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前回までのあらすじ
中学一年の修学旅行中にクラスごと異世界転移してしまい、不運にも黒岩剛は皆とはぐれ、恐るべきモンスターの跋扈する樹海に一人迷い込んでしまう。
玄武の使徒となった少年は世界の真理っぽい何かを見出し、樹海の中へと消えていった。
そして四年後、樹海の頂点に立った黒岩剛は目的を果たすため二人を探しに樹海を出る事に。
旅の連れとしてクリスという子狐と一緒に彼は初めて樹海の外、異世界へと踏み出す。
そして捜し人の一人目、クラスメイトの最上小鳥と再開。
だが、そこには同時に朱雀の使徒である赤崎蓮を始めとした他のクラスメイトもいた。
赤崎蓮達は領主を力で脅し、街で好き放題に遊び回って人々を困らせていたのだ。
そして赤崎蓮はかつてのクラスメイトである最上小鳥にもその魔の手を伸ばそうとしていたが、そこに立ち上がったのは黒岩剛。
一人真正面から乗り込み、赤崎蓮へと挑む。
炎の嵐が吹き荒れ、鋼をも切り裂く炎剣を持つ赤崎蓮と黒岩剛の戦いは激しく、そして残酷だった。
棒立ちの黒岩剛に赤崎蓮は次々と猛攻をしかけ、ひたすら一方的な戦いでしかなかった。
だが、黒岩剛の目は決して諦めず、ずっと前を、赤崎蓮の姿を見失う事無く見つめ続け、苛烈な攻撃を耐え続ける。
そしてついに己の腕を盾に剣を奪い取る事に成功。
そこから黒岩剛の反撃が始まり、そして己の信念を乗せた拳は赤崎蓮を打ち倒したのだった。
そして街は平和を取り戻し、黒岩剛は最上小鳥に別れを告げる。
赤崎蓮は黒岩剛の監督下に置かれ、引きずられて行った。
黒岩剛の旅は続く。
かつて、この異世界に来たばかりの頃に巨大なモンスターに襲われ、それでも助けようとしてくれた二人。
最上小鳥と黄田豪一郎。
二人に感謝を伝え、恩を返すために。
聖シャルル大聖堂にて祭壇の前。
見上げるほどに高い柱で支えられたドーム状の部屋。そこには人と天使と神が象られた黄金の像と、太陽を思わせる円形のステンドグラスが厳かに鎮座している。
そして像の前には赤い椅子――司教座が一つ。
その椅子に座りしはユリウス枢機卿。この大聖堂の主であり、中年ながらにこの世界の一大宗教のトップに位置する一人である。
真紅の衣を纏いし彼は今、青い顔で震える司祭の報告を鷹揚に聞いていた。
「大敵の討伐は失敗……大敵は再び行方知れずとなり……」
それは世界有数の財力と軍事力を誇る教会が、その威信をかけて投入した戦力が何ら成果を上げられなかったという屈辱的な報告に他ならない。
それも、一回や二回どころの話ではない。
これまで必死に動向を掴み、その度に何度も戦力を送り込み、そして返り討ちに合って来た。
非常に強力な力を誇る使徒を何人も繰り出したが、大敵には一切歯が立たないでいるのだ。
おかげでここ最近の教会の軍事力は見るからに低下していた。
使徒は死んだとしても、また数年で新たな人間に神印が与えられ使徒が誕生する。信仰する人数が多ければ多いほど、新たな使徒の誕生の期間は短くなる。
だから使徒の数自体は一時的に減ってもまた元通りになるのだ。
但し、経験はそうはいかない。
今、教会に属するベテランの使徒は次々に姿を消し、代わりに新米使徒が増えてきているため、その教育に追われているのが現状だった。
ちなみに使徒の誕生は教会だけでなく各国家も目を光らせており、如何に早く唾を付けるか、日夜情報収集と縄張り争いのスカウト合戦が起きている。
そして教会は各国家に支部があるため影響力の範囲が広く、その点では使徒を集めやすい環境となっている。
また、神の力を宿した使徒が死ぬと、神そのものの力も弱体化する。使徒復活の期間にも関わる事なので、何回も短期間に使徒が死に続けると使徒不在期間がどんどん長くなってしまう。信者の数や信仰心にもダメージを受けてしまうという事情がある。
「……」
報告を受けるユリウス枢機卿は無表情。本当に聞いているのかどうか怪しいくらいに、何も反応がない。まるでリラックスして聖歌を聴いているかのようだ。
そこには失敗への怒りも、死んだ兵らへの悲哀も、恐るべき大敵への恐怖も、何も無かった。
三年前、教会最高の切り札を投入したにも関わらず大敵を取り逃がし、それから何度も失敗の報告を受け続けている彼の胸中はどうなっているのか、報告する司祭からは窺い知る事はできない。
