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もうひとつの出会い

 フロウとシェイドが遊ぶのは、これで5回目だった。


 二人は2、3日おきに遊んでいた。

 別れ際にフロウがまた遊びたいとお願いし、シェイドが承諾する形であった。


 シェイドはいつも迷ったが、深入りしてはならないと思えば思うほどに、フロウとの遊びは秘めやかな魅力を増していった。


 3回目からは、森の金網の破れの前で待ち合わせるようになった。

 シェイドはまったく道に迷わなかった。

 フロウは驚いたが、シェイドは、大抵の道は1回でおぼえられるよと軽く言った。





 今日も、森の中をシェイドが先に歩いていた。

 フロウは、人の背中を追って進むのは、なんて気楽なんだろうとほくほくした。


 いよいよ湖に到着という時に、急にシェイドが足を止めた。

 あまりに急だったので、フロウはシェイドにぶつかった。


「ごめんなさい!」

「しっ」


 フロウが謝ると、シェイドは人差し指を唇に当てて横を向き、視線だけフロウに差し向けた。


「誰かいる」


 シェイドが声を潜めて言った。

 フロウは、シェイドの肩越しに湖を覗きこもうと、静かに近づいた。


「あれ、シェイドっていい匂いがする」

「頼むから、こういう場面で力の抜けること言わないでね」


 フロウは、思わず飛び出た言葉に顔を赤くして、右手を口に当てた。

 シェイドは、照れくさそうに顔を両手で覆って見せた後、ちらっと笑った。


 二人は軽口を言い合えるほどに、打ち解けていた。

 シェイドもフロウも、そのやりとりに溶ける淡い気配を体の芯でとらえていた。


 気を取り直したフロウの視線の先には、体育座りをしている少年の背中があった。

 膝の上に顎を載せて、湖をじっと見ているようだった。プラチナブロンドの髪が風に揺れていた。


「きれいな髪。この辺の子であんな髪の子いない」

「よそ者か。他に人の気配はしないな」


 明るく輝く珍しい髪の色をもっと見ようと、フロウは足を踏み出した。

 その足が、小枝を踏み、ぱきりと小さな音を立てた。

 プラチナブロンドの少年には聞こえない程度の音であったが、フロウ自らが音を立ててしまったことに一番動転した。


 シェイドが支える間もなく、フロウは後ろにのけぞって尻もちをついた。背中が木にぶつかり、振動が枝葉に伝わった。

 バサバサッと大きな音とともに、数羽の鳥たちが羽ばたいた。


 失態に身動きできず座ったまま固まるフロウを庇うように、シェイドはフロウを背にして立ち、バッと湖の方を見た。


 プラチナブロンドの少年が、驚いた表情で振り返っていた。


 泣いている少年と、シェイドは目が合った。




 フロウは、ドジをしてしまった自分を守るようにシェイドが立ってくれたことに、胸がジーンとした。

 シェイドには、フロウの失敗を責める気配がまったくなかった。

 シェイドといると、心が強くなるのを感じた。安心して、すぐに動揺が落ちついた。


 フロウは、シェイドの背中越しに、少年の泣き顔を見た。

 どきっとした。

 きれいな少年だった。

 シェイドと出会ったときと同じくらいの衝撃を感じた。


 シェイドはどちらかというと静かでシャープな美しさを感じさせた。

 こちらの少年は、もっと明るく華やかな美しさの印象があった。月と太陽のようだとフロウは思った。


 プラチナブロンドの少年は、慌てた様子で涙をぬぐった。急いで立ちあがった。


「人がいると思わなくて。変なとこ見られちゃったな」


 少年の方が先に声を発した。

