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年頃

「大声出すなよ」


 真夜中、ベッドで眠っていたミカゲは、突然口をふさがれ、耳元でそうささやかれた。

 すぐに目が覚めて、一瞬ビクッと体が跳ねたが、すぐに落ち着いた。

 ミカゲがよく知っている気配だった。


「そうだ。分かるな。迎えに来た」


 ミカゲが状況を理解したと知ると、ミカゲの口をふさいでいた手はゆっくりと離れていった。

 ミカゲは静かに体を起こした。


「キングさんか」

「露骨にがっかりするのはやめてくれ」


 ベッドの横に、キングが立っていた。

 キングは片足が義足であるとは信じがたいほど静かに動く。

 ミカゲは、口をふさがれ声をかけられるまで、キングにまったく気付けなかった。


「さすがだね。目が覚めなかった」

「ニア国だそ。まことの黒のお前がそんな調子でどうする」


 ミカゲは助けを待つ情けない状況の中で、重ねて自分の不出来を感じたくはなかった。であるから、キングの忍び足について賛辞を贈ってみたのだが、やはりキングには釘を刺された。

 こみ上げてくる苦い気持ちにふたをして、ミカゲは尋ねた。


「シェイドは」

「ソフィアについてる。当然だ。説教は無事にカロナギの屋敷に戻ってからだ」


 ミカゲは心底ホッとしていた。

 キングが迎えに来て、屋敷に連れ帰ると言っている。あとはそれに身を任せればいい。


 シェイドが来なかったことには、ショックを受けてもいた。

 嫌われてしまったかもしれないと恐ろしくもなった。

 とはいえ、シェイドについては、愛してもらえるように頑張るのだという前向きな気持ちがあった。

 シェイドに会ったら、しっかりと謝って関係を修復して、そこからまた始めるのだと、ミカゲは改めて決心した。


 キングが背を向けながら言った。


「ミカゲ、出発するぞ。着換えろ」


 ミカゲはフロウのパジャマを着て、フロウのベッドで寝ていた。

 フロウは今夜から、古書店に間借りしている部屋に戻っていた。同居する店主が帰宅するから、いつもと同じ生活をして、ミカゲという秘密に気付かれないようにするのだとフロウは説明した。ミカゲには、好きなだけフロウの部屋を使ってほしい、時々会いに来るからと言い残して行った。

 ミカゲは躊躇した。


「どうした?」


 ミカゲのためらいをすぐに感じ取り、キングは振り向いて声をかけた。


「あの、明日の昼まで待ってもらえませんか?」


 ミカゲは思い切って言った。

 キングは呆れた口調で返した。


「おいおい」

「分かってる。自分勝手なのは。でも、ここの家の人たちに恩があるから」


 キングは、ふいに口をつぐんだ。

 ミカゲは、キングが義理がたい人間なので、恩という言葉に反応したのだと考え、言葉を続けた。


「世話になったんだ。この家の親子に。怪我の手当てをしてもらったり、ほら、ベッドも。あとは食事とか洋服とか」

「お前、自分のこと」

「言ってない。大事なことは何も言ってないです。それに、敵じゃないのはちゃんと、その、自分なりに確認して助けてもらった」

「敵じゃない、一般の、見知らぬ親子」

「そう。そうなんです。これで二度と会うこともないから、ちゃんと礼だけ伝えたい。びっくりするくらい、よくしてもらったんだ」


 キングは、何事か考えている様子だった。

 ミカゲは一生懸命伝えた。


「娘の方は仕事場で寝泊まりしているから、もう会えないけど、母親の方は夜の仕事が終わったら帰ってくる。疲れているから眠らせてやりたい。昼前に起こして、一言だけでもお礼を言ってさよならしたいんだ。バカみたいに親切な親子だから、何も言わないで消えたら、すごく心配する。取り乱して、話を大きくしかねない」


