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背の高い雑草が生い茂り、虫が飛び交う道無き道を生徒達はビクつきながらも下りて行く。
下りがあれば登りもある。起伏に富んだ山は12,3歳の少年少女らには少々厳しいものがある。
高所による体調不良を訴える者がいつ出てくるかという懸念もある。
とにかく空から見えた方角を頼りに真っ直ぐ。急勾配の斜面があれば青山涼が青竜の力で持って頑強な蔦のロープをいくつも生み出し、命綱の代わりにして下りていく。
「無理! 無理! 絶対無理! こんなのできないよ! 怖い!」
「仕方ないなぁ……じゃあ僕が飛んで運ぼうか?」
そう言うのは青竜の加護を得た青山涼だ。彼なら一人くらい抱えて飛べる。
「うん、お願い」
幸いその女子は男子とくっつくのにさほど抵抗がないタイプだったため、そのまま言葉に甘える事にした。
なお、運ぶ方法は背中か腕の中か真正面かぶら下がりかなどいくつかパターンがあるが、青山は素で背中のおんぶを選択していた。そこに邪気は一切ない。
ちょっと顔を赤くしながらも少年の背中におぶさる女子。
下に降り立った時には二人を冷やかす歓声と、ワガママを言って甘えたその女子への反発の視線が待っていたが。
「足がいたーい」
「そこ、滑りやすいから気をつけて」
「うう……ちょっと段差が……制服汚れちゃうなぁ……」
「ちょっとー。男子、そこ邪魔ー。どいてよー」
「くそっ、雑草がうぜぇ……虫は変な病気とかないだろうな」
「もうやだ。なんでこんな苦労しなくちゃいけないの。ありえないー」
「いってえ! 足挫いちまった……くそ、この石邪魔!」
「涼ちゃぁん。ケガしないでねぇ」
「いいから燐は下がってて。僕なら大丈夫だから。ほら」
「お。あっちに花畑がある。綺麗だなぁ……」
「風! 風が強いぞ! 転ぶなよ!」
仲のいい友達同士のグループが固まって助け合い、或いは堪え性のない生徒が不満やストレスを大声や暴力で発散する。
その度に生徒達の中でも人望があり、また一目置かれている青山涼や赤崎蓮、白野珠を始めとした一部の生徒達が事態の鎮火に当たっていた。
それでも泣き出す生徒はいたし、不満が消えるわけではない。
個人によって進むスピードの差があり、いつ未知の怪物から襲われるやもしれぬプレッシャーから先頭は遅れている最後尾に対しイライラが募っていく。
その最後尾に、ドン亀と化した黒岩剛もいた。
元々もやしっ子で本の虫である彼は体を動かす事が苦手で、体力もない。重い体を引きずるように歩くだけで精一杯だ。外からはそんな異常が分からない事や彼以外の加護は全てプラス効果のため、本当に彼がそんな異常を抱えているのか疑っている者もいる。というか嘘つき呼ばわりもされたりした。このあたりはぼっちであるが故のクラスメイトとの信頼と信用の無さの要因が大きい。
「本当なのに……」
訝しげな視線に、当の本人はそうは思っても口にはしない。できない。
言ったら余計反発と不和を招くだけだ。
だからこの集団において友達も味方もいない黒岩剛は置いて行かれないよう、ただひたすら黙々と足を動かし続けるしかなかった。
声をかけてくれる人も、かけるような相手もほとんどない。
一人ぼっち。
内心、泣きそうだった。
ただ、最上小鳥や黄田豪一郎の二人だけは信じてくれて、険悪な空気の仲裁に入ってくれたため、それだけが救いだった。
そうやって町を目指す間、集団の道のりは決して安全とは言いがたかった。
「ねえ、なんか変な音があっちから近づいてくるよ。引きずってる音みたい」
白野珠の白虎の加護は脚力と聴覚。
戦闘向きの加護を得ているとはいえ、彼女はあくまで普通の女子の範疇に収まる。ビンタとかした事はあっても、モンスターはおろか小動物を殺す事には強い抵抗と忌避がある。そのため戦列には加わらず、荒事は他の者に任せてグループの中で大人しくしていた。