 恥ずかしそうにおでこに手を当て軽くうつむいた。一息吐いて、顔を上げ、照れくさそうに言葉を続けた。


「まいったな。門番のおじさんが、今日は誰も来てないよって言ってたから。後から人が来ることなんて考えなかったんだ。バカだな」


 シェイドは冷静に少年を観察した。


 ばつが悪いのか、少年は言い訳するように自らどんどん話している。

 このまま向こうの情報を知ることが必要だと、シェイドは考えた。


 少年は、どうやら門を通って正規ルートでこの森に入ったようだ。

 シェイドとフロウの方が、後ろめたい森への侵入者であった。


 シェイドは自分たちの存在を、少年が誰かに話さないように口止めしなければいけないと思った。


 少年が泣いていたことは、おそらく少年の弱みへと通じるはずである。

 上手く情報を整理して、できれば二人のことはあまり少年に話さずに、お互いに口をつぐむような方向へもっていきたいとシェイドは考えていた。


 フロウは、少年のスカイブルーの瞳がきれいで、どきどきしていた。

 やはり、もうちょっとちゃんと見たいと思って、立ち膝でシェイドの後ろから横に移動した。


 少年は、フロウの姿を見て驚いた様子だった。

 シェイドの背に隠れていたため、気づいていなかったようだ。

 少年の頬に赤みが差した。


「もう一人いたの。わあ、まいったな。恥ずかしい」

「この辺の子じゃないよね。何しに来たの?」


 シェイドは、当然の権利というような様子で、さらりと聞いた。


 フロウはシェイドを見上げ、見たこともないクールな表情に出会った。

 フロウに見せる温かさが消え失せていて、なぜかフロウの体も固くなり緊張を感じた。


「学校のフィールドワークの課題だよ。一人で遠出して来ちゃった。君たちはこの近所の子なんだね」


 学校に行っている子なのか、道理で賢そうだと、フロウは一人納得した。

 少年のどぎまぎした様子を見て、フロウは何だかかわいそうになってきた。


 シェイドを見上げると、その顔は変わらず涼しげで、仮面のようであった。

 シェイドは、少年の問いには答えず、尚も聞いた。


「学校の課題?そんなことしている風には全然見えないけど」


 シェイドの追及の口調に、フロウは怖さを感じた。

 少年は頬を染めたまま、困ったような表情をした。


「そうだよね。そうは見えないよね。はああ、格好悪いとこ見られた。一応、フィールドワーク許可証、ちゃんと持って来てるよ」


 フロウはシェイドと少年の様子を見比べるうち、ドキドキしたりハラハラしたり、その他にもいろいろな気持ちの間を揺れ動いた。


 淡々と話すシェイドに問い詰める冷たさを感じ、困っている少年を気の毒に思い、それでもシェイドに守られている気持ちがして、フロウは胸がパンクしそうになった。


 何だか心の内があまりにも忙しなくざわめくので、むしろ全体は漠然としてきた。

 そのうち、シェイドの黒い輝きと少年の白い輝きだけが、胸の中で鮮やかに輪郭を持つようになった。


 シェイドは変わらぬ冷静さで言葉を続けた。


「男が人前で泣くのはどうかと思うけど」


 少年は再び頬の涙の跡をこすった。


「いや、人前にならないとこを選んだはずっていうか。わざわざ遠出したっていうか。ここは人があんまり行かないって聞いてたから。一応、さっきまでは人前じゃなかったんだけど。いや、君たちがどうとかじゃなくて」


 少年は、非常に決まり悪そうにしどろもどろに話した。

 シェイドは、更に追い詰めようと口を開きかけた。


 その時、急にフロウが、意外なほど大きな声を発した。


「黒豆と白豆!」


 突然の大声に驚くように、再びバサバサと鳥が飛んだ。

 

