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沢の下の双子

「久しぶりね、リリス」

「珍しいじゃない。リリスが声をかけてくれるなんて」

「忙しいのに、姉さんたち、来てくれてありがとうね」


 ある日の午後、リリスは双子の姉アルルとラライに会っていた。

 リリスが、家から遠くない行きつけの喫茶店に二人を呼び出した。

 この喫茶店には個室があり、ソファも設えてあるので、ゆったりと過ごせるところが気に入っていた。

 漆喰の白い壁が美しい個室で、3人は久々の再会を喜び合った。


「元気そうじゃない」

「おかげさまで。最近、体調がいいの」


 リリスはアルルに笑顔を向けた。

 アルルは、黒髪を男性と見まごう程に短くしていた。白シャツ、白いパンツに大判の華やかなスカーフを首からかけており、大変スタイリッシュであった。


「アルル姉さん、相変わらずかっこいい。お店は順調?」

「順調。新しい美顔コースが好評なのよ」


 アルルはエステ店を経営し、成功していた。

 リリスは、ラライに尋ねた。


「ラライ姉さん、義兄さんとは仲良くしてる?」

「まあね。それより、今度、料理本出すことになったから、よろしくね」


 ラライは、アルルと同じ顔ではあるが、肩下まで伸びた黒髪にはパーマがかかっており、それだけでもまったく印象が違っていた。ベージュのワンピースには光沢があり、ところどころに金糸で刺繍がなされ、高級感をかもし出していた。


 ラライは結婚し、家庭に入っていた。夫は、父親と同じく大学教授で留守がちだった。ラライは趣味の一環として、料理教室やパン教室などに通っていた。凝り性なので、のめり込んだ。

 あっという間に上達し、生徒のレベルを超えた。

 積極的なラライは、今度は自分が先生になり、料理を教えることにした。自宅でちょっとした料理教室を始めたのだ。

 そのうち、社交的な性格も一役買って、主婦モデルの仕事が舞い込んでくるようになった。

 そうこうするうちに、今やラライは、主婦雑誌に、自分の料理とライフスタイルを紹介する連載ページを持つまでに至った。


 アルルが悔しそうに言った。


「まったく。家庭の主婦におさまるようなタマじゃないと思ってたけど。私より先に本を出す?」

「お先に失礼。アルルもエステ本出せば?」

「うるさいわね。そのうち、出すわよ」


 アルルとラライは、同志でもあり、ライバルでもあった。

 リリスには二人が眩しく見えた。

 リリスは長い白金の髪を頭にまとめ上げ、白いブラウスと紺のフレアスカートを身に着けてきた。外見一つとっても、自分だけ、高校を卒業してから何の進歩もないように感じられた。


「はあ。姉さんたち、相変わらず二人ともかっこいい。私はいつまでもダメなのにね」

「珍しいじゃない。リリスがそんな弱音吐くなんて」

「何かあった?ねえ、こういうの初めてだわ」


 リリスは、二人の姉にずっと気後れしていた。

 積極的で力強い姉たちに、自分の弱さを見せることができなかった。

 どんな時もただただ、私は大丈夫よ、と言い続けてきた。


 しかし、ミカエルが言ったのだ。




 我慢しているより嫌だと言うリリスの方がいい、と。




 リリスは、ミカエルに導かれるように、本心を手紙に書くようになった。

 イデアメル国にいるミカエルからの返事には、リリスを励ます言葉がたくさん書かれていた。

 リリスはほっとした。

 そうした往復書簡を何度か続けるうちに、リリスは気づいた。



 体調がいい。



 知らぬ間に、自ら毒素をため込んでいたのか。

 そして、心身が回復してくると、恐ろしくなった。



 ミカエルに、何を背負わせてきたのか。


 

