17
赤崎蓮は半眼で睨み付けていた。
その相手は無論、前を暢気に歩いているマッチョ少年、黒岩剛だ。
三日ほど歩いていくつかの村を越えた所で赤崎蓮はようやく簀巻き扱いから解放された。
それ以来、監督役を自認するはずの黒岩剛は、まるで役割を放棄したかのように赤崎蓮を自由にさせている。
自身から離れすぎない限り、あれこれ行動に口出しをする事もなく、手に縄を打つ事もない。
故に、赤崎蓮はほくそ笑んだ。
「……こりゃ、楽に逃げ出せそうだ」
解放初日の夜。
雨も雲もなく、星々が煌く快晴の空だった。
見晴らしのいい小高い丘、街道沿いのそこで黒岩剛、クリスらは野宿の仕度をしていた。
今までは村で宿を取っていたので、二人と一体での野宿は今夜が初めてだった。
黒岩剛が鍋に水を注ぎ、その中に集めてきた赤いキノコや人間っぽい形をした草の根っこなどをポイポイ入れていく。
子狐クリスは狩りで仕留めた火炎牛を引きずって凱旋。小さな子狐が体長3mを超える巨体の牛を口で軽々と引きずってくる様は、幼くともさすが上級魔獣といったところか。
フレイムバイソンを素手で手早く解体していく横で、クリスが魔法を使って即席かまどに火を付ける。
なお、すぐそこにいる朱雀の使徒で炎使いの赤崎蓮はふてぶてしい態度で胡坐をかき、動かない。
「は? なんでオレがお前らのためにわざわざ火ぃ付けなくちゃなんねーんだよ。オレはテメーらのライターじゃねえぞ、オラ」
と主張したため、火は二人が起こしている。
「くぅん?」
なおその際、「らいたぁって何?」と言いたげに小首を傾げていたクリスだった。
「二人とも、準備できたよー」
「ケーン」
円状に石で組まれた台の中心には火が揺らめき、上に置かれた鍋を熱している。
ごった煮スープというよりむしろ闇鍋なそれを二人と一体が口にする。赤崎蓮も当然のように食べた。
「……マズっ!」
思わず赤崎蓮が顔を顰める。
人間の食べ物じゃねぇ、そう思わずにはいられない程ひどかった。
「え、そう?」
「くぅん?」
樹海出身で野生児の一人と一体は舌が死んでいた。
使徒は普通の人間と比べて色々と頑丈なので、多少の毒や寄生虫もものともせず、悪食でも平気なのだ。味はまた別の問題になるのだが。
「まぁ、今夜だけだ。今夜だけの我慢だ……逃げるまでの……へ、へへへ。そう考えればこんな事くらい、我慢できる……」
ろくに下処理もされていない塊の肉を無心になって一つ食べ、それで赤崎蓮はそっぽを向いて横になった。
「もう寝る」
「えぇ、まだたくさんあるよ?」
「いらねえ」
「じゃあ僕らで全部食べようか、クリス」
左右に尻尾ふりふり。YESだ。
そんな彼らを背に、赤崎蓮は狸寝入りを始める。
「ヤベェ、今夜こいつらからやっと解放されると思うとどうしても顔がニヤけちまう……そのアホ面が翌朝真っ青になるのが見れないのが残念だぜ」
そんな事を考えながら、彼はじっとチャンスを待った。
そして黒岩剛は日課の筋トレと、クリスに手伝ってもらっての戦闘訓練を終えてからゴロリと横になった。
「……」
じっと待つ。
やがて火が消え、星明りだけの闇夜になる。
「……」
ひたすら様子を伺う。
黒岩剛から寝息が聞こえ始めても、逸らずに待つ。
「……よし」
とっぷりと夜が更け、夜行性の魔獣がねぐらから這い出て活発に動き始めてからしばらく。
赤崎蓮はそーっとそーっと、細心の注意を払って静かに身を起こす。
まずは荷物だ。
「オレの荷物袋は確か……よし、あった」
寝る前に覚えておいた自分の荷物袋の位置、そこへと手を伸ばす。手に覚えのある重みがかかった。
朱雀の使徒である彼は視力向上の加護があり、それは夜でも変わらない。
そして身を起こした所で、もう一つの荷物袋が目に入った。
「あれは……あいつの」
黒岩剛の荷物袋だった。
その中には非常食や旅の道具、お金も入っており、パンパンに膨らんでいる。
赤崎蓮は内心ほくそ笑んだ。
「くくく、これが無くなればこのバカも困り果てるだろうな……」
黒岩剛は横になったまま動かない。静かな寝息だけが聞こえてくる。
「これはお前が悪いんだぜ、ちゃーんと見張っておかず眠りこけてるお前がな……へっ」
