた。これが現実、自分のことも何とかできない奴に、人を救う権利など無いのである。
レポート・ピルソーダ
向精神薬ピルソーダ
概要 2010年に日本で認可が下りた、新世代の向精神薬。適応はうつ病、強迫神経症、パニック障害、社会不安障害。副作用が少なく、旧来の向精神薬と比べて気軽に飲むことができる。そのため、多くの病院で広く処方されている。
副作用 初期の頃は吐き気、眩暈などがあげられるが、それらは飲んでいるうちに自然に消失する。しかし、2012年に都内のピルソーダを服用していた、27歳の会社員の男性が、飲食店の中で会社の上司の頭をアイスピックで何度も刺し、殺害している。その際、目撃した通行人によれば、二人は直前まで仲良く会話し、酒を飲んでいたと言う。検察は酒などのアルコール類とピルソーダの飲み合わせについて調査、因果関係は見つからなかった。幻覚・幻聴作用については、現在継続して調査中。
注 10代の服用と、服用後のアルコール摂取については、念のため患者自身にも、注意を喚起すること。10代の場合は、身体に薬が馴染んでも、量を増やさず、1錠半に留めること。