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決意

 アニヤは、ユウカリに提出する報告書をまとめていた。


 アネモネとカラカラが直接フロウから得た情報と、古書店周辺住民への聞き取り情報を重ね合わせて書き上げたものだった。


 周辺住民は、「またフロウちゃんの結婚調査かい?」と慣れた様子で応じた。

 どうやら、フロウが結婚相手としてふさわしいかどうか判定するためとほのめかし、何度も同様の聞き取り調査がなされているようだった。

「いろんな人が来るわりに、なかなか話がまとまらないね」と心配する住民もいた。



 また、現在、裏通りの古書店は、決闘場として立ち入り禁止状態になっていた。

 アニヤはその件についても周囲に聞き込みをし、報告書に載せた。


 フロウはマルタの家に帰っていた。

 アニヤは、フロウの様子を探らせて策を練った。




 策が立った。

 予定通り、アネモネが『兄に届け物をする妊婦』として、フロウに接触した。

 それから午後には、みつあみのカラカラが出向いた。


 実は、カラカラはあの日、フロウに接触する予定ではなかった。偵察だけのはずだった。

 1日の中で珍しいことが2件もあっては、警戒心のためフロウの反応が引き出しにくくなるかもしれないと、アニヤが考えたからだ。


 ところが、ナンパ1つ、適当にあしらうことができないフロウを見て、カラカラは思わず飛び出してしまった。


 結果としては、悪くなかった。

 フロウはカラカラにまったく気づかない、という事実をキャッチできたからだ。




 アニヤは考えた。

 依頼人ユウカリの言うフロウの兄ミカエルとは、おそらくあの時の少年ミカエルのことであろう。


 幽体のミカエルとフロウが帰るとき、吸い込まれた空間からシェイドたち3人の声だけがわずかに聞こえてきた。

 あの時フロウは、ミカエルを兄と認識していた。


 兄はいない、カラカラを知らないというフロウ。

 アネモネとカラカラは口をそろえて言った。

 あの子は嘘をつけない。

 そうであるなら、結論は1つ。


 フロウは、あの時のことをおぼえていないのだ。




 もともとの予定では、カラカラは偶然を装ってフロウと再会するはずだった。

 思い出話の中で、兄ミカエルへの気持ちも聞く予定だった。


 実はこの策には、半分以上、カラカラのプライベートな事情が含まれていた。

 カラカラの心の傷も癒えてきたところだった。

 小さなナイフはいまだに恐ろしかったが、突然に恐慌状態に陥るようなことはもうなくなっていた。

 カラカラはフロウに、あの時、命を救ってもらったお礼を言いたいと思い続けてきた。 

 アニヤがそれに、仕事というきっかけを与えたのだ。


 たとえ、兄ミカエルについて話を聞くという段階までいけなくても、フロウにお礼だけは伝える機会として。

 アニヤもカラカラもそういう心づもりでいた。




 ところが、フロウはカラカラをおぼえてはいなかった。

 アニヤは、その事実を、アネモネの情報とともに1日のうちに手にすることとなったのだ。




 アニヤは調査結果を仕上げた。いろいろと思うところはあったが、それはそれ、これはこれである。

 短期間ですばらしい成果だと自画自賛しながら、アニヤは報告書を封筒に入れ、中指で弾いたのだった。
















 ユウカリは、『ミドリ地区裏通りの古書店のフロウについての調査結果』をミカエルに見せた。

 ミカエルは読まずにはいられなかった。


 父ビヨンドが定期的にフロウに差し向けている調査の結果についても、後ろめたい思いを持ちつつ毎回読んでしまっていた。今回は、それ以上の引力があった。

 何しろ、『主として兄に対する気持ちについて』調べた結果である。




 その日ミカエルは、ユウカリが一人暮らしをしているアパートメントに呼び出された。そして、到着してから用件を知らされた。ミカエルはおののいたが、ユウカリは目に強い力を宿して言ったのだ。


「知った方がいい」


 そうして示された書類に、ミカエルは抗うこともできず手を伸ばしたのだった。




『フロウは部分的記憶喪失者である』




 ミカエルは最初に書かれた結論に衝撃を受けた。

 ためらいは吹き飛び、後は食い入るように続きを読み進めた。




 フロウは少なくとも、10歳頃の記憶を一部失っている。

 しかし、フロウを知る近所の人たちにも話を聞いたが、フロウにそうした欠落があるといった情報は一切出てこなかった。

 一部の記憶を失っているということをフロウが隠し通しているか、記憶を失っているということ自体、フロウが認識していないか、どちらかであると思われる。

 フロウの性格から推し量ると、後者の可能性が高いのではないか。

 