 シェイドはぎょっとし、少年は目を丸くして、フロウを見た。

 シェイドはあまりにも予想外のことが起きたために、情報を処理しきれずフリーズした。


 一瞬にして謎の空気が3人の間を漂ったのだった。





 言葉を失う二人を尻目に、フロウは持参の手提げバッグをガサガサとあさり始めた。


「あの、何を?」


 シェイドが冷静な表情を取り崩し、戸惑うような、恐れるような顔で、やっとそれだけフロウに問いかけた。


「昨日ね、お母さんがもらってきたの。すごい有名な高級お菓子なんだよ」


 フロウは手提げバッグから、高級お豆さんというラベルの付いた袋菓子を取り出した。

 透明な袋の中に、黒と白の豆がびっしりと収まっていた。


「あ!それ知ってる!僕の家にもあった!超人気で売り切れ続出」


 少年が袋菓子を指さした。

 フロウは少年に話しかけられて、赤くなった。

 シェイドの心は余計に乱れた。


「そうなの。これ、お母さんが食べなさいってくれたから、一緒に食べようと思って、今日持ってきたの」


 恥ずかしそうに見上げるフロウと視線が合い、シェイドは心を立て直せないまま尋ねていた。


「それ、何で今このタイミングで」

「黒豆と白豆」

「え?」

「黒豆と、白豆」


 フロウは黒豆と言う時にシェイドを見て、白豆という時に少年を見た。


 シェイドは思わず声を上げた。


「ええ!」


 フロウは真っ赤になった。


 打たれたように少年が噴き出して、そのまま笑いだした。

 シェイドは愕然として、高級お豆さんの袋を見た。


「豆、俺が、豆」


「違うよ!ただの豆じゃなくて、高級黒豆だよ!すごいんだよ、つやつやしてて宝石みたいなんだよ」


 フロウが言いつのるほどに少年は笑い、シェイドは茫然とした。

 少年は笑いながら、フロウの言葉に付け足した。


「黒い宝石と白い宝石、奇跡のコラボレーション、でしょ」

「そう、それ!コマーシャルで言ってるやつ。二人を見てたら、思い浮かんだの!今日、このお豆さん持ってきたのって、すごい偶然じゃない?」


 ものすごい発見をしたというように、フロウは興奮気味に言った。


 友達関係に慣れていないフロウにとって、先ほどまでの緊張感が、簡単にキャパシティを超えてしまったということが背景にはあった。


 言葉を発するタイミングのことなど、まったく考えもつかなかった。

 むしろ、すばらしいタイミングで二人の共通点に気づいたと思っていた。


 シェイドは衝撃から抜け切れていなかった。


「黒豆、俺が、黒豆」


 シェイドは金庫バアの組織の中で、目立つ存在であった。


 そのため、陰で悪口を言われたり揶揄されたりすることは、日常茶飯事であった。逆に賛辞もあった。

 どちらも、面と向かって言われることも少なくはなかった。

 しかし、シェイドの耳に入るそういった諸々の中に、黒豆に類する言われ方は、今まで一度も含まれてはいなかった。


 若干、プライドが傷ついた。


 少年は楽しげに笑いながら、明るく言った。


「君、面白いね。僕、白豆って言われたの初めてだよ。ねえ、よかったら、僕にもお豆さんくれない?」

「いいよ、皆で食べよう!」


 フロウはシェイドの顔を覗きこんだ。

 シェイドは茫然としたまま、つられて頷いていた。

 フロウはほっとした笑顔で立ちあがり、シェイドの手を引いて、少年の方へ歩いて行った。


 こうして3人は、フロウを真ん中に湖のほとりに座ったのだった。












 フロウがお菓子の袋を開けて少年に差し出すと、少年は笑顔で白豆をつまんだ。


「ありがとう。僕はミカエル。君たちは?」


 少年ミカエルのまっすぐな笑顔にどきどきしながら、フロウは答えた。


「私はフロウ」


 フロウは、お菓子の袋をシェイドに差し出した。シェイドは半ば茫然とした表情のまま、黒豆をつまんで言った。


「俺は黒豆」


 ミカエルは、分かったというように頷いて言った。


「フロウちゃんと黒豆君は、よくここに来るの?」

「私は前からよく来てたけど、黒豆は最近だよ」

「ええっ、そのままなの?」


 シェイドは髪の間に両手を差し込んで頭を抱えた。フロウは慌てた。


「ごめんなさい!黒豆を気に入ってくれたのかと思って」

「ううん。うん。ごめん。そうでもない」