そしてその鋭敏な聴覚でもって索敵の役割を必死に果たしていた。
「蓮! あっち見えるか?」
「おう、涼も雷、準備しとけ」
赤崎蓮の加護は視力と火の翼。
素早く集団の前に出て、かばうような位置取りをする。
その背には正体不明のモンスターに襲われる恐怖に怯える同じ生徒達がいる。
たった一つの手違いがあれば傷つけられ、命を奪われるという恐怖を今、最も身近に実感している彼らはあまりにも無力だった。
赤崎蓮が森の木立の隙間から捉えた姿は蛇だった。それは丸太のような大きな白蛇だった。しかも体長は5mはあろうかというくらいに長い。下手すると象も丸呑みできそうだ。
「ちょ、でかいでかいでかい!」
「いやああああ! キモイ! ちょぅキモイ!」
「青山君、早くやっつけて!」
一事が万事、大騒ぎ。
大声を上げるだけで他の山の動物らの注意を引いて新たな危険を呼び寄せるのだが、中学一年生の彼ら全員が全員にそんな自制心があるはずもなく。最初は注意していたのだが、1,2回の遭遇でとっくに耐久ゲージは振り切られていった。
「おらあああああ!」
「蓮、うるさい」
「どっせーい!」
特別な力を得た三人が、遠距離からとにかくその力でやたらめったら撃って撃って撃ちまくる。
火炎放射が。
巨岩の砲弾が。
雷撃のビームが。
手加減無用でバラバラに放たれる。
この異能を手に入れて練習する時間などあるはずもなく、コントロールや命中率など望むべくもない。とにかく数撃ちゃ当たる。それしかできなかった。
そして接近されたら終わり。
あんなのが数mまで近寄ってきたら、もう皆何も考えずにバラバラに逃走するしかなくなる。或いは文字通り蛇に睨まれた蛙として体が動かなくなるか。
ゆえに、遠距離だけで勝負を決めるしかない。
それに消耗を考える余裕もない。異能を使うたびに疲労が蓄積されていくが、失敗の代償はそのまま自分を含めた全員の命だ。ローテーション制も考えたが、火力を下げて後ろの生徒達が安全面には替えられないと強硬に反対され、総員全力となっている。
殺到する弾雨。近づこうとしていた白蛇はそのくねった動きで素早く避けようとするが、あまりにも数が多すぎた。
ボロボロになって動きが鈍り、やがては完全に動かなくなった。
それを見届け、安全を皆に伝える赤崎蓮。
生徒達は命の危険が無事去った事にほっと一息吐いて、また山を下り始める。
金子燐もまた治癒の能力を活用して山歩きの中で裂傷を負ったり転んで打撲したりと、動きが鈍るダメージを治す事で集団に貢献し、その活躍を大きく認められている。
そして最後の一人はといえば。
「は、はい、水」
「サンキュー」
黒岩剛の手から湧き出し、滝のように落ちる水で生徒達は喉を潤し、汚れを洗い落とす。
彼の玄武は水を司る。
が、どんなに勢いよく出しても水は水。ホースの代わりにしかならない。戦闘面において彼の今の出力では多少のモンスターの勢いをわずかばかり殺す事はあっても、燃焼の火弾や衝撃の岩弾、感電ショックの雷撃の有用性には遠く及ばない。水を怖がるモンスターでもなければ、基本的に殺傷能力はないのだ。足止めしかできない。
その上、赤崎蓮の火と非常に相性が悪い。一緒に水流を放てば打ち消しあう始末だ。当然、赤崎蓮の方が優先される。
しかも足が遅い。戦闘行動に従事していたらただでさえ遅いのが、ほとんど進む事ができなくなる。
その結果彼は役立たずの烙印を押されながら戦闘を免除されて、とにかくその遅い足で一歩でも先に進むよう通達されていた。もちろんいくらかオブラートに包まれてはいたのだが。
だが戦闘には役に立たないとはいえども、水は人が生きるためには必要不可欠な要素だ。極限まで食べる事を放棄しても一週間は死ぬ事はないが、水がなければ4,5日程度で死んでしまう。
