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「げほっ! はぁっはぁっはぁっ」

 黒岩剛がなんとか川から這い上がったのは随分と下流に流された後だった。

 玄武は水神の神格を持つため、水難で死ぬ事はない。

 ただ、川に落ちる前にトリケラトプス(仮)に受けた角の一撃は、彼の体に大きな青アザを浮かび上がらせる程度にはダメージを与えていた。

「……ここ、どこ?」

 見渡せば周りは木、木、木。森のど真ん中だった。

 どうやら流される内に逆方向の樹海側に迷い込んだらしい。遠くには彼を川に放り込んだトリケラトプス(仮)のような怪獣とも言える巨大なモンスターがうろうろしていた。

 どうも樹海側はモンスターの楽園らしい。

「に、逃げなきゃ……」

 だがどうやって?

 方角も分からない。辺りはモンスターだらけ。食料もない。

 一体どれだけ走れば助かるのか。

 何も分からない。

「みんなぁ……」

 見知らぬ世界に一人ぼっち。

 例えただのクラスメイトという簡素な間柄であっても、知っている顔がいないという事は非常に不安を駆り立ててくる。

「ん……?」

 ふと、気がつけば見られていた。

 じっと見つめる視線。それは森の獣たち。

 鳥が、オオカミや猿やカモシカらしき何かが、また水の中からはカバらしき何かが彼の様子を窺っている。

「ひっ…………」

 立ち上がる事すらできず、尻餅をついたままずぶ濡れの体を引きずって後退る。

 後退る分だけ、獣らはゆっくりと距離を詰めてくる。

 狙われている。

 彼はそう認めた瞬間、脱兎の如く駆け出した。もう方角もくそもなかった。とにかくこの場にいたくないという衝動に任せたまま森の中へと駆け出した。

「オオオオオォォォォーーーーン!」

 背中から遠吠えが聞こえる。

 複数の気配が追って来る気配を感じながら、黒岩剛は一人重い体を引きずるように我武者羅に走った。


 幸いにも玄武の加護は彼を守った。

 その装甲は強力で、そこいらのモンスターでは彼に傷一つ付けられなかったのだ。

 どれだけ牙を突きたてられても、爪で殴られても、物を投げられても、彼の体はビクともしなかった。

 噛み付いたまま巣穴に引きずりこもうとしても、その見た目からは想像もつかないほどの重量に、逆に獣達が引きずられる始末だ。

 だがそんな安全も、森の中をさ迷う彼の心を慰めはしなかった。

 吠え立てられれば恐ろしいし、唾液を撒き散らしたまま大口を空けて勢いよく噛みつかれれば怖いとも感じる。

 どれだけさ迷い歩いたのだろうか。

 ただどんどん樹海の奥へと迷い込んでいる事だけは、その周りの風景や空気の濃さからなんとなしに分かった。

「なんで、こんな事になっちゃったんだろうなぁ……」

 精魂尽き果て疲れ果てた顔で、足を引きずりながら少年はポツリと呟く。

 もう涙も枯れ果ててしまった。

「どうして……僕がこんな目にあうんだよぉ……何も悪いことなんてしちゃいないのに……」

 誰もいないのだと。このモンスターの楽園の中、一人ぼっちなのだと痛感し、諦観の念すら抱いてしまっている。

「ただ……静かに、ひっそりと隅っこでいただけなのに……誰にも迷惑なんてかけてなかったのに……神様のバカ」

 そのささやかな罵倒は信仰上の神に対してなのか、それとも己の内に宿った玄武に対してなのか。それすらも分からなかった。

 ただひたすら億劫だった。

 そしてフラフラと歩き回った後、彼が辿り着いたのは小高い丘の上だった。

 そこからは樹海が一望できた。

 辺りに獣の気配はない。怪鳥が上空をグルグル回っているが、見ているだけで決して下りてこようとはしなかった。衰弱するのを待っているのかもしれない。

 だがそんな事に構わず、黒岩剛はそのへさきに身を投げ出すように座り込んだ。

 動くのを止めた途端、とりとめのない思考が溢れ出す。

 それは両親や妹の事だったり。

 それはこれまでの学校生活だったり。

 それは昔の楽しかった事だったり。

 それは家で兄弟同然に育ったビーグル犬の事だったり。

 それは図書館で読みふけった本の事だったり。

 それは隣の席の最上小鳥の事だったり。

 そして最後には己の今の境遇へと辿り着く。

 クラスメイトに置いていかれ、迷ったあげくに一人ぼっち。

 帰り道も分からない。行く当てもない。

 モンスターの蔓延(はびこ)る樹海の真ん中に一人、こうして座っている。

「どうしてこうなったんだろう」

 思考のループ。

 何度考えても結論はいつまで経ってもでず、堂々巡りばかり繰り返す。

 グルグル回る原因と結果は、どれも正しいようで、どれも違う気がする。

 次第に何故こんな事を考え始めているのかすら分からなくなり、自らの内へと没頭していく。

 自分でも分からない何かを探し求めて。

 そうやってずっと座りこんで考えていた。

 何も飲まず食わずで、ずっと。太陽が沈んで、昇って。それを何度か繰り返す。

 獣達は近寄ろうとはせず、遠巻きに様子を窺うばかり。

 次第に意識は朦朧とし、体が衰弱し、意識が混濁していく。

 それでも思考は止まらなかった。

 愛とは何か。

 友情とは。

 正義とは。

 社会とは。

 人とは。

 強さとは。

 弱さとは。

 人生とは。

 喜びとは。

 ……自分とは一体何なのか。

 浮かんでは雲海の果てへと消えて行く。

 いつの間にか完全にうつ伏せに倒れていた。

 それでも体を起こす気にはなれず、ずっと視線を空にさ迷わせ、虚ろな表情で樹海を眺めていた。

 もう目を開けているのか、閉じているのかも分からない。気がつけばずっと暗闇の世界。

 どれだけそうしていただろうか。

 ある時ふと何かが目を刺し、顔を上げようとする。

 死にかけの弱弱しい体に鞭打って、前を見る。

 そこには今、まさに昇ろうとしている太陽があった。

「ああ……」

 朝日に照らされる樹海はあまりにも雄大で、そして美しかった。

 そこには獣の営みがある。

 あまりにも単純で、明確な弱肉強食の原初の世界がある。

 その光景に心打たれ、少年は呆然と涙を流す。

 ただただ感動に打ち震え、握りしめる拳にはこれまでにない力強さがあった。

「そうか……」

 天啓的に一つの閃きが降りてくる。

 それは絶対的な確信を以ってこの上なくすんなりと受け入れられた。


「筋肉こそが……正義なんだね…………」


 如何なる経緯を経てそのような結論に達したのか不明ではあるが、彼は一つの悟りっぽい何かを胸にゆっくりと立ち上がり、森の中へと消えていった。

 その足取りにもはや迷いはない。


 そして彼は野生に帰った。


 彼が一体何を見て、何を思ったのか。

 それは太陽だけが知っている。







一体何を思ってそんな結論になったのか。

どうしても知りたい人は太陽に聞いてください。

作者は知りません。

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