 リリスは少しずつ、ビヨンドに直接不満を言うようになった。

 不満は山ほどあった。

 夫婦ケンカが増えた。

 泣くことも増えた。


 今度は、頑張ってケンカをしていることを手紙に書いた。

 一時帰国するたびミカエルは、そんなリリスにエールを送った。



 リリスは理解し始めていた。

 我慢が自分を痛めつけていること。

 苦悩を人に打ち明けることは、重荷を分ける意味もあること。

 それを人に向けると、さまざまな面倒が生じること。

 それでも、人とともに抱えることは、可能性を広げること。



 リリスは、ミカエルにビヨンドへの不満を言うのはあまり良くないことだと、今さらながらに思っていた。

 やっと、そう思えるだけの余裕ができたのだともいえる。



 誰かに話してみたい。

 そう思った時に思い浮かんだのが、二人の姉たちだった。

 姉たちは、いつもリリスを気にかけ、守ってくれていた。

 心を開けなかったのは、自分の卑屈さのせいだった。





「アルル姉さん、ラライ姉さん、聞いてくれる?そして、誰にも言わないでいてくれる?」

「勿論」


 双子の姉たちの言葉が重なった。

 リリスは泣き笑いしそうになった。

 瀟洒なティーカップに手を伸ばし、香りのいい紅茶を一口飲んで、リリスは話し始めた。


「結婚生活がつらかった」


 アルルとラライは、初めて聞くリリスの弱音に、驚きながらも耳を傾けたのだった。







 結婚してから、仕事が忙しく家を空けがちだったビヨンドとのすれ違い。

 何をしていいのか分からない中での、使用人たちとの軋轢。

 ミカエルを出産後も、ビヨンドとすれ違い続ける中で、風邪をこじらせただけで死にかけたこと。

 ビヨンドに女の影を感じ取り、調査をしたこと。

 明らかになった浮気と隠し子のこと。

 女とは手を切ったというものの、その後もビヨンドは家に寄り付かないということ。

 






「なんてこと。なんてことなの。あなたいつも、幸せよって笑っていて」

「知らなかった。まさか、そんなことになっているなんて。一人で我慢してたのね。苦しかったでしょう」


 リリスが語り終えると、二人の姉は涙ぐんでいた。

 リリスはその反応にも驚いた。


 本当に心配してくれている。

 

 リリスはうろたえた。

 言ってはいけなかったか。迷惑をかけてしまったか。その心配を自分は煩わしく思うのか。





「ちょっと、ごめんね」


 アルルが鞄からハンカチを取り出し、目に当てた。


「はあ。私たち、子どもの頃は、リリスを守りきれなくて、悔しかった」


 ラライが目元を小指で押さえつつ、頷いた。


「小さな可愛いリリスが、じいさんやお父さん、お母さんに邪険にされるのが、本当に嫌だった。そんな家の空気が大嫌いだった。アルルとよく話してたわね。私たちがリリスの本当のお父さんとお母さんになろうって」


 リリスはびっくりした。

 初めて聞く話だった。

 双子の姉たちがそんな嫌な思いをしていたことも、そこまでの思いでリリスに接していてくれたことも、まったく知らなかった。




 アルルが、唇を噛んで、憤怒の表情を呈した。


「あんの、くそ男めー。あいつが責任持つって言ったから、可愛いリリスを手離したのに」


 ラライも目を吊り上げた。


「鉄槌を食らわせてやりましょう。絶対に許せない」


 アルルがすかさず同意した。


「リリスが嫌な目にあったのと同じくらい、嫌な目にあわせてやる」

「仕返ししないと気が済まないものね」


 アルルとラライは頷きあった。

 リリスは慌てた。


「いえ、あの、そこまでは」


 アルルとラライは、双子ならではの息の合ったタイミングでリリスを見た。

 最初にラライが、次にアルルが、リリスに次々と提案をし始めた。


「ビヨンドと縁を切っちゃいなさいよ」

「私はまだ独り身だし、一緒に暮らしましょう」 

「そしたら、私と一緒に、料理教室しましょうか」

「うちでネイルの勉強してみない?」

「何だか、楽しくなってきたわね」

「やる気が出てきたわ」


 リリスはポカンとして姉たちを見ていた。

 驚きで一杯だった。



 ものすごく愛されてる。



 リリスの頬に赤みが差した。

 うれしくて、恥ずかしかった。


 人に頼らないと生きていけない自分が今度は姉たちに頼る。今のままでは、それだけになってしまうかもしれない。 

 しかし、現状からどこへも行けないと思っていたのだ。





 自分で自分の中に毒素をため込むような生き方は、もう嫌だ。





 自分次第で未来が変わるかもしれない、という思いは、リリスを勇気づけた。

 弱い自分にも、できることがあるのかもしれないという希望を持った。





 リリスは姉たちとまた会う約束を交わした。

 そして、その足で美容室へ行き、髪を切ったのだった。

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