21
「おー、やっと帰ってきたか、ってなんだ? すっげえしかめっ面して。中で何かあったのか?」
「……ううん、なんでもない。ただ予感が当たったっていうだけで。あ、そうそう。間違いなく僕らのクラスメイトだね、絵を描いているのは。紙はともかく、トーンなんかどうやって調達してるんだか……」
待ちかねたようにクリスが黒岩剛の肩に飛び乗ってくる。
一度鼻先を彼の頬になすりつけ、定位置に納まった。
一行は宿に戻るべく歩き出す。
「トーン? なんだそりゃ」
「マンガを描く時に使う道具の一つだよ。使わない人もいるけどね」
「ふーん。で、誰よ?」
「……ペンネームは『ホワイト☆タイガー』だった」
「ペンネーム?」
「ネットで使うハンドルネームみたいなものだよ……マンガを見に来ていた人から聞いた話だと、今もこの都市に住んでいるんだって。僕としては会わずにこのまま次の街に行きたい所だけど……」
「あん? まああんなに盛況だったし、うまくやってんだろーけど……なんでまたわざわざ避けるよ? 知ってるヤツ?」
「いや、心当たりはないよ。けど、大体どういうタイプの人かはマンガを見れば分かる………………それに赤崎君にとってもその方が……ううん、なんでもない」
「??? 最後、煮えきれねー野郎だな。もうちょいハッキリしろよ」
「そうだね……僕の苦手な、いや嫌いなタイプだからかな……」
「お、おぉ……?」
いつも穏やかな彼が始めて見せた嫌悪の色。
それに赤崎蓮は思わず後退った。
「……?」
寄り道をしたせいで随分と日が落ち、もうじきに沈もうとしている。
子供達が手を振ってさよならを言い合い、走って家の中に入っていく。
来る時と比べ、随分と少なくなったストリートを歩いている時だった。
「赤崎君、こっちへ」
「あぁん? そっちは宿の方角じゃねーだろ。また寄り道か? いい加減にしろよテメエ」
「いいから」
黒岩剛が急に角を左へ曲がる。赤崎蓮はしぶしぶその後について行った。
「次はこっち」
「へーへー。どこ行くんだか」
再び角を左に。
「……こっち」
「おい……」
左に。
「また同じ道に戻ってきてるじゃねーか! なんだ、方向オンチかよ! いい加減にしろ!」
「………………うん。赤崎君、ちょっと静かに。前だけ見てて」
「あぁん?」
「さっきからずっと僕達をつけてる連中がいる」
「は?」
「振り向いちゃダメ」
「ちっ、一体なんだってんだ。またどこぞのチンピラが難癖つけにきたのか?」
「いや、どうも様子が少しおかしいんだ。なんていうか、あまりにもお粗末というか……子供が尾行ごっこをしているような感じが……」
「はぁ?」
「あ、女の子の二人組みだった」
「で、どーすんだよ? 撒くのか?」
「いや。ちょうどいいから人気のない所に行ってみよう。もしかしたら向こうはそれを待ってるのかもしれない」
「一体何の用なんだろうな?」
「……もしかしたら、赤崎君のファンかもね」
「はぁ? オレ、この辺来た事ねぇぞ。なんだよファンって」
「……」
既に名前だけはこの都市の一部界隈で有名になっているらしい事は教えなかった。
なおクリスはまったく気にしたそぶりもなく、肩に乗っかって耳だけピコピコ動かしている。
自然なふりをして道を外れようとした途端、黒岩剛は立ち止まった。
「ダメだね。あっという間にいなくなった」
「あん? なんだよ結局正体分からずじまいかよ」
「うん……」
「つーか、本当に尾行されてたのか? お前の考えすぎなんじゃねーの?」
「……」
ガブリ。
クリスが無言で赤崎蓮の足に噛み付く。
彼をバカにする事は許さない。そう主張していた。
「いってえ! 何しやがるこのクソ狐!」
首根っこを掴もうとした手をスルリとすり抜け、クリスは優雅にお座りして毛づくろい。
「こ、こいつなめやがって……!」
「まあ、今日の所は宿に帰ろうか。もう随分と暗くなってきた」
「へーへー。あー、やっと休めるぜ」
そして宿へと帰ると既に食堂は人で賑わっていた。
結構な人数の荒くれ者や旅人などが騒いでおり、その中を若女将達が忙しそうに働いている。
早速一行も食事をしに空いたテーブルの席に着き、肉とスープを注文する。
厨房と客の間を行ったり来たりしている女性の中にはこの宿の若女将がいた。