 この家での夜は、ミカゲにとって、人生の転機といって差し支えないくらいの体験だったのだ。

 女の子としてのアイデンティティに扉を開いてくれたマルタとフロウに、ミカゲは礼を尽くしたかった。

 キングは顎をさすった。


「想像を超えてるな」

「ごめんなさい。たくさん迷惑をかけてる。後で鞭でも何でも受けるから、筋を通させてください」


 キングは顎をさすり続け、しばし黙考した。

 ミカゲは唇を噛んで、答えを待った。

 キングの手が止まった。


「分かった。昼にまた来る」

「キングさん、ありがとうございます」


 ミカゲは心からの感謝を伝えた。





 キングは一度、ミカゲと別れマルタの家を離れた。

 まことの黒を敵視する相手には、マルタの家は気づかれていないようだという安全も確認した。

 今後、ミカゲをニア国から連れ出すことが、一番の難所と考えられた。

 出国のためのルートを検討する必要があった。


 それにしても、とキングは思い返していた。

 ミカゲは、シェイドとフロウとの関係にまったく気づいていなかった。

 何も知らず、マルタとフロウの世話になっていた。

 安心して深く眠るほど、あの親子に頼りきっていた。


 なんてことだ。


 それを知ったら、シェイドはどんな顔をするのだろう。

 その顔が見られないのは残念だと思いながら、キングは追加の知らせをシェイドに飛ばしたのだった。







 キングが去った後、ミカゲはベッドにもぐり、やるべきことを考えていた。

 どれほど時間が経ったのか。物音がし、マルタが帰宅したことを知らせた。

 水音や衣擦れの音、せきばらい、鼻歌などが聞こえてきた。

 やがて、マルタの寝室のドアの開閉音がして、それが過ぎると静けさが戻った。


 ミカゲはベッドを抜け出した。

 デスクライトを点け、机に向かった。

 ひきだしを物色し、紙とペンを見つけ出した。


 ミカゲは簡単な手紙を2通仕上げた。







 夜が明けてもうすぐ昼という頃、キングは再びマルタの家を訪れた。

 マルタはまだ眠っていた。

 キングはフロウの部屋に忍び込み、盛大なため息をついた。


「あのバカ娘が」

 

 部屋には誰もいなかった。

 しっかりとベッドは整えられていて、パジャマはたたんであった。

 ミカゲの置き手紙が、机に2通置かれていた。


『マルタへ。迎えが来たから帰る。世話になった。ありがとう。あなたに教わったことは忘れない。いい女になってみせる。さよなら』

『フロウへ。迎えが来たから帰る。助けてくれてありがとう。もうちょっと警戒心を持て。矛盾するけど、ちゃんと周りを見て、いい男といい恋をしろよ。感謝している。さよなら』