タイミングを計る。
後は行動に移しさえすれば、もはやこの筋肉ダルマの手は届かないだろう。
いくら強かろうが、玄武の使徒である黒岩剛は空を飛べない。一度距離を取りさえすれば赤崎蓮を捕まえる事は二度と不可能だろう。
加えて玄武の使徒は重量増加の加護故、機動力は群を抜いて低いというのが一般的な評価だ。ウサギとカメ、どころかタカとカメだ。
逃げる、その一点に関して言うならば勝算は十分すぎるほどにある、赤崎蓮はそう目論んでいた。
「……よし、行くぜ」
突如、周囲が眩く照らされた。
赤崎蓮の背に現れたのは炎の翼。朱雀の使徒たる証、その炎は力強く燃え盛り、夜闇を吹き飛ばす。
次の瞬間、赤崎蓮は弾丸のように飛び出して黒岩剛の荷物袋を引っ掛けるようにかっぱらい、そのまま一直線に夜空へと飛び上がった。
荷物袋はほのかに温かく、思っていたよりずっと重たかったが、概ね問題ない範囲だった。
「へっ、やった、やった、やってやったぜバーカバーカバーカ! ざまあ見やがれ! 追いつけるもんなら追いついてみな、ドン亀が! はっはははははは!」
赤崎蓮が炎の翼を出した瞬間、黒岩剛も目覚め、即座に身構えたのだが……何故か彼はすぐに構えを解いて赤崎蓮を見逃すかのように棒立ちしていた。
「よしよし、これでやっとオレも自由の身だ。あんなヤローとこれ以上一緒にいられるかってーの」
暗闇を切り裂き、星空の中を走る一筋の光点。
流星のようなそれは凄まじい勢いで地上から離れ、上機嫌で遠くへと飛び去ろうとして――手の中の荷物袋がモゾモゾと動き出した。
「……くーん」
盗み出した黒岩剛の荷物袋からクリスの頭がひょっこり出てくる。
その声は低く、すぐ傍の彼とは対照的に不機嫌そうだった。
「……」
「……」
一人と一体が見つめ合う。
やがて、クリスの小さな体に紫電が走り出すと同時に赤崎蓮の頭上に黒雲が生まれる。
それは急激に膨らみ、不吉な音と稲光を立てて――
「ケーーーーン」
ガラガラピッシャン!!
「――――ギッ!?!?」
赤崎蓮は落雷に直撃し、そのままフラフラと墜落していった。
黒岩剛が駆け付けた時、そこには倒れ伏す獲物の頭の上にちょこんとお座りをしているクリスの姿が。
「ご苦労様、クリス」
「フンッ」
大したことはしていない、と言わんばかりのおすまし顔のクリスだが、黒岩剛が優しく頭を撫でると小さくそわそわと尻尾が揺れていた。
「…………」
そんな彼らの下で、脱走に失敗した赤崎蓮は焦げてピクピクしていた。
なおクリスは雷閃狐という狐の魔獣であり、本来は夜行性である。
解放二日目。
落雷直撃のダメージからなんとか多少なりとも回復した赤崎蓮は諦めなかった。
幼体で、かつ手心を加えられていたとはいえ、上級魔獣による雷撃を受けても深刻なダメージを負わなかったのはさすがは使徒と言うべきか。
なお、黒岩剛はクリスの本気の雷撃をくらっても無傷で済むのだが、これは使徒のカテゴリから考えても明らかに異常である。
「よく考えりゃあ、別にコソコソ逃げる必要なんてねーよな。不意打ちでもしてあいつをどついて逃げりゃあ済む話だし。そりゃ確かにあいつは強えーけど、どこかにチャンスはあるはず。つーか、あのとぼけたニヤケ面に一発ガツンとかましてやりてーし」
そんなわけで、大人しく付いていくフリをしてチャンスを伺う事にした。
「チャンスを、チャンスを待つんだ……」
朝。
丘を下り、湖にさしかかった時、武装した五人程度の男達に囲まれた。どうやら傭兵崩れの野盗らしい。
雇用主がないとこうして旅人を襲って略奪を繰り返しているのだ。
「これは……チャンスか!? 一瞬でもオレから気がそれたら後頭部をどついてやる!」
そして始まる乱闘。
「クリスは赤崎君を見張ってて。逃げようとしたら遠慮なく雷使っていいから」
「ケン!」
尻尾が左右に動く。任された、と言わんばかりに赤崎蓮をじっと見上げ見つめてくるお座りクリス。
「……」
ジー。
「……」
「……」
ジー。
黒岩剛に言われた通り、一時すら目を逸らさない。
「……」
そっと赤崎蓮が一歩動くと、すかさずクリスも一歩詰めてまたお座り。
「おい、こっち見んなよ」
「……」
ペシン!