彼女が初め赤崎蓮の名前で驚いていた事を思い出し、その事についてこっそり小声で尋ねてみると、やはりホワイト☆タイガーの描くマンガのファンだという答えが返ってきた。
マンガと同じ名前の人が目の前に現れたからびっくりした、と言って若女将はにかんだように笑った。
なお当の本人はと言えば。
「ほー、中々マシな味付けだな。いい宿じゃねーか」
豆と野菜を次々口の中にかき込みながら、そこはかとなく上機嫌だった。
☆☆☆★★★
「ちょっと、何あいつ。背中に目でもついてんの? あたし達の事ちょっと近づいただけで気付いたわよ。マンガみたいに気配を察知するとかいう、ふわふわした感覚のとんでもスキルでも持ってんの?」
「てーかー、よくあんな遠くからあいつらの声聞こえたね。あたし全然だったよ」
「ふふーん。それがあたしの使徒としての能力だからね。今のあたしは地獄耳! あーんど、超スピードで動けるのさー! あーははははは!」
「でも、どうするー? お金で頼んだ手下達さっぱり役立たずだったし、後ろからいきなり救い出すっていう最初の計画も止めちゃってさー」
「ぐぬぬぬぬ……そうなのよねー。足には自信あるから、全力ダッシュで後ろからキックして懲らしめようと思ったけど、どうにも気づかれちゃってるみたいなのよねー……むむむ」
「ねー。頼むよー。あたし達のカタキ取ってよー。あんな極悪非道なヤツ、やっつけちゃってよー。あたし達、何にも悪い事してないのに、突然あいつが無茶苦茶暴れて、皆殴られて、あたし達を守ろうとしたアカ君もあいつにああやって奴隷みたいに連れまわされてひどい目に合わされて……! 絶対許せない! 女の子に手ぇあげるなんてサイテー!」
「うんうん! 分かってるよ! あんな女の子の敵、あたしが懲らしめてやるんだから! ……奴隷のアカ君、国民的RPGの魔物使いの主人公みたいに半裸姿で……あっ、想像したらちょっと鼻血が……」
「どうしたし?」
「なんでもない、なんでもないよ! どんとあたしに任せて!」
「タマっち……!」
「メアちゃん……!」
「じゃあ原稿のベタ塗りの今日のノルマはこれでおしまいという事で……」
「ごめん。まだ後3ページ残ってるの。それ終わらせてから寝ようね。働かざる者食うべからずだよ」
「鬼ー!」
★★★☆☆☆
翌日。
一行は朝早くから店へと出かけた。食料や旅で消費した物資の補充や補修のためだ。
「うーん、靴はここで新調しておこうかな? 丈夫なのがあるといいけど」
「おい、喉渇いた。ジュース買うぞ。金出せ」
「塗り薬に、粉薬。ナイフは手持ちの物がまだまだ使える。あっ、赤崎君。服の紐が少しくたびれてたよね、新しいのいる?」
「悪ぃ。店先にあった剣を試しに振り回してたら、置いてあった盾に当たって二つとも傷物にしちまった。弁償してくんねえ?」
「……赤崎君、ちょっと大人しくしてようね」
「あっ、こらっ、首掴むな、下ろしやがれ!」
「くぅん」
クリスは後ろ足で耳の裏を掻いていた。
お金はスケルの黄金の毛皮を売ったものがまだまだ残っているので心配無し。
食料を補充したら、次は地図だ。正確な地図は国だけが管理しているので、市場に出回っている地図は大雑把な測量の地図しかない。当然周辺全てを網羅しているわけでもなく、都市や街道沿いを中心としたものばかり。モンスターが出没する危険地帯の地図もあるが、数は少なく高価だ。
そんなわけで、あちこちの地図を扱っている店や人を訪ね歩き、目的地である北東の地、第二球に繋がるルートの地図を探していた。
「とりあえず、三つ先の町までの地図は見つかった。当面はこれで大丈夫かな」
地域単位で描かれた四枚の地図を丸めて道具用の荷物袋に入れる。
「問題はその先、コクマへは大きく二つのルートに分かれるけど、どっちがいいのかなぁ。長く厳しい直通ルートか、ケセド経由ルートか。なんか小競り合いが起きてるって話もあるみたいだし注意しないと……」
不貞腐れている赤崎蓮を連れて次の店へ行こうとした時、また雑踏の中で不自然な動きをしている二人組を感覚で捉えた。
(またか……)
やはり昨日と同じく女の子の二人組だ。
前回はすぐに立ち去った。
だから二度目の今回は彼の方から近づいていった。
だが。
(……離れていく、けど昨日と違ってゆっくりだ。僕たちが近づいた分だけ離れている?)