 おそらく、キングに見られる予定はなかった手紙であろう。

 部屋に乱れはない。連れ去りではない。

 ミカゲは、キングの迎えが来る前に、ここに戻ってくるつもりで外に出たのだ。


 約束の時間にいないということは。


「手間かけさせやがって」


 キングは音もなく部屋を立ち去った。






 ミカゲは、路地を走って逃げていた。

 時には人ごみに混ざり、時には壁の上を歩き、追跡者をまこうとしていた。


 ミカゲは、もとから着ていた黒いTシャツにカーキ色のワークパンツを身に着けていた。フロウが洗濯をし、穴を繕ってくれたのだ。

 しかし、この姿は敵に知られていた。街中を歩いていたミカゲは、あっさり敵に見つかってしまった。


 そりゃ、見つかるよなとミカゲは追われながら思っていた。

 キングの迎えが来て、気持ちが緩んでしまった。

 ほんのわずかな時間なら、街中に出ても大丈夫じゃないか、という楽観的な考えになぜ至ってしまったのか。

 警戒心の薄さをフロウに言っている場合ではないミカゲであった。

 今さらだが、せめてフロウの服を貰って着ればよかったとミカゲは後悔していた。


 ミカゲは、プラチナブロンドの男を探していた。

 フロウをコソコソ見に来ていたが、目立つ男だった。

 繁華街に男がいれば、すぐに分かるはず。

 短時間でも再会して、少しだけ話がしたかった。


 ミカゲは先日、フロウを心から疑っていたわけではないが、念の為、確かにフロウは一般人なのだということを再確認するために、働いているところを見に行った。

 フロウは間違いなく古書店にいた。


 それにしても、ミカゲが見たのは短時間であったが、何人もの男が仕事中のフロウに言い寄っていた。

 分かりやすいアプローチから密やかなメッセージまで、さまざまであったが、フロウは分かっているのかいないのか、見ていてミカゲはイライラした。


 フロウに近づく男たちを何人か見た中で、正直、プラチナブロンドの男が一番マシだとミカゲは感じた。

 奥手過ぎるフロウに、ミカゲは機会を与えたかった。

 プラチナブロンドの男も、奥手に見えた。


 あの男、フロウの働く古書店の近くで、今日もウロウロしているのではないか。


 ミカゲは、プラチナブロンドの男がどんな人間なのか確認し、場合によっては、背中を押してやろうと思ったのだ。

 そして、それをフロウへの恩返しとして、今回の冒険を締めくくろうと考えた。


 もし、ミカゲの考えをキングやシェイドが知ったなら、バカげたことをと厳しく叱ったに違いない。

 ミカゲは自分の思いつきに変なところがあるとは、まったく思いもしていなかった。

 周りがよく見えているし、慎重だし、恩義に厚い。そんな自分をつゆほども疑わなかった。


 結果、今の状況に至る。


 そもそも、ミカゲがニア国に入ったことは、すぐに敵の知るところとなった。

 ミカゲはうかつにも、魔術を使ってしまったのだ。まことの黒の魔術は、すぐに敵に探知された。

 シェイドと行動していないミカゲは、敵にとっては願ったりかなったりの存在であった。

 ミカゲを捕らえれば、シェイドにつながる情報も得られるし、シェイドをおびき寄せる罠も容易い。


 ミカゲは逃げ足が速かった。

 ただその一点で救われていた。勿論、運も味方したといえる。

 ミカゲは、一人で生き残るには、まだまだ力不足なのだ。



 ミカゲは走りながら、天を見上げた。

 日が高い。

 ミカゲの不在に、キングが気づいた頃だ。

 敵に見つかるなら、キングにもすぐに見つけてもらえるに違いない。

 ミカゲには、楽観的な信頼があった。





 路地で身を隠し、息を潜めていたミカゲに、間近から声がかかった。


「ミカゲだろ?」


 ミカゲはハッとして振り向いた。

 身を隠している木箱の向こう側から、見知らぬ男が覗きこんでいた。

 ミカゲはすぐさま立ち上がり、距離を取った。

 男が何気ない口調で言った。


「逃げるなよ。キングさんの使いだ」


 ミカゲは警戒しながら、男の様子を探った。

 男から敵意は感じられなかった。

 男は、細身で小柄、短髪、キツネ目で、不思議なくらい親しげな雰囲気をまとっていた。

 男は、力みのない気軽さでミカゲに話しかけた。


「俺の名前はタタ。キングさんは俺の先輩で恩人だ。俺はミドリ地区に詳しいから、ミカゲを探してほしいと頼まれた」


 タタ。

 わずかにミカゲの記憶にひっかかるものがあった。

 キングとシェイドが話す中に、そんな名前が出てきたことがあるようなないような。

 しかし、そんな曖昧な記憶で男を信用していいのかどうか。

 ミカゲは、疑いをこめて尋ねた。


「根拠は」

「お」

「あんたの言うことを証明できるものある?」

「ああ。キングさんから敵の知らないミカゲ情報を預かっている」

「何?」

「シェイドのベッドにもぐりこんで、おねしょした」


 ミカゲは真っ赤になって絶句した。

 タタは、思いだすように上を見上げながら言った。


「もう一つ言おうか?」


 ミカゲは思わず走り出し、タタに殴りかかった。


「おっと」


 タタはミカゲの拳を軽くかわして、ミカゲを後ろから抱きとめた。


「わわ!」


 ミカゲの頭に閃くものがあった。


「…きゃあ!」

 

