キメラ2
「キング」
アネモネはつぶやいた。
琥珀色の目の男キングは、小さく頷いた。
キングは血の通っている右手でアネモネの頭をポンと叩くと、踵を返し走って行った。
アネモネは、研究棟の隙間に座り込んでキングの背を見送った。
アネモネの頬を一筋の涙がこぼれ落ちた。
アネモネの肩の呪符が、気遣うように、肩でポンポンと足踏みをした。
蛇の尾を切り落とされ、もんどりうって倒れていたキメラが、いよいよ立ち上がろうとしていた。
キメラの体中から怒気と闘気が立ちのぼっていた。
膝をつき呼吸を整えるアニヤを横目に見ながら、キングはキメラの前に立った。
キングは腰の鞘に一度収めた短剣を、再び取り出した。
キングが右手にたずさえる短剣の黒い刀身には、精緻な紋様が刻まれていた。
一見、美術品のようでもあった。
しかし、その短剣のまとう禍々しい攻撃性は、戦いにおいて真価を発揮する魔法剣であることを知らしめもした。
間近に立ったキングに対し、怒ったキメラは竜の爪を振るった。
キングは黒い短剣でその爪を受けた。
パワーでは完全に劣るはずのキングが、キメラの爪を受け、揺るがずに立っていた。
キングの手の中で短剣が黒い光を発した。
キメラが口を開け、炎を吐いた。
短剣から生じた黒い光は、キングを半円のドームで覆い、炎を退けた。
キメラは逆の手の爪をキングに振るってきた。
キングは、竜の爪とかち合っていた短剣を押し、逆の爪も打ち払い、素早く距離を取った。
キングが短剣を振るうと、黒い光がキメラに向かった。
黒い光はライオンの顔に当たった。キメラはガアアアと吠え、首を振り振り足を止めた。
キングはアニヤのところへ駆け寄った。
息を整え立ち上がったアニヤは、額の汗と血を拭い落とし言った。
「むちゃくちゃな武器だな」
「俺もそう思う。アニヤが使ってくれ。ギルさんの形見だ」
「俺の状態を見て言ってるのか? 人使いが荒い」
「迷惑ばかりかけている自覚はある」
キングはすまなそうな顔をしながら、アニヤの前に短剣を放り投げた。
キングは立ち止らず、キメラに近づき注意を引いた。
キングはカーキ色のシャツの懐から呪符を取り出した。
「やっちまえ」
キメラが炎を吐きだしたのと同時だった。
キメラの炎に対し、呪符が展開する魔術攻撃がその威力を打ち消した。
アニヤは出血と打撲と疲労で、いまだ少し足元がふらついていた。
見るからにボロボロのアニヤであるにも関わらず、キングは主力と見られる短剣を託したのだ。
その揺るがない信頼は、どこにあったのか知れないアニヤの底力を奮い立たせた。
「これだから、キングと走るのは止められねえ」
アニヤは目を細め、短剣を拾い上げた。
手に吸いつくような感触があった。
やばい、と感じた。
よからぬ脳内物質が大量に放出された気がした。
死ぬかもしれない。
それでも楽しい。
イセのことは言えない。
キングに再会し、共に戦えることを、アニヤは喜んでいた。
ハイになっていた。
ふと、太ももに巻かれた布に気がついた。
アネモネがここにいる。
そうである以上、アニヤは死ぬわけにはいかなかった。
アネモネは一体どこまで何を見越していたんだろう。
「アニヤ! いい加減、こっちに参加しろ!」
キングの怒鳴り声がした。
アニヤが見ると、竜の爪に切りつけられて、地面に転がりながら呪符を展開するキングがいた。
必死の形相だった。
アニヤは口の端で笑った。
「いい気味だ! キングが来るのが、おせえから、わりいんだ!」
アニヤは走り出した。
痛みと疲れを忘れていた。
アニヤとキングは、キメラを討ち取るべく、今、同じ舞台に立ったのだった。
ロキは、王立魔術学院の正門前にある装甲車のモニタールームで、学院の内部映像を見ていた。
そこは壁面の一つが、大きなモニターとなっているのであった。
今それは、升目に区切る表示形式で、さまざまな場所の映像を一斉に映し出していた。
学院の監視カメラに映る映像であり、音声はない。
画像は乱れ気味で、見ていると非常に目が疲れてしまうのであった。
学院の中では、薄曇りの暗さの影響と見られる奇怪な生物たちが跋扈していた。
そして、それに対応している魔術師の姿は、ロキの期待に反して登場することはなかった。
ロキは目をこすり、イライラしながらモニターを見ていた。
誰かいないのか。
この異常に立ち向かっている優秀な魔術師は。
その時だった。
随時切り替わりながら広い学院の各所を映して出しているモニターのいくつかに、人影が見えた。
ロキは慌てて手元のタッチパッドを操作した。
期待があった。
この異常事態を打開する決め手となるかもしれない。
そうしてロキが見つけたのは、とんでもない事態に陥っている現場なのであった。
「何なのよ、これ。 どういうこと?」
ロキは疑問なのか、非難なのか、自分でも判然としないような口調で思わずつぶやいていた。
画面の半分に拡大された画像は、複数の人間を映し出していた。
俯瞰的画像であり、個々を明確に映しだしてはいないが、ロキには幾人かすぐに判別できた。
「ミカエル。分かりやすっ。あとこれは、イセ。あいつ何してんの。このおちびは、まことの黒ミカゲ? それから、古書店店主ハシマ? あと一人、ちょろちょろしてる小さい男がいる。ん? じゃあ、イセが抱いているのは」
フロウ。
ロキはガバッとイスから立ち上がった。
フロウだ。
何でイセが。
宵闇の青グランドに奪われていた、まことの黒シェイドとの交渉の糸口。
親戚がしきりに勧めるロキの花嫁候補。
話してみると、とぼけた普通の女の子。
フロウだ。
ロキの判断は一瞬だった。
「突入する」
控えていた部下は驚いた。
しかし、常春の華頭首代理、後継者ロキの指示は絶対のものである。
ロキを乗せた装甲車が学院に乗り込むための準備が、そこから慌ただしく進められたのであった。