試しに走ってみる。
赤崎蓮が何やらぶーたれているが、それを宥めつつ軽く普通の人間と同じ速度で走る。
やはり相手も同じくらいの速度で走り始めた。
(これは、どこかに誘い込もうとしてる?)
相手は直線だけでなく、いくつか角を曲がりつつ、どこかへ向かっているようだった。
(罠かもしれない。なら、目的地前に追いつく!)
本気で走る事にした。
赤崎蓮を手早くスケルの毛皮でぐるぐる巻きにし、脇に抱える。
周囲の人たちがぎょっとした目で見てくるがスルー。ついでに赤崎蓮も罵ってくるがこれもスルー。
クリスも本気で走る。雷閃狐は上級魔獣の中でも敏捷性に優れた種族だ。幼獣とはいえ、その足は本物だ。
黒岩剛は弾丸のように駆け出した。
その重量と速度は足で蹴った石畳を破壊し、周囲に地震の如き揺れを引き起こす。
何かとてつもない速度の影が通りを過ぎ去ったかと思えば、店に並べてあった野菜や果物の山が崩れ、あちこちで混乱の悲鳴が上がる。
使徒としての力で彼は追う。
けれど、それでもなお。
(追いつけない。あの子達も使徒か!?)
相手側はそれ以上の速度で距離を保ちつつ離れていく。
あちらも一人がもう片方を背負い、走っていた。どうやら背負っている方は確実に使徒と断定できた。
黒岩剛は玄武の使徒であり、その重量の加護によって足は鈍らざるを得ない。
だが、歴代の玄武の使徒の中でもその足は突出して速い。鍛え上げた筋肉と樹海で養った筋肉の使い方は、彼を破格の存在に仕立て上げていた。
そしてそんな彼でもなお追いつけないという事は相手が使徒、それも素早さの加護を持つ使徒かこの世界上位レベルの実力を持つ使徒しか有り得ない。
最も黒岩剛本人は自分以外の使徒は赤崎蓮しか知らないので、まだ自分のスペックがどんな異常な位置にいるか気づいていないが。
ともあれ、女の子二人組は都市の中心を離れ、あっという間に寂れた区画へと入っていく。
そして――
「止まったか……」
広い荒地だった。
左右には林が広がり、ぽつりぽつりと建物の残骸が転がる。
その前方には彼らと同じ年頃の女の子が二人、厳しい目で待ち受けていた。
「…………ふっふっふ」
片方は白いワンピース姿でボブカットの少女。スポーティな雰囲気の彼女はドヤ顔で仁王立ちをしている。
何故か白いネコミミのアクセサリーを頭に付けていた。
もう片方は……
「あれ? 内藤じゃん」
簀巻きにされるのも慣れたのか、抱えられたままの赤崎蓮がそう呟く。
「アカ君! なんてひどい事すんの、まるで人を物みたいに扱って……! 待ってて、今助けてあげるかんね!」
ネコミミ少女の後ろに隠れるようにして叫んだのはギャルっぽい少女だった。
肩出しシャツにホットパンツといった格好の彼女は今にも噛み付かんばかりに黒岩剛を睨んでいる。
「赤崎君、知り合い?」
「ん? ああ。第八球の国でオレと一緒にいたダチ。テメーにやられた後、内藤だけ行方不明だったんだが、ここにいたのか。まあ元気そうで良かったぜ」
「あっ、そういえばあの町で見たような……そっか。だから僕をあんな敵視して……」
「敵視についちゃ、今のオレの状態も関係してると思うんだがな。そこんとこどーよ」
「正直それについてはゴメン。けど赤崎君に迂闊に逃げられたら僕の監督不行き届きになるし。これがベストではあるんだよ」
「へーへー。まあせいぜい丁重に扱ってくれや。くそっ、炎さえ出せりゃぁな……」