今報告をしている司祭は知っている。
前任の担当者は四回目の失敗で教会組織の中から『消えた』事を。
今、自分はこれで三回目の失敗だ。
もう後がない。
しかも今回司祭がユリウス司教に何度も懇願し、大敵討伐として投入したのは『第四聖歌隊』とその部隊長の一人である『首狩り鴉』だ。
第四聖歌隊は対使徒戦に特化した、使徒殺しのための部隊。
ただの人間によって構成された部隊ではあるが、その実績は凄まじく、任務遂行率は八割を超える。特に首狩り鴉が受け持った任務は全ての使徒が首を刎ねられていた。
更に、それでも大敵相手には不足するかもしれないと考えた司祭は合わせて『聖ジョージ騎士団』の派兵をも要請。
聖ジョージ騎士団は枢機卿にしか動かせない教会の騎士団で、潤沢な資金で揃えられた装備と最高錬度の実戦経験と至上の信仰心・忠誠心を持つ騎士達だ。
荘厳華麗な白の法衣を羽織る事を許された彼らを、世間では至高の聖騎士団と呼んでいる。
教会のとっておきの切り札の一つ。三大教会騎士団の一角。教会最後の盾。
この二部隊を同時に動かすには最高権力者の一人であるユリウス枢機卿をもってしても調整に多大な骨を折り、周囲を説得して回り、金をばら撒いたものだ。
それもこれまでどんな困難もユリウス枢機卿の期待に応えてきた、『優秀』だった司祭の信頼のたまものだ。
だが、それでもなお失敗したのだ。
たった一人の使徒、『大敵』と呼ばれる者を前に大地を血で塗れさせたのだ。
第四聖歌隊の1/3が潰れ、聖ジョージ騎士団も半数の死傷者を出すという醜態。
討伐の指揮を執っていた司祭が青くなるのは当然とも言えよう。
前任の司祭により、エリート中のエリートで構成された第一聖歌隊は既に壊滅中。未だ完全な再編には至っていない。今回の失態を加えると聖歌隊はその大部分が機能停止状態になるだろう。当面は最強の第九聖歌隊がフォローに駆けずり回る事になりそうだ。
「――そのため、聖灰騎士団団長とドレイク卿が面会を要請しております。また……」
「もう結構です」
穏やかな声だった。
青い顔の司祭は何を言われたのか分からない顔をした後、足から全身へと震えが広がっていった。
「す、枢機卿猊下……?」
ひくつく喉から出た声は、哀れにもか細かった。
だがそんな司祭を一瞥すらせず、ユリウス枢機卿は手を叩き、祭壇の端に控えている衛兵を呼びながら続ける。
「これまでの貴方の働きは実に立派でした。ええ、よく私のために働いてくれました。ですが……少々働きすぎたようですね。貴方はカステル・プレギエラでゆっくり休むといいでしょう」
「――ひっ!?」
カステル・プレギエラ。それは湖に浮かぶ島に建てられた城。
水平線すら見える湖の上にあるそこは外界と隔絶された世界で、僧籍の者らがただひたすらに祈りを捧げる場所。そこで暮らす者らは自らに厳しい戒律を課し、神への信仰を問い続けている。そして己の魂をより高い位階へと昇華するのだ。神へとわずかでも近づくために。
と、一般の人民には語られている。
その実態は、一度送り込まれたら二度と出てこれない終わりの墓場だ。
中では獣以下として扱われ、死ぬまで極一部の権力者らによって戯れに弄ばれ続けられる。
カステル・プレギエラ――別名、骸城。
「猊下、猊下! 何卒、何卒ご再考を! どうか次こそは、必ず、ですからぁ……!」
目に大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら手を合わせて懇願する司祭。
「衛兵、連れて行きなさい」
「いやだ、いやだぁ! 猊下、どうかご慈悲を! 誰かたすけ、助けてくれえええぇぇぇ……!」
バタン。
衛兵に引っ立てられた司祭は引きずられていった。
閉められた扉の向こうからまだ叫び声が聞こえていたが、それもやがて聞こえなくなる。
「……大敵め、どれだけ私の邪魔をするというのでしょうか……」
椅子の背もたれに体を預け、ユリウス枢機卿は大きく息を吐く。
そこには深い苦悩があった。
「あのNo.2だったクロノスの使徒と第一聖歌隊ですら仕留められず、挙句に第四聖歌隊と聖ジョージ騎士団を繰り出してなお不可能となると……もはや現状駒が足りないですね。ですがもうすぐ……もうすぐです。ゼウス様の使徒さえ復活なされば……そう、今度こそ教会が必ず確保しなければなりません。探し出し、そして……ふ、ふふふ」
