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復讐

 王立魔術学院の学院祭は、年1回、1週間開催される。

 この学院祭は、国内外から魔術師や薬師、魔術や薬に関心のある人々が大挙して訪れる、大規模な催しだった。


 6歳から18歳までが在籍する魔術学院と、その上位学校に当たる魔術大学院が、ハクキン地区の同じ敷地内に隣接して建っていた。

 この学院祭においては、学院も大学院もそれぞれに、1年間の研究成果を発表するのだ。


 一日がかりで行われる大がかりな魔術や、夜にだけ花咲く外国の薬草の観察など、夜通し行われる学術的な催しに、ハシマは魅力を感じていた。


 学院には古書店から通うこともできるが、ハシマはその世界にどっぷりと一日中浸かりたかった。


 フロウが成長し、留守番をさせることにハシマが納得できるようになった2年前、ハシマは初めて外泊した。

 久しぶりに訪れた学院ではあったが、ハシマをおぼえていた教師に歓迎され、魔術や薬草の新しい可能性について語り明かした。

 翌年は、古い魔道書についての新しい知見を検討した。

 そして今年は、去年一昨年より一泊多い、二泊三日の日程を組んだ。宿舎で休ませてもらいながら、さまざまなイベントに参加することにしたのであった。





 ろくに眠りもせず、ハシマは魔術と薬草の世界を堪能した。

 もっと学びたい、そして何かを新しく生み出したい。そんな意欲が湧いてきた。

 ハシマの知的好奇心は満たされ、学院祭に来てよかったと心から思っていた。



 そんな3日め、名残惜しいがそろそろ帰宅しなくてはという頃合に、ハシマはその人に見つかった。


「ハシマ!本当に来ていたとは!」


 魔術大学校の中庭のベンチで、ハシマは借りた白魔術書を読んでいた。

 集中して読んでいたので、人が近づいてきたことに気づかなかった。

 ハシマが本から顔を上げると、目の前に、怒りもあらわな女が立っていた。



 女の肩で、金茶色の縦巻きロールの髪が揺れた。

 白衣の下に黒のタイトなワンピースを着ており、美しいボディラインが際立っていた。

 怒りに燃えた瞳は大きく、泣きぼくろが強すぎる印象を和らげるようであった。


 その女から一歩下がったところに、若くてきれいな顔をした男が二人、付き添うように立っていた。

 


 ハシマが返事をする前に、女は激しい口調で怒りをぶつけてきた。


「あんたのせいで、ひどい目にあった!ふざけんじゃないわよ!のんきな顔して、のこのこ私のいる学院に来るなんて!」


 ハシマは、ああ、と理解した。


「もしかして、術が解けた?」


 女は息を吸い込んでから、一際大きな声で怒鳴った。


「解いたわよ!よくもやってくれたわね!」

「元気そうじゃないか、」

「元気になったのよ!あんたの術がかかってるうちは、散々だった!」

「そもそもあれを持ち出したのは、ベロニカ、君でしょう?僕は、自分の身を守っただけです」


 ハシマは、しゃあしゃあと言いながら、頭を巡らせていた。


 あの禁呪は、相当に不完全な技なのだ。

 フロウを見ていても、何かの拍子に術が緩んで、何度かかけ直している。


 今起きている事の行方を追いながら、ハシマは例の禁呪について理解を深めようと耳をそばだてた。

 


