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キングの屋敷

 タタと別れた後、キングとミカゲは山へ向かった。

 最初は踏み固められた山道を通ったが、次第に道なき道に分け入って進むようになった。

 あまり枝を折ったり足跡をつけたりするな、痕跡を残すなとキングに言われ、ミカゲは苦戦しながらついて行った。


 やがて、何の目印もないような木々の中でキングは足を止めた。

 ふいに座り込み、落ち葉や土を避けると、そこに観音開きの鉄の扉が隠されていた。

 ミカゲが目を見張る中でキングはその扉を開け、体を滑り込ませた。

 慌ててミカゲも後を追った。


 キングはランプを片手に地下道を進んだ。

 日差しが差し込まないじめじめした暗さは薄気味悪く、ミカゲはキングの背中だけを見るようにして歩いた。


 いくらも進まないうちに、出口に着いた。

 階段を上り、キングが扉を開けた。


「ここは」


 ミカゲは驚いた。

 扉から出た先は、花咲く庭の中だった。

 キングがランプの灯を消し、言った。


「シッコクだ。俺の屋敷の庭」


 キングが歩き出したので、ミカゲは急いでついて行った。


 丈高い山に囲まれたシッコク地区に、ミドリ地区からこのような地下道が通じているとは。ミカゲは思いも寄らないことに唖然とし、シッコク地区にいるという実感も持てずにいた。