封印されし朱雀の使徒はそのまま頭だけ出して傍観モードに入ったようだった。
大人しくなった彼から前へと視線を戻し、黒岩剛は問いかける。
「どうも後ろの子は僕と同じクラスメイトだったみたいだけど……ネコミミの君もそうなのかな?」
「ええ、そうよ。久しぶりね、黒岩君」
「……? ごめん。僕クラスには知り合いがいないはずなんだけど……僕の事憶えてるの?」
「すごいぼっち宣言ね……ええ、もちろん。あなたはあたしの事知らなくても、あたしはあなたの事を知っているわ。ずっと前からね。もっともあたしの知ってる黒岩君はもっと小さくて、ちょっと暗――大人しかったけどね」
「気付かなかった。え、どうして僕の事を? 筋肉の無かった僕はそれこそクラスの底辺だったのに」
「今なら底辺じゃないのね、まあその身長と体の存在感はちょっと引くくらい目立つでしょうけど……あなたのお母さんにはすごくお世話になった……そう言えば分かるかしら?」
「なっ……!? まさか……君は……!」
初めて狼狽する黒岩剛に構わず、彼女は声を張り上げた。
「あたしは白野珠! あなたのお母さんと、今のあなたについて話したいのは山々だけど……今日、黒岩君に用があるのは別件よ。そこの赤崎君を解放なさい!」
「それは……どうして?」
「話は後ろのメアちゃんから全て聞いたわ。何の罪も無い赤崎君やメアちゃん達をひどい目に合わせたんだってね」
「………………え?」
「………………は?」
男二人、思わずポカン。
黒岩剛が何か口にする前に、被せるように上がる声があった。
「そうよ! あたし達、領主様の所で皆で護衛のお仕事してたら、そいつがやって来て暴れていったの! 皆殴られてそいつがやった無銭飲食の罪をなすりつけられて、アカ君を奴隷みたいに無理矢理連れていかれたの! なんてゆーか、こう、すっごい気持ち悪い顔で!」
「聞いての通りよ。ちょっと特別な力を得たからといって、力に溺れて町の人々に暴力奮ったり、お金も出さずに脅してあれこれ買い物してたなんて……そんな人だとは思わなかった……」
「いや、それはね……」
「言い訳は見苦しいわ! あなたのお母さんは尊敬に値する人だった、けどその息子のあなたは……あなたは違う! このあたしがそのひん曲がった性根、叩きなおしてあげるわ!」
「あ、だめだ。話まったく聞いてくれないやつだ、これ」
白野珠の目は燃えていた。
ジャスティスとパッションでファイヤーしていた。
「そうだ! 二人の言うとおりオレの力が足りず、捕まって朝から晩までずっといいようにコキ使われてんだ。情けねえが助けてくれ!」
「あっ、この。赤崎君まで」
「へっ」
してやったり。
悪い顔で笑う彼はこの状況に乗っかり、黒岩剛の窮状を楽しんでいた。
もはや四面楚歌。とはいえ三人から故郷の歌は聞こえてきそうにないが。
「ふふーん、タマちゃんはねー、白虎の使徒なんだよ! あんたなんかやっつけてくれるんだから!」
「にゃにゃ、いっくにゃー!」
虎というより猫の声を上げ、白野珠は目を光らせた。
「うらー! ラリアットー!」
「!」
速い。
追跡の時点で予想はしていたが、離れた距離から一瞬で間を詰めるその脚力は世界で怖れられる上級魔獣のクリスと同格と思えるほど。
だが彼は慌てず冷静に腰を落とし両腕を上げ息を吐き、水平に伸びた彼女の腕を真っ向から受け止める。
結果、彼女の腕は跳ね返され、勢いのつきすぎた体の方が止まらずコマのように回転しながら石の転がる地面に突っ込んでいった。