 ミカゲは背中のタタを見上げた。

 タタは真っ赤な顔のミカゲを後ろから見下ろしていた。


「おめえ、可愛いな」


 タタがニッと笑った。

 ミカゲの沸騰しそうな頭の中に、何だかもうよく分からないけど俺はやりとげた、という思いがよぎったのだった。




 その後、ミカゲはタタの後ろをついて走った。

 タタはするすると路地から路地へと抜けていった。

 時には人の家もくぐり抜けた。

 タタは細身だが、しなやかな筋肉の持ち主であることにミカゲは気がついた。


 追っ手の気配は感じなかった。

 すっかり敵を振り切ってしまったようだ。

 タタの素早さにミカゲは感心した。




 潮の香りのする路地裏で、キングが待っていた。


「このバカ!」


 さすがにミカゲはゲンコツを落とされた。

 頭がジンジンしたが、ミカゲもこれはしょうがないと思った。


「すみませんでした!」


 ミカゲは頭を下げた。


「理由は後でじっくり聞こう」

「申し訳ありません!俺がバカで」

「まあ、お前の年頃は、すべての人間がバカになるから。俺もあまり人のことは言えない身だ」

「キングさんも?」

「危険が理解できてない。そのくせ自分は何でも分かった気になっている。そして、無駄に行動力がある。結果、命の綱渡りだ」


 キングはタタに言った。


「手間かけさせて悪かった。ありがとう」

「いいえ。あの、最初の報告書の時は、ミカゲを探すのに手間取ってしまって。すんませんでした。いや、もらった写真と違って、前髪上げて顔出してるから印象が違ってて。言い訳っすけど」

「いや、十分早かった」

「ミカゲ、写真のおめえより今の方がいい。そうしてろよ」


 ミカゲはタタに褒められて、再び真っ赤になった。

 ミカゲは小花のついたヘアピンだけもらってきて、前髪を止めていた。

 キングがタタに言った。


「タタがそう言っていたことも合わせて、俺からカラカラに感謝の報告をしておこう」

「かんべんしてください。半殺しで動けなくなったら、仕事できなくなるっす」


 タタとはそこで別れることになった。

 別れ際、タタはミカゲに目配せを送った。

 ミカゲは頬を染めておじぎを返した。

 タタはニッと笑って手を振って去った。


 キングは呆れた口調で言った。


「ちょっと会わないうちに色気づきやがって。女はすぐに化ける」

「すんません」


 ミカゲにタタの口調が移った。

 ミカゲはとっさに手で口をふさぎ、キングにペコリと頭を下げた。

 キングは、やれやれという調子で言った。


「行くぞ」

「はい」

「まずは俺の家だ」


 ミカゲは、すぐにカロナギ国へ向かうと思っていたので驚いた。

 キングはミカゲの頭をポンポンと軽く叩いた。


「お前は自分の存在価値がよく分かっていない。簡単にこの国を出られると思うな」


 ミカゲはハッとした。

 事はそう簡単ではないのだと、初めて感じとった。


「すみません!俺、何も分かってなくて」

「そうだな」

「すみません」


 うなだれるミカゲに、キングは声をかけた。


「よく生き残った。それだけで上等だ」


 ミカゲは涙が込み上げてきた。


「すみません」

「行くぞ」

「はい」


 ミカゲは、キングの大きな背中を見ながら涙をこらえて走った。

 目を背けていたかった自分の幼さを自覚させる苦い涙だった。

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