 ごめんね、私うっかりしてて、と焦って言い募るフロウに、シェイドは頭を抱えたまま、いや、うん、平気、大丈夫と返し続けた。


 二人のやり取りを見て、ミカエルは楽しそうに笑った。


「黒豆君は、なんて呼んだらいい?」


 朗らかなミカエルの問いかけに、シェイドはちらりと顔を上げて言った。


「シェイド」


 本名を言うべきか迷ったが、フロウも告げている以上、もういいかという気持ちになった。


 シェイドは駆け引きの計算が狂い、正直何が何やら分からなくなっていた。

 自分以外の二人には、相手への警戒心が全然感じられなかった。


「改めまして、シェイド君、フロウちゃん、よろしくね」


 ミカエルの明るい挨拶に、フロウはハッとしてシェイドを見た。

 シェイドは全身がゾワゾワとむず痒くなっていた。喘ぐように言った。


「悪いけど、くん、つけないで。無理」

「え?どういうこと?」


「あのね、シェイド君じゃなくて、シェイドって呼んでっていうこと」

「そうなの?フロウちゃんはフロウちゃんでいいの?」

「私はいいよ」


「ごめん。できれば、全員、ちゃんとかくんとか勘弁して」

「あれ、そっか。ええと、私もフロウって呼んでね」


「そうなんだ。うん、よろしくね、シェイド、フロウ。僕のことも、ミカエルって呼んで」


 3人はやっと、無事に名乗り合った。


 それから、ははは、と無意味な笑いを誰からともなく3人でしてみた。


 そして、高級お豆さんをぱくりと口にした。

 ふっくら、しっとり、甘い等、口々に品評しながら3人は食べた。


 シェイドとしては、今の状況について、相変わらず訳が分からなかったが、フロウもミカエルもごく当たり前のような顔をしていた。

 シェイドは、もうなるようになるさという心境に至った。





 高級お豆さんの袋が空になると、ミカエルは自分のことを話し始めた。


「僕が住んでる町はここからは遠くて、ここまで来たの、初めてなんだ」

「何でわざわざ?」


 シェイドは促した。ミカエルの人懐こい様子とフロウのマイペースに、シェイドの危機感は随分溶けてしまっていた。


「うん。詳しくは言えないけど、ものすごく腹の立つことがあったんだよ。僕はそんなに怒ることってないんだけど、生まれて初めて爆発しちゃって」


 ミカエルは、体育座りの膝に顎を載せて湖を見つめた。

 フロウは、ミカエルの横顔に一瞬見とれた。

 そんな自分が恥ずかしくなり、急いで湖に視線を向けた。


 シェイドは、ミカエルの話も気になるし、フロウの様子も気になって、複雑な感情が動いた。

 自分でも心の動きがよく分からなかった。


「僕は4年生なんだけど、ちょうどフィールドワークの課題が出たんだ。お寺とか博物館とか天然記念物のある山とか、何か見てきて作文を書きましょうって。提出期限は9月で、土日でも夏休みに入ってからでも、時間のあるときにやればいい課題だったんだけど」


「今日は7月で、金曜日」


 シェイドの言葉に、ミカエルが頷いた。


「今日、大事なものを取り上げられたんだ。全然、自分の力じゃどうしようもできなかった。信じられないくらい悔しくて、頭がぐちゃぐちゃになって、もうその場から離れたくて。でも、うちいろいろうるさいんだよ。どこ行くとか、チェックされるから嫌になって、フィールドワークの課題だよって飛び出してきた」


 別世界の話だと思いながらシェイドは聞いた。

 小学校4年生ということは、同い年ではないだろうか。

 自分とミカエル、この違いは何だと、シェイドの胸はチクチクと針でつつかれるような感触をおぼえた。


 ミカエルは続けた。


「一人になりたいと思ったけど、どこ行くか迷ったんだ。そうしたら、前に地図帳で見たこのアオウミ森を思い出して。小さな写真だけど、湖がびっくりするくらい青くてきれいだった。先生が、観光地じゃないから、そんなに行く人もいないって言ってたことも思い出して、もうそこしかないって」


 フロウが湖に顔を向けたまま、視線をミカエルにちらっと向けて聞いた。


「道に迷わなかった?」


 フロウにとって、未知の場所へ行くことは困難なことであったし、知らない道をおぼえることも難しいことであった。


「最寄り駅とかも記憶頼りだったけど、僕、結構そういうの得意なんだよね。人に聞いたりしながら、何とかなっちゃった。門番のおじさんも親切で、フィールドワーク許可書見せたら、湖までの地図を書いてくれたよ」