 キングとミカゲは連れ立って庭を歩いた。

 ミカゲはきょろきょろと辺りを見回した。

 屋敷は、頑丈なコンクリートの壁で囲まれていた。壁の上には鉄条網があった。

 殺伐とした印象を与える壁とは異なり、庭の花壇には季節の花たちが可憐に咲いていた。


 庭を手入れしている男がいた。

 キングに気づくと、麦わら帽子を脱いで会釈した。


「おかえりなさいませ、キング様」

「ペドロ。変わりないか」

「はい。害虫を何匹か駆除しましたが」

「そうか。ご苦労」


 キングが唐突に現れることは、使用人たちにとって慣れたことのようであった。

 屋敷の玄関に到着するまで、何人かの使用人とキングは同じようなやり取りを交わした。しかし、誰もその登場に驚いている様子はなかった。

 ミカゲは物珍しい思いで、一つ一つを見ていた。


 屋敷は2階建てであった。

 カロナギの屋敷よりも大きく、細部にこだわった装飾も施されていた。


 キングがおもむろに重厚な玄関扉を開けた。

 屋敷の中で、初老の男と3人の女が頭を下げて待ち構えていた。

 この人たちは、いつキングに気づいてここに待機したのだろうとミカゲは不思議に思った。


「おかえりなさいませ、キング様」

「おかえりなさいませ!キング様!」


 使用人たちは声をそろえた。

 1人の女の声は、やけに気合いが入って聞こえてきた。

 侍女服の3人のうち2人は、年配のベテランであった。

 もう1人は2人よりも若く、おじぎ一つとっても動きに無駄が多かった。


「ランス、緊急の用件は」

「ございません」

「ならば、その他は後で聞く。エリザベス、この娘はミカゲ。しばらく滞在するから部屋を整えてくれ。クラリスも手伝え」

「承知いたしました」

「それと」

「はい!何でございましょう!」


 先程、気合いの入った挨拶をした比較的若い女が、再度、気合いの入った返事をした。

 目を輝かせて大きな声を出す姿は、帰宅した主人に興奮してじゃれつく犬によく似ているとミカゲは感じた。


 キングは、その気迫を受けて、思わず一歩下がってから言った。


「あー、ヒルダ」

「はい!」

「一緒に来い」

「やった!」


 ヒルダは万歳した。

 すかさず、隣のエリザベスがヒルダの頭をはたいた。


「いったああああい!」

「申し訳ありません。作法は叩きこんでいるのですが、キング様の前に出ると調子に乗ってしまいまして」

「いいんだ。エリザベスはよくやってくれている」


 ヒルダは頭をさすりながら、誇らしげな顔でキングの後ろにくっついた。

 同じくキングの後ろにいたミカゲは、ヒルダに睨まれた。

 どうやら、この使用人は特別扱いのようだとミカゲは理解した。





 キングは、ヒルダとミカゲを引き連れて屋敷の奥へと歩いて行った。

 そして、応接室に入った。


「今、とびっきり美味しいお茶をいれるからね!座って待ってておくれ!」


 ヒルダは張り切って、部屋の隅に置かれたティーセットのワゴンに向かった。


 キングは苦笑いを浮かべながら、ミカゲをソファにうながした。

 ミカゲはソファに座り、部屋を見回した。

 家具も調度品も濃い青色を基調とし、統一感と品のある美しさがあった。

 落ち着きがありつつ適度に華やかな部屋を、ミカゲは好ましく感じた。


 それにそぐわない、がさつな音がした。


 ガシャ、ガシャ、バサッ、バチャ。


 一体何をしているのか。

 キングとミカゲは目を見合わせた後、そろってヒルダを見た。


「あちっ」


 ヒルダがティーセットと格闘していた。

 茶葉とお湯がこぼれているのが見て取れた。

 ヒルダの顔は必死だった。

 キングとミカゲの視線に気づいて、ヒルダは大きな声を出した。


「見られると緊張すんだよ!こっち見んな!」

「はいはい」


 キングは軽く流してミカゲに向き直った。


「疲れたか?」

「いいえ。近道だったので。あの、質問してもいいですか?」

「何だ」

「まことの黒を狙う敵の本拠地も、シッコク地区にあると聞きました。俺がここにいたら、ここの人たち、危なくないですか」


 キングは足を組みながら言った。


「問題ない。シッコクには、命を狙われている人間がごまんといる。この屋敷もすでに、いろんな理由でいろんな人間が付け狙っている。ミカゲが増えたところで、今更だ」

「でも」

「ここの連中は害虫駆除が得意だ。俺の帰宅も皆が分かっていただろ?侵入者にはすぐに気付くし対処する。安心しろ」


 ミカゲは、うかつにニア国に足を踏み入れたことで迷惑をかけたと自覚した。そのため、また周りに迷惑をかけてしまうのではないかと、今さらながらに気にしていたのだ。

 キングは腕組みをした。


「いや、本当、この屋敷にいる分には大丈夫なんだ。ここからカロナギ国へミカゲを出すのが、ちょっと骨が折れる。海路にするか陸路にするか。いろいろと考えないといけない」


 ガシャンガシャン


 がさつな音が近づいてきて、キングとミカゲは顔を向けた。


「お待たせしました」


 ヒルダがお盆に1つだけティーカップを乗せて歩いてきた。

 勿論、キングの前のテーブルに置いた。

 ヒルダはお盆を抱いて、キングの隣のソファに座った。


「飲んでみてよ」


 ミカゲのことは、完全に無視していた。

 さすがに、ミカゲはカチンときた。

 キングは一口、茶を飲んだ。


「うまくなったじゃないか」

「だろ?ちょっと緊張して手が震えちゃったけど、いつもはもっと完璧なんだ」


 ヒルダは満面の笑みで言った。

 キングは優しく笑いかけた。


「化粧も今くらいがいい」

「え、そうかい?あたしはもっときちっとしたかったんだけど、エリザベスが酷いんだよ。見苦しいとか言って、人の化粧品を没収しやがった」


 ヒルダは照れ隠しのように、頬を染めながら悪態をついた。

 ソバカスが見えるくらいの薄化粧だった。

 ミカゲには、ヒルダはカロナギ国の田舎の農婦のような、あか抜けないが愛嬌のある顔に見えた。態度はその限りではないが。


「キング、今回は長くいられるのかい?あんたがあんまり帰ってこないから、あたしは寂しいよ」


 ヒルダが甘えた口調でキングに言った。

 この二人、一体どういう関係なのか。

 ミカゲには、さっぱり見当がつかなかった。


 キングがなだめるように言った。


「頑張って仕事をたくさんおぼえたろ?その調子だ」

「ご褒美ちょうだいよ」


 ヒルダはキングに迫った。

 キングはソファに座ったまま、じりじりとヒルダから離れた。

 ミカゲは我慢できずに声をかけた。


「ねえ、あの、ヒルダさんって、もしかしてキングさんのことが好きなの?」

「見て分かるだろ!相思相愛だ!」


 ヒルダは断言した。

 キングはすかさずヒルダの頭をはたいた。


「いたああああい!」

「大概にしとけ。ミカゲが本気にする」

「え、よく分かんない。嘘なの?」

「はん!大人の恋愛はガキには分かんねえんだよ!」

「なんだよ!子ども扱いすんな!」

「うるせえ!ガキがキングに話しかけてんじゃねえ!ガキのくせに色目使いやがって!」


 キングは額に手を当て、天井を見上げた。

 ギャアギャア言い合いを始めた二人を横目に見て、ため息をついた。

 キングは、よし、と気持ちを立て直し、ヒルダに声をかけた。


「ヒルダ。冗談はさておき、頼みたいことがある」

「冗談って!ん。ん?あたしに頼み事?」


 ヒルダは目を丸くした。

 キングは真顔で言った。


「そうだ。ヒルダにしか頼めないことだ」

「ホントに?あたしにしか?」

「そうだ」


 ヒルダは口元を手で覆って、うち震えた。

 キングに頼られたことに感動していた。

 ミカゲも驚いた。

 ミカゲが今まで出会ってきた中で、ヒルダは最も子どもっぽい大人だった。

 頼る、という言葉がまったく似合わなかった。


「キングさん、何かの間違いじゃ」

「ミカゲ。何も知らずにものを言うな。ヒルダには才能がある」

「キーング!やるよ!あたし、やるよ!」


 褒められたヒルダは、有頂天になって熱く言った。

 一方、たしなめられたミカゲは、面白くなかった。

 依頼内容を確かめもせずに引き受けるなど、判断力に欠けているとしか思えなかった。


「ヒルダにしかできないことだ。しばらく一人で行って働いてもらうから、寂しいかもしれないが」

「耐えるよ。あんたが望むなら。危ないことかい?」

「危険が近づくようなら迎えに行く。今まで、ここで学んだことをいかして、行儀よく、だが、自分らしく過ごしてくれたらいい」

「よく分かんないけど、危なくはないんだね。よし。あんたのいう通りにする」

「いい子だ」


 ミカゲは、キングよりどう見ても年上のヒルダが、いい子と言われて頬を赤らめている様子に驚いた。

 この屋敷での特別扱いも不思議だった。

 このヒルダという女は何者なのかと、ミカゲは訝った。


 ヒルダは、ミカゲのその表情をどう読み取ったのか、勝ち誇った顔で言い切った。


「愛だよ!これが、大人の愛ってもんさ!」


 ミカゲが見ると、キングは間違いなくげんなりした表情をしていた。

 ヒルダは畳みかけるように言った。


「頑張るから、ご褒美に結婚して」

「断る」


 キングは即答した。

 ヒルダはまったくめげる様子もなく、キングにじゃれついていた。


 大人の愛って。


 ミカゲには、さっぱり理解できなかった。

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