魔法の射手その13
午後の授業を終えて、部活に向かった優は、先程までの悲観的な様子はどこへやら、新たなる仲間達とともに、部活動に勤しんでいた。新聞部は半ば同好会のようなもので、非公式な存在であるが、今日来た、新人教師の天王寺翠蘭が、顧問になると名乗りをあげたおかげで、少しだけ、同好会から部活へと近付いた。
「いやぁ、めでたいね」
棗は嬉しそうに、お祝いに用意した紙コップにオレンジジュースを入れて、それをグイッと飲み干した。他の教師に見つかれば、もちろん没収されるだろう。
「何か、棗ちゃんおじさんみたい」
楓が棗の姿を見て笑っていた。この二人は幼馴染みらしく、どうりで仲が良いわけだと、優は納得した。
「ねぇ、櫻も乾杯しようよー」
棗が櫻の肩をグラグラと揺さぶる。彼女はさっきから、部活には参加せず、少し離れた席で、読書をしていた。
「ちょっと、揺らさないで、酔うから」
「ねえねえ、何の本?」
棗は櫻の持っている本を取り上げると、神妙な眼差しでそれを見た。
「ドグラ・・・・何?」
「良いから、返してよ」
櫻はバサッと棗から本を奪い返すと、迷惑そうに溜め息を吐いた。
「あの二人、犬猿の仲って感じだね」
優は二人の喧嘩を唖然としながら見ていた。すると、隣にいた楓が優の分の紙コップを持って近付いて来た。
「あの二人、本当は凄く仲良しなんだよ。だってさ、櫻ちゃんだって、本当に一人で読書したかったら、部活に何かでないし、辞めてるよ。でも、この雰囲気が好きだから、毎日来るの」
「そういうものなのかなぁ」
優はにわかに信じられなかった。
帰り道、優と楓は二人で歩いていた。最初は皆で歩いていたのだが、学校から離れるにつれ、遠足のように流れ解散していたので、いつの間にかこの二人になったのである。まるで、小学校の頃を思い出させるような光景に、優は少しだけ安堵した。
「ねえ、これからどこかに行かない?」
「へ?」
優は突然の提案に困惑していた。棗の突拍子も無い発想には、毎日驚かされているが、今回のは少し違うようだった。彼女は何か、焦燥に駆られているように見える。ナニカガオカシイ。
「でも、僕、遅くなると怒られるから」
「そ、そうだよね、じゃあ、あたし、ちょっと用があるから」
棗は額に冷や汗を浮かべて、その場を立ち去ろうとする。普段ならば、そのまま大人しく、厄介ごとに首を突っ込むことなく、帰ろうとするのだが、彼女を仲間だと認識し始めた、優は、さっきの二人が自分にしたみたいに、彼女をどうにか元気付けようとした。
「用があるって、さっきまでそんなこと言わなかったじゃん」
「急に思い出したのよ」
棗が駆け出そうとしたので、優は慌てて、彼女の手首を掴んだ。
「放してよ」
「理由ぐらい話してよ。やっぱり、僕らは友達にはなれないの?」
優の言葉が利いたのか、棗の顔付きが変わった。それは、さっきまでの余計なことをするなという、迷惑そうな様子から一変、申し訳無さそうに、俯いて、優の方を向いた。
「・・・・」
初めて見る彼女の姿。短い付き合いではあるが、喜怒哀楽の喜の部分しか存在しないと思っていた彼女の哀の部分。思わず固唾を呑んだ。もしかすると、自分は彼女の侵入しては行けない領域に、無意識のうちに、足を突っ込んでしまったのでは無いかと、内心怯えていた。しかし、反面、もう自分は全ての弱味を打ち明けた。だから、今度は棗の番だと、その話を聞こうという気持ちもあった。
「あたしさ、あんたも知ってるでしょ。10年前の飛行機事故」
「え?」
突然の話題に、優は返す言葉を失った。しかし、棗の真剣な様子から、その飛行機事故は、彼女に深く関わっているのだと思った。
「欅空港鹿児島便墜落事件」
「そう、その事故で、あたしの両親は死んだのよ。当時、あたしはまだ、物心付いたばかり、二人の死はそれほどのことでも無かったわ。でも、年齢を重ねれば重ねるほど、ボディーブローのように、あたしを追い詰めて行く。それから、あたしは親戚の家に預けられたわ。ええ、現在進行形でね」
優はようやく理解できた。棗が家に近付くにつれ、暗くなる理由が。そして、急にどこかへ行こうなどと言い出した意味が。
「親戚とは上手く行ってないの?」
「ふふ、そうだね。叔母さんは優しいけどね。あたしを養ってくれている二人には、子供がいないから、あたしを実の娘みたいに可愛がってくれた。でも、叔父さんは・・・・」
棗は嗚咽を堪えるように、手首で自分の口元を塞いだ。そして、いくらか落ち着いたのか、再び話を始めた。
「気付いたのは、実は最近なの。ええ、思春期を迎えてからかな」
「な、何が?」
「叔父さんに悪戯されてたこと」
その瞬間、この世界を構成する全ての時間が静止した。そして、優の眼前の光景は、色彩を失い、無声映画のように、音も無い、灰色の景色へと変わっていた。
「叔父さんは、あたしを玩具にしていた。ずっと、昔も今も、そしてこれからも。驚いたわ、あたしは汚されたの。記憶が曖昧なほどの昔にね。あの男は必ず殺す。絶対に許さない。あたしの身も心も滅茶苦茶にしたアイツをね」
「うう、そうだったんだ」
「どう、引いたでしょ。もう関わりたく無いんじゃない?」
「まさか、君と同じさ、その男を殺す時は僕も誘ってよ。金属バット持って駆け付ける」
優は言いながら、力強く棗を見た。
レポート・欅空港飛行機墜落事件概要
2004年、欅空港から鹿児島へ向かう134便が墜落した事件である。乗客数209人。そのうち、死傷者数は189名であった。原因はメンテナンスの不備による、燃料不足であると発表されているが、奇怪な点がいくつか残っている。一つは乗客の中に、当時隆盛を極めた、民意党の高崎派の人間が大勢含まれていたこと、政府の対応が非常に俊敏であったことなどがあげられる。