 ナイロン製のヒップバッグから、ミカエルは手書きの地図を出して見せた。フロウは、へー上手と感心した。


 シェイドは、話を聞くほどに、明るい世界を生きるミカエルに対し、体の奥で何かがねじれるような、得も言われぬ不快を感じた。フロウには感じたことがなかった。


「本当にきれいな湖だね。来てよかった。誰もいないと思って泣いちゃったけど、それですっきりしたところもあるし」


 ミカエルは照れたような笑顔を、フロウとシェイドに向けた。

 フロウは、ミカエルに手を合わせ、突然に勢い込んで言った。


「お願いがあるの、ミカエル」


 シェイドは、ミカエルへの不快感も吹き飛ぶほど驚いた。

 今度はフロウが何を言い出すのかと身構えた。

 ミカエルは、目をしばたたかせながら、はいと答えた。


「あのね、私とシェイドに会ったこと、秘密にしてほしいの」


 急な直球勝負に、シェイドは開いた口が塞がらなかった。


「どういうこと?」

「私とシェイドは、内緒でここで遊んでいるの。だから、お願い、秘密にしてくれない?」


 あまりにも直球過ぎて、シェイドはもはや、何の口も挟めなかった。


「うん、わかった」


 ミカエルはあっさりと言った。

 シェイドはまた、驚愕した。

 フロウが満面の笑みで拍手しながら、きゃあと歓声を上げた。


「ありがとう!」

「いえいえ、こちらこそ、僕が泣いてたこと、一生誰にも言わないでね。僕は強い男になる予定なんだ」

「うん、絶対言わない!よかったー」


 ミカエルは照れくさそうな顔で笑っていて、フロウはうれしそうにニコニコしていた。

 シェイドはそんな二人から取り残されていた。


 口止めは、こんなに簡単にすむものなのかとシェイドは訝った。

 嘘をつかれて大人に報告されたら、自分たちはここを追われてしまう。


 それだけではなく、シェイドの存在が表に出ると、仕事にも差しさわりが出る。

 あるいは、フロウに自分のことを知られ、軽蔑されるかもしれない。


 だがやがて、自分の警戒心のほうが、この場にそぐわないのだと閃いた。

 二人はまったく相手を疑う様子がなかった。

 相手を信じていることが伝わってきた。


 シェイドは、自分と二人は生きる世界が違うのだと思った。

 フロウを急に遠く感じた。









「よし!そしたら、皆で水切りしようよ!」


 フロウは元気に言った。

 フロウはミカエルの人懐こさにすっかり安心し、今日は3人で遊べると単純に興奮していた。


「え、水切り?久しぶりだな。やるやる!」


 ミカエルが明るく同意した。

 シェイドは、そうか、今日は3人で遊ぶのかと、頭の中で状況と気持ちを整理しようとした。


「3人で勝負!私結構、上手いんだよ」

「僕は去年のキャンプ以来かな。でも、かなりやってたから、多分、勝つよ」


 ミカエルは力こぶを作って笑って見せた。


 それを見て、シェイドの腹の底から、負けるものか、という声が響いてきた。

 シェイドは考えるのをやめ、その声に同調することにした。すると、わりあいと自然に今の状況に入っていくことができた。


 シェイドはスッと立ち上がり、両腕を上げて体を伸ばしながら聞いた。


「練習あり?何回勝負?」


 フロウは足の曲げ伸ばしをしながら答えた。


「練習なし。一回勝負」


 フロウは、練習前に勝利し、練習後にシェイドに負けたことをおぼえていた。

 シェイドもそのことを思い出し、フロウが勝つ気でいることを感じた。


「練習なしの一発勝負?うわ、よし、本気でやらないと」


 ミカエルは、投げる小石を探し始めた。フロウもシェイドも続いた。

 各々が小石を選んだ。


「投げる順番は、じゃんけんで負けた人から!」


 フロウが燃える目で言った。シェイドもミカエルも力のこもった目で頷いた。


 じゃんけんの結果、ミカエル、フロウ、シェイドの順になった。

 じゃんけんに負けたミカエルの悔しそうな表情を見て、シェイドはいい気分になった。


「じゃあ、僕から行くよ」


 ミカエルは、湖の前で構えた。何度か腕を振ってフォームを調整した。

 そして、おもむろに小石を投げた。


 シェイドとフロウが息をのんで見つめる中、小石は転々と跳ねて行った。


「7回!」


 どうだという顔で、ミカエルが二人を見た。フロウはぽかんとした後、首を振って表情を引き締めた。


「上手だね。でも私も負けない」


 フロウはミカエルと場所を入れ替わった。

