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予想以上の反響に、今回の話のままでいいか筆が重くなるほど何度も迷いましたが、吹っ切って突き進む事にしました。
※タグ「ヒロイン不在」
その日、少女は町の市場へ顔を出していた。
白と茶のツーピースで、足元まで広がるスカートは地味な若い村娘といったいでたちだ。長い黒髪はサイド三つ編みでゆるく一本にまとめられ、その先をお手製の白い飾り布のシュシュで止めている。
首からは小指ほどの大きさの筒のような物をネックレスのように下げていた。それは何かの動物の骨で作られた笛で、犬笛に似ていた。
そんな周りと比べるとやや小柄な少女は背に宝物を背負い、腕には篭をぶら下げて今晩の夕食のメニューを何にしようか考えながら歩いていく。
木とレンガ作りの街並みと石畳の道。
町の各所には川から水道によって繋がれた給水場があり、そこからたくさんの人や家畜が水を家へと持ち帰っていく。また別の給水場では女性たちが篭に盛られたたくさんの服を洗っている。
町の通りには様々な野菜や果物、肉を扱った露店があり、色んな人が品物を覗いている。街角には一生懸命声を上げる花売りの娘や、気だるそうに路地に座り込んで煙を浮かべている男性らもいる。
一見なんてことのない市場の風景のようにも見えるが、そこにいる人々の顔はどこか覇気がなく、疲れているようにも見えた。
時はそろそろ夕暮れに差し掛かる頃合で、町にあるそれぞれの家からは様々なスープの香りや肉を焼く匂いが漂い始めている。
顧客から預かっている数体の騎竜のエサの買い付けも無事に終え、少女も家に帰って手の篭にある食材を使って夕食の準備を始めようと帰路へつこうとして、その騒ぎが目についた。
そこには小さな人垣があり、その中心には一人の大柄な少年の姿があった。
ほぼ新品の、動きやすい旅装束のシャツとズボンに防寒具のマント姿。マントは見事な毛並みをした金色の毛皮を丁寧になめしており、高級感溢れる一品として一際目を引いている。そして首には黒い布が巻かれていた。
ナップザックを背負った野性味のある姿は見るからに流れ者、旅人、或いは傭兵や戦士のものであった。
鍛え上げられた筋肉が窮屈そうに服の下から自己主張しており、サイズがあまり合っていないのが一目で分かる。
腰にあるカバンからは可愛らしい子狐の顔がひょっこり覗いており、まるで有袋類の子供のようだ。
少々、いやかなり異様な風体の少年だった。
ただ、顔からは悪人らしさや荒んだ空気は感じ取れず、むしろ純朴そうな感じを受けている。
「何だろう?」
小さく首を傾げると、少年を遠巻きに窺っていた一人の顔見知りのおばさんが少女に気付き、小さく潜めるように声をかけてきた。
「ああ、ちょうどいいところに」
「どうかしたの、おばさん」
「いやね、あの人がどうも少し前からあちこちで『モガミ・コトリ』って女の子を捜して聞き回っているみたいなのよ」
「わたしを?」
少女、小鳥が目を丸くしながら少年を改めて見る。
少年はといえば、たくさんの視線に困ったようにしながらも腰を引く事なく堂々としていた。むしろ新手の威嚇なのか、胸筋をぐいっと前に出していた。
そんな彼の姿に小鳥はまったく心当たりがない。
けれど。
「わたしの名前を知っていて、この町の人じゃない……もしかして……」
心の中に湧き上がってくる期待を抑えながら小鳥が少年を見ると、少年は遠巻きに集まっている人々に呼びかけている所だった。
「だから、僕はこの町に最上小鳥っていう女の子がいるって聞いてここに来たんです。その、この中でどなたか知ってる方はいませんか?」
「あの……最上小鳥はわたしですけれど」
小鳥が片手を上げて人の輪の間から進み出る。
頭一つ分以上違うため、自然と見上げる形になった。
「え、最上さん……?」
少年は現れた少女に一瞬息を止め、食い入るように見つめる。
「…………」
「あの……?」
「あっ、ご、ごめん……う、うん。あ、そ、そうだ! 僕、僕、黒岩。黒岩剛だよ! …………憶えてない、かな?」
小さく、本当に小さく揺れる少年、黒岩剛の声と瞳。精一杯の笑顔を浮かべたつもりだが、語尾はかすれていた。
黒岩剛の耳に、己の心臓の音が大きく聞こえる。
果たして小鳥は。
「うそ……黒岩君なの?」
篭が手から滑り落ちる。
両手で口に当て、驚きを露にした。
「うん……うん! そうだよ」
「わたし、あそこから落ちて……死んじゃったんだって……思って……」
「死んでないよ」
「そう……なんだ……」
小鳥はその小さな指でしきりに目元を拭う。だが次々に涙は零れ落ちていく。
「……そっかぁ…………良かったぁ。本当に……良かった」
笑顔。
泣きながらも、彼女は何度も「良かった」と繰り返し、笑っていた。
「あ、ご、ごめんね。なんだか涙、止まらなくなっちゃって……ごめんね、見苦しくて。ちょっと待って」
「あ、その前に……いいかな」
「?」
未だ収まる気配の無い感情の雫はそのままに、小鳥がかつてのクラスメイトを見上げる。
「……久しぶりだね、最上さん」
「あ…………」
黒岩剛は笑顔だった。
彼のこうした笑顔を見るのは彼女も初めてだったが、それは在りし日の教室を、隣の席の少年を思い起こさせるには十分だった。
