フライング
「それはない」
「うん。ないだろ」
ユウカリとノーマは口をそろえてミカエルに言った。
子どもの頃、ミカエルと何度も遊んだ女の子が、今のミカエルと目が合って、ミカエルと判別できない訳がない、と。
それは、今までのミカエルの自己認識と合致していた。
ミカエルは途方に暮れた顔で言った。
「僕も今までそう思っていたんだけど」
「いや、絶対分かる。無駄に印象が強すぎる」
「そうそう。俺も久しぶりに会った時だって、一瞬で分かったよ。ミカエルはミカエル以外、ありえない」
ミカエルは、二人の友人に太鼓判を押され、ううむと悩み始めた。
ミカエルとユウカリとノーマは、居酒屋の個室で酒を飲んでいた。
ミカエルは結局、小学校時代からの友人ノーマを誘い、ユウカリの公演を観に行った。
終劇後、ユウカリに会いに行くと、ユウカリから飲みに行こうと声がかかった。
ミカエルの仲立ちで、ユウカリとノーマもすでに飲み仲間になっていた。
3人で飲み始めると、ノーマは、誘われてうれしいけど、ミカエルもそろそろ誘いたい女はいないのか、という話を切り出してきた。
そこで、ミカエルは、自分の混乱について、二人の友人に話をすることになった。
実は、誘いたい子がいた。でも、久しぶりに会って目が合ったんだけれど、僕だと気づいてもらえなかった。
ユウカリとノーマは目を丸くした。
そして、それはありえない、という合唱になったのである。
「ミカエルは勘がいい。だから、ミカエルの勘違いではないな」
「だけど、ミカエルに気づかないなんて、あるわけがない」
「何かあるな」
「そうだ。裏がある」
酒が入っているせいもあるだろうが、ユウカリとノーマは妙に盛り上がり始めた。
二人は身を乗り出して聞いてきた。
「ところで、どんな女なんだ」
「そうだそうだ!今まで、まったく浮いた話のなかったミカエルを悩ませる美女は何者だ?」
ユウカリとノーマは、期待を込めた目を輝かせ、興味津々で尋ねた。
ミカエルは、火照る顔を少し伏せながら、小さな声で言った。
「妹」
「ん?聞こえないぞ?」
「俺たち、言いふらしたりしないから!」
「だから、あの、妹。腹違いの」
シーンとした。
ユウカリが、沈黙を破って呟いた。
「なんか、ごめん」
ノーマも言った。
「悪い。茶化すつもりじゃなかった」
表情を暗くし、すっかり気まずい様子になった二人を見て、ミカエルは慌てて手を振った。
「いやいや、そんな深刻な話じゃないって!」
「本当、ごめん」
「いやいや」
「まさか、そんな事情があるとは」
「いやいやいや」
落ち込む二人をなだめ、ミカエルは、フロウの話をシンプルに打ち明けた。
父親が浮気して外に生まれた妹である。
子どもの頃に、たまたま出会って、親には内緒で何度か遊んだ。
母親が調査し、事実が明るみに出たことで、会えなくなった。
最近、ミカエルはこっそり妹に会いに行った。
遠くから見るだけのつもりだったが、うっかり姿をさらしてしまった。
そこで、妹と目が合ったのに、ミカエルだと気づいてもらえなかった。
「後になって、もしかして、と思ってくれてたらいいんだけど。でも、そういうレベルじゃない、本気で初対面っていう感じだったんだよね」
ミカエルは頬杖をついて、ほうっと息を吐いた。
ユウカリは、真面目な顔で言った。
「今の話の中身でミカエルと気づかないなんて、尚更、ありえん」
ノーマも頷いた。
「ミカエル、それやっぱり、何かあるぞ」
ミカエルはテーブルに顔を伏せた。
「分からない。自信がない。正直、妹の気持ちを知るのが怖い」
ユウカリとノーマは、思わず顔を見合わせた。
人の気持ちを恐れるミカエルなど、二人とも見たことがなかった。
「飲めよ、ミカエル」
「そうだ。まずは、飲んどけ」
ユウカリは、度の強い酒を注文した。
ミカエルは勧められるままに飲んだ。
したたかに酔うミカエルの様子に、ノーマは驚いた。
ミカエルは酒に強く、ここまで乱れたことはなかった。
ミカエルは、ユウカリに問われるままに、妹の話をした。
可愛らしくて、働き者で、しっかりしているんだ、と、まるで惚気のような話しぶりもあった。
ずっと会いたかった。
フロウは、ただ一人、かけがえのない絆で結ばれた妹。
今も会いたい。
でも、怖い。
会いたい。
会いたい。
話の後半は、まるでリフレインのようだった。
ミカエルは、憂いを含んだ瞳を潤ませていた。
見慣れているノーマでさえ、そんなミカエルはドキッとするほど美しく見えた。
酔いつぶれたミカエルを、家の方向が同じノーマが送って帰った。
ユウカリは、そんな二人を見送った。
ユウカリ自身は、あまり酒を飲まなかった。
しかし、頭の中は、妙な高揚感でいっぱいだった。
とうとう、ミカエルに恩返しができるかもしれない。
ユウカリは、イデアメル国で手を差し伸べてくれたミカエルに、恩義を感じていた。
自分の持つ最大の価値である常春の華という家名にさえ、ミカエルはあまり食いついてはくれなかった。ミカエルの父親が大変喜んでくれたので、ユウカリも少しホッとしたのだが、気持ちの上では、まだ借金が返し終わらないような不全感を抱いていた。
ユウカリは、ミカエルの助けになりたいと思ってきたのだ。
酔ったミカエルに、ユウカリは何度も言った。
「俺に任せてくれ。俺が妹の事情を調べてやる」
ミカエルは動揺しながら、首を横に振った。
「もし、そうしない訳にいかなくなったらお願いするかもしれない。でも、まだ」
ユウカリの心は決まっていた。
ミカエルのGOサインは待たない。
余計なおせっかいと思われても構わない。
あんな悲しい顔のミカエルは、もう見たくない。
ユウカリは、タクシーを拾った。
そして、劇団の先輩から聞いた、評判のいい調査機関の名前を運転士に伝えたのだった。