「いいいいいいいいいーーーーーたああああああああああーーーーー腕が肩が顔がああああああ!?!?!?」
地面をのた打ち回る少女。
「あ……なんかごめん」
ノーダメージの黒岩剛は後ろを振り返ってその惨状を目の当たりにし、ついそう謝らざるを得なかった。
白野珠、脚力は突出してるがそれ以外はそれほどでも無かった。
あとワンピースだからチラチラ見えそうになっていた。まぁ中にはズボンを穿いているのだが。
「ふ、ふふふ。なかなかやるわね。玄武の名は伊達ではないっていう事ね」
「いや、今のはどちらかというとそっちの自爆じゃないかな………」
「しゃーーーらっぷ! あれがダメなら、これならどうっ!?」
そう言って駆け出した彼女は彼らの周りを猛スピードで回りだした。
それはすぐさま残像を生み、人の目では追いきれなくなるほどのスピードと化した。
「すごいすごい、すごいよタマっち! いけー! やっちゃえー!」
「ほーっほっほっほ! 三大アニキの一人もスピードこそ全ての真理と言っている! ただし食事は除くけど。というわけで、今度こそもらったわ! そこ、隙ありぃぃぃーーー!」
棒立ちの黒岩剛の後頭部目がけてドロップキックが襲い掛かる。
完全に死角からだった。
(もらった!)
そう彼女が確信した瞬間、後頭部が消えた。
単純に一歩横に移動しただけだったが。
「ふにゃ?」
目標が無くなった事で虚しく滑空する白野珠。
やがて猫のようにクルリと空中で一回転して着地を決めた。
「やるわね。仕方ない……白虎の使徒としての力、見せてあげるわ!」
彼女の何もない手の中から、金属の塊が生まれる。
それは鉄だ。
鉄の塊は粘土のように形を変え、ソフトボールの形を取った。
「どう! あたしは銅や鉄なんかの金属を生み出せるの! そして、元女子ソフト部のエースの力、思い知るといいわ!」
アンダースローで鉄球が投げられる。
地球にいた頃とは異次元の力で放たれたそれは、空気を切り裂き、メジャーリーガーもびっくりな剛速球と化す。
だが。
「……」
黒岩剛はそれを片手一本で受け止めた。
そしてそのまま握り潰す。
「げぇ……」
「ひぇっ……」
女の子がしてはいけない声がした。
「てめえ、握力どんだけだよ……」
「くぁ~」
どん引きの赤崎蓮とその横で退屈そうにあくびをするクリス。
「えっと、もう止めない? そもそも赤崎君の件については誤解なんだし……」
そう提案するも、逆に彼女は睨みつけてきた。
そこにはまがう事なき、憤怒の色があった。
「……あたしが怒っているのはね、赤崎君の件だけじゃないんだよ」
「え?」
「ねえ、黒岩君。どうしてあなたはやめてしまったの?」
「……何の事かな」
「とぼけなくていいわよ。知ってるから」
「……」
押し黙る。
彼のその姿は珍しくも苦悩に満ちていた。
「小さい頃のあなたはたくさんの人に囲まれ、誰もが褒め称えていた。あたしからすれば眩しいくらいあなたは輝いていた。そんな誰もが羨む場所にいながら……何故。どうしてあなたは……突然いなくなってしまったの!」
「それは……」
言いよどむ彼の声も精彩が無い。
「あの日、同じクラスになった後、しばらく経って気付いたわ。あの時の男の子なんだって。そして、もう完全にあの世界から足を洗ってしまったんだって……だから声をかけられなかった」
「あのー……タマっち。それはいいから、早くあいつを……」
「メアちゃんはちょっと黙ってて!」