 フロウは深呼吸した。そして、構えて小石を投げた。


「それ!」


 小石は等間隔の波紋を残して跳んで行った。フロウは数えた。


「1、2、3、4、5、6、7。7回!」


 フロウは振り返って二人にピースした。ミカエルは、並ばれたか、と悔しそうに笑った。


「最後、俺ね」


 今度はシェイドが湖の前で構えた。フロウはごくりと唾を呑んだ。ミカエルは腕組みし、シェイドをじっと見た。


「行け!」


 シェイドが小石を投げた。跳んで行く回数をフロウは数えた。


「1、2、3、4、5、6、7」


 シェイドが笑った。


「8回!」


 シェイドは拳を天に突き上げた。


「負けた!信じられない!もうやだ!7回も跳んだのに!」

「僕も信じられない!くそー、負けたのか!」


 フロウもミカエルも、本気で悔しがった。

 シェイドは、ものすごく清々しい気持ちになった。

 ミカエルに勝つことは、フロウに勝つ以上の喜びを感じさせた。


「さ、次はどうする?」


 余裕の表情でシェイドは言った。フロウは少し口をとがらせながら話した。


「これは一回勝負って言ったもんね。しょうがないや。じゃあ、鬼ごっこしよ」

「オッケー!やるよ!」


 ミカエルが、気持ちを切り替えるようにその提案に乗った。シェイドも同意し、鬼ごっこをやることになった。

 フロウは、3人で鬼ごっこができることに、ワクワクした。










 フロウは、唖然としながら、二人を見ていた。


 鬼ごっこのはずだった。


 最初に、この木からこの木まで、奥はここからこっちの木まで、など範囲を決めた。そして、タッチされたら鬼が変わるシンプルな鬼ごっこを始めた。


 まずは、じゃんけんに負けたフロウが鬼で、シェイドにタッチした。シェイドは10数えて、次の鬼になった。


 シェイドはミカエルを追った。蔦の葉に足を取られたミカエルに、シェイドがタッチした。ミカエルが10数えて、鬼になった。


 ミカエルはシェイドを追った。その方向にフロウがいた。ミカエルはターゲットを変えて、フロウにタッチしようとした。


 フロウは逃げた。シェイドがフロウを逃がすように、ミカエルに近寄って、こっちだと挑発した。

 ミカエルはニッと笑って、シェイドを追った。


 その辺りから、ちょっとおかしくなってきた。


 二人の目に、フロウが映らなくなった。

 フロウが今まで見たこともないようなスピードで、シェイドは走った。

 ミカエルは同等のスピードで対抗した。


 鬼になったシェイドが追いつくと、ミカエルは素早い体さばきでかわした。華麗な瞬発力で方向転換し、シェイドの手を逃れた。

 大きな木の後ろでミカエルが一度呼吸を整えていると、木々の中でさえ見事に物音を消したシェイドが急に目の前に現れ、ミカエルをとらえた。


 フロウはただ口を開けて、二人の様子を見ていた。


 ミカエルが激しく追うと、シェイドは木の枝をつかんだり岩の上に登ったり、考えられない方向に身をかわした。

 ミカエルの跳躍力によって、木の枝に立ったシェイドの足がタッチされそうになると、シェイドはそこから大きくジャンプして、向かいの木の枝にぶらさがった。


 シェイドは体をしならせて着地し、すぐにミカエルに向き直った。


 ミカエルがシェイドに手を伸ばすと、シェイドはそれをかわした。かわしながら、思わず反撃の拳を向けてしまった。

 ミカエルは自然にそれをよけると、スッとしゃがんで足払いを仕掛けてきた。シェイドは片手をついて側転をして足場を守った。


 二人は距離を取り、構えて向かい合った。お互いに、相手が何かしら武術をやっていることに気づいた。

 二人は見つめ合った。どちらの目にも引く様子はなかった。


 シェイドの体の奥から何かが燃え上がった。熱い愉悦を感じた。

 ミカエルの血が湧き立った。歓喜が駆けめぐった。


 フロウが見ている間に、二人は完全に戦い始めた。


 ミカエルがつき出した拳を、シェイドは両腕をクロスして受けた。

 そのままミカエルの腕をつかみ、わきの下に肘を入れ、腰を使って投げ飛ばした。


 受け身を取ったミカエルの上にのしかかると、シェイドは襟首をつかまれ、お腹を蹴り上げられて、ひっくり返された。


 素早く立ちあがったシェイドの前に、すでにミカエルがいて、蹴りを放ってきた。手足を曲げてガードしたが、重い蹴りで、シェイドの手足は痺れた。シェイドは構わず回し蹴りをお返しした。