 ベロニカによる、ハシマへの恨み言は続いた。

 若い男たちは、何も言わず静かに控えていた。


「あんたのこと、あの時は本気で好きだった。そんな相手に記憶操作を受けた私の気持ち、分からないでしょうね」

「お互いにとって、良かったと思っていましたが」

「いいわけない!大体、必死に探しだした禁呪をあっさり奪い取って!私のプライドもズタズタよ!」


 ハシマとベロニカは、かつて恋人同士だった。

 魔術学院を卒業する時期に、別れたいハシマと恋人関係を続けたいベロニカは、大もめにもめた。

 優秀なベロニカは、どこからか人の心に影響を及ぼす禁呪を見つけ出してきた。

 それによって、ハシマの心をつなぎとめようとしたのだが、ハシマに返り討ちにされたのだ。


 ベロニカは、ハシマの存在を認識しながら、ハシマへの恋心や、すったもんだした出来事を、すっかりさっぱり忘れ去った。



 学院を主席で卒業したベロニカは、請われて大学院へと進んだ。

 順風満帆なはずなのに、なぜだか悪夢にうなされた。

 自分の中に、妙な違和感があった。

 違和感の正体を突き止めようとするのだが、そうするといつの間にか、茫漠とした塊に飲み込まれてしまうのだ。どうしても核心にたどり着けなかった。


 日々、魔術を研究する傍らで、己の違和感を暴くための探求が続いた。

 探求を進めるほど、悪夢はひどくなった。

 あまりの恐怖に、眠るのが怖くなった。


 探求を放棄し、男と眠ると、不思議なことに悪夢はやって来なかった。


 違和感をそのままにしておいて、生きていくのもありじゃないのか。

 あの恐ろしい夜を過ごすくらいなら、男と共寝して安らいでいればいいのではないか。




 納得できなかった。




 ベロニカは、優れた魔術師だった。

 平穏など望まない。嵐に身を投じることになろうとも、真実を欲したのだ。



 そうして、ベロニカは、ついに禁呪を破った。

 ハシマへの恋情とそれにまつわる出来事を思い出した。

 記憶の奔流に混乱しながら、すべてを整理し直した。



「悪夢に悩まされ、違和感に付きまとわれ、自分を見失いそうになって、本当につらかった。でも、私はすべてを乗り越えた」

「素晴らしい。禁呪に打ち勝つとは。それにしても、人の心をどうこうするというのは、自然に逆らうことだから、やはり負担が大きいものですね」


 ハシマは心底感心して言った。

 ベロニカは、きれいにマニキュアの塗られた人差し指を、ハシマに向けた。


「あんたと一生会わないなら、忘れてやろうかとも思ったけど、何よ!学院祭に来てるって、あちこちで話が出てくるじゃない。まんまとこんなところにいるし!私の生活範囲によくも足を踏み入れてくれたわね」


 ベロニカが早口で何かを唱えると、指先に小さな炎が燃え立った。


「一番残酷な方法で復讐してやる。おぼえてなさい」


 ベロニカが指を振ると、小さな炎の矢がハシマに向かって飛んだ。

 ハシマは読んでいた白魔術書をパッと持ち上げ、炎の前にかざした。

 炎は、白魔術書に届く前に、ジュッと音を立てて消えた。

 貴重な魔術書には、保護のための魔術がかかっているのだ。


 ベロニカは、フンッと鼻を鳴らした。



 なんて懐かしいテイストだろう。

 ハシマの中には、しみじみする思いがあった。

 学院の日々は、今のようなことの連続だった。

 ベロニカのそんな変わらない様子に、ハシマはつい、微笑んでしまった。


 ベロニカはハッとしてハシマを見た。

 ベロニカの胸がギュッと痛んだ。





 それは、ずっとそばにいてほしかった微笑み。





 ベロニカは感傷を振り払うように、もう一度、ハシマを睨み付けた。


「余裕ぶってなさい。今の私は昔の私とは違う。容赦はしない。首を洗って待ってなさい」


 捨て台詞のように言い放ち、ベロニカはハシマに背を向けた。

 ハシマはその背に声をかけた。


「ベロニカ。人の心をいじるのは、やめた方がいい」


 ベロニカの肩が、ピクリと動いた。

 ベロニカは背を見せたまま、顔だけハシマに向けて言った。


「この子たちは、望んで傀儡になっている。それに私はあんたと違って上手いから、苦痛はない。何より、あんたにだけはとやかく言われたくない」

「それは、そうですよね」


 ハシマは、人差し指を顎に当て、小さく頷いた。

 ベロニカは、二人の男を引き連れて、中庭を去って行った。






 ハシマは、白魔術書の背表紙を撫でた。

 硬く確かな感触が、心地よかった。


 ベロニカに宣戦布告されてしまった。

 ベロニカには、魔術師らしい執念深さがある。

 やると言ったらやる女だ。


 ハシマは、正直、面倒だと思った。

 学院際に来るようになって3年目、警戒心が薄れ、大学院に足を踏み入れることが増えていた。

 ハシマの注意不足か。それとも、学院祭に来ること自体が間違いだったのか。


 ハシマは首を振った。




 結局、自分の生きてきた道は、簡単には消せないと、そういうことなのだ。

 愚かな自分がしでかしたことを、自分が引き受けるしかない、そういうことなのだ。




 ハシマは、ベンチに陰を作る木の葉を見上げた。重なりあう葉の隙間から、昼下がりの青空が見えた。




 何て気持ちのいい青だろう。




 ハシマは、ベロニカに謝りそびれたなと感じた。

 魔術師同士、自業自得の連鎖であり、お互い様であり、術を仕掛けたことに、罪悪感を持ったことなどなかったのだが。

 ハシマは、ベロニカを苦しめたことを謝りたいと思った。

 取り返しがつくのならば、愚かさを詫びて、ベロニカに与えた傷を修復したいと願った。


 ハシマは目を閉じて、深呼吸をした。

 やがて目を開け、白魔術書を持って立ち上がった。








 迎撃準備をしなくては。








 連鎖を止められるのか、愚かさを重ねるのか。

 ベロニカは、生半可な相手ではないことを、ハシマは知っていた。

 仕留め返す気合いを持って臨まなければ、討ち取られてしまうだろう。


 ハシマは失笑しながら、中庭を後にした。

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