「は、はい!」
鋭い一喝に内藤芽亞はすごすごと引っ込んだ。
「あなたのお母さんはそれはもう素晴らしい人よ。ええ、日本全国があの人の作品を待ち焦がれた。新作が出れば長蛇の列ができ、いつも完売した。そう、大人気作家だったわ」
「え、何だよ。テメーの親、すげえ作家なのかよ。ミリオンセラーとかいってんの?」
「いや、さすがにそこまでは………あと、まず間違いなく赤崎君は聞いたことのない名前だと思う。一般の書店には馴染みのない本だからね。むしろ、白野さんが知ってる方がちょっと問題あるくらいで……」
「はぁ?」
クエスチョンマークを浮かべる赤崎蓮。
だがそんな彼に構う余裕は無かった。
それほど、黒岩剛は目の前の彼女から目を離せなかった。
「きっとあなたも将来はお母さんと同じ道に進むと思ってた。そして私達に癒しと興奮を与えてくれるんだって……でもあなたは違った。いつからかあの世界から姿を消してしまった」
「……」
「ううん、本当は分かってる。あなたは『卒業』してしまったんだって。そっと静かに送り出してあげなきゃいけないんだって。でも、でも! あたしは許せない。あのままあなたのお母さんと一緒に続けていれば、もっとたくさんの人達に夢と希望を与え続けられていたのに!」
「……」
「あたしはいくら頑張ってもダメなままだった! あなたみたいにたくさんの感想を書かれたり、動画の再生数が伸びたりもしない。あなたの人気が例え偉大なお母さんのおかげだとしても、あたしは羨ましかった。何年も頑張っても、ろくに見向きもされないあたしと違って人気者だったあなたが……」
頭のネコミミが悲しげに揺れる。
「ええ、これは嫉妬よ。底辺でしかなかったあたしから、栄光の道を進んでいたあなたへのやっかみよ。悔しかった。でもそれ以上に悲しかった。あんなに笑顔で皆の前に立っていたあなたが、何も言わずに突然消えた事が……ねえ、どうしてなの。どうしてあなたはあの素晴らしい世界からいなくなってしまったの!?」
哀絶。
それはいっそ痛々しいくらいだった。
「そう……そこまで言うのなら教えようか」
その訴えを前に、ようやく彼は重い、重い口を開く。
「僕が止めた理由。それはね……」
静かに、穏やかに。
黒岩剛は真正面から向かい合い、その真実を明らかにする――。
「何も知らない小さい僕がやらされていたのが――BL作品のコスプレだって気付いたからだよ!」
絶 叫。
BL。びぃえる。ボーイズラブ。
昔の日本で言うと衆道。
男の子と男の子が好き合うお話である。
そしてコスプレ。コスチュームプレイ。
ここでは芸術作品などの架空のキャラクターに仮装、扮装する事を言う。
まあ……つまりのところ、黒岩剛は小さい頃、母と一緒にモーホーな二次元キャラクターの格好をしてポーズなんか決めていたという事である。
大勢の女性と一部の男性のカメコと呼ばれるアマチュアカメラマン達に囲まれながら。
「どうして! いいじゃない! 男の子同士の友情! そして絡み合い!」
「それは2次元のイケメンの話だから! あと絡み合いとか言わない!」
怒鳴りあう二人。
その後ろでBLが何なのか分からない赤崎蓮とクリスは仲良く揃って首を傾げていた。
2話の
「なにー? うるさいにゃぁ……まだホテル着いてにゃいのぉ……?」
は白野珠のセリフです。
学校ではスポーツ少女として通して、隠れオタクでしたが寝起きなどで油断するとボロが出ていた模様。