尻尾が一度縦に振られた。Noだ。
「終わったよー」
能天気そうな声がして、見ると既に野盗達は全員地面にめりこんでいる。
30秒もかからなかった。
「さて、次の村も近いみたいだし、騎士さんがいるなら引き取ってもらおうかな、っと」
野盗達から武器になりそうなものを取り上げ、両手を縛り上げる。
そして水をかけたり頬を叩くなどして野盗達の気を取り戻して、村まで連行して行った。
「チッ、邪魔だなこのクソ狐……ん? いや、こいつは遠くに放り投げときゃいいだけじゃねーのか? あの筋肉バカならまだしも、真正面からやればこのオレがこんなちっちぇヤツに負けるわけねーしな」
彼がその考えに至った時、一行は既に次の村が見えるところまで来ていた。
解放四日目。
野盗達を村に引渡し、二人と一体は一日村に逗留した。
すぐ発つつもりだったのだが、野盗関係での取調べや、他の地域の情勢を村人に聞かれたり、旅の物資の補給などで時間がかかり、旅立つには微妙な時間になってしまったのだ。
正直、黒岩剛にとっては夕方近かろうが夜だろうがいつ発つのも変わりない。周囲が四六時中敵だらけだった樹海に比べると、ここは平穏そのものだからだ。
ただ、同行している赤崎蓮はそうはいかない。彼も使徒として並外れた丈夫さを誇るが、それでも強行軍を続ければ体調を崩すことはある。
そんなわけで、急ぐ旅でもない一行は一日を村で過ごして、次の朝早くに村を出て行った。
その日は湿地帯に入り、1mはあろうかというヒルや虫と格闘しながら進む一行。
玄武の加護により最小で300kgを超える超重量の黒岩剛はぬかるみに足を取られながらも、拳骨の一撃で次々襲い掛かってくる相手を沈めている。
クリスは彼の肩に乗り、時折炎を出して小さな虫を焼き払っていた。
正しく小さな虫を払うが如く、彼らの歩みが止まる事は無かった。
「……」
チャンスだ、と赤崎蓮は思った。
今なら黒岩剛もクリスも虫の方に意識を取られているように見える。
彼自身は湿地帯に入った時から常時朱雀の炎の翼を出して小さく中空に浮かび、己の周囲に炎を張り巡らせて虫を撃退している。
つまり、自然に翼を展開している今、その気になればすぐ空に飛んでいけるのだ。
「よし、やるぞ。今度は自分の荷物は持っている。一発あのバカをぶん殴ってブザマな姿晒している間にサヨナラしてやる」
声も出さず、大人しく後ろをついて行くフリをしていた彼は、機を伺う。
そして沼の中から人間の五倍はあろうかという巨大ミミズのようなワームが現れ、黒岩剛に牙を剥いて襲い掛かった瞬間。
「今だ!」
赤崎蓮は条件反射レベルで炎の出力を上げ、彼の背に勢いよく飛び掛る。
(隙有り、死ねやオラァァァァァァァァァァ!!)
背中にケンカキックを食らわせ、その反動のまま飛び去る。
そんな彼の描いた計画は――
「おっと」
「は?」
右手で巨大ワームの上顎を受け止め、左手で蹴りを掴んだ黒岩剛によって潰えた。
「惜しかったね」
そう言って、黒岩剛はニッコリ笑った。
セリフのわりに、余裕すら感じられたのはきっと気のせいではない。
そして引き寄せられて落とされる拳骨。
顔から泥沼に突っ込み、大の字でノびた彼は朦朧とする意識で声を聞いた。
「ダメだね、赤崎君。鍛え方が全然足りないよ。そうだ、今度から僕と一緒にトレーニングしない? 健全な心は健全な筋肉に宿るって言うしね」
(あれ、それそんな言葉だったか……?)
そこで意識は途切れた。
赤崎蓮、またもや脱走失敗。