大敵は使徒である。
それもこの世界でも最高峰に位置する一柱、―――――の力をその身に宿している。
神の力だけを見れば、大敵に真正面から対抗できる使徒はあまりにも限られている。
その内の一柱がゼウスである。
彼はゼウスの使徒の誕生をじっと網を張って待ち続けている。
第十球にはゼウス神を祭る神殿があり、そこには神像がある。
今、その神像は沈黙を続けるただの像に過ぎない。だが一度、神がその力と神印を人間に与えた時、神像は輝きを取り戻す。
ユリウス枢機卿はその時を今か今かと目を光らせ続けていた。
もはや大敵に対抗し得る使徒は、教会にはただ一人しかいない。そして、今その使徒を大敵にぶつけるわけにはいかないのだ。
それでまた失敗しようものなら、教会の最強の切り札が無くなってしまう。極めて損失が大きく、無くなった穴を埋めるためには多大な再編を必要とするだろう。
だから待つ。
他のどんな使徒よりも最優先で確保するために。
「しかし、彼の放浪癖にも困ったものですがね……」
当の現教会最強の使徒、それは公的には第十球の首都に配置されている事となっているが、実態は違う。頻繁に首都を脱走しては、しばらくしてフラリと返ってくるフリーマンだった。
そんな彼を処刑しようと考えた事は数え切れないほどあったが、教会の総力を挙げても討ち漏らす公算が高いため、上層部は苦い思いをしながら偽装工作に奔走している。
それに処刑に成功したとしても、その使徒の神の力自体は最強クラスとは言い難い。
彼が使徒中最強なのはあくまで使徒本人の素養によるものが大きいのだ。
故に、再び別の者が使徒になったからといって、同じように教会最強の座に戻れるかと言えば非常に難しいとしか言いようがなかった。
「……ふー。どうも気分が優れませんね。この後の予定はキャンセルして街に下りて見るとしましょうか。クロード、準備なさい」
司教座から立ち上がり、側付きの従者に命じて外出しようとするユリウス枢機卿。そこに側近の一人が割り込むように進み出てきた。
「猊下、各国の使徒の動向についての定期報告が来ておりますが……」
「ふむ。A級以上の報告はありますか?」
「いえ、全てC級以下となります」
「なら後で……いえ、その程度ならゴルギアス司教に回しなさい。彼に任せます」
と、部下の司教に丸投げする。
A級は近日中に枢機卿が集まって会議を開くレベルで大ニュース扱いだ。C級は上層部が差し迫った対応を必要としないレベルでの扱いで、通常対応で問題ない扱いとなる。
「どちらにしろ、今はC級はおろかB級以下の調査に割ける余剰人員はありません。何よりも大敵が最優先です。投入できる全ての人員を割いて動向を掴みなさい。よいですね」
「はっ!」
こうしてC級報告の中に含まれていた黒岩剛と赤崎蓮の衝突の一件は上層部でスルーされた。
流れの使徒がちょっと『おいた』をして、また別の流れの使徒によって追い払われた。そんな小さな事件。
赤崎蓮が引き起こした事件はそのまま書類の片隅に埋もれる事になった。
まだ、世界は黒岩剛に気付かない。
或いはここで気付けていたなら……詳しく調査をしていれば、その使徒の異常さが露になった事だろう。
だが、それはなくなった。
その影響は遥か先、第二球に及ぶこととなる。
☆☆☆☆☆☆
ある軽装の鎧姿をした一団が山道を進んでいた。
その数、七名。全てが女性だ。
乗騎としては高級なグリフォンを使っているあたり、彼女らの位の高さが窺える。
ワシの上半身と翼を持ち、獅子の下半身をしているモンスターは悪路をものともせず、短時間での飛行を可能としている。そして何よりも、戦えば人間の一個部隊を返り討ちにする脅威のモンスターだ。
一般市民が扱うには非常に希少で危険なそれらを乗りこなす訓練を施された彼女ら。
その先頭に立つ若い女性は美しい黄金の弓を背に、長い金髪のウェーブヘアをそっと撫でながら眼下に広がる大地を見つめている。
その瞳は狩人のように鋭く、そして氷のように冷たかった。
やがて一騎、また一騎とグリフォンが助走をつけて崖に身を躍らせていく。
空中に飛び出した女性とグリフォンは翼を大きく打ち、雁形で空を滑空する。
一団が向かう先、それは文化と芸術の国、第六球。
今、何かが起ころうとしていた。