 フロウには、何が起こっているのかチンプンカンプンだった。

 二人とも野生の獣のように見えた。

 見たこともないような二人の体の動きに、なんて気高く激しいんだろうと、場にそぐわない感動もおぼえた。

 だが、二人の発する気配は、フロウにとってやはり怖いものだった。


 フロウは自分の友達経験が少ないために、二人のことが理解できないのかもしれないと思った。


 そういえば、以前シェイドは、友達とふざけているうちにケンカになるなどと言っていた気がする。

 男の子の世界は、こういうものなのかもしれないと一人納得した。


 やがて、激しくもつれ合い打ち込みあっていた二人が、また距離を取って見合った。

 二人とも肩で息をし、膝が崩れ落ちそうだった。


「お水飲む?」


 いつの間にか側に近づいたフロウが、二人に声をかけた。


 シェイドとミカエルは、それを聞いて我に返った。


「フロウ、ごめん。つい」


 シェイドが息を切らしながら、フロウを放っておいたことを謝った。


「いいの、いいの。休憩しようよ」

「僕もごめんね、フロウ。お水あるの?」


 ミカエルも息を切らしながら言った。


「うん。鞄にあるから取って来るね」


 フロウが駆けだすと、ミカエルは大の字に寝転がった。シェイドも寝転がった。


「気持いいー!」


 ミカエルが声を上げた。


「俺も!」


 シェイドが続けて言った。





 フロウが小ぶりのペットボトルを2本持ってきた。二人は体を起こし、ペットボトルを受け取った。


「サンキュー、用意がいいね」


 ミカエルがにっこり笑って、ぐびぐび水を飲んだ。


「今日はお豆さんがあるから、のどが渇くかなと思って」


 フロウは褒められたようでうれしかった。

 シェイドも水を飲みながら、はたと尋ねた。


「フロウの分は?」

「私はのど渇いてないから」


「あ、そうか、二人分か。ごめんね、僕、あんまり考えないで飲んじゃった。これ、もう少ないけどよかったら」


 ミカエルが慌てて、ペットボトルをフロウに差し出した。

 シェイドがそのペットボトルに、すっと掌を向けた。


「いいよ、ミカエル。フロウ、こっち飲みなよ」


 シェイドは半分飲んだ自分のペットボトルを、フロウの目の前に差し出した。フロウは思わず受け取った。


 シェイドはスッと視線をミカエルに戻し、話しかけた。


「ミカエル、強いね。正直びっくりした」


 ミカエルは、ありがとフロウ、いただきますと一声かけた後、ペットボトルの水を飲み干し、楽しげにシェイドを見た。


「僕も正直びっくりなんだよ。シェイド、何才?」

「10才」

「わ、同じだ。すごい!僕、今まで、同じくらいの年の子には本気出せなかったんだ」

「分かる。俺もだ」


 二人は、お互いが同じことを喜んでいると、響き合うように感じていた。


 フロウは、まったく違う次元でドキドキしていた。

 シェイドの飲みかけのお水、シェイドが口をつけたペットボトル。

 実はちょっとのどが渇いていた。それが、このペットボトルを受け取った途端に、のどがカラカラになってしまった。


 これって間接キスだよねと考え、意識してしまうと、フロウは頭に血が上るのを感じた。

 シェイドも何気なく譲ってくれたのだから、私も何気なく飲めばいいんだ、と自分に言い聞かせた。


 フロウはペットボトルに口をつけて、水を飲んだ。ぬるい水がのどを通る感触が、艶めいていた。

 4分の1を残し、フロウは胸がいっぱいになった。


 シェイドとミカエルは、楽しげな会話を続けていた。


「友達のことは好きだから、一緒に遊ぶのは楽しいんだけど、あんまり早く走ったり強くボール投げたりすると、誰もついて来れないし、誰もボール取れないんだよ。皆が白けてつまんなくなっちゃうから、どうしても本気は出せないんだ」


「そうなんだよね。気をつけないと、周りに無理させてたりしてさ」


「そうそう!で、年上となら楽しいかって言ったら、それも難しいんだよ。生意気って言われちゃうし。先輩の面子もつぶしちゃいけないし。体術とか、結局大人とやることになって、体格が違い過ぎて、それもあんまり面白くないんだよ」