「うん……久しぶり、黒岩君。またこうして会えて本当に嬉しいよ」
黒岩剛にとっての四年ぶりのクラスメイトとの再会は、泣き顔と笑顔の中で交わされた。
そして。
「ん?」
ふと、今まで彼女しか目に入っていなかった黒岩剛は、ようやくそこで彼女の背中に気がついた。
「そういえば……あの、最上さん。その背中って……」
「え? あ、うん。やっぱり驚いちゃった?」
「…………やっぱり、赤ちゃん?」
彼女の背にはおんぶ紐で背負われた幼児が大人しく眠っていた。立って歩けるか歩けないかくらいの、幼児に近い姿だった。
「えへへ。実はねわたし、もう最上じゃないんだよ。結婚して小鳥・キャピシオンになったんだ。この子はイザベルだよ」
少女はそう満面の笑顔で告げた。
旧姓最上、今は小鳥・キャピシオン。四年ぶりに再会した隣の席の少女は17歳で人妻、一児の母になっていた。
その背中には大人しく眠って
「そ……そっか…………うん、そっか、うん……うん」
何度も繰り返し繰り返し頷く黒岩剛。
別れる前は中学一年生。あのまま日本で暮らしていて進学していたとしたら、今は高校二年生に当たる年齢だ。日本にいた頃の感覚で考えると結構なギャップと戸惑いがあった。
なおこの世界は平均寿命が低い事もあり、成人の年齢は15歳とされている。そして女性は15歳程度が結婚適齢期と見なされているため、小鳥の現状は一般的におかしくはない。
己が納得するまで結構な数の頷きを必要とした。
「おめでとう、最上さん……じゃなくて、キャピシオンさん、かな?」
「ふふ、ありがとう。でも小鳥でいいよ」
「いや、それはちょっと……じゃあ…………………………小鳥さんで。どう、かな?」
「うん。それじゃあ私も剛くんって呼ぶね」
どこか窺うような黒岩剛の姿と、一貫して柔らかな笑顔の小鳥の姿が印象的だった。
そこで一人の観衆が声をかけてきた。最初に小鳥に話しかけてきた知り合いで、ずっと成り行きを見守っていたおばさんだった。
「なんだい、このでっかい人はあんたの知り合いなのかい」
「はい。わたしのお友達なんです」
その小鳥の言葉に、黒岩剛は彼女の背で軽く目を瞠った。
彼女は迷うそぶりすらなくそう言い切ったのだ。当然と言わんばかりに。
友達、と。
「そうなの。まあ何にせよ探し人が見つかったんなら良かったわね」
おばさんはそう言って周囲の観衆に解散を促し、自分も散っていった。
残った二人が改めて向かい合う。
「剛くん、大きくなったねぇ……前はわたしと同じくらいだったのに」
「ん、そうかな……? 自分じゃよく分からないんだけど」
「そうだよ。だって……ほら、もうこんなに違うよ」
小鳥は一度自分の頭に手をやって、そのまま平行に動かす。その手は黒岩剛の胸に当たって止まった。彼のすぐ前に立って手を上に伸ばしても、ようやくその顔に届くくらいだ。
「ねっ」
「う、うん……そうだね」
何故か得意げに笑う彼女を前に、黒岩剛の頭は次第にヒートしつつあった。
「だめだだめだ。もう最上さんは好きな人いるんだから……!」
そんな内心を押し込め、一人ぶんぶんと頭を横に振って冷却する彼の姿に小鳥はきょとんとしていた。
「あ、ねえ剛君はいつこの町に来たの?」
「ついさっきだよ」
「もしかして一人かな?」
「いや、この子もいるよ」
腰のカバンを軽く叩く。
「ね、クリス………………あれ? クリス? ねえ、クリスってば。ほら、顔出しなよ」
「……」
無言。
カバンの中では丸まって金色の毛玉となっているクリスがいた。
「えっと、この子が僕の唯一の連れなんだ」
「わぁ、狐? 可愛い!」
可愛らしく顔を輝かせる小鳥を間近に見た黒岩剛は、それが昔と変わらない事に懐かしさと嬉しさが胸の奥底から湧き上がってくる。かつてクラスで隣の席だった頃、時々彼女のそんな笑顔を見れた時はとても幸せな気分になったものだった。
いや、今もそれは変わっていない。
「眠っちゃってるの?」
「いや、そんな事ないよ。クリス、ほら、クリスってば。この人がここに来る前に話してた小鳥さんだよ。挨拶しなきゃ」
「……」
毛玉の中から耳がピクリと動くが、顔をカバンの奥から出す事はなかった。
「うんと……ごめんね。なんだか今機嫌悪いみたい」
「そう? それじゃあ仕方がないね……それで黒岩くん、まだ来たばかりで泊まる所も決まってないんでしょう。だったら家に来ない? もっとたくさんお話したい事もあるし、旦那様にお願いするから」
「え、いや、でも……」
「遠慮だったらいらないよ。わたしたちは友達で……数少ない仲間同士なんだから、剛くん」
仲間。
それはこの異世界セフィロートに迷い込んだ者同士、たった数十人しかいない同郷達。
助け合わなくちゃ、と彼女はそう言った。
「それに、わたしの旦那様も紹介したいしね。ちょっとぶっきらぼうなんだけど、本当は可愛い人で、すごくいい人なんだよー。ふふ」
そんな幼児を背負った彼女の幸せそうな惚気に、黒岩剛は心の底から思った。
「あぁ……本当に来て良かった」
温かいもので満たされながら、その言葉を強く噛み締める。
まだ『目的』は果たしてはいないけれど、それを抜きにしても目の前の光景は彼に深い、深い充足感を与えてくれた。
次でさくっと過去話。