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会いたい

 カロナギ国の森の屋敷、シェイドの部屋の机上には、小さな魔法陣がある。

 それは、ある種の通信装置で、遠方からの知らせを受け取る魔術が施されていた。

 まことの黒の魔術と誰にも感づかれない程度の魔力しか使わずに済む。

 その分、ごく短い文章を受け取ることしかできないし、一度使うとしばらくは使えない仕組みになっていた。


 今回、ニア国に家出したミカゲを追跡するキングとの通信手段に、この魔法陣を利用した。

 ニア国が、まことの黒の魔術使用に特に配慮を要する地であることや、あらゆる通信が傍受されうることを鑑みると、うってつけの魔術と思われた。


 しかし、この一方的に短い知らせを受け取るというやり方に、シェイドは本当に苦しめられたのだった。




 シェイドは自室の机に向かって座り、キングからの知らせを折々受け取ったのだが、もれなく毎回動揺していた。


『ミカゲ、カロナギ国を出た様子』

『ミカゲ、ニア国に入った』

『バカミカゲ、ニア国で魔術を使った。敵に追われている』


 シェイドの心臓は止まりそうになった。

 今も昔も、自分の大切な人が傷つくとしたら、自分が至らなかったせいだと感じることは変わらなかった。

 シェイドは、ミカゲの逃げ足の速さとキングの追跡能力を信じ、無事を祈り続けた。


『ミカゲを発見。無事は確認できた』


 その知らせを受けた時のシェイドの安心は、言いようがなかった。

 体の深いところから、ほーっと息を吐いた。

 肩の力が抜けた。


 もうこれでミカゲの安全は保障されたとシェイドが安心した時、次の知らせが届いた。


『ミカゲは、フロウの母親マルタの家に滞在中』


 シェイドは固まった。

 急にフロウの名に触れて、胸が騒いだ。

 一歩遅れて内容が頭に入ってきた。 


 ミカゲが、フロウに辿り着き、その母親の家に入り込んでいる。


 何と言っていた?ミカゲは確か、フロウを殺すと言って家出したか。


 一旦、おさまっていたシェイドの動揺がぶり返してきた。

 まさかミカゲはそんなことはしない。

 しない、はずだ。


 動揺している内に、次の知らせが届いた。


『別件。フロウが住み込みで働く店に、複数の調査員が張り付いている。詳細不明』


 シェイドの混乱は余計にひどくなった。


 これは何の話だ。

 母親の家ではなく、店に調査員ということは、ミカゲの件とは関係ないのか。

 フロウは個人的に、何か危機にさらされているということか。

 

 混乱に追い打ちをかけるように、また知らせが届いた。


『ミカゲにやっと接触できた。ミカゲはシェイドとフロウとの関係に気づいていなかった』


 シェイドは呆然とするあまり、口が開いてしまった。


『ミカゲは、たまたまフロウ親子に保護され、感謝している』


 シェイドは、こぼれ出そうになる何かを押さえるように口元に手を当てて、頬杖をついた。


 何を考えているんだ、ミカゲ。

 何がしたいんだ、ミカゲ。


 シェイドの混乱はまだまだ、終わらなかった。


『バカミカゲ、脱走。追跡中』


 シェイドは髪の毛に差し入れた手をギュッと握った。

 力が入りすぎて、いくらか髪が抜けたようだったが、そんなことは問題ではなかった。


『ミカゲ確保。シッコクの屋敷に保護。もう大丈夫』


 シェイドはパタンと机につっぷした。

 もはや、精神的余力はなかった。









 懸命に自分を立て直したシェイドは、ミカゲの無事をソフィアとデンジに簡潔に報告した。

 ソフィアは病から、ずいぶん回復していた。涙目で、よかったと繰り返し、ミカゲの無事を喜んだ。


 デンジの反応は違っていた。

 デンジは、ミカゲがニア国に行ってから、何事かを考える様子が増えた。

 ミカゲの無事を聞いた時も、なるほど、そうかと腕組みをしただけだった。

 デンジからは、純粋な喜びとは異なる方向性が感じられた。

 シェイドはその様子が気になったが、デンジはそれ以上何かを言うことはなかった。










 ソフィアとデンジに報告を終えたシェイドは、自室に戻り一人になった。

 ただただ心を占める思いがあった。






 会いたい。






 シェイドは、締め付けられるような胸の痛みを感じた。


 フロウ。

 おかしなことに巻き込まれているのか。


 力を手に入れた今の自分ならば、フロウに降りかかる災いを払ってやれる。

 しかし、ニア国で力を振るうことは、逆に大きな災いを呼び込むことにもつながる。

 とはいえ、もしフロウが危険にさらされているのなら、放っておいてはとりかえしのつかないことになる。

 それならば、いっそ。





 会いたい。

 触れたい。

 連れ去りたい。






 シェイドは机の上で、腕の中に頭を埋めた。

 かつて、金庫バアのアジトでも、同じように机に向かい、フロウを思う気持ちを制御できなかったことがあった。


 まことの黒の血筋のせいか。

 自分がおかしいのか。

 ソフィアには気をつけろと言われている。

 止められない。

 自分を止められない。


 会いたい。


 もうだめだ。









「ニア国へ行く」


 その日の夕食の席でシェイドは言った。

 一緒に食事ができるほど回復したソフィアは、シェイドの言葉に理解を示した。


「あなたがそういうなら、もうそうとしかできないのでしょう」


 デンジも頷いた。


「それがいい。ミカゲを連れ帰ってほしい」


 二人ともシェイドを止める様子は一切なかった。

 身構えていたシェイドは、逆に戸惑ってしまった。


「力は隠して使わないようにする。なるべく問題を起こさないように動くから」


 釈明をするように、シェイドは自分からそう話した。

 ソフィアは頷いて、一言だけ言った。


「気をつけて」


 デンジが続けた。


「ニア国は、まことの黒の故郷。それでいて、討ち取られた遺恨の地でもある。シェイドはまことの黒の直系なのだから、好きにしたらいい。問題を起こしたらそれはそれで、後ろに俺たちが控えている。安心して行くがいい」


 ソフィアの眉が少しだけ動いた。

 シェイドの胸に警戒信号が灯った。

 デンジは、問題を起こしてほしいのだろうか。

 まことの黒を滅ぼされた恨みは、シェイドには計り知れない。

 デンジが動くきっかけを与えてはならないとシェイドは心を戒めた。






 こうしてシェイドは、とうとうニア国へ行くと決めた。


 大丈夫。力を隠すことは上手くなった。

 災いの種とならないように慎重に動くのだ。



 大切な人たちが多くいるニア国へ。



 シェイドの胸は知らず知らずのうちに震えた。

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