「うわー、すげー分かる」


「でしょ?ああ、うれしい!分かってくれる人に会えるなんて。本当、同い年で本気出せる人、初めて会ったんだよ。この感動、分かる?本当に初めてなんだ!」


 ミカエルは、シェイドに抱きついた。

 シェイドは面食らったが、嫌な感じはしなかった。

 シェイドもミカエルを抱き返した。

 仲間以外と抱擁するのは初めてだった。タタよりも筋肉質なしっかりした体だと思った。


 抱き合うシェイドの視線の先に、ペットボトルを持って二人を見ているフロウがいた。

 栗色の瞳がキラキラと輝いていて、シェイドの心をざわめかせた。

 フロウの持つペットボトルを見ると、まだ水が残っていた。


 フロウ、それちょうだい、と指さしと唇の動きだけで伝えた。フロウの心臓がドキンと鳴った。

 ドキドキしながら、震える手で蓋の開いたままのペットボトルを、シェイドに差し出した。


 シェイドは受け取るとためらわず口をつけ、ペットボトルの水を飲み干した。


 フロウの視線は、シェイドの唇に引き寄せられ、見てしまうとのぼせてクラクラした。

 フロウは、パタパタと手で自分を仰ぎながら、よそ見をして平静を保とうとした。


 シェイドは、そんなフロウの唇をさりげなく見ていた。そして、自分はちょっと危ないと自覚した。









 ミカエルが、シェイドから体を離した。腕時計を覗きこみ、帰らないといけないとつぶやいた。


「今日、最悪の日だと思ってたけど、最高の日だったな」

「私も楽しかった!」


 フロウはすかさず応じた。


「本当?ごめんね、最後はシェイドと二人で燃えて、訳わかんなくなっちゃった。でも、フロウのおかげでいっぱい笑った。助かったよ」


 ミカエルに、鮮やかでまっすぐな笑顔を向けられて、フロウは喜びで満たされた。


 シェイドは不思議な気持ちでいっぱいだった。

 見ず知らずの生き方、過去にない経験、初めての感情。

 フロウやミカエルといると、シェイドの世界は立体的に広がっていくのだった。

 そして、もっと知りたいし、得たいし、感じたいと思う気持ちが強くなるのだった。


「また、皆で一緒に遊ぼうよ」


 フロウはいつも直球だった。すぐに応じられないシェイドに対して、ミカエルはあっさりと返答した。


「うん。僕も遊びたい」


 フロウはパチパチと拍手をして喜んだ。


 シェイドは、ためらいのないミカエルの様子を見て、住む世界の違いを実感させられた。

 けれど、生き方が随分違うのに、なぜかシェイドは、ミカエルが他の誰よりも自分に近いと感じるようになっていた。


 シェイドのためらいを、ミカエルも感じ取った。


「シェイド、君のとこも、もしかして家がうるさい?」


 シェイドは苦笑した。


「まあね。いろいろ縛りがあるんだよ」


 ミカエルはそうかと納得顔をした。思わずそう表現したシェイドのほうが、ギクリとした。


 自分のやりたいと感じることに対して、タタとカラカラの存在が縛りだと言ってしまったような気がした。

 タタとカラカラに秘密を持ってミドリ地区の人間と楽しんでいることに、かすかな罪悪感をおぼえてもいた。


「お願いシェイド!私もっと一緒に遊びたい」


 フロウは強い気持ちでまっすぐ求めた。手を合わせ、しっかりとシェイドを見つめた。


 フロウの瞳に迫られてシェイドは揺らいだ。

 この目に出会うと、求めているのはむしろ自分のほうだと実感させられるのだった。

 仲間を裏切る意味をも含んでしまう、己の素直な欲望が、明確に照らし出された。


 フロウはシェイド、またミカエルとの関係を手離せないと思っていた。


 今までフロウの感情は、自分の内側で滞留し、ぐるぐる渦を巻くばかりであった。それが、シェイドと出会って、初めてしっかりと応じられた。

 うれしさも楽しさも悔しさも、鮮やかに響き合った。感情の奔流は、激しい体の動きで昇華されもした。生きている手ごたえがあった。世界が違って見えた。

 もう、元の世界には戻りたくなかった。


「シェイド、何とかならない?僕もシェイドと遊びたいよ」


 ミカエルも真剣な顔で言った。


 シェイドはミカエルにまた会って勝負したいとも思っていた。フロウとミカエル、二つの引力に逆らい切れるわけもなかった。

 シェイドは苦笑いをした。


「うん。また、遊ぼう」


 そのシェイドの言葉を聞き、フロウとミカエルは顔を見合わせて拍手をした。


 そこから3人は予定調整に入った。ミカエルが次に来られる日は1週間後だと言うので、3人で次に会う日は翌週の金曜日に決まった。

 フロウはシェイドにせがみ、火曜日に二人で会う予定も組んだ。ミカエルは羨んだ。


 次に、今後の待ち合わせの仕方を、シェイドがミカエルに伝えた。

 ミカエルが使う駅から森の金網の破れまで、人目につかない道を選んでほしいことを説明した。

 さらに、シェイドは注意点も話した。


「ミカエルの髪はちょっとキラキラするから、できれば帽子かぶって。あと、服もそれ、結構いいやつだよね。なるべくこの辺の子みたいな服にして。目立つとばれる可能性が高くなるからさ」

「ああそうか。よく分かった」


 ミカエルはシェイドの指示をすぐに理解し飲み込んだ。


「洋服のことも分かるの?シェイドって、何ていうか、上手く言えないけど、気がきく」


 フロウは、てきぱきと判断し指示するシェイドをぽけーっとした表情で見た。

 ミカエルのポロシャツには、見たことのあるようなないようなロゴマークが、ワンポイントで胸元にあった。

 フロウは、そんなことはまったく気にしなかった。


「何てことない。あれこれ言われたのに、あっさり分かるミカエルの方がすごいよ」

「僕、話せば話すほど、何だかシェイドのこと、すごく近く感じるんだよね。似てないよね、でも似てる気がする」


 ミカエルが、自分と同じことを思っていると知り、シェイドは瞬間的に熱を感じた。


 見交わすミカエルの目の中に、出会えた喜びがにじんでいた。シェイドは、自分の目にも同じものが宿っていると気づいていた。




 その後、ミカエルは正門から外へ出て、打ち合わせ通り金網を回り込んだ。金網の破れから外に出て待っていた二人と合流し、待ち合わせ場所を確かめた。


 ミカエルの使う駅まで、フロウが目立たない道を選び3人で移動した。駅から少し離れた道の片隅で、シェイドとフロウはミカエルを見送った。


 それから、シェイドはフロウに先に帰ることを促した。フロウはまた会う約束を胸に帰って行った。

 シェイドがどの駅からどのように帰るのか、フロウには分からないままだった。最後にシェイドが帰途についた。


 3人の関係を知る者は、誰もいなかった。


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