ここには安全な水というものは見当たらず、生水を飲む事もできないため、現状黒岩剛の出す水は安全が確認されている事もあって水道代わりになっていた。
ただ、他人の握ったおにぎりが生理的に受け付けないタイプの生徒が極少数いたが、こちらは決して水を飲もうとしなかった。
そしてもう一つの役割は。
「おーい、黒岩君、蓮がバラ撒いた火を消しておいてね」
「う、うんっ」
放っておいた火が燃え広がり、山火事で火と煙に巻かれて全滅など笑えない。
そのため、赤崎蓮がその朱雀の力を振るった後の火の後始末は水を扱う彼の役割だった。
前方に出した手から創りだされ、放たれた水は消防車の放水に近い。
火を消した後、後ろから最上小鳥が「お疲れ様」と声をかけてくれる。それから彼を置いて先に移動を始めている集団へと案内するのがモンスター撃退開始からの一連の流れになっていた。
「おらっ、とっとと来いよ! 黒岩! おせーよ!」
乱暴なせっつく声が前からする。赤崎蓮だった。
進むにつれてどんどん遅れて行く黒岩剛にイラ立ちが募っているのか、いつの間にか呼び捨てにされている。何故かこの不条理な事態に遭遇してからというもの、赤崎蓮は黒岩剛にだけどんどん厳しくなっていた。
「待って、赤崎君。今行くからー! さ、行こう」
クラスでは隣の席であった事と、単純に持ち前の善性から困っている生徒をフォローをするのが最上小鳥という女子だ。そこにそれ以上の意味はない。
勘違いしないよう必死に自制している黒岩剛だったが、やっぱり優しくされると嬉しいと思ってしまうのは男子、女子どちらも変わらない。
ただこれ以上迷惑をかけないよう、負担にならないよう彼は精一杯頑張るだけだ。
そもそもが女子に手を引かれるのが情けないと思うくらいには男の子の意地がある。
集団は進む。
幸いにも勝手にいなくなった一人を除いて脱落者を出す事なく。少しずつ口数が減っていき、息を切らせる生徒が多くなってきた頃、ふと彼らの耳は水音を捉えた。
進んで行くと切り立った崖があり、その遥か下を急な流れの大きな川が流れている。
「落ちたらこりゃあ助からないな……」
「フラグ立てんなボケ……お前落ちても知らねーぞ」
「そんときゃお前も道連れにするから」
「ひっでぇ」
そこは正に秘境といった風景だった。
人の手の入っていないと一目で分かる大自然は自然と生徒達の心を打つ。
だが今は生きるための集団下山中。感動もすぐ脇に追いやって歩き始める。
黒岩剛は既に息をぜいぜいと切らし、感動する余裕もなかった。
遅れまいと集団のケツに食い下がって、まさしく重い足を引きずるように歩き出した時だった。
「待って。足音がする。数はない……けど速い。重い……? どんどん大きくなってくる! これやばくない!?」
白野珠が後半悲鳴さながらに出した警告は、すぐに判明した。
皆にも見えたのだ。
彼女が指し示した方角。山の木々よりなお背の高い――恐竜が。
それは強いて言うならサイのようであり、トリケラトプスに似ていた。ただスケールが違いすぎた。
遠目にも分かるほど巨大で、小山ほどはある体高。
二本の角は雄雄しく、その先端には今仕留めたばかりであろう虎のような動物がネズミのように貫かれていた。トリケラトプスは草食だったが、こちらの視界にいるトリケラトプス(仮)は肉食らしかった。
トリケラトプス(仮)がどんどん歩み寄ってくる。
その度に地面が揺れ、それがどんどん強くなってくる。
その目は確実に生徒達を見据えていた。
「…………無理だろ」
「無理だね」
赤崎蓮と青山蓮が揃って引きつりながら呟く。
それが引き金だった。
「に、逃げろおおおおお!」
「うわああああああああ!?」
恐慌だった。
我先にと逃げ出す皆。
「ま、待ってよ。置いていかないで!」
「はやくはやく逃げろ!」
運動ができない者はあっという間に差が広がり、
「おいバカ! 勝手に先走るな! せめて僕達の手の届く範囲で――」