 フロウは、自分に兄がいるとは思っていない。

 フロウは、母親マルタと古書店の店主ハシマだけが、身近な人間であると考えている。


 しかしながら、フロウは、自分にはいない兄という存在に対して、強い憧れを抱いている。





 読み進めるほど、ミカエルの中で、ある輪郭が明確になってきた。


 あの事件だ。

 ミカエルの記憶は、例の事件後の状況に遡っていった。


 自分はどうやって現実に復帰したのだったか。

 そうだ。

 父ビヨンドが大枚をはたいて魔術師を複数呼んだのだ。


 魔術師たちは、高額な魔術の補助媒介を惜しげもなく使い、ミカエルを助けた。

 その後も、医師による入念なメディカルチェック、栄養価の高い食事、行き届いた世話を受けて、ミカエルは完全復帰した。

 また、ミカエル自身、同世代の中では抜きん出て心身共に強靭であった。


 すなわち、ミカエルは豊かな経済力と心身の強さがあったため、この世界にすみやかに復帰することができたのだと言える。

 さて、フロウはどうだったのか。




 ミカエルは青ざめた。




 なぜ、あれだけの体験の後、フロウはまったくの無事であると思いこんでしまったのか。


 あの後、ミカエルは自分の選んだ道をただひたすらに歩き続けた。

 その後は、ビヨンドからフロウの近況を知らされ、元気で頑張っているのだとしか思わなかった。


 なんたる想像力の欠如。


 フロウの身近にいるのは、母親マルタと白魔術師ハシマ。

 確かビヨンドの調査によれば、あの事件の直後といえる時期からフロウは古書店に住み込みで働くようになった、ということだった。

 ミカエルは、一人でも生きていけるように頑張ると言っていたフロウが、それを実行したのだとばかり思っていた。


 フロウを救ったのは、ハシマの他に考えられない。

 フロウの記憶が失われているのは、きっとあの事件の後遺症であろう。


 記憶を失っていることに本人が気付いていないなど、人間として幾重にも不自然なことである。

 フロウが何事もなく元気である訳がない。

 何かひずみが現れているはずだ。


 ハシマだけは知っているのだ。

 フロウの抱える歪みを。

 誰も知らないフロウを。

 フロウをどのようにしてか救い上げ、懐に囲いこみ、教え育てているあの男だけは。



 ミカエルの胸の中に、重く湿った塊のような感情が生じた。

 それは、生まれて初めての感情だった。

 同時に、かつてないような怒りが燃え上がった。

 何に対して怒っているのかも定かではなかった。

 書類を持つ手がこわばり、紙にしわが寄った。



 男も女も見境なく虜にしながら、30歳を越えて尚、独り身でいるハシマ。

 フロウとのあやしい噂、あれは信憑性の薄い単なるゴシップではなかったのか。

 ハシマはどういうつもりで、フロウと暮らしているのか。




 冗談じゃない。許されない。




「忘れられているなんて」


 ミカエルの口が小さく動いた。


 兄妹の絆は決して誰にも切ることはできない。

 忘れたところで、消え去りはしないのだ。

 無いものになどさせない。

 させるものか。


 ミカエルは唇を引き結んだ。




 ユウカリは、調査報告書を読むミカエルをじっと見守っていた。

 こんなに暗い情感を漂わせるミカエルを、ユウカリは見たことがなかった。

 妹の件になると、ミカエルは別人のように多様な表情を見せる。

 ユウカリは思った。






 ミカエルは、重度のシスコンだ。






 どんなミカエルでも味方でいるのだとユウカリは思った。

 また、ミカエルの暗さがうれしくもあった。

 それは、ユウカリにはお馴染みの感覚であるからだ。



「ユウカリ」


 急にミカエルに呼ばれ、ユウカリはドキッとした。

 顔を上げたミカエルは、暗く重く険しい目をしていた。

 苦悩をたたえるミカエルの美しさに、ユウカリは思わず見とれた。


 ミカエルはおもむろにイスから立ち上がった。

 そして、小さな丸テーブルを回り、ユウカリが座る横に立った。


 ミカエルは唐突に、イスに座るユウカリを抱きしめた。


 ユウカリは息が止まりそうになった。


「ありがとう。一生恩に着る」


 ミカエルが言った。

 ユウカリの胸が熱くなった。


「俺もミカエルに一生の借りがある。だから、これでチャラにしてくれ」

「だめだ。お釣りが出る」

「チャラだ。やっと対等な友達になれる」

「ユウカリ」


 ミカエルの腕の力が強くなった。

 ユウカリの熱は全身に回った。




 うれしくて、ちょっとヤバい。ヤバいよ。




 ユウカリはミカエルを引き剥がした。

 ミカエルはいきなり抱擁を解かれて、ポカンとした。


 ユウカリはミカエルと、一生、きっちりと、友達でいたかった。

 ユウカリは、自分が変な方に向かわないようにしっかりと話を戻した。


「ミカエル、会ってこいよ、妹に」

「ユウカリ」

「俺が兄貴なんだぞって言わないといけないだろ。何なら一緒に行ってやるから」

「ありがとう。会うよ。もう迷わない」


 ミカエルの決意あふれる眼差しは、ユウカリには眩しく見えた。

 そうだ、やはりこの太陽のような眩しさこそミカエルだとユウカリは思った。

 暗く沈む太陽も美しいが、明るく周囲を照らしあげる太陽は、何ものにも代えがたい。


「母さんと話さないといけない。ごめん、帰るよ。今日は本当にありがとう。またね、ユウカリ」


 ミカエルは、もう一度ユウカリを抱き、その頬にキスをした。

 そして、急ぎ足で帰って行った。







 残されたユウカリは、真っ赤な顔でキスを受けた頬に手を当てていた。


 頼むから、きっちりと、友達でいさせてくれ。


 美しい友人の無自覚な所作に、無防備な妹との共通点を見出すユウカリであった。

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