必死に青山が呼びかけるも、先頭を走る者達の耳には届かない。
バラバラに逃げてしまっては、たった数人しかいない異能持ちのカバーできる範囲から漏れてしまう。もし逃げる途中で新たな脅威と出会ったらその時こそ命取りだ。
だがそんな冷静な判断ができる状況ではなかった。
迫り来る命の脅威はそれだけでパニックを誘発する。それもあんなに分かりやすい強大な暴威の形として見えたならなおのこと。
とにかく逃げ切るだけで頭が一杯だった。
皆に遅れる事、黒岩剛もまた走り出していた。
だが圧倒的に遅い。
クラスでもどん臭いと笑われていた女子の、その更に後を走っているのだ。しかも徐々に引き離されていく。
その恐怖たるや、言葉にはし尽くし難い。
このままではまず真っ先に自分が食われてしまう。
そんなのはイヤだと、彼は精一杯これまでの疲労をおして足を交互に動かし続ける。
だが玄武の重量の加護は如何ともし難かった。慣れない負荷はどうしても動きを鈍くし、それがもどかしく、焦りばかりを生む。
そして、ついに追いつかれてしまった。
「ブオオオオオオ!」
トリケラトプス(仮)の前方に突き出された二本の角が掬い上げるように黒岩剛へと迫る。
だがその角が彼の体を貫く事はなかった。
ただの人間であれば胴体が千切れ飛ぶ威力の角も、玄武の加護を持った彼の装甲を破るには至らない。また本来ならその衝撃で野球のホームランのように吹っ飛ばされるはずなのだが、これまた玄武の加護の重さによってわずかに跳ね上がった程度だった。
まるで巨岩を突いたような手応えに、トリケラトプス(仮)の表情が不機嫌そうに歪む。
自慢の角で獲物を仕留められなかったのが業腹だったのか、トリケラトプス(仮)の目は彼一人に絞られてしまった。
当の狙われた本人は、無事を喜ぶヒマもなくまたすぐに四つんばいから起き上がって足を動かす。
だが余りにも鈍足で、絶望感だけが積み上がっていく。
必死に逃げようと走る。
だが体が重くて思うように走れない。
皆から置いていかれ、一人だけが狙われる。
まるでインパラの群れの中、獅子の狩りの獲物に選ばれた気分だ。やがて爪と牙をその身に食い込まされ、地面に引きずり倒され、集まってきた獅子らの胃袋に納まってしまう未来が否応無しに見えてしまう。
追いつかれたら今度こそ殺されてしまうかもしれない。いや、殺されてしまう。
それは何よりも恐ろしく、また心細かった。
「助けて! 助けて!」
もう涙は止めどなく溢れ、その声は恐怖に震え、引きつっていた。
「誰かぁ!」
そして彼自身、誰もぼっちの自分など助けに来ないだろうと理解していた。
だが、その悲鳴に応える者達がいた。
「黒岩君!」
「くそ、黒岩ぁ! しっかりしろ!」
飛び出したのは二人。最上小鳥と黄田豪一郎。
「だめだ、行くな最上ちゃん! もうあいつはダメだ!」
「でも!」
赤崎蓮に肩を掴まれ、目の前の惨状に涙を浮かべる彼女は状況が見えていないとしか言いようがない。例え彼女が黒岩剛の下に駆けつけられても死体が増えるだけだ。
他の皆も遠巻きに見るだけで戻ろうとはしない。哀れな犠牲者を見るに耐えないようにすぐ目を逸らす生徒もいた。
「離して、助けなきゃ!」
「なっ!」
それでも赤崎蓮の制止を振り切って最上小鳥は走る。そこには打算も何もない。ただ見殺しにはできないという必死さだけがあった。
彼女の予想外の強硬な反応に、赤崎蓮もつい逃がしてしまった。
「黒岩君、しっかり!」
先行する黄田豪一郎と共に助けに向かってくるその姿。
「あ……」
それが、黒岩剛の見た最後の光景。
その胸中に去来するものが何なのか理解するより先に、彼は――
「ブオオオオオオ!」
地上が遠かった。
最初は無重力感。そしてすぐに急降下。
トリケラトプス(仮)の本気の角の一撃は、今度こそ彼を空へと放り投げ……
「ああああああああああああああああ!?」
その姿は崖下の川の中へと消えていった。